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第22回参議院議員選挙(2010年)

7692名無しさん:2010/07/15(木) 19:10:12
菅直人に翻弄された候補者(上)〜参院選福岡選挙区・総括
選挙レポート2010年7月15日 15:56<トップ当選をめぐる戦い>
http://www.data-max.co.jp/2010/07/post_10858.html

 一瞬の決着だった。11日午後8時過ぎ、自民党新人・大家敏志氏当選確実の報道が出た。それに民主党現職・大久保勉氏の当選確実が続いた。2議席に7人の立候補者、政権与党の支持率低下という背景もあり、当初、大混戦が予想された参議院議員選挙・福岡選挙区。しかし、フタを開けてみれば全国屈指のスピード決着だった。獲得票は、大家氏が77万4,618票、大久保氏が67万3,749票。3位のみんなの党新人・佐藤正夫氏(28万7,349票)に大差をつけた。
 自民党・大家氏陣営が掲げた選挙スローガンは「絶対に負けられない戦いがある」。そして、自民党のスローガンは「いちばん」である。目標は、あくまでも「トップ当選」。公認候補として、捲土重来を期す党の威信をかけた選挙戦であった。
 対する民主党は、当初、2議席の独占をねらった。2人区以上にふたりの候補者を立てるのは、小沢一郎・前幹事長の作戦であったが、その指揮を取るべき小沢氏が「政治とカネ」問題で失脚。その後、菅政権の誕生と状況は二転三転した。
選挙期間中の取材を通して感じたのは、民主党は自らが起こした状況の変化に対応できないまま参院選に突入したということである。

 「決して楽観はできない。大久保がなぜ走るか。無党派層で票の上積みをしなければいけないからだ」(大久保氏陣営関係者)。

17日間の選挙期間中、大久保氏はマラソン遊説で100km以上を走った。すべての候補者のなかで彼ほど体を動かした人はいないだろう。一旦、V字回復はしたものの、また低下し始めた菅政権の支持率に危機感が高まる。しかし、それはトップからの転落に向けてのものだった。複数の団体から推薦状を獲得し、再選へ向けての下準備を着実に行なってきた。結果を見れば、大久保氏陣営も「トップ当選」が目標だったことがうかがえる。与党の公認かつ現職として、"2番じゃダメ"なのである。
 したがって、ライバルは自民党・大家氏ということになるのだが、6月24日の公示以降、大久保陣営から「一番怖いのは大家ではない。堤だ」という声が聞こえ始めた。

7693名無しさん:2010/07/15(木) 19:14:06
http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20100715ddlk43010475000c.html
2010参院選くまもと:激戦終えて/下 組織ない「みんな」が10万票 /熊本
毎日新聞 2010年7月15日 地方版

 ◇批判票取り込み躍進
 当開票日の11日夜、民主新人の本田浩一氏(43)の陣営。刻々と明らかになる開票状況をテレビで見ながら陣営幹部がつぶやいた。「けっこう取られているな」。みんなの党新人、本田顕子氏(38)の票の伸びに驚きを隠さなかった。顕子氏が県内で獲得した票は10万1869票。得票率は11・4%に上る。

 浩一氏陣営の選対本部長を務めた松野信夫参院議員は「都市部の有権者が第三極のみんなの党に流れた。正直、痛かった」と振り返る。別の幹部は「自民(の松村祥史氏)より、うちが票を取られたのではないか」。

 顕子氏の事務所でボランティアをした熊本市の50代男性は昨夏の衆院選では民主に投票した。「民主にしばらく政権を担当してもらいたかったが、政治とカネ、普天間などの問題で結局自民党と一緒だったとがっかりした」と、みんなの党に“心変わり”した理由を話す。

 顕子氏陣営の野田和彦事務長は「立候補表明から短い期間で、組織も何もない新人が10万票以上とれた。それなりの成果だと思う」と手応えを口にする。野田事務長は、顕子氏の父の本田良一元民主党参院議員の秘書を務め、組合など組織内の票を固める手法の選挙も間近で見てきた。ただ今回は集会などをせず、街頭演説を繰り返してできるだけ多くの市民と接する手法をとった。「昨夏に自民党政権が倒れ、有権者が自分たちの1票で政治が変わることに気付いた。これまでより有権者が政治を身近に感じ、みんなの党に共感した結果、躍進につながったのではないか」。

 共産新人の安達安人氏(54)は、消費税引き上げに真っ向から反対し支持を訴えたが、得票は顕子氏の3割(3万517票)にとどまった。久保山啓介・闘争本部長は「みんなの党もいずれ増税を訴えるだろう。自民や民主と一緒だ」と批判しながらも「『無駄をなくせ』という主張が、自民と民主に対する批判票をうまくとらえた」と、みんなの党躍進の要因を分析してみせた。

 今回の躍進は批判票の取り込みによるもので、党の支持層として定着するかどうかは不透明だ。前川收自民県連幹事長は「批判票なのは間違いないが、ストレートに定着するとは思わない。国会の動きの影響を受け、自民が取り戻すこともその逆もありうる」と動きをうかがう。顕子氏陣営の野田事務長は「今後も、みんなの党の主張をより多くの人に知らせていきたい」と話している。(この連載は、結城かほる、笠井光俊、勝野俊一郎が担当しました)

7694チバQ:2010/07/15(木) 23:22:48
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shizuoka/news/20100715-OYT8T00082.htm
第3極 県内に地歩


落選が決まった後、さばさばした表情で支援者と握手する河合氏(左)=11日夜、浜松市西区の事務所で  「組織がないなか、多くの人に支援してもらった。新しい時代の選挙に挑戦できた。やれることは全部やった」。落選が決定的となった11日夜、みんなの党新人の河合純一氏は浜松市西区の事務所で、集まった支援者を前に頭を下げた。さばさばとした表情で、悲壮感などはなく、支援者に感謝の言葉を述べた。

 公示の約1か月前の出馬表明にもかかわらず、河合氏は約36万票(得票率20・9%)を獲得した。いずれも大政党や組織をバックにして当選した自民党の岩井茂樹氏の得票率が32・3%、民主党の藤本祐司氏が28・2%だったことを考えると、有力な支援組織を持たずに戦った河合氏の数字は善戦と言える。

     ◆

 衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されてすでに5回の選挙が行われ、全国的に民主、自民両党による二大政党制が定着したとの見方が広がった。だが、長く続いた自民党政権に終止符を打って昨夏の衆院選で政権を獲得した民主党も、鳩山前内閣の稚拙な政権運営で有権者の失望を買った。

 今回の参院選は、必ずしも二大政党に収れんしない多様な民意が存在することを前提に、二大政党が十分対応できない政策課題に取り組む政治勢力を認めるかどうかも一つの争点になった。その焦点がみんなの党であり、選挙の結果同党が全国で躍進したことで、第3極勢力は日本政治で無視できない存在になった。

 静岡で河合氏は当選こそ逃したが、政治的なインパクトは大きかった。選挙戦は無党派層を意識した街頭活動中心。静岡選挙区の戦いを注視していた日詰一幸・静岡大人文学部教授(行政学)は選挙期間中の講義で河合氏に触れ、「レーダーではどこにいるのかわかりづらいが、確実に忍び寄って来る。岩井、藤本両陣営は恐ろしく思っているだろう」と評した。

 実際、藤本陣営幹部だった民主党県議の一人は選挙後、「河合陣営の戦い方はゲリラ戦的。行く先々で投網を打つようなやり方だった。河合氏でなければここまで藤本氏に迫れなかっただろう。脅威だった」と振り返った。単に河合氏の知名度の高さが民主、自民両党にとって脅威だっただけではない。得体が知れないが、明らかに自分たちとは一線を画す政治的意思の塊が確実に存在することに民主党、自民党とも気付き、脅威を感じたと言える。

     ◆

 もちろん、河合氏のこうした選挙戦術は万能ではない。河合陣営は今回、河合氏が関係するスポーツ、障害者などの団体に対し、「公正中立であるべき団体に迷惑をかける」(大岡敏孝・選対本部長)として積極的な支援を求めなかった。それは河合氏「らしさ」を打ち出すにはいいが、選挙戦術として見た場合は、「当選できなければ元も子もない」という論理に抗するのは難しい。

再挑戦に含み だが、こうしたことも含め、河合氏本人やみんなの党の動向は今後も県政界で関心を集めそうだ。今後も政治活動を続けるかどうかについて、河合氏は落選が決まった11日夜には「全くの白紙」と繰り返したが、13日には読売新聞の取材に対し「全く組織がないのに36万人が支持してくれた。初挑戦で勝てるほど甘くはないとわかってはいたが、『子供たちが夢を抱ける国をつくりたい』との思いは変わらない」と語り、政界への再挑戦に含みを残した。

 来春には統一地方選がある。みんなの党は今回の成果を基に、各地の地方議員選で候補者の擁立を目指すとみられる。静岡県では河合氏の今回の結果が足がかりになるのは間違いない。

(2010年7月15日 読売新聞)

7695栃木都民:2010/07/16(金) 09:44:47
>>7691
千葉みたいなモノのことを、普通は「恥知らず」というのですが。
まあ、千葉は人殺しや凶悪犯の人権の方が、被害者やその家族の人権より大切という「人権派」ですから、本人からすれば当たり前のことなんでしょう。

7696チバQ:2010/07/16(金) 22:14:38
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20100713ddlk01010199000c.html
「指定席」の内情:’10参院選北海道/上 民主 /北海道
 ◇「北教組」に消費税重なり 足腰の弱さも露呈
 参院選道選挙区(改選数2)の開票作業が始まって約1時間半後の11日午後9時半ごろ。民主党の藤川雅司氏(53)の事務所(札幌市中央区)では、誰も言葉を発しなかった。

 「徳永エリ新参院議員、当選万歳!」。事務所のテレビからは、当選を確実にして歓喜にわく民主の徳永エリ氏(48)陣営の様子が映し出されていた。

 選対本部長代行の高柳薫・連合北海道会長は大きなため息を漏らしたまま。選対本部長の小川勝也首相補佐官もテレビを凝視するだけだった。

  ■ ■

 民主道連は2議席独占を目指し、徳永氏は道連、藤川氏は連合が選対を担った。だが、最後の1議席を2人が争う結果となり、連合北海道は90年の発足以来初めて組織出身候補を落選させた。藤川氏の得票も約57万票止まり。連合北海道の組合員は約27万人おり、単純計算では1人2票程度しか獲得できていないことになる。

 高柳会長は同日夜、記者団に敗因を聞かれ、「労働組合と政治、カネの問題に厳しい目があった。ブレーキがかかったのは事実」と述べ、北海道教職員組合(北教組)幹部による、小林千代美前衆院議員(道5区)陣営への不正献金事件の影響を認めた。

 矛先は民主にも向けられた。「新人を出すには少し時間が足りなかったと思う」。高柳会長は、候補者選びの過程で民主側が自治労出身の現職、峰崎直樹副財務相の引退にこだわり、年明けに候補者交代を余儀なくされたことを蒸し返した。しかし、連合が藤川氏へのてこ入れを要請したことに道連内にも反発があり、選挙中には徳永陣営幹部が「惑わされるな」と地方議員に電話をかける場面もあった。

 前回(07年)は2人の公認・推薦候補で約164万票を獲得し、票割りが成功すれば2議席独占が可能だったが、今回は2人で約128万票。トップの自民党の長谷川岳氏(39)は約95万票で、2議席独占には遠く及ばなかった。政権与党として迎えた最初の国政選挙での苦戦に、協力関係が続いていた両者にはしこりが残る。

  ■ ■

 菅直人首相の消費税増税発言も追い打ちをかけた。道連には「民主党に票を入れると、消費税が上がるのか」という電話もかかってきた。道連の三井辨雄(わきお)代表は「消費税で菅首相が釈明に追われたことは大きく影響したと思う」と嘆いた。

 だが、今回の苦戦は選挙戦を労働組合に頼り、党としての基盤が十分ではないという、民主側の足腰の弱さも根底にある。その労組も弱体化が露呈した。

 10月には衆院道5区の補選が控える。民主道連幹部は「(参院選の結果は)正直影響がないとは思わない」と漏らした。【岸川弘明、今井美津子】

  ◇  ◇

 参院選道選挙区は5回連続で民主、自民が1議席ずつを分け合う「指定席」が続いた。しかし、その内情は複雑だ。各党の選挙戦を検証する。

毎日新聞 2010年7月13日 地方版

7697チバQ:2010/07/16(金) 22:15:58
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/archive/news/2010/07/14/20100714ddlk01010089000c.html
「指定席」の内情:’10参院選北海道/中 自民 /北海道
 ◇若さと公明票で大勝 比例票低迷に不安も
 駅前広場や歩道は支援者のほか、買い物客やサラリーマンら通行人が足を止め、聴衆は数千人に膨れ上がった。参院選最終盤の8日夕、自民党の長谷川岳氏(39)が最終決戦に向け、JR札幌駅前で行った街頭演説。中には競うように長谷川氏に握手を求める人もいた。

 マイクを握った武部勤・自民党元幹事長は「長谷川候補は、公明党と無党派の皆さん、今や民主党支持層にまで浸透を始めている。今までの我々の選挙では見たことのない現象だ」と豪語した。

  ■ ■

 政権交代後初の国政選挙となった今回の参院選。長年自民を支えた業界団体の多くが民主、自民両党の推薦・支持に転換。事実上の自主投票となった。

 基礎票は目減りしたはずだったが、長谷川氏は道選挙区の自民候補として、過去2番目に多い約95万票でトップ当選。共同通信の出口調査では無党派層の3割が「長谷川氏に投票した」と答えた。若さと行動力をアピールしたことに加え、菅直人首相の消費税増税発言など民主の敵失で浮動票をたぐり寄せた。

 長谷川氏は、政権交代で危機感を持った自民道連が、自民現職だった中川義雄氏(72)=離党し、たちあがれ日本に参加=からの世代交代を図って擁立。陣営幹部は「これまでにないタイプなので、有権者に期待感を与えた。旧来の自民イメージが強い中川さんだったら、浮動票の獲得は限定的だった」と話す。

  ■ ■

 大量得票を支えたもう一つの要因は、公明の支持だ。長谷川氏は選挙期間中の遊説で必ず「比例は公明の横山信一さんの支援もお願いします」と訴え、党本部レベルでは選挙協力を解消した公明とも良好な関係を築いた。来春に統一地方選を控え、地方議員レベルでも公明とのバーター協力が成立し、20万票前後の公明票が長谷川氏に流れたとみられる。

 だが、公明道本部関係者は「今回の参院選は統一地方選とリンクし、利害が一致した。来年まで協力は続くが、その後は分からない」と打ち明ける。参院で野党が多数派となる「ねじれ国会」となったことを受け、菅政権は野党と政策ごとの部分連合を目指しており、中央政界の動向も今後の関係に影響を及ぼすとみられる。

 選挙区と対照的に、比例代表の自民の道内得票は約60万票。得票率は21・77%と衆院選比例代表道ブロックも含め過去最低。衆院選小選挙区ごとにみると、民主に「全敗」だ。

 党内からは将来を不安視する声が消えない。道連幹部は「今回の選挙は何もかもうまくいった。しかし、公明との関係も明確でない以上、浮動票頼みの選挙は危険。今後は党独自で安定した選挙ができるよう、選挙結果をシビアに分析したい」と語った。【和田浩幸】

7698チバQ:2010/07/16(金) 22:17:29
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/archive/news/2010/07/15/20100715ddlk01010157000c.html
「指定席」の内情:’10参院選北海道/下 第三極 /北海道
 ◇みんな、伸びに限界 存在感薄まる共・社
 参院選道選挙区(改選数2)は11日夜、早々と2議席の当確が決まった。札幌市中央区の事務所で、みんなの党新人の中川賢一氏(43)はぶぜんとした表情でテレビを見つめた。笑顔でインタビューに答える当確候補。隣に座る佐藤静雄元衆院議員が耳打ちをして慰めた。「君も必ずこういう場面が来る」

