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芸術・美術・音楽
398
:
とはずがたり
:2014/02/11(火) 17:08:22
裏とって没にする過程だからマスコミスレ向け記事だと思うけど,一応こちらに。
佐村河内氏、ベートーヴェンと会話? 掲載見送った記事
http://dot.asahi.com/ent/culture/2014021000056.html
(更新 2014/2/10 16:00)
昨年6月、アエラは佐村河内(さむらごうち)守氏(50)に対し3時間に及ぶロングインタビューをした。心を動かされた部分は確かにある。だが、どこか腑に落ちなかった。そして、違和感の数々――。掲載は見送った。取材当時のことを振り返る。
インタビューは手話通訳者を介して行われた。それは、実に自然であった。会話にもっと苦労するだろうという先入観は、すぐに消えていた。
取材が始まると、佐村河内氏は実に饒舌だった。「HIROSHIMA」に込めた思い、この曲で全国ツアーが間もなく始まること、音楽の道を目指そうとした幼少期の話などが、よどみなく流れるように出てきた。全聾で耳鳴りも激しく、そうした中でどう作曲をするのか。素朴な疑問をぶつけると、やはり明解な回答が返ってくる。
「瞑想的作曲法と言っていますが、座って、いま目指している曲に集中していると、音が降りてくる。でも、ノイズの壁に阻まれる。大きな宇宙船の中にノイズの壁があって、その隙間から音が降りてくるんです。それはこちらから迎えに行くと、やっと受け取れる大事な音なんです。そうやって内側から生まれてきた音は、聞こえなくなったからこそ出てきた真実の音。その音が集まって曲になるんです」
実際に作曲し、譜面に記譜しているところを取材できないかと交渉すると、
「神様が降りてくる神聖な瞬間なので、見せることはできない」
それまで威厳のある語り口であったが、このときだけは薄ら笑いを浮かべるように話したことが、印象深く、鮮明な記憶として残っている。
こんな逸話も披露してくれた。
2001年頃のことだ。オーストリアのウィーンにあるベートーヴェンの墓に参ったという。墓前で彼はこう言った。
「ベートーヴェン先生、僕は障害も職業も、先生と一緒です」
すると、天空からベートーヴェンの声が降りてきた。
「違う。俺とお前は違う」
「何が違うんですか」
「作品のレベルと格が違う。障害と職業が一緒であろうが、俺とお前は違う。出直してこい」
ショックを受け愕然とし、けれどこれがバネとなり交響曲第1番を書き上げたという。事実は小説より奇なり、だ。もし偽りがないのなら、私たちにはわからない高い次元での話ということになる。
取材後、多角的な記事にしようと複数の関係者に当たってみると、思わぬ展開が待っていた。
「佐村河内氏の話のどこまでが本当なのか、甚だ疑問だ」
「クラシックでは時折、過去の作品をモチーフに作曲することがあるが、彼の作品はバッハやベートーヴェン、マーラーなどの影響が色濃く、オリジナリティーに疑問がある」
「お金にうるさい」
「本当は全聾ではなく、聞こえているのかもしれない」
こうした指摘を受け、本誌は記事の掲載を見送った。
※AERA 2014年2月17日号より抜粋
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