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仙台・宮城・陸奥

1257小説吉田学校読者:2011/07/31(日) 12:18:45
雪、地震、津波、原発、ホットスポット、余震、大雨、また地震。福島が何をしたというのだ。

新潟・福島 避難住民不安と疲労「16年豪雨よりひどい」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110731-00000077-san-soci

 褐色の濁流が一気に付近の集落に広がった。新潟、福島両県で30日も降り続いた記録的豪雨。新潟県では7年前の豪雨でも決壊した三条市の五十嵐川など次々と川が氾濫。住民らは立ちすくみ、避難を余儀なくされた人々は「水はやはり恐ろしい」と不安と疲労の色をにじませた。福島県只見町では孤立した地区からヘリコプターで助け出された住民が「何とか助かった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
 三条市内の交差点や道路の一部は、ひざ下の深さまで冠水した。床下浸水した民家では、漂着した木の枝やごみを片付ける住民の姿も。消防団は堤防近くで土嚢(どのう)の積み上げを急ぎ、住民は不安そうに川の流れを見つめていた。60代の男性は「7年前もここまでひどくなかった。こんな雨は初めてだ」と話した。
 避難所となった同市立第1中学校では、眠れない夜を明かした約40人が支給された毛布を敷いて座ったり横になったりし、疲れた様子を見せていた。
 自宅が浸水した佐藤公男さん(59)は「7年前も経験したので早めに1階の荷物や畳を2階にあげた。バケツをひっくり返した以上の大雨で、家を出るときは腰まで水につかった。雨はやっぱり怖い」と振り返った。
 同県長岡市でも避難指示を受け、避難所となった中之島文化センターに住民らが次々と避難。平成16年の豪雨で夫を亡くしたという村越たけのさん(82)は「あのときの雨は忘れられない。今度も同じ雨。怖かった」と言葉少な。
 約100人が避難した新潟市南区の市立味方小学校では、主婦の小熊悦子さん(60)が「不安で眠れなかった。早く家に帰りたい」と心配そうに窓の外を眺めていた。
 土砂崩れで一部が孤立状態となった只見町。JR只見線の鉄橋が落ち、激しい濁流の上で線路だけが垂れ下がった光景も見られた。孤立地区では陸上自衛隊のヘリコプターによる救助活動も進められた。
 自衛隊員らの肩を借り、一人また一人と住民が避難所になった小学校の校庭にヘリコプターから降り立つ。妻と2人、29日は自宅2階で過ごしたという農業、五十嵐隆さん(74)は、飼っていた烏骨鶏(うこっけい)を助け出す際、流木で頭を打った。「怖くてほとんど寝ていないが、なんとか助かった」と安堵の表情を見せた。
 出張先の東京から戻ったという同町のエンジニア、上野浩之さん(55)は校庭で、救助された妻(48)と次男(10)と再会。「よかった」と妻の肩に手をやった。29日から連絡が途絶え、家族を案じ続けていたという。
 小学校の避難所では人々がタオルケットを顔にかぶり、疲れ切った様子で休んでいた。
 祖母がまだ孤立地区にいるという高校3年の渡部凌輔さん(17)は「思いもよらないことで、おばあちゃんが心配です」。30日は所属する野球部の引退試合だったが、豪雨で中止になったという。


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