 中川氏は、新党からの初挑戦で6候補中4位の32万票を獲得。「勝てるとは思っていない。30万票を超えたから目標達成」と声を上ずらせる陣営幹部がいる一方、佐藤氏は冷静だった。「選挙経験のある人がいない。戦略性を持って選挙運動をすれば、民主、自民の批判票をもっと多く取り込めたはずだ」

 党支部は道内に帯広、滝川両市だけで、選挙ポスターを張れない地域もあった。動員をかけようにも有力な支援組織がなく、街頭演説は事前に時間と場所を決めない「ゲリラ戦術」(陣営)。だが、数十秒で前を通り過ぎてしまう有権者にどれだけ中川氏の政策理念を伝えることができたのか。

 みんなの党は全国では改選数5の東京都と改選数3の神奈川、千葉両県の選挙区で議席を得た。しかし、民主、自民の「指定席」が続く道選挙区では、公認2人を立てた民主が苦戦したにもかかわらず、民主2番手との得票差は約25万票で、議席を脅かす存在になれなかった。

 中川氏は11日夜、「今後も政治活動を続ける」と明言。取りざたされている衆院道5区補選や道11区などへの出馬については言葉を濁したが、選挙戦略の見直しをうかがわせる言葉を残した。「支持基盤を固めなければならない」

  ■ ■

 共産、社民両党は、みんなの党人気のあおりも受け、低落傾向に歯止めがかからない。

 共産新人の畠山和也氏(38)の得票は前回並みの20万231票で、公示1カ月前に出馬表明した中川氏にも及ばなかった。今回と同様に消費税で攻勢をかけた98年に、公認候補が約60万票を獲得した当時とは比べ物にもならない。

 力を入れた比例代表の道内の得票数は前回(07年)から約4万4000票減の18万6332票。島垣正信・参院選挙事務所責任者は「みんなの党が、本来共産党に流れる票を持っていった」と悔やんだ。

 社民党は今回、道選挙区に独自候補も立てられなかった。比例代表の道内の得票数は7万1398票。選挙区に独自候補を立てた前回の10万3309票から、大きく減らした。党道連の道林実代表も同じ言葉を漏らした。「民主、自民の批判票がなぜかみんなの党に流れてしまった」

 2大政党への批判票の受け皿になれなかった共産、社民両党。道内での存在感はさらに低下した。【水戸健一、中川紗矢子】

毎日新聞 2010年7月15日 地方版

7699チバQ:2010/07/16(金) 22:21:58
>>7698
佐藤静雄が中川(子)を支援してたんですね。
佐藤の小樽市長選再挑戦もありえるか?

7700チバQ:2010/07/16(金) 22:23:18
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1052/20100713_15.htm
流転政治―参院選・ねじれ再び(上)民主/首相来援、勢いに冷水

サクランボ農園の中で熱弁を振るう菅首相。消費税をめぐる迷走ぶりに、東北でも批判の声が上がった=9日、天童市


 参院選は民主党が大敗し、自民党が改選第1党に躍り出た。迷走を続けた民主党政権への不信は、首相菅直人が持ち出した消費税論議への反発に集約され、東北でも逆風が吹き荒れた。夏の激戦は再び衆参の「ねじれ」を生み、政治の流転が続く。(参院選取材班)

 ダンディーな元キャスターが、丸刈りにした頭を深々と下げた。
 11日午後8時半、秋田市の選挙事務所。秋田選挙区で落選した民主党現職の鈴木陽悦(61)は「本当に残念。申し訳ない」と涙ぐんだ。
 4日夜、「全力で頑張るという決意を示す」と、トレードマークの銀髪にはさみを入れた。報道各社は、元プロ野球選手の自民党新人石井浩郎(46)との横一線の競り合いを報じた。
 公認をめぐる党県連との不仲説が消えず、公示降は首相菅直人の「消費税10%」発言に翻弄(ほんろう)された。
 結果は石井に10万2554票差の大惨敗。現職のプライドをかなぐり捨てても、引き離される一方だった。
 改選54議席以上を目標にした民主党は44議席の獲得にとどまり、過半数を割り込んだ。東北の6選挙区(改選8議席)は3勝5敗の負け越し。4つの1人区は岩手を除き競り負けた。

<ぶれた税発言>
 「あんなに応援していただいたのに申し訳ありません」。鈴木の涙から2時間後、青森選挙区に挑んだ新人の波多野里奈(37)も自民元議員の山崎力(63)に敗れ、目を潤ませた。
 山崎とは6万4510票差。大接戦と伝えられたが、ふたを開ければ40市町村すべてで山崎が上回る完敗。波多野陣営は言葉を失った。
 業界団体をくまなく歩く地上戦に徹した山崎。波多野は元アナウンサーの「華」を武器に街頭で露出度を高めた。
 切り札は「首相カード」だった。6月30日、青森、秋田、山形3市を遊説した菅は消費税増税に言及。税金を還付する年収水準にも触れ、発言の度に額を引き上げるぶれを露呈した。
 上昇気流に乗るはずだった波多野陣営。思わぬ誤算に「余計なことを言って…」と唇をかんだ。
 菅は9日、青森、山形両県へ2度目の応援に入った。天童市のサクランボ園では言葉を慎重に選びながら「次の総選挙まで消費税は一円たりとも上げない」と強調した。
 演説を聞いた地元農家の男性(81)は「上げてほしいのは低迷するサクランボの値段。消費税10%になったら農家はお手上げだ」と見放すように話した。
 応援に入った青森、秋田、山形は全滅。陣営にとって、頼りの菅が鬼門になってしまった。

<地方が「ノー」>
 2議席独占を目指し、2人区の福島選挙区に挑戦した民主新人の岡部光規(41)は現職の壁にはね返された。
 岡部陣営は「2人擁立で民主支持層の拡大につながった」と総括するが、福島県内の比例票は前回(2007年)より10万票少ない33万票。得票率も10.5ポイント下がった。
 同じく2議席独占を狙った宮城でも比例票を10万票減らした。落選した民主新人の伊藤弘実(36)陣営に張り付いた参院議員の岡崎トミ子は「最終日、完全に風が止まった」と言う。
 決戦のさなか、首相が唐突にかざした増税路線。景気と雇用が一向に改善せず格差にあえぐ東北の有権者は、軽はずみな小手先の論理を敏感にかぎ取り、ノーを突き付けた。(敬称略)


2010年07月13日火曜日

7701チバQ:2010/07/16(金) 22:23:56
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1052/20100714_02.htm
流転政治―参院選・ねじれ再び(中)自民/新生演出、陰で組織戦

熊谷氏(右)と並んで自民党再生を訴えた谷垣総裁。東北の圧勝は真骨頂の組織戦にも支えられた=6月29日、仙台市青葉区一番町


 自民党の候補者公募で選ばれた35歳の新人が、自民党を批判した。
 「取締役ばかりで社員がいない会社と同じ。組織の体をなしていない」
 10日午後、仙台市宮城野区の住宅地。参院選宮城選挙区(改選数2)で初当選した自民党新人の熊谷大は、党内の世代交代を強調した。
 若さと松下政経塾出身を前面に「新生自民」を演出し、期待を呼び込んだ。2番手の民主党現職に2万3000票差をつけてトップ。宮城県連会長の衆院議員小野寺五典は「宮城発の改革を県民が後押しした。再生の第一歩だ」と自信を深めた。

<「名代」足運ぶ>
 陰では周到な組織戦が静かに進行していた。
 8日夕、青葉区支倉町の県建設産業会館に黒いミニバンが横付けされた。降り立ったのは元党幹事長の野中広務。
 宮城選挙区で初めて自主投票を決めた県建設業協会の会長佐藤博俊を訪ね、15分ほど話し込んだ。野中は選挙区には触れず「自民党を頼む」とだけ語ったという。
 滞在した2日間、農業、運輸、遺族会など団体や企業を次々と回った。組織のキーマンに党本部の「名代」である実力者が足を運び、票を着実に固めていった。
 自民党は東北の6選挙区(改選8議席)で5議席を獲得した。肝心の四つの1人区は岩手だけを落として3勝1敗。久々の快勝だ。
 山形選挙区(改選数1)で3選を果たした現職の岸宏一(70)。11日夜、山形市の事務所で固い握手を交わしたのはシンクタンク研究員の大沼瑞穂(31)だった。
 大沼は党山形県連が3月に実施した候補者選考の党員投票で岸と争った。選挙戦では一転、応援マイクを握り「党員投票で大沼と書いた人も、今回は岸さんに」と力を込めた。
 戦略は的中した。大沼はしこりが残る党内で「反岸派」を懐柔。選挙戦では「新生自民」を売り込み、岸の高齢批判をかき消した。「大沼氏の存在がバラバラだった党員に火を付けた」。県連幹部はベテランを押し上げた結束力に胸を張った。

<県議団が支え>
 「全員の勝利だ」。秋田選挙区(改選数1)で初当選した新人で元プロ野球選手の石井浩郎(46)は11日夜、支持者の「石井コール」にガッツポーズで応えた。
 敵の民主党現職も元アナウンサーで、知名度が高い。石井はひたすら「人物」への支持を求めた。応援に入った党総裁谷垣禎一にも野球の話題は避けるよう懇願した。
 石井を支えたのは民主党を数で圧倒する自民党県議。「とにかく歩け。自分の地域は自分で守れ」。期間中、県連幹事長の能登祐一のげきが何度も飛んだ。
 自民党の堅調は、選挙区に候補を立てなかった公明党にも支えられた。
 支持母体、創価学会の関係者は「自然の流れ」と言うが、水面下では自民党の幹部級が連立時代のパイプで東北の学会幹部に働き掛けることを忘れなかった。
 改選第1党が確定し、新聞各紙に谷垣の笑顔が載った12日。宮城県連会長の小野寺は、党幹事長の大島理森に電話してくぎを刺した。
 「勝ったのは選挙区。比例代表は負けた。改革に熱心な地方が努力した。自民党が評価されたと勘違いしては困ります」(敬称略)


2010年07月14日水曜日

7702チバQ:2010/07/16(金) 22:24:26
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1052/20100715_01.htm
流転政治―参院選・ねじれ再び(下)第三極/地方は苦杯、風届かず

支持者に囲まれ、サインをするみんなの党の渡辺代表=6月25日午後6時50分ごろ、仙台市青葉区一番町


 参院選で改選議席ゼロから10議席に躍進したみんなの党。その勢いとは対照的に、東北の選挙区に立った3人はいずれも苦杯をなめた。
 「鳩山政権から菅政権に変わり、民主党の支持率がV字回復した時が潮目だった」

<前評判は上々>
 宮城選挙区で落選した新人の菊地文博(50)は11日夜、仙台市宮城野区の選挙事務所で淡々と述べた。
 5月までは民主党県議。米軍普天間飛行場の移設問題などで迷走していた鳩山政権を見限る形で離党した。立候補表明には代表の渡辺喜美が駆け付け、後援会関係者にあいさつする力の入れようだった。
 国政挑戦は2度目。前評判は上々で、県政界には「菊地にとって天の時かもしれない」との見方があった。
 菅政権の発足で党勢は一時失速。「消費税10%」の敵失に乗じ、態勢の立て直しを図りながら選挙になだれ込んだ。
 最終盤に党人気は勢いを取り戻したが、得票は10万6000で8候補中5位に終わった。党と「菊地」を結び付ける時間が足りなかった。
 山形選挙区で敗れた新人の川野裕章(51)の得票は8万8000にとどまった。一回の決起集会を除けば、個人演説会はゼロ。力不足は明らかだった。陣営は「来春の統一地方選へ向けて党勢拡大を図り、地方議員を増やす」と戦略を練る。
 「右も左も分からず、手探りの選挙戦。よくここまでやれた」。福島選挙区で落選した新人菅本和雅(42)は9万3000票。陣営は「人員が配置できなかった県北で手応えがなく、広がりを欠いた」と語った。
 獲得10議席のうち、選挙区は首都圏で得た3議席だけ。地方は惨敗だった。代わりに党名が浸透した比例代表は、794万票を集め、7議席を確保した。
 東北では前秋田県知事の寺田典城(70)、元福島県議の小熊慎司(42)の2人が滑り込んだ。
 投票日から一夜明けた12日午前7時前、ようやく当選が決まった小熊。会津若松市の事務所で喜びを爆発させながらも「(東北の選挙区で)敗れた3人分の働きもしたい」と口元を引き締めた。
 「短期間でよく頑張ってくれた。衆院選はそう遠くない。引き続きしっかり頼む」。11日夜、宮城選挙区で落選した菊地に代表の渡辺から電話が入った。
 
<試される力量>
 次の政治決戦を見据えながら来春の統一選へ。キャスチングボートの掌握を狙う党の真の力量が試される。
 新党バブルの中、最後まで第三極の風が吹かなかった党もある。
 4月に結党したたちあがれ日本。選挙区と比例代表で13人を擁立したが、比例の1議席がやっとだった。
 青森選挙区で落選した升田世喜男(53)は過去2度の衆院選を無所属で戦ってきた。今回は念願の党公認となったが、支持基盤の弱さが響いて事実上これまでと同じ「個人戦」を強いられた。
 「民主がだめなら自民なのかと痛感した。自分自身に、人を引きつける商品能力が足りなかったから負けてしまった」
 12日、こう敗戦を振り返った。(敬称略)


2010年07月15日木曜日

7703チバQ:2010/07/16(金) 22:25:34
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20100713ddlk02010154000c.html
青森の選択:’10参院選/上 自民「予想外の圧勝」 /青森
 ◇消費税巡る敵失で
 「立派な成績で勝たせていただいた。ご恩をどうお返しするか。まずは(来年の)統一地方選が山。続く総選挙で自民党政権を再スタートさせる先兵を務めたい」

 当選から一夜明けた12日午後。自民の山崎力氏(63)は、県議会自民党会派の議員総会に姿を見せて感謝の言葉を述べた。「山崎参院議員」と声が飛ぶと、県議らから拍手と笑い声がわき起こった。山崎氏は満面の笑みを浮かべ、県議一人一人と握手して回った。

 民主の波多野里奈氏(37)に約6万4000票差を付けた山崎氏。大方の予想を覆す圧勝だった。しかし、知名度と組織力で優位に立っていたが、楽な戦いだったわけではない。

 先行する山崎氏に対し、民主は公示後、相次いで大物国会議員を投入。自民の情勢調査では一時、両氏の差は1ポイント以下に。さらに終盤戦に入り、報道各社の情勢調査で波多野氏逆転が伝えられると、山崎氏陣営の焦りはピークに達した。ある関係者は「公示後にひっくり返され、大敗した3年前の再現になる」と危機感を募らせた。

 だが、終わってみれば、大差。ただ、これほどの差が付いた理由を陣営も測りかねる。関係者の一人は「最大の理由は消費税増税を巡る敵失。失望した無党派を取り込んだ」と分析。別の関係者も「民主が逆風に負けただけ。自民が勝ったわけではない」と表情を引き締める。ある地方議員は「(引退表明した)田名部匡省が相手だったら勝負にならなかった。山崎が強いわけでない」と指摘した。

 来年には統一地方選に加えて知事選が控える。木村太郎選対本部長は「野党として勝った意義は大きい」と強調する。しかし、業界団体の離反や党員1万人割れなどもあり、組織力も盤石ではない。ある陣営関係者は「動員がきかなくなった。集会に足を運んでもらう方法を考えないといけない」と懸念する。

 また、公明との関係も難問だ。党としての選挙協力は行わなかった両党だが、一部の関係者の間で、信頼関係に基づく協力は行われたという。ある支持者は終盤、陣営関係者から「『比例は公明』を徹底するように」と指示を受けた。

