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仙台・宮城・陸奥

1082荷主研究者:2011/03/20(日) 14:00:22
>>853
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110301t12027.htm
2011年03月01日火曜日 河北新報
エム・セテック仙台工場閉鎖へ 社員は配置転換 宮城・山元

 太陽光発電素材メーカー大手のエム・セテック(東京)が、宮城県山元町にある仙台工場を3月末で閉鎖する方針を固めたことが28日、分かった。正社員約110人については、相馬市などの他工場へ配置転換することで最終調整しているとみられる。

 関係者によると、仙台工場に勤務する正社員は山元町や隣接する宮城県亘理町、福島県新地町などに居住する。閉鎖に伴って、相馬市や高知県などの工場へ転勤させる方針が有力だが、条件が合わない場合は希望退職も募る見込み。

 会社側は仙台工場の労働組合幹部に工場閉鎖の方針を伝えた。従業員の処遇などについては協議中という。エム・セテック幹部は28日、山元町役場を訪れ、町側に工場閉鎖の方針を伝えた。

 同社は河北新報社の取材に対し「組合と協議中なので、はっきりしたことは現段階では一切申し上げられない」(総務部)としている。

 仙台工場は1984年、太陽光発電用素材の単結晶シリコンウエハーを製造する工場として操業を開始。敷地面積4万1000平方メートルで一時は従業員が300人を超え、年間220億円以上の売り上げがあった。

 同社は2007年、相馬市で新しい材料製造工場を稼働させ、仙台工場などで太陽光発電パネルの素材に加工し製品化していた。

 09年に台湾の液晶パネルメーカー友達光電(AUオプトロニクス)の資本を受け入れ子会社となった。10年春からは台湾資本主導の経営体制となり、謝勝傑社長が就任。創業者の松宮律夫前社長が進めてきた亘理町への新工場建設の方針を白紙撤回するなど、生産体制の見直しを進めていた。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110302t12005.htm
2011年03月02日水曜日 河北新報
エム・セテックが仙台工場閉鎖を発表 従業員115人配転

記者会見で仙台工場の閉鎖を正式発表する斎藤取締役仙台工場長(右)ら

 太陽光発電素材メーカー大手のエム・セテック(東京)は1日、仙台市内で記者会見し、宮城県山元町の仙台工場を3月末で閉鎖すると正式発表した。同工場の正規従業員115人(2月16日現在)については、相馬工場(福島県相馬市)など他工場に配置転換する方針。

 台湾の親会社、液晶パネルメーカー友達光電(AUオプトロニクス)が世界的に進めるグループの再編の一環。世界の他メーカーと対抗するため、資源を集約してアジアに新たなシリコンウエハー生産拠点を設ける方針で、仙台工場が閉鎖対象になったという。

 エム・セテックによると、仙台工場は太陽光発電用素材の単結晶シリコンウエハーを製造し、ピーク時の2004年ごろには年間500万枚を生産。設備投資の遅れによる競争力低下に、08年秋のリーマン・ショック後の受注減少も加わり、10年には100万枚にまで落ち込んだ。

 正規従業員115人は相馬工場か高知工場(高知県)に配置転換。全員を近くの相馬工場で受け入れるのは難しいといい、退職を余儀なくされるケースもあるとみられる。

 パート従業員約40人については1月中旬で契約を更新しなかった。派遣従業員も2月末と3月末に約20人ずつ、契約満了に伴って退社する。

 斎藤博之取締役仙台工場長は「大変つらい判断で、断腸の思いだ。グループ内で新たな生産体制を築く一環として、仙台工場の閉鎖を決めた。技術開発が遅れ、中国などアジア勢に蹴落とされる形となった」と述べた。

 仙台工場の跡地は今後、売却などを含めて対応を検討する。白紙撤回した宮城県亘理町の新工場建設計画に関しては「再開の可能性はゼロではないが、当面はない」(斎藤取締役)と説明した。


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