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北海道 国政・地方政治スレ
422
:
チバQ
:2011/03/04(金) 22:22:59
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000941103030001
【2011統一地方選】
《夕張はいま》(中)若き希望 支えられず
2011年03月03日
工場で働く榊原将馬さん(左)。これからもこの街で頑張り続けるつもりだ=夕張市
■増えぬ雇用 進まぬ誘致
JR新夕張駅から歩いて10分、合板メーカーの夕張工場で、榊原将馬さん(21)はパチンコ台の板を黙々と作っていた。「勤勉でまじめ」。先輩社員からほめられて、榊原さんは少しはにかんだ。
夕張高校を卒業した時、就職した約10人の同級生は半数以上が市外に出たが、榊原さんは地元を選んだ。小学2年で始めた夕張太鼓を続けたかったからだ。今は指導者として子どもたちに伝統芸能を伝えている。
片道20〜30分かけて車で会社に通う。ファストフード店も、お気に入りの洋服店もない街だが、お年寄りとも自然にあいさつを交わす夕張に一生住むつもりだ。
工場長(64)は、そんな姿を頼もしく感じる半面、心配も募る。2008年秋のリーマン・ショックで受注量は激減した。高年齢の従業員に辞めてもらい、榊原さん以降の新採用はない。社員は現在15人。工場長が赴任した6年前より3割以上減った。「ここで若者が生活していくのは、なかなか厳しいのでは……」
■Uターンにも壁
雇用環境の厳しさは、「夕張に戻りたい」と思う人たちにも壁になっている。
東京都台東区の臨床試薬メーカーに勤めている高木希さん(27)は、高校を卒業して夕張を離れ、今は出張で全国を飛び回る生活。疲れてマンションに帰り、故郷を思い出すと、心が落ち着く。
ただ、今すぐ夕張に戻ることは「ないな」と言う。思うような仕事に就けそうにはない。「希望と現実……。希望をとれば、結局は親に甘えて過ごすだけ。自立できなければいずれは困る。帰りたいという人は私も含めて多いはず。それができないのは、何か、もったいないですね」
昨年、市内に進出した「夕張ツムラ」の生薬加工場などが始動した。漢方薬の製造・販売大手「ツムラ」の拠点で、夕張再生の起爆剤としての期待も高い。社員は現在の10人から増やす方針だが、今は「若い人の応募がなかなかない」(同社)という。
そもそも企業誘致も思うように進まない。中小企業基盤整備機構が市を支援しようと07年、夕張緑陽団地の5区画を実に9割引きにしたが、3区画の買い手はつかないままだ。
■買い物は市外へ
街を彩っていた小売店や飲食店の閉店も止まらない。市内の事業所が加入する夕張商工会議所の会員数は5年前よりも約100減って224となった。小網敏男専務理事は「ここ5年ぐらいで市内の購買力は3割以上落ちたと思う」。人口減で小売店が次々に閉店し、「買い物難民」となった住民は市外の店を頼っていく。
2月27日。隣の栗山町のスーパーに、夕張市内を回って客を乗せた無料の買い物バスが着いた。週に2回ほど運行する。特売日だったこの日、高齢者ら53人がバスを降りて店に入った。65歳の女性は「ここは品ぞろえが豊富。助かっていますよ」。交通が不便な夕張への支援と、隣町の買い物客の掘り起こしを狙ったバス運行に、同店店長は「口コミで徐々に広がり、反応は予想以上」と話す。
そうした現実を、多くの市民は、重苦しい気持ちで見つめている。
夕張の将来のまちづくりを考えるため、同月10日夜に開かれた市のマスタープラン策定委員会。市職員や会社経営者、主婦ら約20人が集まり、市内に分散する商店街や住宅を中心部に集約することの是非を話し合った。
「反対だ。地域の衰退を早めてしまう」。一人の主張に対し、「現実から目をそらすことはできないはずだ」「(集約に向けて)覚悟してもらうしかないだろう」と、反論も続いた。
白熱した議論が再生への道筋をどう描くのか。出席者にも見えない。
(神元敦司)
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