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仙台・宮城・陸奥
2416
:
荷主研究者
:2015/12/29(火) 22:44:14
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201512/20151215_13040.html
2015年12月15日火曜日 河北新報
二十人町…街並み変われど町名は変わらず
藤村広場で町名が残った喜びをかみしめる名掛丁東名会の住民ら
1988年に始まり、ことし9月に実質終了した仙台駅東第2土地区画整理事業の対象地域で、宮城野区名掛丁、二十人町、車町など歴史のある町名が残った。区画整理後は住居表示が変更され、「丁目」表記に変わることが多いが、住民が「藩制時代から続く町名を残したい」と要望。事業主体の市が認めた。
「名懸組(なかけぐみ)」という武士の屋敷があった名掛丁や鉄砲足軽の住まいだった鉄砲町、二十人衆と呼ばれた鉄砲足軽が暮らした二十人町など、町名にはそれぞれ由来がある。ほかに元寺小路や小田原山本丁、小田原弓ノ町、榴ケ岡(宮城野区)などが残った。
町名の保存は、地元町内会の名掛丁東名会などが区画整理事業の開始後から取り組んできた。渡辺昭男副会長(72)は「駅西側の地名が変わるのを見て危機感があった」と振り返る。
地域の歴史を見つめ直すきっかけの一つで、保存活動の原動力になったのは、名掛丁にゆかりのある詩人島崎藤村の存在だ。藤村が下宿した「三浦屋」があり、ここで代表作の詩集「若菜集」の大部分が書かれた。町内会史を91年に発行して藤村との縁を紹介し、市との交渉の末、「藤村広場」の整備が2004年に実現した。
町名保存は10年4月から13年3月まで開かれた住民らによる「まちづくり懇話会」と同分科会で地元の総意となり、同年の市議会12月定例会で決まった。
町内会によると、区画整理前にあった約300世帯のうち今も残るのは約10世帯。商店や住宅が並ぶ下町の面影が失われた一方、幅員の広い道路沿いに高層マンションが次々に建ち、街は大きく変貌した。
「子孫に名掛丁の歴史を伝えたい」と菅原章会長(75)。渡辺副会長は「地名はブランド。新しい住民とコミュニケーションを取り、地域の良さを保っていきたい」と語る。
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