したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

中国・四国 地方議会・首長,政治・選挙スレ

4232OS5:2023/11/13(月) 09:44:30
https://news.yahoo.co.jp/articles/f12d94d05fbea02bfbc02cb52414f3dd076de00d
【一番町インテリジェンス】自民党平成会とは何だったのか 元愛媛県議・藤原敏隆氏25年目の告白
11/13(月) 8:00配信
「藤原敏隆」。氏の名前が愛媛県政の表舞台から消えて、どれぐらいたつだろう。大学卒業後、読売新聞東京本社の政治記者として活躍。1991年、40歳で愛媛県議に初当選。「若手のホープ」(98年の愛媛新聞より)として名をはせた。
中でも特筆すべき業績は98年、35年にわたり一枚岩を保っていた県議会自民党を割り、新たな交渉会派「自民党平成会」を結成したことだろう。
新会派を立ち上げ、それを認めさせるための執行部との激しいやり取り。さらには平成会と当時の伊賀貞雪知事との関係を「友好的対立」というポジションで落着させること。この難事に、藤原氏が理論的、実践的に中心的役割を果たしたことは衆目の一致するところだ。
ただその後の平成会は、加戸守行知事が誕生した99年知事選の対応をめぐりわずか8カ月で分裂。藤原氏自身もその知事選に出馬し落選、衆院選出馬・落選を繰り返し、政治から身を引いた。
平成会、そして藤原氏はあの時代、あのひとときのみ咲くことを許されたあだ花だったのか。2023年は平成会の結成・分裂から25年。いまは「一農業者」として西条市に暮らす72歳の藤原氏が当時を回顧した。(坂本敦志)
■私は伊賀さんを評価していました
Q今回、藤原さんが平成会の記録として執筆した「保守王国の崩壊 平成十年政変の真実」(創風社出版)を読み返しました。県政がダイナミックに動いた当時の熱気が改めてよみがえりました。
書いていないこと、書けないこともありますけどね。ただ、結構きわどいことも書いたのに、誰1人「事実と違う」という話はなかった。記録として客観的に書けたという思いはあります。
Q当時の県議や同志の方と、お会いになることはあるのでしょうか。
今はもう全然ですね。皆さん当時の記憶がだいぶ薄れたせいか、国政選挙や県議選では「お願いします」とか言ってくる人もいます。農業のこともあるんでね。自民党、野党にかかわらず、農業問題をしっかりやってくださいよとお願いするので、関わりができることもあります。
Q25年もたちましたから、書いていないような話もしていただければと思うんですけれども。改めて発端から伺います。当時、藤原さんは伊賀県政をどのように見ていたのでしょう。
伊賀県政については平成会のメンバー18人、県議1期生と2期生でしたが、伊賀さんあるいは県政に対するスタンスはかなり違っていました。私は当時の東予市選出で、東予市長と伊賀さんとは関係が良くなかった。ですから私が県と市の間に収まるような関係。県の中でパイプを太くして、選挙区に予算を持ってくる。東予市はインフラ整備等が遅れていましたから、私はそれを第一に掲げて県議になりましたし、その点では伊賀さんの理解もいただいた。当選したその日に、県幹部から「ちょっと来てください」という伝言が入って、話を聞くと要するに東予市との連携が取れない、それではいけないと思っているので、あなたは1年生で大変だろうけど、全部あなたを通しますからやってくださいっていうような話でね。困ったことだとは思いつつも、一方でやりがいを感じて、その役を果たしました。

愛媛新聞社


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板