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仙台・宮城・陸奥

692荷主研究者:2010/04/17(土) 18:01:35

http://www.kahoku.co.jp/news/2010/04/20100405t13013.htm
2010年04月05日月曜日 河北新報
地方行政に新しい風 各界から惜しむ声 藤井元仙台市長死去

仙台市長を退任し、市職員に拍手で見送られる藤井さん=2005年8月19日、仙台市役所

 仙台市政をかつてない危機に陥れたゼネコン汚職事件後、市長を3期務めた藤井黎さん(79)が4日、死去した。現職時代の12年間、市政の信頼回復という重責を背負い、都市イメージの再生に心血を注いだ。手堅い行政手腕の一方、温和でざっくばらんな一面もあり、関係者からは死を惜しむ声が相次いだ。

 「私がやんちゃ坊主だったのに対し、藤井さんは常に冷静沈着で大人の対応だった」

 前宮城県知事の浅野史郎さん(62)は、それぞれ県政、市政のトップとしてゼネコン汚職事件の後始末にあたった時代を思い起こし、藤井さんの死を悼んだ。

 2人の政治手法は異なる。ほぼ同じ時期に3期12年の任期を務め、ともに入札制度改革、情報公開に取り組んだ。

 「当時、宮城県と仙台市は『犬猿の仲』といわれたが藤井さんはとても温厚な方で、個人的に嫌な思いをしたことはなかった」と浅野さん。「広い意味で信頼できるパートナーであり、精神的に救われた部分も多い」と振り返った。

 前鶴岡市長の富塚陽一さん(78)も人柄を懐かしんだ。東北大の学生時代、藤井さんは1年先輩。学生寮で寝食を共にした。「肉親に等しい兄貴だった。もう一度、一緒に酒を飲み、昔話がしたかった」と悔やむ。

 互いに市長に就任した後は東北市長会などで旧交を温め合ったという。富塚さんは「東北をよりよくしようと、社会の仕組みについて深く考える指導者だった」と政治姿勢を高く評価した。

 藤井さんの悲報に接した経済界からも功績をしのぶ声が上がった。

 仙台商工会議所会頭の丸森仲吾さん(77)はサッカーの2002年ワールドカップ(W杯)イタリア代表キャンプの仙台誘致や地下鉄東西線の着工に道筋を付けた業績を挙げ「地方都市が直接、世界と渡り合う新しい地方行政の在り方を見いだした」とたたえた。


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