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北海道 国政・地方政治スレ

1440チバQ:2022/01/02(日) 17:57:25
https://news.yahoo.co.jp/articles/4997e23f9605636f1e8b97413f17100117738f5e
札幌市制100年 政令指定都市移行50年 拡大続け全国第4の市に発展
1/2(日) 6:04配信
北海道新聞
新幹線の札幌駅予定地

 札幌市は今年、市制施行100年、政令指定都市移行50年の二つの節目を迎える。1869年(明治2年)に開拓使が置かれてからほぼ半世紀後の市制施行を契機に、戦時を挟みながら、札幌の近代化、都市化、国際化は進んだ。2008年には人口190万人を突破。人口規模で全国4番目の市に発展し、飛躍の1世紀を歩んできた。

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1922年の人口は12万7044人
 1922年(大正11年)8月1日、札幌は函館、小樽、旭川など他の道内5市と同時に市となった。この時の人口は12万7044人。79年発行の「さっぽろ文庫第7巻『札幌事始』」(札幌市教委編)は当時の市民の様子を「夜は提灯(ちょうちん)行列が延々とつづいて、さながら市内は不夜城と化し(中略)市中は歓喜の一色に塗りつぶされた」と伝える。

 翌23年(同12年)には旧都市計画法が適用され、条丁目を基盤にした中心部の市街化が進展した。昭和に入ると、27年(昭和2年)の市電(路面電車)、30年(同5年)の市営バス(2004年廃止)運行開始など交通網が発達。上下水道の整備が本格化し、37年(同12年)の旧市役所庁舎の完成など近代化が進んだ。

 戦時を挟み、人口は急増する。40年(同15年)の国勢調査で人口20万人を超え、函館を抜き道内一に。戦後は白石村や琴似町など自治体合併により市域が拡大した。北24条周辺にサハリン(樺太)などからの引き揚げ者が住宅街を形成。50年代以降は道内の炭鉱閉山による元炭鉱労働者らの流入が続き、60年、人口は50万人を数えた。

70年代に大きな節目
昭和の高度成長期にビルが目立ち始めた札幌市中心部=1964年撮影=

 「人口増により、開発の中心はそれまでの大通地区周辺から札幌駅以北に広がった。それが市域全体の都市化につながったんです」。札幌の歴史に詳しいタウン誌編集者の和田哲さん(49)は指摘する。

 まちの形を決定づける動きは70年代に大きな節目を迎えた。その中心はやはり72年2月の札幌冬季五輪だ。アジア初の冬の五輪として開催が決まったのは66年。人口増に伴い大量の輸送力が必要になったことと相まって地下鉄や地下街整備の議論が一気に加速した。

 71年11月、地下街オーロラタウン・ポールタウンが完成。同12月、市営地下鉄南北線(北24条―真駒内)が運行を始めた。札幌を象徴する雪まつり開催やテレビ塔完成、もいわ山ロープウェイ開業などは50年代の出来事だが、そこから五輪までに都市は膨張、70年に人口100万人を超えた。


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