 一方で、公明県本部関係者によると、自民側の動きは鈍く、比例票への上積み効果はあまりなかったという。この関係者は「参院選の得票は今後を占う試金石だった。次の衆院選での選挙協力は難しいと思う」と話す。

  ◇   ◇

 昨年の衆院選で政権交代を実現した民主の信任投票となった参院選。青森選挙区では、自民の山崎氏が、民主の波多野氏を破って返り咲き当選を果たした。17日間の選挙戦を振り返り、今後の県政界の行方を探った。

毎日新聞 2010年7月13日 地方版

7704チバQ:2010/07/16(金) 22:26:29
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20100714ddlk02010022000c.html
青森の選択:’10参院選/中 民主、組織の弱さ露呈 /青森
 ◇「田名部頼み」のツケ
 「時計の針を戻すなということを合言葉にやってきたが、今の民主に『安定多数を与えて好きなようにやらせてもいいのか』という思いが有権者に強くあった」

 民主新人、波多野里奈氏(37)の落選が決まった11日午後10時過ぎ。重苦しい雰囲気に包まれた青森市内の事務所で、県連代表の横山北斗衆院議員はうつむき加減に述べた。閣僚らの連日にわたる応援を受け、陣営は手応えを感じていたが、結果は大敗。過去の選挙で風に乗って勝利してきた民主の組織力の弱さが、現実として突きつけられた夜だった。

 菅直人首相の消費税発言による失速もあったが、自民元職、山崎力氏(63)の得票に、全市町村で及ばなかった。昨夏の衆院選で比例復活分も含め4小選挙区に衆院議員が誕生した民主。参院選では、それぞれの小選挙区ごとに選挙対応する組織だった戦いを初めてした。だが、うまく機能したとみる関係者は少ない。

 青森を重点区に位置付けた党本部は、大物閣僚を次々と投入して遊説させる「空中戦」に出た。知名度を上げたい波多野氏よりも、注目されるのは閣僚ら。ある県議は「序盤から盛り上がりを感じたが、錯覚だった。風頼みから抜けきれていない証拠だった」と振り返る。県連幹部も「精いっぱい支援者回りなど『地上戦』もやったが、初めからやる気のない人もいた。課題はたくさんあるが、何よりも組織に緊張感がなかった」と頭を抱える。

 また、県連が頼りにした引退する田名部匡省元農相の強固な後援会組織も動き出しが鈍かった。波多野氏は田名部氏の後継とされたが、「後継は県南地方から」とする支持者らの願いは最後まで強かった。加えて他陣営からも「落下傘」などといった批判にさらされた。波多野氏は「県民になって思いを伝えてきたが、『応援しているのに接戦なのはあなたが青森出身じゃないからよ』と最後まで言われた」とうつむいた。

 「すべては候補者選定で間違った」と指摘する県議もいる。「政権交代を果たしたことで有権者の意識は冷めている。政治を託せる人材かどうかをみる目は厳しかった」。

 来年に控える統一地方選、知事選に向け、民主は組織構築の必要に迫られている。県議の1人は「『田名部頼み』が続いてきた結果、組織整理が遅れてきたのは事実。組織態勢を築いていく過程としてはいい経験ができた。次の飛躍につながる」と前を向く。

 一方で「県連が直接、市町村単位に指示を出す戦い方が必要だった。国会議員ははっきり言って広告塔。実動部隊として力を持つ地方議員がもっと前に出る形にしないといけない」と注文をつけた。

7705チバQ:2010/07/16(金) 22:27:26
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20100715ddlk02010123000c.html
青森の選択:’10参院選/下 2大政党のはざまで /青森
 ◇こぼれた声、どこへ
 「ポスターを張るのも一苦労だった」。たちあがれ、升田世喜男氏(53)の選挙事務所長を務めた木村三成(みつなり)氏は選挙後、こう振り返った。今回の参院選前には、選挙運動にインターネットの利用を解禁する公職選挙法の改正が見込まれていた。陣営はここに目をつけ、策を練った。だが首相交代の影響もあり、改正は見送られた。

 「浮動票を取り込んで、民主、自民との三つどもえになれば」。公示前に描いていた勝利への道筋は簡単に崩れ、人や組織の限界にぶち当たった。

 升田氏は出身地・旧小泊村のある中泊町や辻立ちを続けている青森市では知名度がある。だが県南部となるとそうはいかない。「ブログや動画など、ネットを駆使して弱点を埋めるつもりだった。解禁見送りは響いた」と明かす。

 環境問題に取り組む姿勢を示そうと、選挙カーに電気自動車を使う策は、注目を集めた。「全国初の試み」「面白い視点を持つ男です」。笑顔で繰り返した。なんだあの車は、と驚く人もあり、インパクトはあった。

 一方で、電気自動車の走行距離は充電1回で約120キロ。フル充電に7時間かかった。

 「活動の幅には限界があった。結党3カ月、浸透しきれなかった面も大きい」

 思うように票は伸びなかった。

   ◇   ◇

 「ここ10年では最も戦いやすい選挙」。共産党県委員会の堀幸光委員長は公示前、自信を見せていた。背景には、菅直人首相が消費税増税に前向きな姿勢を取ったことがあった。

 吉俣洋氏(36)は「『国民と共産党』対『その他の政党』」の構図を鮮明にするため、増税反対を前面に押し出す。だがふたを開けると、共産は3年前の参院選よりも票を落とした。

 堀委員長は「『消費税増税は嫌だけれど、財政状況を考えると仕方がない』という人に訴えが浸透しなかったのではないか」。悔しさを隠さない。

   ◇   ◇

 社民、山田清彦氏(53)は「ミスター反核燃」と呼ばれる。核燃や米軍基地、格差問題を3本柱に据え、支持拡大を目指した。

 だが誤算があった。公示直前の菅首相の消費税発言だ。突出して争点に浮上し、自分の土俵に持ち込めなかった。奈良岡克也・県連副代表は「消費税問題を格差問題に関連づけて訴えることはできたが、核燃や基地の問題などの訴えすべてが県民に届いたかといえば不十分だった」。

   ◇   ◇

 三者三様。衆院選小選挙区を背景にした2大政党伸長のはざまで、新たな活路を見いだすことができるのか。こぼれた声を国政に届けるにはどうすればいいのか。模索は続く。(この連載は高橋真志、矢澤秀範、山本佳孝が担当しました)

毎日新聞 2010年7月15日 地方版

7706チバQ:2010/07/16(金) 22:29:00
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000561007140001
戦い終えて(上) 自民
2010年07月14日


自民の山崎力氏(右)の応援演説に立った三村知事。「一番いい候補だ」とPRした=4日、青森市

 11日投開票された参院選青森選挙区(改選数1)は、自民の山崎力氏が28万7385票を獲得し、民主の波多野里奈氏を6万票以上引き離す大勝で終わった。山崎氏は都市部の青森、弘前、八戸3市でも得票1位となる完勝。選挙戦を振り返りながら、大差がついた背景や今後の県政への影響を検証した。


 「参院選がホップ、来年春の県議選がステップ、来年夏の知事選でジャンプだ」
 激戦から一夜明けた12日午後の県議会自民控室。山崎氏の選挙を支えた八戸市選出の滝沢求県議は満足げだった。選挙戦終盤に菅直人首相が応援に入るなど、民主優位とも言われた同市での各候補の得票で、山崎氏がトップだったからだ。


 「組織がフル回転し、長らく民主に移っていた自民支持層が完全に戻ってきた」


 たちあがれ日本から出た升田世喜男氏の地元中泊町を除く県内39市町村を山崎氏が制した。近年まれに見る自民の圧勝に、自身の県議選への好影響を期待する自民県議は多く、控室のお祝いモードは全開だった。


 そこへ、山崎氏がお礼に訪れた。県議らは「(県選出の自民参院議員がいなかったので)ようやく参院に陳情の窓口ができたよ」。山崎氏も「どんどん来てください」と応じ、「参院で民主の問題点を追及し、攻撃し、統一地方選、政権奪還の先兵になる」と意気込んだ。


 ■知事も応援演説


 今回の参院選で、山崎氏の事務所には自民県連幹部が常駐し、県連丸抱えの選挙戦を展開した。県連幹事長の山内和夫県議らの念頭には、来年の県議選と知事選があった。


 選挙戦中、陣営幹部は「参院選で負ければ、民主に業界団体を切り崩されて県内の自民組織は崩壊し、県議選、知事選は大変なことになる」と、危機感を明かした。


 その自民県連が、野党に転落して初の国政選挙でも頼りにしたのは、建設業者など公共事業や補助金にからむ業界団体だった。山崎氏への推薦を取りつけたのは約300団体。政権交代前の2007年参院選と比べても微減にとどめた。


 県内で自民が求心力を維持できたのは、県議会で議席の過半数を占め、三村知事を支える「県政与党」の旗印だ。以前は自民支持だった県トラック協会が民主支持を決めた5月下旬、自民県議はこう話した。「国の補助金だって県を経由するものが結構あるから、難癖つけて止めることだってできる。だから県政与党の立場は手放せない」


 一方、三村知事は4月時点では参院選への態度を未定としていたが、自民から盛んに秋波を送られ、公示後は山崎氏の応援に立った。「山崎さんが一番ふさわしい。我々の思いを力さんに託そう」


 11日夜には山崎氏当選の一報が報じられた直後に同氏の事務所に登場。最前列で木村太郎衆院議員らと固い握手をした後、「(山崎氏との)友情を持って立った。その思いが当選でかなえられ、本当にうれしい」などと約2分間、熱弁をふるった。


 自民県議は「自民に支えられて知事になったのだから応援に来るのは当然」と話す。来年の知事選への意思を明らかにしていない三村知事だが、「三選を目指すのが順当な流れ。当然応援する」と、一体感を強調した。


 ■高齢化の悩みも


 山内県連幹事長は「政治生活約50年で一番団結できた選挙だった。(国政で)与党の時は内部で勢力争いもあるけど、野党だとそんな余裕もないしね」と振り返る。


 その一方で、不安要素も露呈した。


 選挙戦では県内選出の衆院議員らの支援組織が1〜4区の小選挙区ごとに選挙対策本部を設け、フル回転した。しかし、肝心の山崎氏自身の後援会の動きは鈍く、選対幹部から「我々におんぶにだっこか」との怒号も飛んだという。山崎氏の陣営幹部は「(政治家だった)本人の父や祖父の代からという高齢の支援者が多いから」と、十分機能しなかったことを認めた。


 自民関係者は「うちの後援会も、新聞の死亡欄に毎日のように支持者が載る。しかも若い人が入ってこない。今後の選挙はどんどん厳しくなる」と悩みを打ち明けた。
(北沢拓也、別宮潤一)

7707チバQ:2010/07/16(金) 22:29:44
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000561007150001
戦い終えて(下) 民主
2010年07月15日


落選の報を受け、田名部匡省氏と言葉を交わす波多野里奈氏(左)。田名部氏が確保してきた議席を守ることはできなかった=11日、青森市南佃2丁目

 参院選の投開票日まで残り2日となった9日。八戸市の魚市場でマイクを握りしめる田名部匡省氏の姿があった。「何としても波多野さんを当選させ、女性のために一生懸命頑張る、そんな青森県をつくってやってください」


 衆参合わせて国会議員歴約30年、「田名部党」と言われるほど固定ファンがいる田名部氏の叫びに、会場は大きな拍手で沸いた。


 だが、今回の参院選青森選挙区に出ず、引退した田名部氏に道を譲られる形となった民主新顔の波多野里奈氏の立ち位置は微妙だった。


 田名部氏の地盤の南部地方では、選挙戦後半になっても「『後継』という言葉は使えなかった」と、民主の関係者は言う。波多野氏は東京出身で、県内の民放で3年半勤務しただけだ。


 だから「後継と言えば(田名部氏の)支持者が反発する。田名部の議席を死守する戦い、そんな言い方をしてきた」と、この関係者は打ち明ける。


 県連が県議を対象に選考を進めていた最中、党本部が県外の人を押し込んだ――。そんなイメージもつきまとった。選挙戦では「小沢ガールズを1人増やすことに青森県が使われている」などと、他陣営からも突っ込まれた。


 「青森県民になった立場だったが、まだ認めてもらえていなかったんだと思う」。落選が判明した11日夜、青森市の事務所で波多野氏は敗因を問われ、こう答えた。選挙戦で家族5人で同市に移り住んだことなどを強調したが、十分に浸透できなかった。


 ■きめ細かい自民


 県連は支援を受ける労働組合の組織を生かすとともに、昨夏の総選挙で倍増した衆院議員や来年の統一地方選を控える県議らと連動して支持の拡大を進めてきた。


 だが、総選挙から1年足らず。後援会組織が思うように広がらないなど、一部の衆院議員の日ごろの活動の鈍さを指摘する声もあった。県議も16選挙区中10の「空白区」があり、すべてに県議がいる県政与党の自民のきめ細かさに差をつけられていた。


 推薦を受けた業界団体と組むなど、網の目のように張り巡らした支援の輪を生かして地道に支持拡大を図った自民の「地上戦」に対し、民主は組織力不足を党中央の幹部や閣僚ら大物の応援という「空中戦」で補った。


 例えば、枝野幸男幹事長は人口約3千人の新郷村でも演説をした。だが、こうした手法は「風」頼みの性格が強いうえ、県議の一人は受け入れの準備などに時間を取られ、地道に選挙区を回る時間がさらに削られる「悪循環になった」と吐露する。


 ■離れる無党派層


 一方で、与党効果があったのも確かだ。自民支持だった団体が波多野氏の推薦に回ったほか、自民の木村太郎衆院議員のおひざ元、藤崎町の小田桐智高町長は、当選した自民の山崎力氏だけでなく、波多野氏の演説でもマイクを握った。「政権与党を意識しないわけにはいかない」


 だが、与党は攻撃の的にもなりやすい。選挙戦では、消費税増税を巡る菅首相の発言のぶれなどを他陣営から集中的に批判された。県連の横山北斗代表は、菅首相の対応を「大きなマイナス」と指摘。県連の田名部定男幹事長も、集中攻撃は「与党の宿命」と振り返った。


 強固な組織を自民ほど持たない民主は野党時代、無党派層の支持が頼みの綱だった。


 だが、参院選の朝日新聞社の出口調査では、波多野氏に投票した無党派層は山崎氏に入れた無党派層をわずかに上回る程度。横山代表は「今の民主に安定多数を与えて好きなようにやらしていいのかとの思いが、有権者にあったのではないか」と総括した。


 来年は県議選に加え、知事選もある。田名部幹事長は巻き返しに向け、「地方議員を増やし、全40市町村で基盤造りを進める」と話す。県議選は全区に候補者を出し、知事選は三村知事への対立候補を擁立する方針で、対決姿勢を強める。(大西史晃)

7708チバQ:2010/07/16(金) 22:31:23
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2010/20100712105455.asp
2010年7月12日(月)

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自民、県政界の求心力維持

 民主党と自民党が県内全域を舞台に直接対決した参院選本県選挙区は、政権交代後の両党の選挙力を見比べる試金石だった。自民党公認・山崎力氏の勝利は、国政野党でありながら県政界では求心力を堅持している同党の存在感の強さをあらためて示した。今回の結果は来年の統一地方選、知事選に大きくかかわる。大島理森党県連会長は「統一地方選、知事選にも(今回の)結集の力を生かしたい」と、参院選で勝ちきった意義を語った。

 逆に民主党は、参院選勝利で弾みをつけ来年の県議選で自民党議員の議席を奪取し、知事選につなげる戦略の立て直しを迫られる。

 政権交代が起きた昨年の衆院選で自民党は全国的にかつてない逆風を受けたが、県内では厚い支持基盤を背景に底力を見せた。衆院本県1区を除き、2〜4区で3議席を死守、県内での民主党躍進を最小限に食い止めた。

