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大相撲スレ
159
:
名無しさん
:2010/03/04(木) 05:35:38
>>158
これですかね?
http://www.asahi.com/kansai/sports/news/OSK201003010058.html
夢と希望をありがとう 朝青龍を撮り続けたアマ写真家(1/2ページ)2010年3月1日
元横綱・朝青龍(本名=ドルゴルスレン・ダグワドルジ)さんが幕下だったころから写真を撮り続け、「おやじさん」と慕われたアマチュアカメラマンがいる。朝青龍さんが暴行問題を起こした末に引退したいま、さまざまな思いが胸をかけめぐる。(向井大輔)
大阪府東大阪市の湯村光男さん(79)。2000年3月、近畿大学の相撲道場(東大阪市)であった若松部屋(現高砂部屋)の朝げいこを見に行ったのが、朝青龍さんとの出会いだった。
何度投げ飛ばされても「もう一丁!」とぶつかっていく。いい目をしていた。「本場所では何時から相撲をとっているの」と話しかけると、「2時す」と聞き取りにくい返事。それが、入門2年目で幕下の朝青龍さんだった。モンゴルから来たとわかり、ますます引きつけられた。
名古屋や東京まで追いかけた。朝青龍さんはいつしか湯村さんを「おやじさん」と呼ぶようになった。「白髪増えたなあ」「一緒にちゃんこ食おう」と声をかけてきた。
02年3月、大阪場所を前に開かれた高砂部屋の激励会。関脇になっていた朝青龍さんに「えらくなったらうちには来られへんやろなあ」と話すと、「そんなことない。明日行く」。翌日、付き人らと本当にやって来た。焼き肉を食べ、湯村さんがそれまで撮った写真を見ていたとき、朝青龍さんが「モンゴルで写真展をやろう」と言い出した。
「ほんまかな」と半信半疑でいたが、首都ウランバートルの中心部の美術館展示ホールを借り切ったという連絡が入った。同年8月、大関昇進が決まった後の帰国に合わせ、写真展が実現した。
「本当にうれしい贈り物だった」。カメラ歴40年以上の湯村さんにとって、初めての個展。羽田空港で落ち合い、1週間モンゴルに行った。通訳や車を用意してくれ、草原に行った。モンゴル式住居「パオ」に泊めてもらい、一緒に馬乳酒を飲んだ。「楽しんでる?」「ちゃんと食べてる?」。朝青龍さんは細かな気遣いをしてくれた。
http://www.asahi.com/kansai/sports/news/OSK201003010058_01.html
夢と希望をありがとう 朝青龍を撮り続けたアマ写真家(2/2ページ)2010年3月1日
横綱になり、朝青龍さんの周りはいつも人だかりができていた。話す機会は減った。巡業を休み、母国でサッカーに興じていた問題などが報じられた。「ちやほやされて道を誤ったのではないか。指導できる人や相談相手はいないのか」と不安が増した。
昨年3月、大阪市で高砂部屋の激励会が開かれた。相変わらずの人垣の中、朝青龍さんは湯村さんを見つけ、「おやじ」と手を差し出した。「頑張れよ」と握手したのが、現役最後の会話だった。
暴行問題で朝青龍さん引退の速報が流れた夜、眠れなかった。「自分がもう少し何か踏み込んで言ってあげられればよかった」と悔いが残る。
断髪式には必ず行くつもりだ。「小さい体で根性出してよく頑張った。夢と希望をくれてありがとう」。そう言おうと思っている。
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