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芸術・美術・音楽

591とはずがたり:2016/01/13(水) 21:29:35
ご冥福をお祈りする。あんま知らないんだけど。

金融でも先駆者だったデビッド・ボウイさん 「ボウイ債」発行
http://jp.wsj.com/news/articles/SB11777697228475194531304581473412690282984?mod=trending_now_2
By TOMMY STUBBINGTON AND MIKE BIRD
2016 年 1 月 12 日 14:38 JST

 英国の世界的ロック歌手で10日に死去したデビッド・ボウイさんは音楽やファッションの新境地を開いたことで人々の記憶に残るだろう。だがそれだけでなく、ボウイさんは金融面での先駆者でもあった。

 ボウイさんは1997年に、作品の将来の売り上げに対する権利を売却し、5500万ドル(約65億円)の資金を調達した。いわゆる「ボウイ債」と呼ばれるこの債券の画期的な発行は、ミュージシャンが作品の知的財産権の使用料(ロイヤルティー)を証券化した初めての例だった。他の多くのアーティストと違い、ボウイさんはロイヤルティーを完全に所有していた。

 そのタイミングは絶妙だった。米金融業界ではちょうど、変わった金融商品に対する人気が急騰していた。しかも、音楽ファイル共有サービスのナップスターなどによってCD販売額が地に落ちる前だった。

 ボウイ債の発行後、ロックのロイヤルティー証券化というニッチ分野を築き上げた投資銀行家のデービッド・プルマン氏は、「デビッド(ボウイさん)は最初、自身の楽曲の売却を検討していた。しかし、楽曲は自分の子供たちのようなもので、売りたくないと悟った」と話す。

デビッド・ボウイさんの歩み
 英ロック歌手デビッド・ボウイさんが10日、69歳で死去した。1年半にわたり勇敢にがんと闘った末、家族に見守られて静かに息を引き取ったという。

 ボウイさんがマンハッタンのミッドタウン地区にあるプルマン氏のオフィスを訪れたとき、同氏は斬新な金融工学の一つを提案した。ボウイさんの最初の25のアルバムからの売上高を一つの金融ビークルとして発行する債券の担保とするやり方だ。つまり、自身の作品に対する権利を譲り渡すが、それは一時的だ。

 プルマン氏は「彼(ボウイさん)の最初の反応は『証券化とは何だ?』というものだった」と話す。「しかし、私が説明すると彼は一瞬たりとも躊躇(ちゅうちょ)しなかった。彼は新しいことにトライすることが重要だということを自ら具現化してみせた」と振り返る。

 米金融・保険大手のプルデンシャル・ファイナンシャルがプルマン氏の会社から直接この債券を購入した。10年債で利回りは7.9%だった。私募だったため、金額的な条件ははっきり分かっていない。

 需要はものすごかったとプルマン氏は思い出す。そして、同氏の会社にも同様な案件が幾つも舞い込んだ。中には、ジェームス・ブラウンさんやマーヴィン・ゲイさんといったアーティストもいた。

 ボウイ債の営業では、通常とは違った質問も多かった。

 「投資家会議で、投資会社や保険会社、格付け会社から決まって最初に聞かれる質問は『デビッドに会ったのか?』というものだった」とプルマン氏は話す。「その次には『(ボウイさんの妻でスーパーモデルの)イマンさんに会ったのか?』と聞かれた」という。

 ボウイ債は、資産担保証券という急成長市場の記念碑ともいうべき存在になった。資産担保証券は石炭工場からスポーツチームに至るまで、あらゆる主体が生み出す資産を裏付けとして発行される証券。

 資産担保証券へ投資するファンドのポートフォリオマネジャーで、ボウイさんのファンでもあるロンドン在勤のロブ・フォード氏は「革新的だった」とし、「最終的には、全ての種類の資産に関連する証券化の基本形になった」との見方を示した。

 ボウイさんは、楽曲のダウンロードがCD販売を侵食し始めた時期に、過去の作品を利用して利益を得た。ボウイさんは2002年のニューヨーク・タイムズ紙とのインタビューで、10年後に著作権が存在しているとは思わないと話していた。音楽は「水道や電気のような」ありきたりのものになっている可能性が高いだろうとも語っていた。


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