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北海道 国政・地方政治スレ

1373名無しさん:2020/10/01(木) 20:05:03
>>1372

【特別掲載】高卒都職員が540万道民のニューリーダーになるまで #鈴木直道 知事の“光と影”(前編)

2020年07月31日 14時59分
月刊財界さっぽろ本誌記事 鈴木直道 東京都 北海道 創価学会 公明党 夕張市 法政大学 猪瀬直樹 武部勤 杉良太郎 石原慎太郎 羽柴秀吉 ボクシング
財界さっぽろ編集部

新型コロナウイルス感染症対策で評価を高め、地元紙調査では仰天の「支持率88%」を叩きだした鈴木直道知事、39歳。間もなく不惑を迎える鈴木氏は今や将来の総理候補の1人にすら数えられているが、必ずしもその人生は順風満帆なものではなかった。

財界さっぽろ2020年5月号(4月15日発売)では、鈴木氏の代名詞である“ピンチをチャンスに”変えてきた、その足跡を特集「鈴木直道の“光と影”」として報じた。ここでは「財界さっぽろオンライン」リニューアル記念として、同特集から5本の記事を再編集し、前後編に分けて掲載する。


鈴木直道氏と姉の優子さん(鈴木事務所提供) ©財界さっぽろ
創価学会員2000人を泣かせた 母子家庭、苦難の生い立ち
「私の人生を大きく変わる出来事がありました。それは両親の離婚です…」

北海道知事選出馬表明から9日後の2019年2月10日、公明党の時局講演会が札幌市内のホテルでおこなわれた。同会は午前、午後の2部制で、あわせて約2000人が集まった。

鈴木氏が冒頭のように切り出し話し始めると、すすり泣きが会場に響いた。

埼玉県に生まれた鈴木氏は、幼少期は父、母、姉の4人家族。だが高校2年生の時に両親が離婚すると、姉とともに母親の光子さんに引き取られた。

鈴木氏は自著「夕張再生市長」(講談社刊)で、当時をこう振り返っている。

「低所得者向けの平屋住宅に引っ越さざるを得なかった。そこは確かに家賃は安いけれど、ボロボロで、すきま風がひゅうひゅう吹き抜ける始末。夜は寒くて眠れないので、姉と二人ですきまに布をつめて寝た。トイレも汲みとり式だった」

「多感な年ごろで、しかも見えっ張りな性格だったから、そんな家に住んでいることが恥ずかしくて、本当の仲のいい友だちしか家に呼んだことはなかった」

生きていくため、光子さんは仕事を掛け持ち。姉の優子さんは短大を中退し、働きに出た。鈴木氏も高校をやめよう考えた。だが、母と姉に止められ、通学しながらアルバイトを始めた。

「校則で禁止されていたが、特別に許可をもらい、朝5時から学校に行くまでは宅配便の配送センター。授業が終わればカメラ屋や酒屋などで毎日働いた。ほかにも、スーパーの品出し、建設現場など、できるバイトは何でもやった」(「夕張再生市長」より)

毎日を過ごす中で、「なぜ、自分だけがこんなひどい目に」と、自暴自棄になることもあったという。

そんな家庭事情から、大学進学を諦めた。鈴木氏は家を探す際などに、行政の支援を受けていることを知る。自分自身と同じように、生活に苦しむ人たちの力になれる――一念発起、公務員を目指すことになった。

公務員試験用の教材は、アルバイト代で購入。猛勉強をした結果、1999年4月勤務の東京都職員採用試験に合格。この年の高卒・専門学校卒の合格者は192人。その中で上から3番目という好成績だった。


法政大学法学部時代の鈴木氏(鈴木事務所提供) ©財界さっぽろ
都職員時代は三足のわらじ 顔にあざをつくりながら…
1999年から東京都職員として働き始めた鈴木氏は、法政大学の夜間に合格した。仕事に勉強に部活と、多忙な日々を送った。

「弱い人を支えたい」と公務員を志望した鈴木氏。入庁後は保健福祉関連のセクションへの配属を希望し、勤務先は東京都衛生研究所(現在の健康安全研究センター)となった。


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