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中国・四国 地方議会・首長,政治・選挙スレ

3194チバQ:2018/06/04(月) 19:16:17
だが、4選を狙った1999年の選挙では、若手県議や一部国会議員からの反発で、文部省OBの加戸守行(1999〜2010)が擁立され、自民党本部も積極的に応援した。県教組も文部官僚時代の実績を肯定的に評価し戦列に加わり、国会議員の一部や各種団体の一部の支援を受けた現職や、読売新聞出身の県議である藤原敏隆などを圧して勝利した。

伊賀定雪は、松山商業出身の県職員で白石が後継者として指名しただけあって、素晴らしい切れ者の能吏であった。国際化の流れに応じていちはやくFAZ(輸出入促進地域)の指定を獲得したり、松山空港への国際線の就航に取り組むなど積極的な経済開発を展開したし、財政の健全性維持にもすぐれた手腕を発揮したことは間違いない。

政治姿勢も就任早々は「県民を納得させる親切行政」というなど対話を強調し、白石時代とは違った謙虚なものと映った。ところが、徐々に側近政治に傾き、また、プロパー、出向者を問わず職員に対する極端に峻厳な態度、民間人でも少しでも県政改革について意見を言う者に対する露骨な嫌悪を見せた。また、白石時代から国会議員に対する県庁優位は極端だったし、諸行事の際には、すべての出席者が揃ってからおもむろに知事登場とか、知事が他県へ行くときは皇族並みといわれる慎重な準備を県職員がして驚かれたりもした。

あるいは、白石とは一期目途中から関係が悪化し、葬儀にも出席しなかった。こうした極端な姿勢が反乱につながったのである。

加戸は、私のインタビューでも、「これまでの知事は強い権力をもっており、知事が言えばすべて決まるという具合でした。県政をがっちりまとめていけるという良い面もあり、『しまなみ海道』の整備のような大きな事業は、政治力がなければできていなかったでしょう。ただ、人々の多様な感性を県政に生かすことができなかったという面もあります。自由にものが言えて、言ったことが愛媛の社会に生かしていけるようになればよいと思い、知事就任以来、唱え続けているのは職員の意識改革です。役人の悪い面が職員に表われてこないようにし、県民との意見交換が率直に行われるようになってもらいたい」といっていたが、このような背景があるのである。

いずれにせよ、やや極端に個性的な知事たちの時代のあと、加戸知事の下で普通の県政に転換しているということであるが、戦後の愛媛県政が強い自己主張で独自性を求めたことのプラス面も無視できないのはいうまでもないし、加戸もハワイ沖の「えひめ丸」事件の際に示したような強い主張と行動力、教科書問題などで示す自らの信念に基づく主張などに個性を発揮しつつ21世紀の愛媛づくりに取り組んでいる。

その結果として、2期目の選挙では、圧倒的な支持を集めて無風選挙を制した。

松山と言えば「坊ちゃん」だが、同じ明治でも「坂の上の雲」を売り出したのが松山市長時代の中村時広(2010年)。慶応で中学から大学まで学び、三菱商事に就職したが父が市長時代に県会議員に。1993年の総選挙では日本新党公認で当選し、さらに、松山市長。加戸知事との関係も良好で、順当に後継知事となった。

その後、加戸と中村の関係がどうなっているかは、あえて書かないが、いまやかつての殿様知事たちに劣らぬ豪腕ぶりといわれる中村と、禅譲したはずの加戸のあいだは微妙なものなのかもしれない。

(文中敬称略)

八幡和郎


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