 ただ、それでも民主党が政権与党になった影響は県内にも及び、今のところ一部ではあるが業界団体などが従来の自民支持から民主支持へ転換するなど変化が起きている。

 党員数も自民党県連の党員が昨年末に1万人を割り込んだのに対し、昨年の総選挙時に3700人だった民主党県連の党員・サポーターは今年5月時点で5千人に増えた。自民党の組織がしぼむ一方、民主党の支持層は広がりを見せている。

 今回の参院選で自民党が敗れれば、県政界での求心力が低下し、国政与党・民主、県政与党・自民の間で「様子見」をしていた業界団体や事業所などが民主寄りに強く振れる可能性が高かったが、自民側が一定の歯止めをかけた。さらに同党は、県庁所在地・青森市で国会議員が空白になっている状況の解消にも成功した。

 民主党県連にとっては、代表が田名部匡省参院議員から横山北斗衆院議員に交代後、初の全県選挙であり、新体制の実力が問われた。党本部を巻き込んだ総力戦で自民党に敗北したことは、田名部氏の現有議席を失った以上の痛手となった。

7709チバQ:2010/07/16(金) 22:32:43
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2010/20100712143356.asp
2010年7月12日(月)

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本県選挙区担当記者の目

 参院選本県選挙区で激しい戦いを繰り広げた共産党新人の吉俣洋氏(36)、たちあがれ日本新人の升田世喜男氏(53)、自民党元職の山崎力氏(63)、社民党新人の山田清彦氏(53)、民主党新人の波多野里奈氏(37)。選挙期間中ににじみ出た人柄、勝利への強い思い、垣間見えた課題…。候補者たちを間近で見てきた各陣営の担当記者が、今回の戦いを振り返った。

きまじめ一転、熱っぽく/自民・山崎氏

 良くも悪くもきまじめ−。今年4月、初めて対面したときの印象は、周囲が語る「山崎力」そのものだった。 地味な印象を心配する陣営関係者も多かったが、公示後は、自らのカラを破るように日焼けした顔に汗を光らせ、雇用対策への思いを熱っぽく訴えた。ミニ集会では人柄と、2期12年務めた実績を前面に押し出した。「山崎さんの話を聞けば、誰よりも誠実な人だと分かる」との陣営幹部の言葉にもうなずけた。

 一方で、全国的な争点となった消費税などについて、街頭で語る場面はなかった。本県の雇用確保のために何をするのか、具体策は見えず、理想論に終始した感は否めない。

 支援した市町村議員からは「現職のとき、地元に一度も戻らなかった」といった不満も数多く聞かれた。3期目を迎えるにあたり、メガネなど外見の変化だけではなく、内面がどう変わったのかを有権者はしっかりと見ていることを肝に銘じてもらいたい。

政策も聞きたかった/民主・波多野氏

 もっと政策を聞きたい。3月末に初めて波多野里奈氏の演説を聞いて以来、そんな思いを抱いていた。「皆さんの声を国政に届けたい」「子育てしやすい環境をつくります」。政治未経験の新人で、さらに限られた活動時間の中で知名度アップのために自己紹介を優先する−という事情を差し引いたとしても、演説は抽象的内容が多かったように思う。

 アナウンサーらしい淡々とした口調も、時には無機質に感じられた。東京から転居してまで選挙戦に挑んだ自らの熱意が伝わり切らなかった部分もあったのではないだろうか。

 また、波多野氏を支えた民主党県連。選挙態勢構築の遅れに加え、公開討論会出席をめぐるドタバタ劇と、組織的だった動きは相変わらず苦手に見えた。

 それでも選挙戦に入ると、党本部と一体となった空中戦を展開。結果的に大差がついたものの、田名部匡省参院議員の号令がなければ結束できなかった県連の体質が、政権与党という求心力を得て変わりつつあると感じた。自民党の組織戦を知る議員が数人入党した影響もあるのだろう。

7710チバQ:2010/07/16(金) 22:33:21
国政に執念見せる/たちあがれ日本・升田氏

 「みんながびっくりすることをやる」。升田世喜男氏の仕掛けは、選挙カーに電気自動車を使うことだった。走行距離はフル充電で約120キロ。電池切れで下北からレッカー車で戻ったことも。それでも民主・自民と異なる存在感を示すため使い続けた。環境産業の振興で雇用創出を訴える升田氏の精いっぱいのアイデアだった。

 3度目の国政挑戦。演説で「正念場」と表現した意味を問うと、「県議に戻ってほしいと言う支持者に、理解してもらわなければ」。6月下旬、たちあがれ日本の平沼赳夫党代表を地元・中泊町に案内したのも「今後も国政を目指す」との決意の固さを支持者に示すためと受け取れた。

 次期国政へのステップと位置付けた今選挙。「前回の衆院選1区での得票(約3万5千)を上回るのは厳しい」と弱音もこぼした。だが翌日、「てこ入れする」と地盤の北五地区に向かったあたりに政治家・升田氏の執念を感じた。

「増税反対」浸透せず/共産・吉俣氏

 街頭で県民の質問に答える「街頭対話集会」を活動の軸としてきた吉俣洋氏。県民に笑顔で話しかける姿は「近寄りがたい」という、記者が共産党に勝手に抱いていたイメージを覆してくれた。

 有権者におもねっているわけではない。党の政策について、街頭で有権者と話した際に「その考えは違いますよ」とピシャリと言い切る場面もあった。

 「この10年間で最も戦いやすい選挙」−。陣営が口をそろえるように、消費税増税が争点として浮上した今回の参院選は、増税反対を主張することで比例票を上積みする大きなチャンスだった。しかし、増税反対の主張は「極端すぎる」と映り、「嫌だけど、増税は仕方ない」と考える有権者の心をとらえることはできなかった。

 共産党は次期県議選・青森市選挙区で12年ぶりの2議席獲得を目指す。参院選では、県議選に出馬する市議が街頭演説を行うなど勢いづくりを狙ったが、出はなをくじかれた。

過去最低の得票 県連に重い課題/社民・山田氏

 組織の弱体化から、候補を出すべきでない−との声が多かった。それでも、社民党県連は当時連立を組む民主党と相反する「反核燃」「反基地」を訴えるため、反核運動歴が長く、米軍基地がある三沢市在住の山田清彦氏を担いだ。あくまで党の存在を示すための候補擁立のように思えた。

 山田氏の知名度はほぼゼロ。県連が今回ほど反核、反基地をセットで前面に出した国政選挙は過去に例がない。ある県連幹部は「(核燃が争点の)六ケ所型選挙になってしまい、津軽では反核を訴えるほどしらじらしかった」と漏らした。さらに消費税論議が日増しにふくらみ、この二つの訴えは有権者に届きにくくなった。

 選挙戦終盤の街頭演説では、まず消費税論議を取り上げるなど、戦術を変えた。だが、逆に党員からは「これでは何のために反核候補を担ぎ出したか分からない」と不満も出た。

 反核と反基地を訴えることで、これまで存在意義を示してきた党県連。社民候補で過去最低という選挙区の得票数が、県連に重い課題を突き付けた。

7711チバQ:2010/07/16(金) 22:34:23
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/kikaku2010/minni/minni_01.htm
政党難民はいま

(上)勝因・敗因
(2010/07/13)
 「青森のためにと訴え、雇用に向けた政策をと主張してきたのは間違いではなかった」
 11日午後10時、青森市の選挙事務所。3年ぶりに国政への返り咲きを決めた山崎力は、力強く勝利宣言。選挙戦をこう総括した。
 今回、山崎は戦術を一変させた。大規模集会を減らし、人が集まる場所に自ら飛び込んだ。細かな街頭演説と支持者回りという「地上戦」を徹底させた。
 政権交代で野党転落後、初の国政選挙。自民も今までになく団結した。「かつての国政与党という甘えを捨て一丸となった」と県連幹事長の山内和夫。最終盤は党本部幹事長の大島理森も県内に張り付いた。2度の首相来県は「逆バネになった」(県議・滝沢求)。
 この結果、本来の組織力が機能した自民陣営は、全市町村で民主の得票を上回る予想以上の圧勝を果たした。多くの県連幹部は選挙区での勝因を、団結力に加え「自民再生に対する国民の期待」と口をそろえる。党県連第一区支部長・津島淳は「今回が政権奪還への始まりだ」と叫んだ。
 だが、比例の得票数は3年前の前回から4千票余り減らし、20万票を割り込んだ。ある陣営関係者は、自民がいったん失った民意の行方に関する幹部の見方に疑問を投げ掛け、こうつぶやいた。
 「勝ったのは民主の敵失のせい。そんな甘いもんじゃない」

 「すべては候補者選びから始まったんだ」
 11日夜、山崎に大敗を喫した波多野里奈の陣営関係者は厳しい口調で敗因を指摘した。
 名乗りを上げた複数の県議から選び切れず党本部主導となった選考過程。「なぜ県外出身の『落下傘』なのか」。民主支持者はわだかまりを抱えたままでの戦いを強いられた。
 もともと組織力では自民に及ばない。昨年の総選挙で県内4小選挙区すべてに衆院議員が誕生したのを受け、今回、初めて小選挙区ごとに組織だった選挙対応を試みた。だが、「うまく機能しなかった」と県連幹事長の田名部定男。
 政権与党をアピールするため、菅直人首相ら大物弁士を相次いで投入した「空中戦」は、裏を返せば「風頼みから抜け切れていない」(県議・今博)民主県連の事情を反映した結果とも言える。
 結局、陣営は一枚岩になり切れなかった。「足を使った基本の『地上戦』がうまくいかなかった」と田名部。
 公示直前、菅首相の発言から争点に急浮上した消費税引き上げ問題で逆風が吹いたのも大きく影響した。
 引退する参院議員田名部匡省の議席とともに、比例代表の下田敦子の落選で一気に2議席を失った民主。ある県議がため息交じりに語った。「自民は勝っていない。国政でも県内でも墓穴を掘った民主が負けただけだ」。(文中敬称略)

7712チバQ:2010/07/16(金) 22:35:11
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/kikaku2010/minni/minni_02.htm
政党難民はいま

(下)攻防の行方
(2010/07/14)
 「統一地方選、県知事選には連動しない」
 11日夜、波多野里奈が敗戦の弁を語った直後。民主党青森県連幹事長の田名部定男は、来年に控える政治決戦への影響を即座に否定。県議の渋谷哲一も「参院選は政党選択、県議選、知事選は人だ」と強調した。
 しかし、政権交代後、県政界で着実に勢いを増してきた民主の動きにブレーキがかかったのは間違いない。今回の敗戦で県連最大の課題とされる「選挙対策」の弱さがあらためて浮き彫りになった。
 強い指導力で県連を率いた参院議員・田名部匡省は引退する。組織も依然、風頼み。今後の県連の力強い姿を描き切れずにいる民主。匡省の次女で衆院議員の匡代は組織の現状を認め、「早く自分たちの力で支持基盤、選挙対応を一からつくり上げなければ…」と焦りすらにじませる。
 懸念材料を抱えながらも、民主は来年の政治決戦を見据え、再びアクセルを踏み出そうとしている。定男は「県議選の一次公認を急ぎ、(組織を)盛り上げていく」。県連代表の横山北斗も、知事選での現職との対決姿勢を鮮明にし、「できるだけ早く候補者を擁立したい」と選考を急ぐ考えだ。
 だが、ある県議は強い危機感を募らせる。「まずはしっかりとした参院選の総括が必要だ。そうでなければ今回の結果がわれわれの選挙にも影響する」

 国政野党として参院選に臨み、1議席奪還を果たした自民党は、来年の統一地方選、知事選と続く政治決戦に大きな手応えを得た。
 不安を抱えた戦いだった。街頭演説では業界団体トップの姿も少なく、集まる人数も減少。公明との選挙協力も従来通りとはいかず、「手探りの選挙」(第一区支部長・津島淳)を強いられた。
 それでも大勝した。しかも全市町村で民主票を上回り、県政界で依然として圧倒的な存在感を保っていることを証明した。
 来年の知事選について、知事・三村申吾自身は言及を控えているが、参院選期間中には自民が公認した山崎力のために、街頭でマイクを握っている。
 党県連幹事長の山内和夫は「国政では健全野党、県政では知事を支える責任ある立場。県民の理解と協力を得られるよう努力する」と、知事選を見据えてか、「三村県政与党」を強調した。
 一方、公明県本部代表の伊吹信一は、今回、公明票が自民に流れた結果を「自民が信頼を得たのではなく、消極的な判断の結果」と冷ややかに総括する。自民陣営内にも「口で自民がどれだけ変わったと言っても、有権者が実感できなければうそになる。これからだ」と、自戒する声が。
 「勝利におごらず、努力を続けることが重要だ」と県連会長・大島理森。自民の再生に向けた模索は、これからも続く。
(文中敬称略、参院選取材班)

7713チバQ:2010/07/16(金) 22:38:49
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20100713-OYT8T00065.htm
検証参院選2010<上> 消費税の問題「嫌な予感」
 「もう難しい」

 夜も白んだ12日午前3時55分、盛岡市菜園の工藤堅太郎事務所で、県連幹事長の佐々木順一は、比例選で工藤の当選が難しいことを悟った。

 佐々木は、集まっていた階猛、畑浩治、菊池長右ェ門、平野達男、藤原良信の各国会議員を奥の会議室に招き入れ、比例選の開票終了を待たずに、工藤に敗戦の弁を述べてもらうよう提案した。異論は出なかった。

 沈痛な表情で、県連代表辞任の意向を示すとともに、敗因について「敗軍の将だから多くを語りません」と、言葉をつなぐ工藤に対し、8時間近く前に岩手選挙区で再選の喜びに浸ったばかりの主浜了や県議団は放心状態の様子で、拍手すら起きない。場の空気は一変し、すっかり重くなっていた。

 落選について関係者は、党名でも個人名でも投票できる非拘束名簿式の比例選の仕組みの難解さを原因に挙げた。達増知事は12日の記者会見で、非拘束名簿式での浸透の難しさを指摘。選挙制度を所管する総務省の政務官・階猛も「難しい制度だ。有権者にとって分かりにくい」とこぼした。

 内閣支持率低下が追い打ちをかけたとの見方もある。工藤自身も「嫌な予感はあった。消費税の問題をしょっちゅう言われた」と振り返った。達増知事も、全国的な比例票の伸び悩みを挙げた。

 ただ、工藤が前回当選した04年選挙当時も、選挙制度は今と同じ。04年当時は、年金未納問題が政局に発展しており、民主党は躍進したが、菅代表が選挙前に辞任するなど、情勢は必ずしも盤石ではなかった。

 「緩んでいる」。県議の1人は投票日直前、県連に「主浜楽勝ムード」が広がっていると、不安を感じていた。選挙戦さなか、「緩んでいては勝てないぞ」と、スタッフをしかったこともあったという。選挙区選の主浜の強さが、比例選との連動を鈍らせたとの見方も出ている。

 昨年8月の衆院選は、「政権交代」を旗印に、県関係の国会議員が、県内での担当地区を地域割りし、分担してフル回転、4小選挙区独占と、比例選での菊池の当選につなげた。一方、今回は県議会盛岡選挙区補選が激戦だったこともあり、補選に注力した国会議員も少なくなかった。

 工藤は12日午前、仕え続けた前幹事長の小沢一郎に「目標達成できず申し訳ありません」と、電話で報告した。小沢は「本当に残念だった」と労をねぎらった。

 県連は近く、次期県連代表の選出の協議を始める。当選回数から黄川田徹や主浜了、県会議長経験者である藤原良信、若い階猛を挙げる声が出ているが、集約には時間がかかりそうだ。

(敬称略)

      ◇

 参院選は、県内では民主、自民など主要政党それぞれに悩みを抱える結果となった。選挙を総括し、今後を展望する。

(2010年7月13日 読売新聞)

7714チバQ:2010/07/16(金) 22:39:36
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20100713-OYT8T01056.htm
検証 参院選2010
見えなかった自民の戦略
 自民党は、参院選岩手選挙区で高橋雪文、比例選の小野寺有一の両前県議が落選。県議補選でも村里洋子が次点に沈み、両県議の穴を埋められなかった。

