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北海道 国政・地方政治スレ

1203チバQ:2018/12/20(木) 13:29:46
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/258395?rct=n_governorshiprace
<高橋知事5選不出馬>上 巧みに求心力維持 紆余曲折の参院転出
12/16 05:00
<高橋知事5選不出馬>上 巧みに求心力維持 紆余曲折の参院転出
 今月8日、高橋はるみ知事はひそかに上京し、自民党道連会長の吉川貴盛農水相に「参院選に立候補させていただきたい」と申し出た。来春の知事選と、続く夏の参院選道選挙区(改選数3)に責任を持つ吉川氏へ、5選不出馬をはっきり告げた瞬間だった。

 高橋氏は昨年8月以降、周辺に5選不出馬を伝えた。ある関係者には激務が15年に及ぶこと、離れて暮らす東京の家族との時間を今より持ちたいことを打ち明けた。

 しかし、北海道新聞が昨年11月に5選不出馬を報じると、すぐに他の報道機関を集め、火消しに回る。「5選は長いという指摘は認識している。いい人がいれば譲りたいが、適任がいないのであれば、私自身も改めて考える」

 それから1年余、表向きは知事選と参院選の両にらみの姿勢を示し続けた。高橋道政で要職に引き上げられた道幹部の多くは最近まで「あの高橋はるみが参院で雑巾がけするわけがない。5選に決まっている」と願望交じりに語り合った。

 高橋氏の側近は「レームダック(死に体)にならないため、身内をも欺いた。よくぞここまで『5選か否か』で耳目を集めてきたものだ」と求心力の維持に感心する。

 「正直に言うと、(9月6日の)震災の直後は思いが揺れることもあった」。15日、記者団に語る表情は晴れやかだった。

 「知事公館の庭の緑の中で、紅葉が始まっていた。ぴんときた。はるみに先見の明を持てという先輩知事の思いだ。北海道150年のその先をいかなるものにするか。手を打つのも大きな役割かなと、しんみりしたところだ」

 高橋はるみ知事は昨年8月3日の政治資金パーティーの壇上、夏の盛りに見えた「色づき」を自らの心境になぞらえた。周辺は「既に腹は決まっていた。次も出るという言葉は一度も聞いたことがない」と話す。

 その頃、高橋氏は札幌の経済人に、後継者になり得る人材として秋元克広札幌市長、鈴木直道夕張市長、米沢則寿帯広市長を挙げた。別の会合では、道に出向する総務省官僚を持ち上げ、観測気球を上げた。

 道政を率い、丸16年近くたつ。大きな失策がない安心感と親しみやすいイメージが重なり、高い支持率を維持。半面、重大な決断を先送りし、「国にお願いする」と連呼する姿は、経済界などから主体性や突破力の欠如を指摘された。

 政策がマンネリになる。イエスマンの登用で組織が硬直化する。多選の弊害を、高橋氏も気にしていたのだろう。後援会の集まりでは「生まれた赤ん坊が5期やると二十歳(はたち)になる。20年は長い」と吐露した。官僚と知事を長く務め、国政の表舞台で「北海道への恩返し」(高橋氏)ができる自負も芽生えたようだ。

 外向けには、知事5選をにおわせ続けた。「天皇陛下出席の今年8月の北海道150年記念式典までは、求心力を維持する狙いだった」(有力後援者)

■自民との確執抱えての表明

 紆余(うよ)曲折を経て、正式表明は師走にずれ込んだ。背景に自民党との確執がある。

 高橋氏は12年衆院選で、党道連の吉川貴盛会長の対抗馬を応援し、絶縁状態になった。15年知事選では吉川氏が高橋陣営をてこ入れし、雪解けとみられた。

 昨年11月の不出馬報道の3日後、2人は国会内で向き合い、高橋氏は参院転出を示唆。吉川氏は親しい道議に「堀さんのようにはしない」と漏らした。堀達也前知事は03年、高橋氏擁立により3選出馬を断念した際、花道も用意されずに政界引退を余儀なくされた。

 だが高橋氏は今春、吉川氏が手腕を認める副知事を交代させ、道議会の人事案採決で自民党議員11人が退席。関係が極度に悪化した。知事選と参院選道選挙区は全道一円で争われ、確実に連動する。現職知事と道連首脳が没交渉なら、作業は袋小路に入る。

 6月、2人は知事公館で極秘会談し、吉川氏は高橋氏に「参院選候補の一人だ」と伝えたが、相互不信はぬぐえないまま。事態が動いたのは、8月のことだ。


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