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中国・四国 地方議会・首長,政治・選挙スレ

272千葉9区:2009/06/28(日) 14:25:30
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20090626-OYT8T01214.htm
藤田県政  知事と会派の距離変遷
後援会事件も乗り切る
 4期16年間の藤田県政で、知事が最大の窮地に陥ったのが、後援会の政治資金規正法違反事件だった。政治資金パーティーの収入を過少申告したとして後援会元事務局長が2005年、同法違反容疑で逮捕され、後に有罪が確定。多数の県議が後援会から選挙対策費を受け取ったとして、問題は県議会にも飛び火した。

 県民の政治不信はピークに達し、藤田知事の命運は絶たれたかに見えた。実際、06年12月と07年3月の2度にわたり、県議会で辞職勧告決議案が可決された。

 しかし、勧告に法的拘束力はなく、藤田知事は「知事職を投げ出してしまっていいのか」などとして辞職しなかった。07年7月、今度は法的拘束力のある不信任案が県議会に提出されたが、26対39で否決された。「知事とわしらは一蓮托生。知事を本気で追いつめるのはうまくない」。知事に近いある県議はこう、当時の舞台裏を明かす。別のベテラン県議は「最後まで知事を辞めさせられんかった県議会こそ、県民の信頼を失った」と表情を曇らせる。



 知事と県議会各会派との距離は、93年の初当選以来の16年間で、議会内での主導権争いとともに変化してきた。

 93年当時、最大勢力だった自民党議員団(現自民党議員会)は知事選を巡り反主流派がたもとを分かち、自民党改革議員団を結成。議員団は藤田氏、改革議員団は当時県議の亀井郁夫氏(現参院議員)を擁立して、分裂選挙に。結局、藤田氏が亀井氏に10万票余りの大差をつけて制した。

 藤田知事の1期目は、自民党議員団との二人三脚で、広島アジア大会などの大事業を成功させていったが、両者の蜜月(みつげつ)関係は、2期目にはほころびを見せ始める。財政難で行財政改革を進めたい藤田知事と、公共事業推進派とみられる同議員団の一部県議との距離は徐々に広がっていったという。

 同議員団が名称を変えた自民党議員会は下野する一方で、そこから分裂した自民党刷新会(現自民刷新会議)は現在の民主県政会につながる民主、社民党系などの会派とともに知事与党として、議会運営の主導権を握った。与党のあるベテラン県議は「県議側がもり立てたからこそ、知事の思い通りに県政を運営できた」と指摘する。



 公選の知事はその権限から、大統領にも例えられ、本来は県議会から独立した存在だ。だが、藤田県政は県議会でのパワーバランスに支えられてきた。

 藤田知事は24日の引退表明の記者会見で、「時代の要請が変わった」「その時代に求められる人材がある」と強調した。議会の動向に左右されない知事か、議会と共同歩調を取る知事か。秋に予定される知事選でどのようなリーダーが誕生するかで、藤田知事と県議会が歩んだ16年間への評価が決まるのかもしれない。

(この連載は澤本浩二、竹田直人が担当しました)

(2009年6月27日 読売新聞)


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