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仙台・宮城・陸奥

3512荷主研究者:2019/07/10(水) 21:22:32

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201906/20190613_13035.html
2019年06月13日木曜日 河北新報
地下街のない街仙台 構想浮かんでは消え半世紀

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店舗がなく、壁面広告が続き殺風景な仙台駅の東西地下自由通路

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店舗が連なり、にぎやかな札幌市の地下街=札幌市中央区(札幌都市開発公社提供)

 「仙台市にはどうして地下街がないの?」。素朴な疑問が「読者とともに 特別報道室」に寄せられた。JR仙台駅に地下自由通路や地下歩道はあるものの店舗はなく、地下街とは様相が違う。東北最大、人口108万都市なら地下街があってもよさそうなのに、なぜ存在しないのか。取材を進めると、地下街構想が浮かんでは消えた仙台特有の事情があった。

◎駅前商店街の反発強く

 JR仙石線の地下化で、2000年に全面開通した仙台駅の東西地下自由通路。東口の宮城野通からJR、市地下鉄の駅構内を経て青葉通、あおば通駅まで約700メートルをつなぐ。

 途中、エスパル仙台店の食料品売り場に入る約40メートルはにぎにぎしい。それ以外は壁面広告が続き、殺風景だ。市民が黙々と歩く文字通りの「通路」。東北の玄関口としては少し寂しい。

 地下街を整備する話は、これまで一度もなかったのか。市都市整備局に尋ねると、幹部職員は記憶をたどり「昔はあったが、中心商店街が反対して立ち消えになった」と教えてくれた。

 河北新報に掲載された過去の記事を調べると、地下街の開発は1960年代ごろ、全国で進んだ。仙台も時流に乗ろうと商工会議所が67年、検討委員会を設置したものの実現しなかったと分かった。

 その後も82年の東北新幹線開業、87年の市地下鉄南北線開業、仙石線の地下化、2015年の東西線開業など、仙台駅の姿が変わるたびに地下街を望む声は上がった。ただ、具体的な話には発展しなかった。

 市議会の会議録をたどると、構想が水泡に帰した背景が分かる。02年、当時の市幹部はこう答弁した。

 「新幹線の関係で(仙台駅整備構想の)絵としては出ていたが、地元商店街の地盤沈下になるということで相当タブー視され、具体的には進まなかった」

 名掛丁商店街振興組合(青葉区)の元理事長岩崎一夫さん(81)は、南北線開業前の地元経済界の空気を覚えている。

 「反対というよりは、やめた方がいいという雰囲気だった。地下街は危険で、コストがかかる。大型店が進出し、地上店舗の不利益になるとの理由だった」

 市中心部は駅前から中央通、一番町にかけて六つの商店街がアーケードを連ね、仙台の「顔」として歴史を刻んできた。地下街は新たな顔となる恐れがあり、街を支える商店街には受け入れ難い構想だった。

 「政令市になると、どこも判で押したように地下街を造りたがるが、地元商店街が衰退するだけ。地下街は喫緊の課題じゃない」

 クリスロード商店街振興組合(青葉区)の前理事長鈴木泰爾(ひろみ)さん(78)は90年代後半、当時の藤井黎市長にこう強くくぎを刺したことを思い出す。


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