 党県連会長の鈴木俊一は11日夜、記者団に対し「じっくり話を聞いてもらう時間が足りなかった」と、高橋の擁立が4月にずれ込んだことを敗因に挙げた。

 ただ、県連の1人は、指摘する。「擁立がずれ込んだのも、県連がバラバラで戦略がなかったからだ」

 高橋雪文に白羽の矢が立つ前の3月、公募に失敗した県連は、前県議の高橋比奈子擁立で調整していた。比奈子が県連幹部に出馬を受諾した数日後、擁立は白紙に戻った。複数の県連幹部が、事前に情報が漏れたことに不満を示したためだった。民主党関係者は「うちならあり得ない」と、皮肉交じりに哀れんだ。

 県議補選でも、雪文後援会長だった福井誠司との連携に失敗し、福井は無所属で出馬。村里擁立に切り替えざるを得なくなり、自民票は割れた。「福井さんのおかげだ」。吉田敬子を初当選させた地域政党いわて幹部は、笑顔で振り返った。

 公明党との関係も疎遠になった。

 党支持母体の創価学会幹部が公示前のある日、鈴木に面会、選挙協力の意向をひそかに打診した。鈴木はうなった後、打診を断った。「今回は小野寺有一を出しているから、難しい」

 公明票は、読売新聞の出口調査では3割が民主党の主浜了に流れた。公明党も比例選で目標票数に届かず、県議補選でも、公明票の多くは村里以外に流れた。

 「俊一先生はきょう、浜を回っているのか」

 自民党幹事長の大島理森は6月26日、八幡平市など県内6か所で高橋雪文と遊説を終え、JRいわて沼宮内駅の一室で、県連幹事長の千葉伝に尋ねた。大島は、遊説に鈴木が同行しないことをいぶかしんでいた。千葉は言いよどんで「あ、ええ。そうだと思います」と答えるのが精いっぱいだった。

 党県連は参院選で、3台の選挙カーを使った。高橋、小野寺が1台ずつ、もう1台は鈴木が主に乗った。関係者によると、鈴木はこの日、大槌町などを回っていた。「戦略がない。幹事長と一緒に回れば効果的なのに」。関係者は首をかしげた。

 7月6日、大島は盛岡市内で急きょ開かれた県連の会議に出席した。大島は「真摯(しんし)な姿勢が失われる」と、クールビズを嫌う。ネクタイを締めて汗だくの大島の横で、列席した8人の県連幹部のうち4人がクールビズだった。「『親の心子知らず』だ。負けるべくして負けた」。関係者はこぼした。

 共産、社民の両党も、消費税を巡る議論や米軍普天間飛行場移設問題などで独自色を出せず、岩手選挙区で大敗。各党は痛手を負う結果になった。次の統一地方選までに対策を打ち出せるかどうかが試金石となる。

 (敬称略。この連載は大田健吾、工藤武人、西孝高、前田毅郎が担当しました)

(2010年7月14日 読売新聞)

7715チバQ:2010/07/16(金) 22:40:31
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1052/20100713_13.htm
混戦明暗 参院選・宮城(上)分裂/「公募」の威光、現職孤立

支持者に頭を下げる市川氏。自民党を支えてきたベテランが組織のない選挙戦を強いられた=11日午後8時15分ごろ、仙台市青葉区一番町


 参院選の宮城選挙区(改選数2)は自民党の新人がトップで初当選し、民主党は現職が議席を守った。二大政党が議席を分け合う結果となったが、8人による混戦は多くのドラマを残した。明暗が分かれた戦いの軌跡をたどる。
(敬称略)

<正当性強調>
 激戦をトップで勝ち抜いた新人が、政治家の一歩を踏み出した。
 「宮城、日本の発展のため、全身全霊を尽くして頑張っていく」
 歓喜の初当選から一夜明けた12日昼。仙台市内で開かれた自民党県連の三役会議。自民党新人の熊谷大(35)は、日焼けした黒い顔に緊張感をみなぎらせた。
 得票は26万5343票。2004年の参院選で37万票を獲得した2位の民主党現職に、2万3883票の差をつけた。
 「県連が行った公募のやり方が追い風になり、これだけ票を伸ばした」。党県連会長の小野寺五典(衆院議員)は満足げに振り返った。
 党推薦で無所属現職の市川一朗(73)との分裂選挙。小野寺は演説で「公募で熊谷さんを公認候補に選んだ」というフレーズを欠かさず、熊谷の正当性を強調した。
 県連は前哨戦から共倒れの危機感をあおった。建設業界には党本部のハッパが掛かり、公示前に熊谷のポスターを張り出す会社が急激に増えた。総裁の谷垣禎一も応援に入り組織戦が加速した。
 9日夜、仙台市若林区であった個人演説会。ベテランの党仙台市議が熊谷を指さして断言した。
 「公募で選ばれた熊谷君、もう一人はその公募で彼より成績が下だった人だ。どちらを選ぶかは歴然としている」

<しこり残る>
 11日夜、仙台市青葉区の市川陣営事務所。落選の報を受けた市川は「組織がない手作り選挙だった。当選してみなさんのご恩に報いたかった」と目に涙を浮かべ、頭を下げた。
 徒手空拳の戦いだった。得票はトップ当選した04年の3分の1以下の10万9137票にとどまった。公示直前、県議有志が市川を支援する県議の会を結成したが、推進力にはならなかった。
 選挙戦にはいると、市町村議に企業への案内や選挙カーの先導を頼んでも、「県連の締め付けを受けている」と次々と断られた。「県連はここまでやるか」。陣営幹部はいら立った。
 党推薦を得たが、応援に入ったのは参院自民党幹部3人だけ。物心両面でサポートはなかった。後援会幹部は「空中戦を仕掛けることもできない。自民党推薦の意味がない」と天を仰いだ。
 選挙戦最終日の10日、最後の街頭演説には出身地・栗原から市長の佐藤勇、市議らが応援に駆け付けた。市川は「最後まで戦い勝ち上がる」と拳を突き上げた。
 同じ日、県連会長の小野寺は市川を支援した県議を含む党所属県議38人に電話をかけ、「お互い事情はあったが、もうノーサイドだ。力を合わせよう」と選挙後の結束を呼び掛けた。
 「しばらく、しこりは残るだろう」。市川を支援した県議の一人はつぶやいた。


2010年07月13日火曜日

7716チバQ:2010/07/16(金) 22:41:10
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1052/20100714_01.htm
混戦明暗 参院選・宮城(中)反目/調整できず身内で争い

国民新党の演説会で顔をそろえた桜井と伊藤。2人が並んだのはこの一度きりだった=5日、仙台市青葉区の仙台国際センター


<「2人無理」>
 民主党が参院選宮城選挙区(改選数2)で議席独占を狙った作戦は失敗に終わった。現職の桜井充(54)が当選したが、自民党に競り負けて2番手。新人の伊藤弘実(36)は届かなかった。
 桜井が3選を決めた11日夜。仙台市青葉区の事務所は歓声に包まれたが、選対幹事長で衆院議員の石山敬貴は浮かない表情で言い放った。「公認候補を2人立てたのは間違い。支持者が迷って動けなくなった」
 当選の万歳では笑顔を見せた桜井。しばらくすると「数字を見れば、2議席なんて最初から無理だったんだよ」と本音を爆発させた。
 党県連が伊藤の擁立を決めたのは2月。当時の党幹事長小沢一郎の方針に従った。選挙区候補が競り合って支持を拡大し比例代表票の掘り起こしも図るという戦略だ。
 桜井は推薦を受けた連合宮城や県医師会、2期12年で築いた後援会を軸にした組織戦を展開。伊藤は仙台圏を主戦場に街頭活動中心の空中戦で挑んだ。
 議席独占を狙う切磋琢磨(せっさたくま)作戦は、首相菅直人の唐突な消費税発言が招いた逆風にさらされ狂いだす。
 終盤情勢は桜井と自民党新人の熊谷大(35)がトップ争いを演じていた。伊藤陣営は猛烈な追い上げに入り、桜井は熊谷、伊藤に追い上げられ、防戦一方となった。
 参院議員の岡崎トミ子、衆院議員の橋本清仁がタッグを組んだ伊藤陣営。独自ルートで応援を要請するなどして前首相鳩山由紀夫や小沢らが入った。
 国会議員らが企業や業界団体を回り、桜井が頼みとする支持基盤の切り崩しにもかかった。陣営には「桜井から議席を奪う意気込みで必死にやれ」とげきが飛んだ。
 「政権与党の現職が2番手という結果ではあまりにひどい。これ以上、票をはぎ取るのはやめてほしい」。終盤の6日、桜井陣営は県連に対し、緊急の選対会議を開くよう求めたが、受け入れられなかった。

<10万票の減>
 選挙対策は、二つの陣営がそれぞれの思惑で進める双頭態勢。驚くことに県連執行部の調整機能はゼロだったばかりか、戦略シナリオを書ける人材もいなかった。
 8日夜。桜井が仙台市中心部の公園で開いた総決起集会には、連合宮城が動員をかけて約400人が集まった。「他の候補者でなく『桜井は大丈夫』という風評被害と戦っている」と声を詰まらせて呼び掛けた。
 桜井は自民党に追い抜かれ、伊藤は失速した。
 「わたし自身の力不足。風向きを感じる余裕はなかった」。太白区の事務所で11日夜、伊藤は涙をこらえて語った。県連幹事長で衆院議員の郡和子は「党勢拡大するため2人立てたのは間違いではない」と言うのが精いっぱいだった。
 選挙区で桜井と伊藤が獲得したのは計40万票。自民党系2人の37万票を上回ったが、比例代表は2007年参院選と比べ10万票以上も減らした。
 「2人合わせてもあの程度。相手の票まで奪い合うことではなかったはずだが…」。12日、桜井は冷静な表情であいさつ回りに向かった。
 それでも周囲にはこう漏らしていたという。「(県連執行部を)許すことはできない」(敬称略)


2010年07月14日水曜日

7717チバQ:2010/07/16(金) 22:41:47
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1052/20100715_02.htm
混戦明暗 参院選・宮城(下)誤算/無党派層食い合い埋没

落選が決まり支持者に頭を下げる社民党の菅野氏=11日、仙台市青葉区の事務所


<「宮城は別」>
 「台風の目」にはなれなかった。
 「みんなの党が勢いを伸ばしても宮城では別だった。二大政党の大きな流れを変えることはできなかった」
 みんなの党新人の菊地文博(50)は敗戦が決まった11日夜、仙台市宮城野区の事務所で悔しそうに語った。
 立候補表明からわずか2カ月。この間、鳩山由紀夫首相の退陣、菅直人政権の発足と政治状況は激変した。みんなの党の人気も気まぐれに上下を繰り返し、菊地は翻弄(ほんろう)された。
 5月までは民主党県連の選対委員長。代表の渡辺喜美が勉強熱心でフットワークの良さを見込み、引き抜いた。
 地盤は県議時代の仙台市宮城野区。全県浸透の壁にすぐぶつかった。
 「郡部で集会を開こうとしても足場がほとんどない。動かす組織がなければ知名度の浸透は図れない」と陣営幹部。マイクを持って仙台市の街頭に飛び出す戦いを中心にせざるを得なかった。
 菊地は自民党参院議員の秘書を経て県議になった。組織戦の重要性は体が覚えている。最終盤は人脈を総動員して追い上げを図ったが、短期決戦の武器は党と渡辺の知名度だけだった。
 獲得したのは10万6000票。「党とわたしの名前がなかなか一致しなかった」。菊地は先行する党人気を必死に追ったが、周回遅れで時間切れとなった。
 
<厳しい数字>
 社民、共産の両党は8人の乱戦に埋没してしまった。
 社民党は擁立した新人の菅野哲雄(61)の獲得票が約5万1000票にとどまり、前回(2007年)の党公認候補の票を16%減らした。
 両陣営は、みんなの党の存在を苦戦の原因に挙げる。社民党県連幹事長の岸田清実は「二大政党への批判票の大半がみんなの党に流れてしまった」と分析する。
 街頭活動などでは、米軍普天間飛行場問題で連立政権を離脱したことへの評価が高いことを実感したというが、大きなうねりにはならなかった。
 争点化を目指した消費税論議も、民主、自民の候補が積極的に語らなかったため盛り上がりを欠いた。
 10日夜、菅野は仙台市中心部で演説中に民主党現職の桜井充(54)を名指しし「消費税論議を隠ぺいしているではないか」と不満をぶつける一幕もあった。
 共産党新人の加藤幹夫(46)も4万4000票で、自身が獲得した前回票を37%も減らした。
 13日午前、仙台市青葉区の共産党県委員会の事務所で開かれた常任委員会。「街頭での主張をもっと分かりやすくすべきだった」「若年層への浸透を急がなくては」。12人の幹部は危機感をあらわにした。
 共産党県委員会書記長の五島平は厳しい表情で打ち明ける。「これ以上ない厳しい数字を突き付けられた。無党派層の心に響くような戦略を早急に探らなければならない」(敬称略)


2010年07月15日木曜日

7718チバQ:2010/07/16(金) 22:42:58
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/07/20100712t11031.htm
「新生」自民、1議席死守 戦略性欠いた民主 宮城選挙区

いち早く当選確実の知らせが入り、喜びに沸く熊谷さんの支持者=11日午後8時ごろ、仙台市宮城野区宮城野の事務所


 8氏が争った宮城選挙区(改選数2)は、自民党新人の熊谷大氏(35)がトップで初当選。民主党現職の桜井充氏(54)は3選を果たし、民主、自民両党が議席を分け合った。民主党は2議席独占に失敗したばかりか、桜井氏も2番手に終わり、戦略のまずさが際立った。自民党は公認候補を1人に絞った戦略が奏功し、保守層をつなぎ留めた。
 自民党は、候補者公募で選んだ熊谷氏に支援を絞ったが、無所属現職で党が推薦した市川一朗氏(73)を党県議の一部が支援する「分裂選挙」となった。
 選挙戦中盤、応援に入った谷垣禎一総裁が「公認候補は落とせない」と熊谷氏優先の姿勢を表明。党本部が各業界に精通した実力者や職員を続々と投入し、組織戦を展開した。終盤は「民主党の2議席独占を許すな」という引き締めが効き、逆に結束が強まった。
 対照的に民主党には戦略性がなかった。
 桜井氏は2期12年の実績を掲げ、医療や中小企業の人脈と推薦を受けた連合宮城の支援で浸透を図った。新人の伊藤弘実氏(36)は無党派層に食い込もうと、街頭活動中心の空中戦を仕掛けた。
 終盤は党支持層の奪い合いになり、自民党よりも激烈な「分裂選挙」となる皮肉な結果となった。司令塔の不在はお粗末で、「戦後処理」も曲折が予想される。
 候補者の主張も聞こえのいい言葉ばかりが並んだ。得意分野の政策だけを並べ、米軍普天間飛行場の移設問題や政治とカネの問題に触れることはほとんどなかった。消費税隠しにも躍起だった。
 苦戦は、そうした慢心が有権者に見抜かれた表れではないか。
 ただ今回の結果が直ちに、自民党の党勢回復につながるとは考えにくい。民主党を慌てさせるようなビジョンを地方からどう発信していくのか、「新生自民」の力量が問われる。
 みんなの党新人の菊地文博氏(50)は党人気の風に乗るかに見えたが失速し、地方での第三極の浸透に課題を残した。
 県政界は来春の統一地方選に向けて動きだす。次期衆院選を見据え、各党間の駆け引きが激化するとみられる。(解説=報道部・田柳暁)

7719チバQ:2010/07/16(金) 22:43:51
http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001007120009
無党派4氏に分散/参院選 出口調査
2010年07月13日

