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中国・四国 地方議会・首長,政治・選挙スレ

3536チバQ:2020/04/22(水) 21:32:06
「これは『令和の阿波戦争』だ」

「阿波戦争」とは、昭和49年の参議院選挙で勃発した徳島での激しい選挙戦。

当時の田中角栄総理大臣を後ろ盾にした後藤田の大叔父にあたる後藤田正晴(後の副総理)。

後藤田と激しく争ったのは三木武夫(のち総理大臣)の派閥議員だった。

後藤田正晴が落選したが三木派と後藤田派に分かれての対立が続いた。

後藤田は、苦々しく、ことばを続けた。
「石破派は、自民党の良心、救世主だ。石破自民は大きな選択肢だ。何十、何百と増やして大きなうねり、流れを作らなければならない。石破派が徳島で1つ減ったところで、どうということはない。
徳島の中で、こんな下らない権力争いをしていること自体が疲れる」

だが、「阿波戦争」には、強い自信をにじませた。
「申し訳ないが、次の衆院選は福山さんと野党系の候補を足しても、僕が上。いつでもおいでという感じだよ」

投票日前日の4月4日。

自民党県連の会議が開かれた。会議の席に並んだ後藤田と福山は、平静さを装うものの、表情はお互い憮然。そして、後藤田氏は早々に会場を後に。
県連会長で、麻生派の山口俊一は、「ご不満があるんでしょうね」と突き放した。

憎しみでふるさと壊すな
そして5日の投票日。サクラが満開となった徳島市では、穏やかな春の日和となった。その日の夜、軍配が上がったのは、福山が推した内藤佐和子だった。

全国で史上もっとも若い女性市長となる。票差は2000票足らず、率にして2ポイントほどの大接戦だった。内藤のそばには満面の笑みの福山がいた。

取材に対して福山は「私自身もかつて地元の選挙区でしたし、市議会議員も県議会議員もやってたんで、地元のみなさんから、どないかして市長さんは代えたほうがいいんじゃないのという声が、やっぱり多かったですね」と語った。

そして、派閥のことを聞かれると…
「石破派同士の代理戦争と言われたが、私自身はそういうことは意識してない。いろいろな意見の衝突はあるが、やはり政党はそういうものでなければならない。結果は出たのだから、憎しみ合ってふるさとを壊しちゃいけない」
かつて自身もやっていたラグビーになぞらえて「ノーサイド」を強調した。


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