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芸術・美術・音楽

179チバQ:2011/09/27(火) 23:21:49
 戦後の帝劇を支えた一人が菊田一夫だった。請われて東宝役員になった菊田は、老朽化した劇場の建て替えを主導。66年に生まれ変わった帝劇で、制作面はもちろん、舞台作りに直接腕をふるった。

 66年9月、新装開場公演で帝劇に初出演した森光子は「菊田先生は世界で一番新しいことをなさろうとしていました」と振り返る。

 目指したものは何か。

 『菊田一夫の仕事』(社会評論社)の著者で近現代演劇を研究する井上理恵は「世界に発信できるスケールの大きな作品、特にミュージカルの上演だったのでは」とみる。

 新しい帝劇で菊田は、自身の脚色・演出で、世界で初めて「風と共に去りぬ」を舞台化した。66年11月から68年2月まで「第1部」「第2部」「総集篇」を通算10カ月上演した。後にミュージカル「スカーレット」となり、海を渡る。「充実した劇場機構が素早い舞台転換など先進的な演出を可能にした。ブロードウェーに負けない帝劇で、中身も世界に誇れるものを、と考えたのではないか」と井上はいう。

 ほかにも文芸大作を多く作り、ミュージカルでは複雑な内容の「屋根の上のヴァイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」なども取り上げた。井上は「劇作家でもあった菊田の内容を重視する目を感じる」という。その意欲に森繁久彌や市川染五郎(現松本幸四郎)、宝塚出身の女優たちが応えた。菊田は亡くなる前年の72年、ミュージカル「歌麿」を作・演出。海外上演を夢見ていたという。

 菊田の死後、森繁や山田五十鈴、山本富士子、佐久間良子らスターの主演舞台が帝劇の中核に。しかし80年代後半から風向きが変わる。大物俳優の高齢化や団体客の減少で、新しい演目が必要になってきた。

 87年、ロンドン発のミュージカル「レ・ミゼラブル」が登場した。この作品が、新たな時代を開くことになる。(山口宏子)


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