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人権・差別・同和問題
274
:
名無しさん
:2016/11/06(日) 15:08:32
>>273
人類館の「七種の土人」
1903年、大阪で内国勧業博覧会(大阪万博)が開催された。当時、万博は近代国家を誇示するための重要なイベントだった。1851年にロンドンで初めての万博が開催されて以降、各国は競うように万博を開催した。19世紀は「万博の時代」でもあった。1867年のパリ万博には、日本からも幕府、薩摩藩、佐賀藩が初参加した。近代の波に乗り遅れるなと、日本で最初に万博が開催されたのは1877年。「万国」と銘打つほどには参加国を集める資力がなかったので、正確には内国勧業博覧会とした。その5回目の内国勧業博覧会が大阪で開催されたのである。会場となったのが現在の天王寺一帯だった。
会場正門前、現在の通天閣近くの場所には、政府所管以外の民間パビリオンが並べられた。
そのひとつが「人類館」である。
当時の「人類館設立趣意書」には次のような記載がある。
<異種人即ち北海道アイヌ、台湾の生蕃、琉球、朝鮮、支那、印度、爪哇、等の七種の土人を傭聘し其の最も固有なる生息の階級、程度、人情、風俗、等を示すことを目的とし各国の異なる住居住の模型、装束、器具、動作、遊藝、人類、等を観覧せしむる所以なり>
要するに──台湾先住民、アイヌ民族、沖縄人、朝鮮人、インド人、インドネシア人、中国人といった生身の人間を「七種の土人」として展示、見せ物にするという企画である。
内国勧業博覧会が開催された天王寺周辺。現在は天王寺公園、動物園になっている Koichi Yasuda
当然ながら、この企画には多くの抗議が寄せられる。
なかでも沖縄の新聞は「同胞に対する侮辱」であるとして、連日、大キャンペーンを張った。
当時の沖縄紙は「沖縄人が憤慨に絶えざるの一事これあり候」「設立者の意図は野蛮風に見せるのが明らか」「虎や猿の見世物と変わらない」と怒りの筆致で埋められた。
一方、沖縄知識人の一部は「日本への同化」を急ぐあまりにも、この事件を"利用"した。
これら知識人は"展示"された琉球人が娼妓であったことから、「よりによって賤業婦とは」と、露骨な女性差別、職業差別を繰り返した。さらに台湾先住民などに対しても「一緒にしないでほしい」といった論調も展開している。「日本人」として認められないことへの憤怒でもあったのだ。
下が下を蔑む日本の差別構造
貶められた者が、さらに下位に位置付けたものを貶めるといった、差別の連鎖を表面化させた。日本の同化政策、多民族への差別意識といった様々な問題が見て取れる。
そうした点からも、人類館事件は多くの問題を提起している。
結局、沖縄側からの抗議によって「琉球人展示」は開催半ばで中止となったが、人類館は万博終了まで"見世物"を続けたのである。
各国からの非難も相次ぎ、その後の万博において、人類館のようなパビリオンは登場していない。
だが、生身の人間が"展示"されたという事実は消えない。
「土人」発言に沖縄の人々が怒りを抱くのは、こうした忌まわしい歴史を思い出すからでもある。
大阪市立中央図書館所蔵「第五回内国勧業博覧会写真帳」より。この写真の右手に「人類館」があった
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