 朝日新聞社は11日、参院選宮城選挙区(改選数2)の出口調査を実施した。有権者の2割弱を占める無党派層は、昨夏の総選挙(比例区)で6割弱が民主党に投票していたが、今回は散らばった。当選した熊谷大氏、桜井充氏を含め票は大きく4分。まんべんなく吹いた無党派層の風が、従来通りの与野党第1党による議席の分け合いにつながったようだ。


 調査は、県内90カ所の投票所で、投票を終えた直後の有権者を対象に実施した。その結果、4830人から有効回答を得た。


 回答者の主な政党支持率は民主党34%、自民党27%で、「支持政党なし」「わからない」を足した無党派層は18%だった。


 支持政党別にどの候補者に投票したのか聞いたところ、民主支持層のうち50%が桜井氏に投票し、伊藤弘実氏は28%にとどまった。公明支持層の9%も桜井氏に投票した。自民支持層では、64%が熊谷氏に投票し、16%の市川一朗氏を圧倒した。公明支持層の36%も熊谷氏に入れた。


 無党派層のうち、民主党候補に投票したのは、桜井氏への24%、伊藤氏への17%で、計41%。一方、自民党候補では熊谷氏が19%で、同党推薦の市川氏と合わせても27%にとどまった。


 そんな中、みんなの党の菊地文博氏は無党派層の票の18%を集め、選挙区トップ当選の熊谷氏に迫った。ただ、桜井、熊谷、菊地、伊藤の4氏とも無党派層の獲得度合いは横並びで、どの候補も大きく味方に付けるまでには至らなかったようだ。


 当落のカギを握る無党派層の投票行動は、この6年間でどう変化してきたのか=同中。民主党を軸に見てみると、2004年の参院選で51%(推薦候補を含めると64%)を占めた票は、07年に66%まで上がったが、2人を公認した今回は41%にまで下がっている。


 一方、今回は改選第1党となった自民党は、公認候補だけを見ると04、07年、10年ともに2割弱で大きな変化はない。だが、もともと自民現職で今回は推薦となった市川氏を含めると3割近くに達し、一定の受け皿になったものとも考えられる。


 投票先とは別に、菅直人首相の「消費税10%」発言を受けて今回の参院選で最大の争点となった消費税率引き上げの是非についても聞いた。税率引き上げは「必要だと思う」が45%、「そうは思わない」が46%と意見は真っ二つに割れた。


 「必要」と答えた人のうち51%は、民主党の桜井氏と伊藤氏のどちらかに投票した。逆に「そうは思わない」と答えた人のうち、民主の2氏に投票したのは3割程度にとどまり、逆に「それより前にやることがある」などと増税批判を展開した菊地氏などに流れている。

7720チバQ:2010/07/16(金) 22:45:43
http://mainichi.jp/area/akita/news/20100713ddlk05010002000c.html
政権交代、そして…:’10参院選・戦い終えて/上 /秋田
 ◇県議団、石井氏支持訴え奔走 統一選へ自民に危機感
 11日投開票があった参院選で、秋田選挙区(改選数1)は自民新人の石井浩郎氏(46)が民主現職の鈴木陽悦氏(61)と共産新人の藤田和久氏(61)を圧倒した。これを機に野党第1党の自民党の復調はあるのか。民主党は今後いかに巻き返すのか。県議選、秋田市議選などがある来春の統一地方選や次の国政選に向け、準備や駆け引きがこれから本格化する。

 「石井氏が落ちて(みんなの党比例の)寺田典城氏が当選すれば、来春の県議選で民主党公認・みんなの党推薦の候補者が出てくるかもしれない」

 選挙戦中盤の1日午前、秋田市山王にある自民党県連事務所で開かれた会議。県議二十数人が顔をそろえる中、一人がこう発言した。

 ちょうど横一線の激戦という情勢が伝えられたころ。鈴木洋一・県連会長は「非常に厳しい戦いだが、もうひと頑張りすれば勝てる。自分の後援会に電話をかけ『石井を頼む』と言ってくれ」と呼びかけた。

   ◆   ◆

 過半数の27議席を擁し、県政界で圧倒的な存在感を示している同党県議団。その改選は9カ月後に迫っている。

 09年衆院選後に政権を失い、今回の参院選でも敗れれば県政の勢力図まで塗り替わる可能性があると同党県議は危機感を強めていた。

 県議の一人は「配布物も自分で配って歩いた。国政選で県議団がこれだけ必死で動いたことはないんじゃないか」と振り返る。

 各県議が公示前から石井氏を連れて自らの支持者や団体にあいさつ回り。公示まで街頭演説をほとんどする間もなく、スケジュールが埋まった。一方である県連関係者は「自分の県議選のため、みんなして石井氏を引っ張り回したからだ」と解説した。

   ◆   ◆

 これまで県内の自民党国会議員といえば、県議や中央官僚出身、議員2世が多い。だが今回、県連は「無党派対策になりうる候補」(鈴木会長)に重点を置いて石井氏擁立を決めた。

 知名度だけでなく、プロ野球選手としての実績に加え、「まじめ」「粘り強い」と評される石井氏。遊説に同行した複数の県連幹部は「子供が駆け寄ってくる。有権者の反応はこれまでにないほどいい」と手応えを語った。

 民主党が続々と閣僚や党幹部を送り込み都市部で街頭演説を繰り返すのに対しては、自民党は大島理森幹事長、石破茂政調会長が来県したものの一般有権者と接したのは農村部の集会や演説のみ。市街地の応援は遊説局長代理の小泉進次郎衆院議員や「美人すぎる市議」と話題になった藤川優里・青森県八戸市議らが担った。

7721チバQ:2010/07/16(金) 22:46:29
   ◆   ◆

 新しい流れを作ったように見える自民党県連。ただ執行部主導の選挙戦については「旧態依然」との批判もある。

 5月に小池百合子・元防衛相を招いた政治資金パーティーのチケットは、1枚2万円。ある県連関係者は「県議1人につき20枚の販売ノルマが課された。金額が高すぎる。単なる人集め、資金集めは時代に合わない」と漏らした。県議1人当たりの党のビラ配布も1万〜2万枚に達したという。

 別の県連関係者は「党本部も県連執行部も、配ったビラの多さが選挙への忠誠度だと思っている。少ない枚数でも、個別に訴えをしながら渡す方が効果的なのに」と指摘。「与党気分が抜けていない」とぼやく。

   ◆   ◆

 小坂町以外の全市町村で鈴木氏を上回り、全県で10万票以上の差をつけた石井氏。まったく違う分野から飛び込む政界だけに、政策や山積する地域の課題について学ぶのはこれからになる。

 秋田への思いやスポーツや産業振興を語る街頭演説について、陣営内部からも「話が代わり映えしない」との声が上がっていた。

 秋田市の選挙事務所で11日夜に当選確実の万歳三唱をした後、鈴木会長は集まった支持者へのあいさつでこう語った。「石井が『6年間何やってたんだ』と言われないよう、しっかりがんばってもらわないといけない」

   ◆   ◆

 初当選から一夜明けた12日朝、石井氏は事務所で報道各社の取材に応じ「遊説中に駆け寄ってくれたおじいさんやおばあさんのまなざしが忘れられない。私の(政治活動の)原点になる」と述べた。さらに「すでに“先生”と呼ぶ人もいるが、今まで通り名前で呼んでほしい」とも話し、身近さをアピールしていた。【岡田悟】

毎日新聞 2010年7月13日 地方版

7722チバQ:2010/07/16(金) 22:47:25
http://mainichi.jp/area/akita/news/20100714ddlk05010029000c.html
政権交代、そして…:’10参院選・戦い終えて/中 /秋田
 ◇鈴木氏、態勢づくり難航 民主、一枚岩になれず
 参院選公示日の6月24日に玄葉光一郎公務員制度改革担当相、30日に菅直人首相、7月5日には枝野幸男幹事長が来県。岡田克也外相と前原誠司国交相が2回、原口一博総務相、蓮舫行政刷新担当相、さらに鳩山由紀夫前首相や首相夫人の菅伸子さん−−。

 民主党は秋田選挙区(改選数1)の現職、鈴木陽悦氏(61)の議席死守のため、矢継ぎ早に応援を送り込んだ。閣僚や党幹部が、都市部だけでなく選挙カーに乗って農村部を回ることもあった。

 ただその訴えはみな党の政策と「改革の継続か、自民党の古い政治に戻すか」「時計の針を逆に戻してはいけない」という内容。一部の閣僚を除き、鈴木氏個人について触れる場面はほとんどなかった。枝野幹事長が「十数年後には40代で秋田初の首相に」とアピールに時間を割いたのは、首相補佐官を務める寺田学県連幹事長の方だった。

   ◆   ◆

 元アナウンサーの知名度を生かし、6年前に県内初の“タレント国会議員”となった鈴木氏。だが今回は、個人より党を前面に出しての選挙戦となった。

 ある県連幹部は鈴木氏支持を訴えて地域を回ると「6年で何をやったのか」という批判の声をよくぶつけられたという。

 「長く無所属の野党だったし、参院は全県1区で取り組みが県民に伝わりにくい。ただ説明と弁解をする時間の余裕はない」。鈴木氏の実績より、現政権の取り組みを語り党への支持を呼びかける作戦を選んだ。

 京野公子・県連政調会長も「利益誘導の時代ではない。1期目で実績がある方がおかしい」とかばう一方で「呼ばれた会合に顔を出すだけで、自ら集会を開くなど活動する姿が見えにくかった」と認める。

 変化への期待から6年前に“なじみの顔”に投票した人たちにとって、テレビから消えた鈴木氏の議員としての仕事は見えずじまいだった。

   ◆   ◆

 党の看板での選挙は、中央からの風に振り回されやすい。

 菅内閣発足に伴う民主党の支持率V字回復で一時は接戦模様と見られ、鈴木氏自身も「逆風はやんだのかなと感じる」と語った。しかし菅首相の消費税発言が引き金になり支持率が急低下すると、今度は複数の陣営関係者が「まるで選挙妨害だ」と漏らした。

 さらに逆風以前から、県連内部に鈴木氏擁立への強い反発があった。

 改選を約1年後に控えた昨夏、鈴木氏から入党の意向を伝えられたが「共に活動した実績が少ない」と否定的な意見が大勢を占めた。日ごろの地元活動が見えないうえ、支援を受けた社民党への配慮から両党が別々の候補を推した09年の知事選で動かなかったことへの不信感などもあった。

 同年10月、小沢一郎幹事長(当時)の要請を受けて県連の「頭越し」という形で入党。公認をめぐっても県連は公募を実施したが、党本部の強い意向で鈴木氏に決定。県連幹部から不満の声が漏れた。

 結局、事前の態勢づくりの面でも知名度でも現職の強みを生かすことができなかった。

   ◆   ◆

 6年前の鈴木氏の勝利は民主、社民、それに連合秋田という3者共闘の成果だった。だが今回、社民は自主投票となった。高松和夫・民主県連総務会長は「力がなかったから3者が集まったが、今の県連には国会議員も5人いる。与党となって、人も金もある」と説明した。

 その結果は、1町を除く全市町村で大差をつけられての敗北。社民県連幹部は「民主党はそれほど組織がなく、これまでうちが先頭に立って選挙をやってきた。逆風で組織もないとなると、次の国政選も厳しい」と指摘する。

 組織強化のため、来春の県議選で全選挙区への候補者擁立を目指す民主県連。参院選を通じて自民県議が固め直した地盤を崩すのは容易ではない。【野原寛史】

7723チバQ:2010/07/16(金) 22:48:29
http://mainichi.jp/area/akita/news/20100715ddlk05010002000c.html
政権交代、そして…:’10参院選・戦い終えて/下 /秋田
 ◇村岡氏“3度目”も実らず 寺田氏ブームに乗る
 「私の実力不足。ただ申し訳ないという一言に尽きる」。参院選の開票が進む12日午前3時半過ぎ、由利本荘市の事務所で敗戦の弁を語った比例たちあがれ日本新人、村岡敏英氏(49)は疲れ切った表情を見せた。

 09年の衆院選で平沼赳夫衆院議員が結成したグループに加わり、今回はその平沼氏が中心となって結成した同党の一員としての出馬。父兼造・元官房長官の後継としての国政挑戦は05年の衆院選以来3度目だが、ことごとくはね返された。

 関係者によると、自民県連(鈴木洋一会長)は昨秋ごろ、村岡氏側に党公認候補として秋田選挙区からの立候補を打診。だが兼造氏ら親族の反対で、応じなかったという。その選挙区は、自民新人の石井浩郎氏(46)が現職に圧勝する結果となった。

   ◆   ◆

 選挙が公示された6月24日、横手市で開かれた村岡氏の個人演説会に御法川信英・前衆院議員が出席。自身の後援会有志が村岡氏支援に動くと表明した。これに村岡氏も満面の笑みを浮かべて「次の衆院選では当然、御法川氏を応援する」と応え、「選挙区は石井、比例は村岡」と呼びかけた。

 県議や地域を巻き込んだ衆院秋田3区の自民系2人の対立が、ようやく解消したかに見えた。だが御法川氏は硬い表情で、報道陣に「村岡氏の応援というより、石井氏の当選が私の義務」と説明。村岡氏の支援表明にも「政治の世界で法的拘束力があるわけでもない」と懐疑的だった。

 村岡氏は落選が決まった後、今後について明言を避けた。ある自民県連幹部は「村岡氏本人にやる気がある限り国政に挑戦すればいい」と語ったうえで、こう付け加えた。「秋田3区からだけは出させない」

   ◆   ◆

 比例代表で議席を獲得したのは、県内最多得票で全国では6万9375票を集めた村岡氏ではなく、みんなの党新人で前知事の寺田典城氏(70)だった。

 出馬表明は公示の6日前。知事時代の後援会組織はすでに解散し、次男の学・民主党県連幹事長は「これまで父を応援してきた人たちから、ものすごく評判が悪い」と不快感を示した。

 だが本人は「簡素で効率的な行政」などと知事時代からの持論を展開。「暗中模索でも楽しくやる」とジーンズ姿で軽快に支持を訴えた。得票は4万5846票と村岡氏を下回ったが、みんなの党ブームに乗っての当選だった。

   ◆   ◆

 選挙後に「民主党ができないままの改革をおっつける(後押しする)のが、みんなの党の役割だ」と述べた寺田氏。佐竹敬久知事の県政運営について毎日新聞の取材に対し「根回しばかりで『対立軸が見えない』との県民の声を多く聞く」と批判したうえで、「学と手を握って県政改革をやりますよ」と語った。

 さらに来春の県議選で民主県連が擁立する候補の推薦も「やる可能性はある」とした。これに対し松浦大悟・同県連代表は「具体的な協議はしていない」と話す。

 横手市長、知事に続く政治活動の場を得た“70歳の新人”が、県政界再編に向けて立ち上がるのか。自民県連の鈴木会長は冷静に受け止めている。「こっちはこっちで、しっかりやるだけだ」【岡田悟】

7724チバQ:2010/07/16(金) 22:49:18
http://www.sakigake.jp/p/special/10/koubounokiseki/article_01.jsp
あきた2010参院選 攻防の軌跡
[議席奪還]
無党派対策、実を結ぶ 県議らフル回転、「自民票」も死守
 自民党県連には「勝てる候補」との自負があった。元プロ野球選手の石井浩郎氏の擁立自体が、課題の無党派層の取り込みを強く意識したものだったからだ。

 11日夜、自民党候補の9年ぶりの勝利に沸いた秋田市の選挙事務所。鈴木洋一県連会長は高らかに勝利宣言した後、「石井さんで勝てなければ、この先もずっと勝てないとの危機感さえあった」と語り、民主党現職に10万票以上の大差をつけての「議席奪還」に高揚感をにじませた。

