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中国・四国 地方議会・首長,政治・選挙スレ
269
:
千葉9区
:2009/06/26(金) 21:18:37
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20090625-OYT8T01168.htm
藤田県政 16年の光と影<中> 大型事業が足かせ
膨れた負債対策に追われる
3000メートル滑走路供用開始式でテープカットする藤田知事(左から3番目)ら(2001年1月、広島空港で) 1993年10月29日、三原市本郷町に広島空港が開港した。その9日後、11月7日に知事選が投開票され、藤田知事は初当選を決めた。世界に開かれた中四国の拠点を目指した空の玄関と、全国最年少(当時)、44歳のトップの誕生は、広島県の新時代を予感させた。空港の振興と周辺整備を担ったその後の県の動きは、藤田県政の16年間を映し出す。
94年に広島アジア大会、96年にはひろしま国体と大きなイベントが相次いだこともあり空港の利用は順調に伸びていった。2001年1月に3000メートル滑走路の供用が始まり、2002年度には利用客は344万人とピークに。しかし、その後は、310万〜330万人台と横ばいが続く。
4月、県庁の会議室で有岡宏副知事と広島市の米神健副市長ら4人がテーブルを囲んだ。三原市に広島空港が開港した後は廃止するはずだったのに、毎年5億円を超える赤字を重ねながら、運用が続く西飛行場(広島市西区)の今後を話し合う検討会の初会合。<効率化>を理由に広島空港への旅客便集約を求める県と、<利便性>を強調して西飛行場の存続を図りたい広島市の主張は平行線をたどった。
規模の面では西飛行場をはるかに上回る広島空港だが、鉄道交通が直結していないという課題を抱える。
県は95年、広島市との間をリニア鉄道で結ぶ構想を打ち出したが、車両開発の中断で頓挫。2000年には在来線延伸での鉄道整備の検討を始めたが、調査に8億8000万円を費やした末の06年、採算性を理由に断念することになった。
◇
バブル経済崩壊後に誕生した藤田県政は当初、公共事業重視の路線を余儀なくされた。前任の竹下虎之助知事時代に動き出していた、県立総合体育館(広島グリーンアリーナ)や県立美術館の建設は、総仕上げの時期を迎えてもいた。「就任前からレールが敷かれていたようなもの。方向転換できる段階ではなかった」。当時を知る県幹部は振り返る。
しかし、大型事業のツケは重く、就任当時、6245億円だった県債残高は、2期目の99年度には倍の1兆2620億円に膨れた。
2期目の半ばには、行政のスリム化や緊縮財政に向けて大きく舵を切り、広島空港への鉄道交通や県庁移転、県立がんセンター建設などの大型事業について、断念や凍結を余儀なくされた。4期目もその流れは変わらない。公共事業にかける予算額は、00年度の2402億円から、09年度には1147億円にまで減少。それでもなお、貯金にあたる財源調整的基金も、93年度の1391億円から09年度は25億円にまで減った。09年度の県債残高は1兆5420億円にのぼる。
◇
“敷かれたレール”に乗って華やかなスタートを切りながら、そこで生まれた負担が足かせとなった藤田県政。残された負債と懸案は、次の知事に引き継がれることになる。
(2009年6月26日 読売新聞)
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