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芸術・美術・音楽

566チバQ:2015/09/25(金) 21:23:31
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150925-00000006-jij_afp-int
「モナリザ」のモデルか、伊修道院で発見の遺骨 調査
AFP=時事 9月25日(金)10時7分配信

「モナリザ」のモデルか、伊修道院で発見の遺骨 調査
仏パリにあるルーブル美術館に展示されている「モナリザ」(2005年4月5日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】世界で最も有名な絵画の一つ、「モナリザ(Mona Lisa)」の謎の解明に取り組んでいるイタリアの考古学者チームは23日、この絵画のモデルとなった「本人」のものであると考えられる人骨の破片を発見したことを明らかにした。調査の対象となったのは、伊トスカーナ(Tuscan)地方の修道院で数年前に発掘された遺骨だ。

 研究チームは、ルネサンス期の巨匠レオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci)が描いた「モナリザ」のモデルとして椅子に腰掛けている謎の女性が伊フィレンツェ(Florentine)生まれのリザ・ゲラルディーニ(Lisa Gherardini)であると確信している。しかし、数年前に発掘された複数の遺骨の調査からは、この女性に適合する可能性のある大腿(だいたい)部などの骨の一部が見つかっているのみ。また骨がゲラルディーニのものであるかどうかを検証するためのDNAも得られていないという。

 1479年生まれのゲラルディーニは、裕福な絹商人フランチェスコ・デルジョコンド(Francesco del Giocondo)の妻だった。現在、仏パリ(Paris)のルーブル美術館(Louvre Museum)に展示されている「モナリザ」は、デルジョコンドが1503年にダビンチに依頼した妻の肖像画であると考えられている。

 ゲラルディーニは夫の死後、フィレンツェにあった聖ウルスラ女子修道院(Convent of Saint Ursula)で晩年を過ごした後、同修道院で亡くなり、1542年に埋葬された可能性が高い。この修道院では娘2人も修道女として暮らしていた。

 伊ボローニャ大学(University of Bologna)のジョルジョ・グルピオーニ(Giorgio Gruppioni)教授(人類学)によると、調査チームは2011年、ゲラルディーニの遺骨発見を目的に、修道院に埋葬されていた人骨の発掘調査を開始。このなかで12体分の人骨を発見したという。

■共同墓地で発見
 最初の8体分の人骨は保存状態が良好だったが、炭素年代測定法で分析した結果、時代が古すぎでモナリザとは合致しないことが分かった。

 一方、1545年まで使われていた共同墓地で見つかった別の4体を炭素年代測定したところ、大腿、すね、くるぶしの骨の断片のみが残っていた1体が、ゲラルディーニと同じ時代に生きていた人物のものであることが判明した。修道院の記録文書により、この共同墓地は1521年〜1545年までの期間しか使われなかった可能性が高いことも明らかになったという。

 今回の調査を率いた歴史学者のシルバノ・ビンチェティ(Silvano Vinceti)氏によると、ゲラルディーニに関する資料は不完全なものであるにしろ、この期間に彼女以外の一般人がこの小さな修道院に埋葬されたことについての記載はないという。

 今回の発見では、見つかった骨から採取されるDNAとゲラルディーニの夫と息子の遺骨を照合・鑑定できることが期待されたが、親族の遺体が安置されていた地下墓所が非常に多湿だったため、数百年の間に、遺骨は朽ち果てて粉々になってしまっていた。

 グルピオーニ教授は「成人の歯数個以外には何も見つからなかった」と述べ、現在の技術ではこれらの歯からのDNA抽出は不可能と指摘した。同教授は、最新技術が開発された暁には、これらの歯がゲラルディーニの夫のものであることを期待して、もう一度抽出を試みたいと考えている。

 ビンチェティ氏は「人類学的調査から歴史的文書までのさまざまな要素を組み合わせることで、遺骨がリザ・ゲラルディーニのものである可能性が高いとの結論を下すことが可能になる」と話している。【翻訳編集】 AFPBB News


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