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芸術・美術・音楽

139チバQ:2011/05/28(土) 10:25:28
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000001105260002
私立美術館、受難の時代
2011年05月26日


大作「雪・信濃川」を眺める「八海山『白の世界』文化村」の渡辺四朗元理事長(左)=南魚沼市上薬師堂のトミオカホワイト美術館

 雪の白さを追求した画家、富岡惣一郎(とみおか・そういちろう)氏の作品を収蔵・展示している南魚沼市のトミオカホワイト美術館の運営を、今年度から市が担うことになった。20年以上運営してきた財団法人「八海山『白の世界』文化村」が財政難で3月末に解散したため、引き継いだ。「雪国文化の発信拠点」を目指したが、景気低迷や私立美術館に吹く逆風にあらがえなかった。


 ◇


 静かな解散式だった。「文化村財団」の関係者約20人が先月末、市内のホテルに集まった。「雪国の史料を集め、美術館から発信しようという当初の目的が達成できなかった」。理事長の渡辺四朗さん(73)=日本容器工業会長=があいさつした。


 富岡作品約450点を持つ美術館を拠点に、造形芸術家のアトリエや宿泊所、語学教室や野外ステージを八海山のふもとにつくっていく――。当初掲げた「文化村構想」だ。それを果たせぬままの解散に、渡辺さんは何度も頭を下げた。


 文化村財団ができたのは1990年5月。富岡氏本人をはじめ、渡辺さんや酒造会社「八海醸造」の社長だった故南雲和雄さんら企業家、旧六日町町長ら19人が発起人に名を連ねた。南雲さんは8千万円を出資。そうした寄付や、旧六日町のふるさと創生資金を元手に同11月、美術館が開館した。


 だが、入館者数は、富岡氏が亡くなった94年度の約3万1千人をピークに減り続けた。「95年の住専問題など相次ぐ経済ショックが響き、入館収入をリピーターに頼らざるを得なくなった」(渡辺さん)。


 富岡氏の死後、遺族は作品を市に寄贈した。財団の実質的な財産はハコモノだけになり、企画立案に難儀することもあった。


 2010年度の入館者は過去最低の約7300人に。解散を決めた財団は負債約4千万円を清算した上で、市に美術館を寄付した。


 市は、館外に作品を貸し出すなど、「財団とは違う運営をしていきたい」(社会教育課)という。10月までに指定管理者を選び、入館者数を最低2万人台に回復させたいと考えている。


 ◇


 「文化村財団」の解散からは、いまの私立美術館を取り巻く厳しい環境が透けて見える。


 財団の設立時に8千万円を出資した先代社長、南雲さんの死後も、毎年300万円の寄付を続けてきた八海醸造の湯沢一夫常務は「入館者が減る中で一企業が寄付で支えるには限度を超えている」と無念そうに語る。


 県教委によると、財団・社団法人による美術館や博物館は4月末現在、県内に19。いずれも経営は寄付金頼みで、「入館収入や資産運用だけでは存続できないリスキーな状況であることに変わりはない」(文化行政課)という。


 08年の公益法人制度改革の影響も大きい。従来の財団・社団法人は13年11月までに「公益法人」か「一般法人」に移行せねばならなくなった。公益法人になれば税制上の優遇措置は増えるが、詳細な事業計画を出したり、立ち入り検査が入ったりと、行政のチェックは厳しくなる。一般法人は民間企業並みに課税されることもある。


 文化村財団はただでさえ入館料収入の伸びが見込めず、個人の寄付にも限界があった。渡辺さんは「富岡作品は市の持ち物なので、公益事業の運営は市の全面協力がないと難しい。申請し直す手間や費用も大きかった」。公益法人になるのをあきらめ、解散の道を選ぶしかなかった。(服部誠一)



■富岡惣一郎
 旧高田市(上越市)出身の洋画家。1922〜94年。60年代前半、黄変や亀裂が起こらず、独特の暗い光沢をもった白絵の具を開発し、「トミオカホワイト」と呼ばれる。南北アルプスや北海道、越後、アラスカなどを取材し、「白の世界シリーズ」を描いた。


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