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仙台・宮城・陸奥
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:
荷主研究者
:2016/05/04(水) 13:04:34
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201604/20160424_13009.html
2016年04月24日日曜日 河北新報
<適少社会>転勤族・学生 街の活力に
朝のJR仙台駅前を通勤、通学の人が行き交う。仙台市は、転勤や入学卒業に伴う大規模な人口移動を毎年繰り返す
◎人口減 復興のかたち[26]第6部仙台の行方(1)期限付き市民
東日本大震災で多くの被災地の人口が急減する一方、仙台市の人口が増え続ける。2015年国勢調査では過去最多の108万2185を数えた。仙台が東北全体と共存するために果たす役割は何か。独り勝ちの様相を深める街に死角はないか。東北6県の人口の12%が集中する拠点都市の存在を見つめ直す。(「適少社会」取材班)
4万〜5万人規模の転入、転出が毎年繰り返されていく。転勤者と学生の入学、卒業が大きな人の流れをつくり出す。期間限定の移住者が一定の割合を常に占める街、それが仙台だ。
太白区の会社員大山宗之さん(27)は名作映画「七人の侍」の浪人に憧れる。「いつかは去る。でも土地の人と共鳴し、何かを残していく」。勤務先は東京の建築コンサルタント。復興事業の関連で14年7月、気仙沼を経て仙台に転勤してきた。
仕事では被災地のまちづくり計画の策定に関わる。プライベートでは地下鉄東西線開業を盛り上げる「WEプロジェクト」に参加した。仙台への興味と愛着が芽生えてきたという。
「できるだけ仙台を楽しみたい。関わりたい」。来仙3カ月後、意気投合した転勤族仲間と「転勤族チーム」を結成した。
転勤族が欲しいのはなじみの店。地下鉄沿線で親身に受け入れてくれる居酒屋や美容室など約15店を「基地」に選び、ステッカーを貼った。知り合うきっかけになればと、転勤族同士が居酒屋にボトルを共有する仕組みもつくった。
「転勤族が会社の枠を出て地域に飛び込み、地域がよそ者に壁をつくらなければ、仙台はどんどん面白くなる」と大山さんは語る。チームへの反響はじわりと広がる。「侍」に少し近づけたかもしれない。
人口移動率の高さは仙台の強みになりうると、せんだいメディアテーク館長で哲学者の鷲田清一さん(66)は指摘する。
「メディアテークの学芸員は多くが西日本出身だが、地元に受け入れてもらっている。そういう街は案外ない。転勤族が、広島はこう、札幌はこうと情報を持ち寄り、仙台の新たな文化、施策になる例もある。外の人と異なる意見を交換する。都市にとってすごくいいことだ」
離れてなお仙台に関わり続ける転勤族もいる。西村高宏さん(46)は15年10月、仙台市の東北文化学園大教授(臨床哲学)から福井大准教授に転じた。ほぼ毎月、市民が多様なテーマで語り合う「てつがくカフェ」を開くため、仙台に戻る。
09年、大阪市から引っ越ししてきた時、市民の活動を大切にする土地柄に感じ入った。西村さんが始めたカフェには毎回35人程度が参加する。「対話の場を被災地に開き続けたい。長期的にコミュニティーの在り方を変えていく哲学なりの支援になる」と西村さんは信じる。
震災は仙台への転入を、復興需要の高まりや避難で一時的に増やした。15年国勢調査では5年間の人口増加は3万6199人で全国7位となった。
転入者が持ち込む刺激をきちんと受け止め、転出までの間、どうまちづくりに参画してもらうか。仙台に「仮住まいする」人々の生かし方次第で、街の活力は変わってくる。
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