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仙台・宮城・陸奥

3031荷主研究者:2018/01/28(日) 10:51:28

www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180115_13017.html
2018年01月15日月曜日 河北新報
<みやぎの平成30年>(12完)トヨタ東日本誕生 里山一変進む企業集積

トヨタ自動車東日本の大衡工場で、自動車の製造工程を見学する地元のお年寄りたち=2013年5月、大衡村

進出企業の工場が建ち並ぶ工業団地群で造成前の様子を説明する高橋さん=5日、大和町松坂平

 新年は「平成30年」の節目の年。バブル経済真っ盛りに始まった「平成」は来春、天皇陛下の退位によって幕が引かれようとしている。「平成」はわれわれにとってどんな時代だったのか? 宮城県内であったこの29年の出来事を振り返りながら、今を見つめて、次代へとつなごう。

◎〜結ぶ、つながる〜 ◆平成24年度

 宮城県大和町、大衡村にまたがる仙台北部中核工業団地群に2012(平成24)年7月、トヨタ自動車東日本が誕生した。団地造成から四半世紀超。県や地元の働き掛けに関連企業立地を進めてきたトヨタは中部、九州に次ぐ国内第3の生産拠点を宮城に構えた。

 「工業団地の一帯は元々里山だった」。元大和町商工観光課長高橋久志さん(67)は振り返る。高橋さんは1987年、県内の市町村職員として初めて県東京事務所に出向し、工業団地のセールスに携わった。「企業関係者の視察に何度、山を見せたことか」と懐かしむ。

 同工業団地にトヨタが関心を示したのは80年代後半。バブル経済を追い風に、各企業が設備投資に躍起になった時代、工場立地候補の一つとなった。90年7月に立地が正式発表されたが、ほぼ同時にバブルが崩壊。円高なども影響して、着工は3度先送りになった。地元は「トヨタを信じて、待つしかなかった」(高橋さん)。

 トヨタが東北工場新設を決定したのは表明から6年後の96年12月。翌年、電子部品を生産するトヨタ自動車東北(大和町)が稼働した。さらに2007年10月、県の積極誘致が実り、当時、神奈川県にあったトヨタ生産子会社セントラル自動車が第二仙台北部中核工業団地(大衡村)に本社を移転することを決める。トヨタ東日本に連なる、ものづくりの「北の拠点」整備が本格加速した。

 「トヨタの進出がなければ村は衰退の一途をたどった。里山一変。夢のような話だ」。元大衡村企画課長佐野晃さん(83)は語る。

 裾野の広い自動車産業立地の恩恵は大きく、トヨタ以外にも両町村には関連の企業集積が着々と進む。

 国の経済センサス活動調査によると、15年の製造品出荷額は大和町が02年と比べ約1.7倍の3797億円。大衡村は02年比約5.8倍の3219億円にまで拡大した。両町村に富谷市、大郷町を含めた黒川地域の人口も17年末現在で、1990年と比べて約1.6倍の約9万5000人になった。

 大和町の浅野元・町長(63)は「今があるのは先輩たちの努力があったからこそ。だが楽観はできない。地域内の人口格差や少子高齢化の問題には、今から備えていかなくてはならない」と将来を見据えた。(泉支局・北條哲広)

[メモ]トヨタ自動車東日本は2012年、セントラル自動車と、岩手県金ケ崎町に岩手工場を持つ関東自動車工業(神奈川県)、トヨタ自動車東北の3社を統合して発足した。
 仙台北部中核工業団地群は地域振興整備公団と県が共同で開発し、1984年に造成開始。現在は第一仙台北部中核工業団地(大和町松坂平、大衡村桔梗平、約299ヘクタール)と、第二仙台北部中核工業団地(大衡村松の平、同村中央平、約309ヘクタール)で構成される。2017年末現在の進出企業は約50社。


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