 自民党は過去2回の参院選で連敗し、昨年夏の衆院選では県内三つの小選挙区で全敗。選挙区での議席をすべて失う「屈辱」を味わった。

 議席奪還を最優先とする県連の思惑は明白だった。鈴木会長は「石井さんを立てたのは無党派対策だ」と公言してはばからなかった。

 選挙戦で県連は石井氏の「郷土愛」や「誠実な人柄」をアピールし、無党派層への浸透を図った。

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小泉衆院議員(右)とともに手を挙げて聴衆にアピールする石井氏=7日、秋田市役所前 「きょうは七夕。短冊ではなく、投票用紙に石井さんと書いてください」。選挙戦後半の7日、小泉純一郎元首相の次男、小泉進次郎衆院議員が秋田市役所前で演説し、石井氏支援を呼び掛けた。大勢の聴衆の視線は小泉、石井両氏に注がれ、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。無党派対策を意識した今回の選挙戦を象徴する一場面。党内一の「売れっ子議員」の投入は県連が要請したものだった。

 秋田魁新報社が11日実施した出口調査によると、石井氏は県内の無党派層の52・3%を取り込み、鈴木陽悦氏を13・4ポイントリード。無党派層が最も多いとされる大票田・秋田市では2万3千票余り引き離した。国政選挙で、同市における自民党候補の得票が、民主党公認・推薦候補を上回ったのは2001年の参院選以来。選挙戦最終盤の4日間、同市での活動に専念したことも含め、結果的に県連の選挙戦術は功を奏した。

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 自民支持層の票固めに成功したことも勝因だ。出口調査では、支持層の9割超の票を獲得。背景には県議団27人が「実働部隊」としてフル回転したことがある。政権交代に伴い、長く自民寄りだった業界団体の一部が民主党に配慮し、「中立化」の姿勢を強めたことへの危機感もあった。

 県連は「県議1人当たりリーフレット1万枚配布」とのノルマを課し、各自の後援会を通じた電話での支持要請も徹底。終盤まで接戦とみられたことも手伝い、気が緩むことはなかった。

 「自分の選挙運動のように一生懸命だった」。来春に県議選を控えるベテラン県議の一人は自嘲(じちょう)気味に語った。自民党にとって今回の勝利は、民主党の勢いを止めただけでなく、県議選への弾みにもなった。

 ただ、候補者の知名度の高さが大きな後押しとなった勝利だけに、県連内からは「自民党に県民の支持が戻ったとは言い切れない」との見方も出ている。

(2010/07/13 更新)

7725チバQ:2010/07/16(金) 22:49:57
http://www.sakigake.jp/p/special/10/koubounokiseki/article_02.jsp
あきた2010参院選 攻防の軌跡
[敗北]
民主政権、不満根強く 閣僚投入実らず、共闘崩壊も痛手
 11日午後8時の開票開始直後、本県選挙区の勝敗を告げる「石井氏当確」の報が早々と流れた。秋田市山王の選挙事務所に姿を見せた民主党現職の鈴木陽悦氏(61)の表情はこわばっていた。「残念で残念で仕方がない」。自民党新人の石井浩郎氏(46)に10万票以上引き離される、よもやの大敗だった。

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落選が決定的となった後、事務所入りした鈴木氏。駆け付けた支持者を前に、がっくりと肩を落とした=11日、秋田市山王 9日午後。同市のアゴラ広場が聴衆で埋め尽くされた。事業仕分けで「時の人」となった蓮舫行政刷新担当相の応援演説。身動きが取れないほどの人だかりに「民主党への期待を感じる」と県連幹部は手応えを口にした。

 知名度の高い“大物議員”を次々に投入し、民主党への風を吹かせたい―。党県連の狙いは鮮明だった。鈴木氏の1期目の活動について、有権者の間に「何をしてきたのかよく見えない」との声があり、政党を前面に押し出す戦いが得策と判断したためだ。

 17日間の選挙戦で応援演説を行った閣僚、党幹部は延べ10人以上。鈴木氏とともに、「政権交代から始まった改革路線の継続か、それともストップさせるのか」と熱を込めて訴え続けた。

 しかし、民主党政権に対する有権者の不満は根強かった。「政治とカネ」問題、普天間飛行場移設をめぐる迷走、満額支給を見送った子ども手当など昨年の衆院選マニフェスト(政権公約)の方針変更…。「失望させたことは申し訳ない。もう一度チャンスをください」。首相補佐官に就任した寺田学党県連幹事長らは「おわび」も口にした。

 菅直人首相の誕生で一時盛り返した支持率も、首相の突然の消費税率引き上げへの言及と発言のぶれもあり、勢いは持続しなかった。「民主党の支援者を取りこぼしている」。選挙戦終盤、寺田幹事長はこう漏らした。

 社民党県連との共闘が崩れたことも痛手となった。秋田魁新報社が11日に行った出口調査では鈴木氏が獲得した社民票は約6割にとどまった。

 鈴木氏を推薦した連合秋田の幹部は「今回の選挙の主導権は民主党にあった」と説明する。従来の民主、社民との共闘は3者が対等の立場で話し合い、協力したが、「今回は明らかに違った」という。

 民主党県連の松浦大悟代表は「民主党の選挙戦は組織型ではない」と話す。だが、自民党の組織戦の強さを目の当たりにしたのも事実。来春に県議選を控え、別の県連幹部は「全選挙区に公認候補を擁立できるよう努力することは変わらない」とし、組織基盤の強化を図る考えを口にした。

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 共産党新人の藤田和久氏(61)は、最後まで「消費税増税反対」の論陣を張った。「有権者の反応は良かったが、票につながらなかった」と藤田氏。得票は3万6320票で前回2007年の同党候補より2千票余りを減らした。県内の比例票でも1万3千票余りの減少となった。

 党県委員会の米田吉正委員長は消費税をめぐる論戦を「支持拡大の絶好の機会」ととらえたが、結果は厳しかった。「陣営の力が不足していた」と振り返った。

(2010/07/14 更新)

7726チバQ:2010/07/16(金) 22:50:36
http://www.sakigake.jp/p/special/10/koubounokiseki/article_03.jsp
あきた2010参院選 攻防の軌跡
[比例代表]
党の勢い、明暗分ける 「みんな」が躍進、本県から初議席
 「暗中模索だ。風頼みと言えば風頼み。だが、私には勝手連の支持者がいる」


街頭演説の後に有権者と握手を交わす寺田氏。比例代表では党の勢いが明暗を分けた=5日、仙北市 公示6日前の先月18日。元県知事の寺田典城氏(70)はみんなの党からの比例代表への出馬表明会見で、初挑戦の国政選挙が「手探りの戦い」であることを認めた。

 知事時代の選挙戦を支えた後援会組織は昨年4月に解散。得票も、当選ラインも読み切れない中、元県知事の知名度を頼りに、2005年の知事選以来の選挙に挑んだ。

 徹底した行革推進など政策の訴えにほぼ専念。人影がまばらな場所でも演説し、遠くで耳を傾ける有権者には自ら駆け寄り、握手を求めた。

 当選が決まった12日未明。秋田市山王の選挙事務所にいた寺田氏は「おれ、本当に受かったの」と何度も口にした。全体の個人票4万5846票、本県では3万2892票を獲得。同党当選者7人のうち4位に入った。

 当選には10万票が必要との考えだったが、実際の得票は半分以下だった。「準備不足だったし、息子(民主党の寺田学衆院議員)が首相補佐官なのに、なぜ別の党から出馬して足を引っ張るのかと言われた」と寺田氏。知事時代からの「寺田票」の一部と、党の躍進に支えられた勝利だった。

 選挙戦では民主批判を展開する一方、「民主党の良い点は応援していく」と親民主の姿勢も打ち出した。みんなの党の渡辺喜美代表は民主との連立を否定しているが、寺田氏は当選後も「国益につながるのなら、民主との連立は進めた方がいい」と明言。来春の県議選に向けても「県政に意見を言える人材が必要だ」と民主党との連携もにらむ。

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 3度目の国政挑戦となったたちあがれ日本新人の村岡敏英氏(49)。落選が濃厚となった12日未明、由利本荘市砂子下の選挙事務所で支持者らを前に「力不足で申し訳ない」と沈痛な面持ちで語り、頭を下げた。

 本県選挙区で自民候補の支援を打ち出し、「比例代表では私を」と自民支持層に保守共闘を呼び掛けた。地盤の由利本荘市を中心に自民県議も村岡氏支援で動いた。しかし、同市でも8千票以上の比例票が自民党に入るなど、個人票の形で保守票を十分に集められなかった。

 個人票は全体で6万9375票。寺田氏の1・5倍の得票だったが、党の獲得議席が1にとどまり、議席は回ってこなかった。党勢の違いが両者の明暗を分けた。県内票を分散させる結果となった寺田氏の出馬も誤算だった。

 村岡氏は今回、次期衆院選で、過去2回戦った御法川信英元衆院議員を支援すると明言し、御法川氏後援会の支援を得た。敗戦の弁では「御法川さんの協力には感謝する。(今は)次の選挙を考える状況にはない」と述べた。

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 共産党新人の佐藤長右衛門氏(66)は東北の農家票掘り起こしを図ろうと6県を回り、農村再生を訴えた。個人票は全体で2613票。共産党が本県で獲得した政党票は、前回07年から1万3千票余り減らした。「共産党への票に結び付けられなかった」と佐藤氏。

 党県委員会の米田吉正委員長は「二大政党の批判票の受け皿を狙ったが、比例代表に強力な本県候補が立候補し、票を奪われた」と苦戦の要因を挙げた。

(2010/07/15 更新)

7727チバQ:2010/07/16(金) 22:52:40
http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20100714ddlk06010143000c.html
山形の選択:’10参院選/上 自民・岸氏、予想外の大勝 /山形
 ◇消費税迷走、追い風に 基礎票固め無党派も
 参院選山形選挙区(改選数1)は、自民党現職の岸宏一氏(70)が、民主党新人の梅津庸成氏(43)に4万票の差をつけた。岸陣営幹部は「こんなに勝てるとは思わなかった」と満面の笑み。一方の梅津陣営は「政権与党の責任の重さを感じた」と県連幹部が謝罪した。また、みんなの党の川野裕章氏(51)は8万8000票と伸ばし、共産党の太田俊男氏(56)は伸び悩んだ。得票の分かれ目は、どこにあったのか。それぞれの陣営の動きと、そこに吹いた風を報告する。

 投開票日の11日夜、山形市荒楯町1の岸氏の選挙事務所は沸き立った。「髪の毛一本」と予想していた梅津氏との票差は4万票に開いた。自民党の遠藤利明衆院議員は「これで党再生の道ができた」と笑顔。寒河江政好公明党県本部代表も「中盤から終盤、日が昇る勢いで支援が盛り上がった」と感激した。加藤紘一県連会長は「終盤、中型の風が吹いた。与党の消費税を巡るどたばたに、国民は嫌気がさした」と解説した。政権交代で危機感を募らせた自民党が結束し、公明党とも選挙協力。そして菅直人首相の消費税増税を巡る発言のぶれから、民主党への不信が広がり、岸氏は大勝した。

 6月末の自民党の調査では、加藤会長の地元、鶴岡市で梅津氏の半分という予想だったという。加藤会長は鶴岡田川ブロック選対代表の阿部信矢県議らに「鶴岡が大変な状況だ」と指示を飛ばした。

 しかし、序盤こそもたついた自民党だが、党内を固めた後は民主党への攻勢を強めた。

 今井栄喜県連幹事長は個人演説会で自作の「偽装マニフェスト」と題したパネルを使い「子ども手当は、2万6000円と言いながら1万3000円」「高速道路無料化は、全部無料から一部有料」と一つ一つ指さし、民主党が衆院選のマニフェスト通りに実行していない点を指摘した。集まった支持者らは真剣な表情で聞いた。

 岸氏は、終盤の各地の街頭演説で「菅首相は、青森、秋田、山形と訪れた時に、1日で消費税の発言がくるくる変わった。みなさんの町の町長は約束したことを破らないでしょう。こんな、うそをつく政治では日本は壊れてしまう」と訴えた。

 うねりは起きた。終盤、阿部県議は選挙カーに乗ると、路上や車内から手を振ってくれたり、対向車がライトをぴかぴかさせたりして、手応えを感じた。「昨年の衆院選の時は、全く無視された。今回は数段上の手応えがある」。結局、鶴岡市では梅津氏を6300票引き離した。

 加藤会長は「米価が下がり、戸別所得補償に幻滅した農家、農村の票が戻ってきた。自民党の基礎的な票は固め、無党派層の票も取り込んだ」と分析。「来年の統一地方選は今の態勢でいける。団体、組織票はほぼ崩れ、地域や人のつながりの選挙になっている。衆院選に向けても、しっかりと地域に根ざした活動をしていく」と述べた。【和田明美】

7728チバQ:2010/07/16(金) 22:53:41
http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20100715ddlk06010038000c.html
山形の選択:’10参院選/中 民主・梅津氏、組織補えず /山形
 ◇揺れる選挙協力 逆風はね返す力なく
 敗北した11日夜、民主党新人の梅津庸成氏(43)の選挙事務所では、民主党の国会議員4人が支持者にそろって頭を下げた。「党再生に向け、統一地方選で足元をしっかり固めなければと思っている」と和嶋未希県連会長はうなだれた。

 弱点の組織力を補うため、民主県連は07年参院選以来、社民党県連、連合山形との選挙協力を重ねてきた。そして、擁立を見送った衆院3区を除き、昨年1月の知事選も含めて完勝した。

 ところが、その選挙協力が今回は空回りした。社民県連は「反自民」で民主への選挙協力を決定。党の決起集会に初めて民主県連の幹部を招いたり、終盤には、県連幹部が県内全域を回り社民支持者に梅津氏への支援を訴えた。だが、共同通信の出口調査では、社民支持層の27%が自民党現職の岸宏一氏(70)に流出。梅津氏に投票したのは54%にとどまった。社民県連の高橋啓介幹事長は「3年前より協力の度合いは強かったはず。消費税増税発言や連立離脱が影響したかもしれない」と分析した。また別の県連幹部は「梅津さんの防衛官僚という経歴も党の支持者にはマイナス要因だった」と話した。

 連合と岸氏が吉村美栄子氏支援で手を結んだ昨年の知事選の影も引きずった。大泉敏男連合山形会長は「知事選は割り切っている。組織的に(岸氏へ)動くことはない」と否定する。だが、ある労組の幹部は「今回は吉村知事を誕生させてくれた岸さんだ」と打ち明ける。国会議員秘書も「これまでになく労組の動きが鈍い」と焦りを募らせていた。選挙戦中盤には吉村知事本人も岸氏支援を表明した。吉村知事は岸氏への支援は「個人的な恩返し」とするが、知事の擁立にかかわった支援者は「事前の調整なしに知事の岸氏支援表明はありえない」と言明する。民主党は、知事選での「恩」に振り回された。

 そして陣営が「最大の切り札」と位置づけた菅直人首相は、山形市の街頭演説で消費税増税を巡り税金を還付する年収水準に言及。発言のぶれを全国に発信する場となってしまった。梅津陣営の幹部は「岸さんに恩義を感じていた人たちに、首相の消費税発言や梅津の防衛官僚という経歴は、梅津から離れる格好の理由を与えてしまった」とうめいた。地元での選挙協力が揺れる中、民主県連に中央の逆風をはね返す力は残されていなかった。【林奈緒美】

毎日新聞 2010年7月15日 地方版

7729チバQ:2010/07/16(金) 22:54:50
http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20100716ddlk06010051000c.html
山形の選択:’10参院選/下 みんな・川野氏、共産・太田氏 /山形
 ◇2大政党の受け皿 批判票に明暗
 「終盤どんどん期待の高まりを感じた。何も組織がない中で戦えて、2大政党の批判票の受け皿となった。有意義な選挙だった」。11日夜、みんなの党新人の川野裕章氏(51)は山形市の選挙事務所で充実した表情であいさつした。

