したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

中国・四国 地方議会・首長,政治・選挙スレ

936チバQ:2010/12/18(土) 00:05:44
http://mytown.asahi.com/tokushima/news.php?k_id=37000361012160001
2011 知事選(中) 相乗り
2010年12月16日





民主系会派「新風・民主クラブ」から推薦を受け、会派の議員と握手を交わす飯泉知事(中央)=県庁

 「晴れ舞台」の本会議で質問を終えた自民系県議は、傍聴に訪れた支持者たちと、議会棟の玄関で握手を交わす。隣に立って見送るのは飯泉嘉門知事。時には記念撮影にも応じる。開会中の県議会では恒例の風景だ。


 自民系県議にとって「わが知事」という思いがある。2003年、非自民が推薦した大田正知事(当時)を不信任決議で失職に追い込んだ後、出直し知事選で大田氏の対抗馬として担ぎ出し、初当選させる原動力となった。2期目の選挙で飯泉知事は民主や社民にも推薦を要請。だが、支えたのは自民と公明だった。


●「推薦依頼せず」


 そんな知事が11月26日の立候補表明後、報道陣に語った。自民も含め「今回は政党に推薦をお願いしない」。


 その約1カ月前の10月中旬、議長室で自民系3会派の幹部が数度集まった。3会派あわせて出馬要請をしてほしいとの、知事側からの働きかけがあった。40人の県議のうち、3会派の議員を合わせると約7割にあたる27人となる。最後の話し合いで出馬要請は決まり、飯泉後援会の会長が同席して礼を述べた。


 議員の中には、前回知事選と同じように「立候補を表明してから推薦すればいい」という意見もあれば、「民主系会派に先を越されるかも知れない」と懸念する声もあった。知事選と県議選の投開票日が同じであるため、「自分の選挙のためには、知事の与党だとアピールする方がいい」という声もあったという。


 「国会では野党でも、県議会では与党。飯泉知事を支えるのは我々だ」と藤田豊県議会議長。「市町村長と県議会。政党に推薦を依頼しなくても、この二つを味方につけることが最大のカギだった」と知事側の関係者は言う。


●知事選に触れず


 立候補表明から9日後の12月5日。徳島市の建設センターで、飯泉知事と後藤田正純・自民党県連会長は隣り合って座っていた。県と県連との意見交換は約1時間におよんだが、知事選の話題を持ち出す者は誰もいなかった。県連の幹部は「党には推薦を求めてこないという予想はしていた。野党として仕方がない」と漏らす。


 後藤田会長は、朝日新聞の取材に対し「3会派が立候補要請したことで、知事がこっちを向いているということは世間に伝わる。それで十分だ」と語った。


●参院選が節目


 一方の民主。11月23日、徳島市内のホテルの会場は、人であふれた。民主党県連主催の政治資金パーティー。壇上に上がった飯泉知事は熱っぽくマイクを握った。「政権与党として、徳島の提言をしっかりとつないでいただいている」と民主との協力関係をアピール。飯泉後援会の幹部は「参院選で流れが変わった」と明かす。


 6月24日の参院選の公示日の朝。知事側は、政権政党である民主公認候補の出陣式に出席する人員を手配していた。しかし、陣営からの出席要請はなかった。この時、飯泉後援会のある幹部は「知事選で対抗馬を出す気があるのかもしれない」と感じた。


 ところが、民主候補が敗れ、今後の対応を話し合う8月10日の幹事会後、高井美穂・県連代表(当時)は記者会見で知事選について問われ、淡々と語った。「2回目の当選以降、知事も中立化というか、べったり自民党ということもなくなりましたよね」


 民主の支持母体である連合徳島の小松義明会長も「参院選が節目だった」と振り返る。「逃げ切った」と思った選挙を落としたショックは大きく、「次の知事選に民主党から出すことは難しい」とその時、実感した。


 知事側は県議会の民主系会派「新風・民主クラブ」にも推薦を依頼。11月議会が閉会する今月14日、「私たちの思いは知事の思い」と黒川征一会長は推薦の意向を伝えた。


 「こう、手を組みませんか」という飯泉知事の提案で、会派の6人は知事を囲んでカメラに笑顔を向けた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板