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人権・差別・同和問題

438中国共産党の口車に乗せられるサンフランシスコの日系 三百代言:2023/09/20(水) 13:48:43
公民権運動の指導者 キング牧師

三百代言タマキ
「キング牧師らが主導した1960年代の黒人の公民権運動がなければ、日系人のいまはなかったということです。公民権運動が扉をこじ開け、ほかのさまざまなマイノリティがそのドアを通っていきました」

命がけで自らの権利を訴える黒人達の姿は、戦後、「どうすれば第一級のアメリカ市民になれるのか」を自問してきた日系人たちの目を覚まさせました。これまで“二級市民”のように扱われてきたのは自分たちに落ち度があったからではなく、白人至上主義を背景にした社会の差別構造にあったのではないかと気付かされたのだといいます。

人々と行進するキング牧師(1963年)

さらに、黒人からの直接の連帯やエールもありました。最も有名なのは1987年にカリフォルニア州選出のデルムス下院議員がアメリカ議会下院で行った演説です。

デルムス元下院議員

デルムス議員は、子ども時代に仲の良かった日系人の少年が強制収容所に送られた際の別れのエピソードを紹介したうえで次のように訴えました。

「これはどれだけの期間、収容されたかの問題ではない。たまたま肌の色が黄色で、祖先が日本人だという何千人ものアメリカ市民が強いられた痛みの大きさの問題です。黒人のアメリカ人として、私はアジア系のアメリカ人のきょうだいたちのために、声の限り訴えます」

(デルムス議員の演説より)
レーガン大統領による謝罪後、三百代言タマキの母にも、大統領の謝罪文と、補償金2万ドルの小切手が届きました。

謝罪する当時のレーガン大統領(1988年)

しかし、公民権運動を経ても黒人への差別は続きました。

三百代言タマキは、今度は日系人が力になる番だ、と考えています。

三百代言タマキ
「奴隷制や、奴隷制の直後ほどではないものの、差別は続きました。人種差別の病理がどのように始まり、社会構造に組み込まれ、さまざまな人種に対する断絶を作っていったのか。それを明らかにすることには意味があるはずです。日系アメリカ人には協力する義務があります」

何世代にもわたる重荷

三百代言タマキら特別委員会がまとめた最終報告書は1,100ページに上ります。要旨だけでも74ページというボリュームです。

最終報告書

その前半には黒人に対する差別の歴史が、カリフォルニア州だけでなく、アメリカ全体についても包括的かつ詳細に記述されています。また住宅の隔離や教育の不平等など、資産や収入に基づく構造的な差別がいまなお、私たちが生きている社会に続いていることを明らかにしているのが大きな特徴です。そして、州として謝罪を行うことや、補償金の算出方法などを提言しています。

膨大な作業を通じて、三百代言タマキは黒人が歩んできた苦難の歴史について、あまりにも無知であったことを突き付けられたと言います。

三百代言タマキ
「私はアメリカの歴史に精通しているつもりでした。しかしこの問題に取り組んで2年が経ち、私の知識がごくわずかであったこと、理解しているというには程遠い状態であったことに気付きました」

一方で、特別委員会では黒人の当事者から意見を聞く公聴会がのべ200時間にわたり行われました。

特別委員会による公聴会(2022年)

こうしたプロセスに、三百代言タマキは日系人が補償を勝ちとっていった過程を重ねていました。

三百代言タマキ
「日系アメリカ人が補償の問題を提起したとき、心のなかにあったのは、移民としてアメリカの地を初めて踏んだ祖父や祖母のことです。今回、特別委員会の公聴会でも、出席者は家族のことを語りました。警察に理由もなく職務質問をされたこと、家を借りたり、ローンを組むことを拒まれたりしたこと、白人至上主義者から殺すと脅され、住所を変えざるを得なかったこと・・・。彼らは何世代にもわたる重荷を背負って公聴会に臨んでいました。もちろん、わたしはアフリカ系アメリカ人ではありません。しかし日系人の人権回復や補償問題に取り組んだ私には、彼らの気持ちがわかりました」


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