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北海道 国政・地方政治スレ

1363チバQ:2019/10/18(金) 14:02:34
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/343338?rct=s_government_hokkaido
<舞台裏を読む>「中央官僚依存」広がる波紋
09/11 05:00
<舞台裏を読む>「中央官僚依存」広がる波紋
 「あちらにも顔を出しましょう」。7月下旬、霞が関の厚生労働省。道幹部と道議が来年度予算の要望で省内を回る中、道保健福祉部の原田朋弘次長(42)は旧知の官僚を次々と引き合わせた。要望活動では予定を上回る担当者と面談。橋本彰人保健福祉部長は「おかげで中央と顔がつながった」と喜ぶ。

 原田氏は厚労省出身で、7月16日付で道に出向した中央官僚4人のうちの1人。2000年に旧厚生省に入り、年金や医療、社会保障など幅広い分野を経験した。道では医療や福祉分野の人材確保を担当する。

 出向者は他に、財務省からは、西村康稔官房副長官の秘書官だった宮下賢章(よしあき)総合政策部次長(41)。国土交通省からは、釧路出身の山崎雅生経済部次長(44)と、堤啓(つつみけい)建設部国土強靱(きょうじん)化・復興担当課長(41)。

 「エース級を送ってください」。鈴木直道知事は就任直前の4月中旬、財務省の岡本薫明(しげあき)事務次官と札幌で会食し、派遣を依頼した。パイプがある菅義偉官房長官を通しても各省に働き掛け「実績も人脈もある仕事師4人」(道幹部)が送られた。

 道への「エース級」の官僚派遣は過去にもあった。元副知事は「昔は、将来の事務次官候補がどんどんやって来た」と述懐する。

 「改革派知事」として名をはせた浅野史郎元宮城県知事は旧厚生省時代の1985年に道に派遣された。農水省の官僚だった荒井聡衆院議員も86年に派遣され、いったん戻るが、当時の横路孝弘知事の指名で91年、知事室長に就いた。

 事務次官級の元内閣官房地方創生総括官を務めた山崎史郎氏は、92年に旧厚生省から道に出向。元総務事務次官の香山充弘氏は82年から3年間出向し、道財政課長と総務部次長を務めた。元総務事務次官の大石利雄氏も97〜99年に道総務部長を務めた。

 山口県の村岡嗣政知事や元観光庁長官の溝畑宏氏は、旧自治省に入って間もない「見習い官僚」として道庁で地方自治を学んだ。

 将来を嘱望された官僚が道に来たのは「道議会さえ経験すれば、どこに行っても怖くないと言われたから」(道特別職OB)とされる。かつての道議会は空転が続き深夜議会も頻発。中央官僚の「鍛錬の場」だった。高橋道政で道議会の緊張感が薄れるのと時を同じくして、「道への出向も重視されなくなった」(道関係者)との指摘がある。

 鈴木知事は就任当初、注目された3人の副知事人事で「複数の省庁から後任が送り込まれる」との臆測が流れたが、総務省から出向中の中野祐介総務部長の内部昇格にとどめた。知事が実動部隊として期待を込めたのが中堅官僚4人の起用だ。

 ただ「中央依存型人事」の波紋は庁内に広がっている。ある道幹部は「国から情報を取ってもらえるのはいいが、こちらの情報が筒抜けなのも困る」と警戒する。実際、4人のうちの1人は「ラインから外れ、重要な情報が来ない」と周囲に嘆いたという。

 知事は菅官房長官と親しい関係にあり、春の知事選で「首相官邸の言いなりになるのでは」と批判を受けた経緯がある。今回の人事が吉と出るか凶と出るか―。中央官僚4人が実績を残せるかは、知事自身が人材をどう生かし、能力を引き出せるかにかかっている。(報道センター 竹中達哉)


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