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芸術・美術・音楽

693とはずがたり:2018/07/04(水) 12:22:06

森田童子
https://ja.wikipedia.org/wiki/森田童子

森田 童子(もりた どうじ、1953年(昭和28年)1月15日 - 2018年(平成30年)4月24日[1])は、日本の元女性シンガーソングライター。本名は非公開[1]。芸名は笛吹童子に由来[2]。

東京都出身[1]。(札幌のコンサート会場で配布されたチラシ「森田童子ラフスケッチ」によると、1952年青森で生まれたとなっている。[3])1970年、学園闘争が吹き荒れる時代に友人が捕まったことをきっかけに高校を中退[2][4]、気ままな生活を送っていたが、20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める[1][4](この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる『さよなら ぼくの ともだち』である)。ライブハウスデビューは1973年西荻窪ロフトである。[5]

1975年10月、シングルレコード『さよなら ぼくの ともだち』で、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)よりデビュー。以後主にライブハウスを中心に活動する。1980年に、ポリドールからワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、同年のアルバム「狼少年 wolf boy」と新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止する[4][2]。レコーディングの編曲は、アコースティックギター奏者の石川鷹彦(元六文銭)などが担当した。その後イラストレーターとして活躍したマネージャーだった前田亜土と結婚[6]。

カーリーヘアにサングラスというスタイルが特徴で、コンサートはもちろんレコードジャケットなどでも素顔を見せることはなかった[4]。森田童子は芸名であり、本名は非公開。加えて実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容もありのままの実体験ではなく願望を投影したものであるとしており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に生活感を滲ませることを避けていた[4]。

2010年5月に記事が掲載された朝日新聞の取材によれば、近しい人物の死去による精神的ショックと、自身の持病により活動が困難な状況であるとしている[4]。夫の前田亜土は2010年に没している。[11]

2018年4月24日、心不全のため自宅で死去[12][13]。65歳没。同年6月1日発行の日本音楽著作権協会(JASRAC)会報に訃報が掲載されたことで死去が明らかになった[1]。音楽活動休止後は主婦として暮らしていたが[14]、音楽関係者の話として体調を崩して2017年から入退院を繰り返し、退院後間もなくして逝去したという[13]。

笛吹童子
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%AC%9B%E5%90%B9%E7%AB%A5%E5%AD%90&oq=%E7%AC%9B%E5%90%B9%E7%AB%A5%E5%AD%90&aqs=chrome..69i57j69i60j0l4.4127j0j7&sourceid=chrome&ie=UTF-8


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