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北海道 国政・地方政治スレ

1208チバQ:2018/12/21(金) 11:30:49
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/257049?rct=n_unified_localelections
<舞台裏を読む>旭川自民 またも一枚岩ならず
12/12 09:41
<舞台裏を読む>旭川自民 またも一枚岩ならず
「保守のともしびは守れた」。11月11日夜、旭川市長選で敗れた自民党推薦の新人今津寛介氏(42)はそう述べ、支援者に頭を下げた。立憲民主党などが推薦し、4選を目指した現職西川将人氏(50)に挑んだ結果は、2万6千票差の大敗。自民推薦で前回出馬した東国幹氏(50)=現道議=より1万票以上減らした。

 自民党旭川支部幹部が「最初から無理な選挙だった」と振り返るように、告示前から敗戦を予想する党関係者は多かった。

 今津氏は父、寛氏(72)=前衆院議員=の秘書ではあったが、自身の知名度は低い。しかも出馬の意向表明は、選挙まで3カ月を切った8月20日。同支部の候補選考委員会の場だった。支部内の事前調整もほとんどせず、委員から「党が一丸にならなきゃ勝てない。勝算があるのか」と批判された。

 頼みの経済界も足並みはそろっていなかった。経済界有志の会は7月、西川氏に出馬を要請。ある企業の役員は「旭川商工会議所の新谷龍一郎会頭からも相乗りを黙認する空気を感じ取っていた」と話す。

 それでも市長選に打って出たのはなぜか―。

 「『4年後の市長選も頑張ります』とは言わなかったな」。選挙翌日の11月12日、敗戦をわびる今津氏の言葉を聞きながら、集まった党関係者らは「やっぱり道議選に出るつもりなのでは」とささやきあった。

 伏線はあった。選挙期間中も自民党の関係者には「落ちても道議選には出ない」とは明確に否定をせず、みな真意を測りかねていた。

 来春の道議選不出馬を決めた党道6区幹事長の加藤礼一道議(65)の態度も、さまざまな臆測を呼んだ。

 陣営は、加藤氏に党内の取りまとめ役を期待したが、マイクを握ったのは告示の3日後。加藤氏に近い支援者は「加藤氏が自身の後継として道議選出馬を持ち掛けたのに、今津氏が断った。だから協力を拒んでいた」と明かす。

 今津氏は今後の活動について明言を避けている。党支部内では「市長選出馬は売名行為だったのでは」と、今後の動向を警戒する声が公然と上がり始めた。周辺は「加藤氏の誘いを断ったことで、道議選を含め、各級選挙に挑戦する選択肢が広がった。今津氏の生き残り策だ」と解説する。

 党支部内の不協和音に、旭川の保守系がとらわれてきた「呪縛」を思い起こす人は多い。衆院選中選挙区時代から上草義輝、川田正則、村上茂利の3氏がしのぎを削り、選挙のたびにいずれかの候補が涙をのんできた。

 川田派の流れをくむ寛氏は、小選挙区導入後の道6区では2勝5敗。対する立憲民主党の支部関係者は「今も自民党は3派がバラバラ。敵失で勝たせてもらっている」。今回の市長選でも今津氏の「独断」が自陣営に有利に働いたとみる。

 若手経済人が中心となった今津氏の選挙戦は、会員制交流サイト(SNS)での情報発信や、自転車による遊説などの新機軸を打ち出した。その一方で、自民党は「後方支援に徹した」(太田秀明旭川支部長)。

 市長選は、党支部が一枚岩になるきっかけにはならなかった。支部重鎮は「今津氏が選挙に出たことで、党内の亀裂はむしろ広がった」と嘆く。呪縛が解ける兆しは見えない。(旭川報道部 尾崎良)


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