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首都圏 地方議会・首長,政治・選挙スレ

2068チバQ:2010/04/11(日) 19:15:23
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000001004090002
町の再生 行政の出番 みどり市の課題
2010年04月09日


近くに住む中島美佐江さん(77)に、石灯籠の由来を説明する松粼靖さん(左)=みどり市大間々町

 足尾銅山の銅鉱石を運ぶあかがね街道の宿場町、生糸の集散地として栄えたみどり市大間々町。いまでは商店街からにぎわいが失われ、閉店する店が増え、町の人口も減り続ける。「このままでは町が壊れる」と、住民の間で行政に先行する形で、再生を目指す動きが出ている。(大道裕宣)


 古い造り酒屋、しょうゆの醸造元などが軒を並べ、土蔵も多い。繁栄時の面影を残す大間々町の本町通りに3月25日夕、3基の石灯籠(とう・ろう)に灯がともった。133年ぶりの温かい光だった。


 石灯籠は江戸時代後期に設けられたが、交通の妨げになると1877(明治10)年に町内の神社の参道などに移設された。その参道が県道整備で削られることになり、再移設先を探していた。


 「だったら、本町通りに戻そう」。そう提案したのは本町通りで洋品店を営む松崎靖さん(57)らだ。


 町の衰退に心を痛め、昨年秋、同志と9人で「三方良しの会」発起人会を作った。売り手良し、買い手良し、世間良し、の大間々商人の精神で、町を元気にしたいと考えた。石灯籠の移設は最初の仕事になった。


 「ええ、石灯籠を見に来たり、写真を撮りに来る人、多いですよ」。町のにぎわい作りに手応えがあった。これからも歴史と文化を生かした町づくりに取り組む。


   ■   ■


 松崎さんの店からほど近いながめ公園内に、「ながめ余興場」という1937(昭和12)年にできた劇場がある。65年前後の最盛期には2カ月間で30万人以上が入場したという記録も残る。だがにぎわいは続かず、87年に休眠状態となった。


 使うことで余興場を盛り上げたいと、「ながめ黒子の会」ができたのは95年だ。3代目理事長で設計事務所経営の小屋雅義さん(56)は、「金をかけずにいい出し物を」と、出演交渉から駐車場整理、楽屋の世話まで手弁当でこなす。


 昨秋には第15回全国芝居小屋会議を計画し、一口3千円で住民から寄付を募った。座布団を作り、寄付者の名前を刺繍(し・しゅう)で入れるというアイデア。250口の募集に、予想を超える530口集まり、急きょ座布団を増やした。


 「地元の誇りを残したい」という運動が、確実に根を広げている。市外からの客も増えているという。「気持ちよく来て気持ちよく帰って頂くことを心がける。そこから、何かを作りたい」


   ■   ■


 笠懸、大間々の両町と東村が合併し、みどり市が誕生して4年。


 笠懸町は、農業の集約化が進み、ハウス栽培を中心に所得が安定する。新興住宅地でもあり、人口は約2万9300人で、8年前より約7600人増えた。


 一方、大間々町の人口は2万1千人を切り、8年前より約6千人減った。人口減に歯止めをかけなければ地域社会は崩壊する。松崎さん、小屋さんらの努力は、そんな危機感の表れだ。


 だが、住民の力には限りがある。


 大間々町には、住宅地のそばに、関東の耶馬渓といわれる高津戸峡がある。遊歩道も整備済みだ。町商工会の総務委員長、田口善弘さん(67)はこう提案する。


 「市は町の『遺産』を生かす再開発をする。空いた土地には竹や木を植え、ベンチを置いた小公園にする。歩いて楽しい町は住む人を幸せにし、住む人が幸せな町には市外からも人が来る。仕事が生まれ、若者が町に増える。町を再生しなければならない。行政の出番だ」


 赤石俊雄市長公室長(62)は、この4年間の町の再生について「産業政策作りに努力はしたが、残念ながらできなかったといわざるを得ない」と認める。


 市長選で再選を狙う現職の石原条氏(45)は、「商店街活性化基本政策の策定」を公約に掲げるが、具体策づくりはこれからだ。「難しい課題だ。市は金は出すが口は出さず、町づくりは町の人に任せるという発想でできないかと考えている」と話している。


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