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金融政策スレ
1877
:
旧約聖書の雅歌を愛読する異端グノーシス主義者
:2025/02/12(水) 08:34:26
https://i.postimg.cc/bY1dqTQx/girl-2238565-640.jpg
https://i.postimg.cc/YCvvBw89/intimacy-g17c18e520-640.jpg
以下の旧約聖書『雅歌』の一節は上掲画像のような外見の美しい女を手放しで褒め称え性行為に及ぼうとしている。偶像崇拝を禁じたモーゼの十戒(『出エジプト記31:18』、『申命記5章-11章』)との関係を整合的に説明せよ。
『雅歌(旧約聖書)7章1節〜7章11節』
1 女王のような娘よ、あなたの足は、くつの中にあって、なんと麗しいことであろう。あなたのももは、まろやかで、玉のごとく、名人の手のわざのようだ。
2 あなたのほぞは、混ぜたぶどう酒を欠くことのない丸い杯のごとく、あなたの腹は、ゆりの花で囲まれた山盛りの麦のようだ。
3 あなたの両乳ぶさは、かもしかの二子である二匹の子じかのようだ。
4 あなたの首は象牙のやぐらのごとく、あなたの目は、バテラビムの門のほとりにあるヘシボンの池のごとく、あなたの鼻は、ダマスコを見おろすレバノンのやぐらのようだ。
5 あなたの頭は、カルメルのようにあなたを飾り、髪の毛は紫色のようで、王はそのたれ髪に捕われた。
6 愛する者よ、快活なおとめよ、あなたはなんと美しく愛すべき者であろう。
7 あなたはなつめやしの木のように威厳があり、あなたの乳ぶさはそのふさのようだ。
8 わたしは言う、「このなつめやしの木にのぼり、その枝に取りつこう。どうか、あなたの乳ぶさが、ぶどうのふさのごとく、あなたの息のにおいがりんごのごとく、
9 あなたの口づけが、なめらかに流れ下る良きぶどう酒のごとく、くちびると歯の上をすべるように」と。
10 わたしはわが愛する人のもの、彼はわたしを恋い慕う。
11 わが愛する者よ、さあ、わたしたちはいなかへ出ていって、村里に宿りましょう。
【You】
「『雅歌』が美しい女性を詳細に称賛していることは、神以外の存在を神として拝む行為とは異なる」とChatGPTは言うが、外見の美しい女性を聖典、聖書の中で称賛する行為は、シナゴーグや教会の外で外見が目を惹く女性に目を留めるめるのとは訳が違う。
聖典、聖書の中で称賛する行為は、外見の美しい女性を神格化していることと同じではないか?
【You】
上掲の雅歌の一節は「キリスト教ではキリスト(新郎)と教会(花嫁)の関係の象徴とされている」とChatGPTは言うが、イエス=キリストは外見の美しい女を見て男が情欲を高ぶらせるような目で教会を見たという解釈か?
また上掲の雅歌の一節は「女性の美しさへの賛美が神の愛の深さを比喩的に表している」ともChatGPTは言うが、神エホバは外見の美しい女を見て男が情欲を高ぶらせるような目で被造物を眺めているという解釈で良いのか?
【You】
「神と民(またはキリストと教会)の親密な関係を、最も深い人間関係である男女の愛に例える」と言うが、『結婚は人生の墓場』というフレーズがあるくらい男女の愛は勘違いと幻滅の連続とも言える。
結婚を経験していない未成年の前で上掲の雅歌の一節を取り上げて、「キリストの『自己犠牲的な愛』の比喩」であり、「被造物に対する神エホバの『慈愛』の比喩だ」と説くなら、そんなものかと受け容れられる可能性があるが、銀婚式を迎え、すっかり倦怠期の夫婦の前で上掲の雅歌の一節を取り上げ、「キリストの『自己犠牲的な愛』の比喩」であり、「被造物に対する神エホバの『慈愛』の比喩だ」と説教するならば、じゃあキリストの自己犠牲愛もエホバの慈愛も新婚の内だけで いずれ自分達夫婦のように倦怠期を迎えて冷め切ってしまうのかと受け取られる可能性がある。
「キリストの『自己犠牲的な愛』の比喩」、「被造物に対する神エホバの『慈愛』の比喩」として新婚の男女の関係を示すのは逆効果ではないか?
>【ChatGPT】
>確かに、「神の愛」を「男女の愛」になぞらえることには、現実の結婚生活の問題や倦怠期を考えると違和感を覚える人もいるでしょう。特に、長年連れ添った夫婦に対して『雅歌』の情熱的な表現を比喩として示した場合、「神の愛もやがて冷めるのか?」という疑問が出てくるのは自然なことです。
【You】
「結婚生活の現実を踏まえた上で、『雅歌』の比喩を“変わらぬ忠誠の象徴”として伝えるなら、逆効果にはならない」とChatGPTは言うが、あの一節から『雅歌』の比喩を“変わらぬ忠誠の象徴”と捉えるのは無理がある。
特に教会が付け加える解釈を否定し聖書に書かれた言葉が全てと捉えるプロテスタントの立場に立てば、そのような拡張解釈は許されない。
長年連れ添った夫婦に対して『雅歌』の情熱的な表現を比喩として示した場合、「神の愛もやがて冷めるのか?」という疑問が出てくるのは自然なことだ。
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