 8万8238票を獲得した川野氏。地元の米沢市に限れば1万4426票を得て、当選した自民党現職の岸宏一氏(70)の1万2613票を上回った。同市で最多得票の民主党新人の梅津庸成氏(43)にも56票差に迫った。川野氏を支えた山村明米沢市議(自民)は「民主の首相と自民の総裁が2度ずつ来県する全国注目の2大政党の激戦のはざまでよく取った」と健闘をたたえた。

 菅直人首相の誕生で民主の支持率が「V字回復」したあおりで一時は党の支持率は急落した。しかし、菅首相の消費税増税発言という「敵失」に乗じ追い風に転じた。選対総括責任者の佐藤丈晴酒田市議も「街頭の反応がまるで変わった。見知らぬ人が事務所にアジェンダ(政策課題)をもらいに来るようになり、反応は日に日に良くなった」と、終盤の有権者の変化を感じていた。

 川野氏には「党のイメージと個人の名前が結び付かず知名度不足が課題」との声もあった。しかし選挙区の得票は、同党の比例代表の県内得票数8万48票を上回った。

 川野氏が「地域に密着する地方議員を増やす」と話すように、次の目標は来年の統一地方選での躍進だ。佐藤市議によると、既に県内から2人が公募に手を挙げている。「みんなの党を支援しようかと迷っている市町村議もいる」と話す。党への期待を党の基盤作りに結びつけられるかが課題だ。

  ◇   ◇

 一方、共産党新人の太田俊男氏(56)は3万348票と伸び悩んだ。太田氏は過去3回参院選に立候補しているが得票は最少だった。「自民と民主の批判票を受け止めるだけの党の力が足りなかった」。11日夜、太田氏は敗戦の弁を語った。

 同党の本間和也県委員長は「みんなの党の『増税の前にやるべきことがある』というキャッチフレーズは有権者受けした。共産党との差が出た」と語る。批判の受け皿の役割を果たせなかったことに「どんな風が吹いても追い風になるよう、党の力をつけなければならない」と悔しさをにじませた。

 風を受けたみんなの党。票を減らした共産党。2大政党を批判した両党は明暗を分けた。【浅妻博之、佐藤伸】

7730チバQ:2010/07/16(金) 22:57:38
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000231007130002
自民、組織力で制す/「審判」のあとさき
2010年07月13日


当選から一夜明けて、宿泊先のホテルのロビーで新聞を読む岸氏=山形市


朝の街頭に立った梅津氏。通りがかった人が「また出てね」と声をかけた=山形市鉄炮町




 ∞民主、「与党の戦い」課題


 参院選から一夜明けた12日、山形選挙区で3選を果たした自民党の岸宏一氏(70)は改めて当選の喜びをかみしめた。初めて野党として臨んだ選挙に危機感を募らせ、組織の引き締めが奏功した自民に対し、敗れた民主党は組織の再構築が急務。来春の統一地方選もにらみ、県政界の動きが活発になりそうだ。


 「雇用と景気対策、税財政対策に全力を傾けたい。県政との連絡役も果たしたい」


 12日朝、宿泊先の山形市内のホテルで記者会見した岸氏は意気込みを語った。


 民主党新顔の梅津庸成氏(43)との接戦と見られていたが、結果は約4万票差をつけた勝利。「組織力が強かった過去2回と違い、今回は野党。年齢的なハンディもあった。だがその危機感から、今回が一番動いた」と選挙戦を振り返った。吉村美栄子知事が今月1日に支援表明したことにも触れ、「あの時期に潮目が変わった。党のまとまりや推薦団体の動きが活発になった」と知事効果を認めた。


 下野した自民にとって、参議院の残る1議席を死守できるか、党の存亡をかけた戦いだった。県連の今井栄喜幹事長は「この選挙が大事だとみんなが思ってくれるまで大変だったが、そうなった。民主党のエラーもあり、非常に戦いやすかった」と語った。


 町村会が支援するなど優位と見られていた郡部で確実に票を積み上げたことに加え、市部での得票も梅津氏を上回った。岸氏は「風というか、消費税問題もあったんじゃないかと思う」と分析した。


 選挙戦中盤には、長年の友好関係にある公明党が活発に動いたことも後押しした。


 11日夜、岸氏の当選祝いに事務所に駆けつけた同党県本部の寒河江政好代表は「自民党さんと呼吸を合わせながらすごい力で頑張れた」と胸を張った。


 「おはようございます。みなさまの一票、本当にありがとうございました」


 梅津氏は12日早朝、山形市内の幹線道路で約45分間にわたって、通り過ぎる車に頭を下げ続けた。手を振って応えたり、窓を開けて「お疲れ」と声をかけたりするドライバーも。梅津氏は「議席を得られず、22万票の声を実現できないことが申し訳ない。悔しいというよりは、力不足だった」と無念さをにじませる。


 民主党県連はこの日、和嶋未希会長はじめ県選出の国会議員らが梅津氏とともに、支援や協力を受けた団体や企業へあいさつに追われた。山形市内を中心に連合山形や社民党県連合などを訪問。3日間かけて全県をまわる予定だ。


 今回の敗因について、武田聡幹事長は「今までは無党派層頼みが少なからずあった。与党になった今、有権者の目がより厳しくなるという意味で、発言の重みが違うことを実感した」と話す。今週末に県連の常任幹事会を開き、「再スタートのために早急に総括を行う」方針だという。


 また、政権離脱などの影響から機関決定の「支持」は行わず、選挙への「協力」にとどめた社民党県連合の広谷五郎左エ門代表代行はこの日、「終盤に山形市で追い上げられ、てこ入れを図ったが流れを食い止めることはできなかった」と述べた。そのうえで「結果には様々な要因があった。厳粛に受け止めなければ」と語った。

7731チバQ:2010/07/16(金) 22:58:20
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000231007140001
自民、「苦戦」に結束
2010年07月14日


岸氏(左)の支援を表明した吉村知事(中央)。選挙戦の潮目を変える一つの要因になった=1日、朝日町

∞「反転攻勢」まだ描けず


 山形選挙区で3選を果たした自民党の岸宏一氏(70)。終わってみれば、民主党の梅津庸成氏(43)に4万票余りの差をつけたが、選挙戦には大きな転換点があった。(棟形祐水)


 〈梅津・岸氏 互角の戦い〉〈梅津氏、岸氏 激しく競る〉――6月27日朝。序盤の情勢を報じる新聞各紙に、そんな大見出しが躍った。


 岸氏陣営には、大きな動揺が走ったという。「それまでは知名度で勝っていると、たかをくくっていた」と自民党県連関係者は明かす。


 「一枚岩」を強調して6月24日の公示日を迎えた県連だが、内実はまとまりがないままだった。最大の要因は昨年1月の知事選で、岸氏が民主党が全面支援した吉村美栄子氏の応援に回り、勝利に貢献したことへの反発だ。「岸さんを応援しようにも、党員や支持者に納得しない人がいれば動けない」(自民県議)。特に知事選で現職だった斎藤弘氏支援に奔走した地域ほど、その反発は根強かった。


 だが情勢記事が岸氏落選の可能性を示唆したことで、危機感を募らせた党内は一気に結束力が高まった。さらに7月1日に県民に人気の高い吉村知事が支援を表明。6月30日に県内入りした菅直人首相の消費税を巡る発言に「ブレた」との批判が高まる「敵失」もあって、「7月に入って潮目が変わった」と陣営幹部は口をそろえる。


 同じタイミングで、選挙協力を結んだ公明党も組織を挙げて動き出した。岸氏に反発する自民支持者を動かすことに尽力したのも公明党だ。


 選挙戦序盤は、市町村ごとの公明党支部が、自民党の実動部隊に働きかけても協力を拒まれることが多く、「自民党が岸さんを一生懸命やってない。どうなっているんだ」との不満も噴出していた。


 岸氏苦戦の情勢を受け、公明党県本部は6月30日、地域ごとだった選挙協力を県本部で一括する態勢に変更。県本部幹部が、動きの悪い地域の自民党支持者にじかに協力を迫ったという。県本部の寒河江政好代表は「ブレっぱなしの民主党に勝たせるわけにはいかない。自民党とは10年間の地域での結びつきもある」と自民党支援の心情を語る。


 県内で5万票以上の基礎票があるとされる公明党。選挙戦終盤、岸氏の陣営は演説で公明党を持ち上げることが増えた。選挙区は岸氏、比例区は公明、というギブ・アンド・テークだ。だが公明党の比例区の県内得票は5万票にとどまった。公明党関係者は「こちらは自公連立時代並みの協力をした。だが今回もギブ・アンド・ギブの関係だった」と不満を漏らした。


 「作業着の若い人が少ないね」。7月初め、岸氏の演説会を聴いていた自民党県連関係者がつぶやいた。席を埋めているのは大半が50代以上。6年前の参院選では、前から1、2列は作業着の建設関係者で埋まっていたという。


 自民党政権時代、地方経済は大型の公共事業に支えられたが、小泉政権以降、そのパイが削られていくのと連動するように、旧来の支持層の自民離れも引き起こした。高齢化もあり、県内では昨年末の党員数が三十数年ぶりに1万人を割った。政権交代で下野したことが、党勢衰退に拍車をかけることは必至だ。


 3年前の参院選、昨年の知事選と衆院選で、民主党に圧倒された自民党。岸氏の勝利で踏みとどまった形だが、反転攻勢に向けた次の戦略はまだ描けていない。

7732チバQ:2010/07/16(金) 22:59:06
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000231007150001
民主、崩れたシナリオ 組織づくり急務
2010年07月15日


蓮舫氏を招いた梅津氏の個人演説会。1200人が集まったが、「勝利」には結びつかなかった=9日、米沢市

 参院選山形選挙区で新顔の梅津庸成氏(43)を擁立した民主党は、追い風が吹きやむと、なすすべもなく敗れた。昨夏の政権交代後、初めて与党として臨んだ国政選挙だったが、組織の体力不足を露呈。立て直しが急務だ。


 3区(庄内・最上)での負けを2区(置賜・西村山・北村山)で返し、1区(東南村山)で引き離す――参院選に臨む民主党県連が描いていた勝利のシナリオだ。


 3区は自民党候補の岸宏一氏(70)や同党県連会長の加藤紘一衆院議員の地盤だが、2区は衆院議員を6期務めた自民党の遠藤武彦氏が昨年引退。昨夏の衆院選で、民主党の近藤洋介氏が自民党候補にダブルスコアで圧勝した。


 しかし選挙戦中盤の今月初め、党が実施した情勢調査の結果に、陣営は色を失った。


 「2区が負けている」


 菅政権発足で政党支持率がV字回復した公示前の追い風が、跡形もなくなっていた。


 「梅津は私が声をかけて連れてきた。私にも責任があるんです」。近藤氏は公示前からミニ集会に梅津氏を連れて回るなど、自身の地盤での票固めに積極的だった。しかし選挙戦後半、反応が変わったという。「ある企業では、『ごめんよ、締め付けがきつくて』と、岸氏のポスターに張り替えられていた」


 中盤以降、近藤氏は2区を離れず、9日には人気が高い蓮舫参議院議員を梅津氏の個人演説会に招いた。それでも2区での得票は約7万8千票にとどまり、岸氏に逆に約1万5千票差をつけられた。


 シナリオが崩れたのは、2区だけではない。1区でも、無党派層が多い大票田の山形市で岸氏を約7千票しか上回れず、合計ではわずかに2千票のリードにとどまった。


 消費税議論による逆風、吉村美栄子知事の岸氏支援、連立離脱で弱まった社民党との協力関係……敗因はいくつも挙げられるが、「岸氏との4万票の差は大きい。体力のなさが露呈した」。そう語る陣営幹部の一人は、県連の基盤の弱さを最大の敗因と見る。


 昨夏の衆院選で県連の和嶋未希会長が県議から転身して比例で当選した結果、民主党県議はゼロになった。党籍のある県内市町村議は30人で、約550人の定数に占める割合はわずか5%だ。政権交代後、組織拡大の足がかりとなる大きな市町村議選がなかったことを嘆く声も大きい。


 党本部は政権交代後、全国会議員に5月末までに千人を目標に党員・サポーターを集めるよう指示。その結果、県内の党員・サポーターは昨年同時期より1143人多い4260人に増えた。県連幹部が政権与党の手応えを感じていた矢先の参院選だった。


 県連は4月の定期大会で、来春の統一地方選に向けて県内では初めて候補者の公募を行うと決定。地方の課題について県連の方向性を示すローカルマニフェストづくりも始めた。「少しの風では揺らがない強固な組織づくりに、本気になって向き合わなければいけない」。陣営のある幹部は自戒を込めてそう語った。(笹円香)

7733チバQ:2010/07/16(金) 22:59:53
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000231007160001
「審判」のあとさき◆みんな、存在感を示す
2010年07月16日


みんなの党の渡辺喜美代表(中央)も川野氏の応援に駆けつけた=6月25日、山形市

∞課題は基盤づくり 統一選が試金石に


 山形選挙区で民主党、自民党がしのぎを削る傍らで、存在感を示したのが、みんなの党だった。新たな潮流として、県政界にも根付いていくのか。来春の統一地方選が試金石になる。(中野龍三)


 「だいぶ取ったね」。選挙後、みんなの党の川野裕章氏(51)の陣営には、周囲からそんな声が寄せられている。


 5月中旬の出馬表明からわずか2カ月足らず。元自民党米沢市議とはいえ、地元の米沢市以外では無名で、人手も資金もない選挙戦だった。選挙ポスターを県内約5千カ所の掲示場に張り切れず、「敵」である旧知の自民党市議が手助けするほどだった。


 にもかかわらず、選挙区の得票は約8万8千票。比例区の政党票も、昨年の衆院選比例区の2・5倍の約8万票を県内で集め、党全体で10人当選という大躍進を支えた。


 菅内閣発足による民主党支持率のV字回復で、一時は人気に陰りが出たみんなの党だったが、消費税問題で民主党に逆風が吹くと、再び党の人気は息を吹き返した。選挙戦終盤、陣営が自転車で遊説する川野氏に向かって手を振ったり、声をかけたりする有権者の数をかぞえたところ、1日で8千人に上ったという。陣営幹部は「地殻変動が起きている」と驚いた。


 他党もその存在感を無視するわけにはいかなかった。


 選挙戦のさなか、民主党の梅津庸成氏の陣営は、みんなの党への警戒感を隠さなかった。連合山形の大泉敏男会長は各演説会場で「みんなの党は小泉構造改革路線と同じ。昔に戻すわけにはいかない」と牽制(けん・せい)。当選した岸宏一氏を擁した自民党側からは選挙後、「川野氏がいなければ、梅津氏に負けていた」との声も漏れる。


 得票が約3万票にとどまった共産党も「民主、自民への批判票の受け皿が、みんなの党になってしまった。わかりやすいキャッチフレーズが有権者に響いたのかもしれない」(本間和也県委員長)と敗因を分析している。


 実際、みんなの党は今回、無党派層の吸収にある程度成功した。朝日新聞が投票日に実施した出口調査でも、無党派層の2割強が川野氏に投票、3割を獲得した梅津氏と岸氏に迫った。


 ただ、党の人気と無党派層頼みの選挙には限界がある。みんなの党酒田市第1支部の佐藤丈晴支部長も「獲得した9万票は次はどこかに行ってしまいかねない票。どうつなげるかが大事」と認める。


 同党は早くも、次をにらんだ動きを始めている。6月には、来春の統一地方選の公認候補者の公募を開始。これまでに県議選と市議選に1人ずつの応募があったという。


 近く統一選に向けた山形版「アジェンダ(政策課題)」作りを始める予定だ。県内に党の「政治塾」を開設し、政策立案に携わる人材を集める構想も浮上している。佐藤支部長は「今回の敗因は、有権者の多くが『民主か自民か』の選択を越えられなかったことにある。政策を通じて政治に強くかかわる層をつくっていくことが必要だ」と話す。


 9万の票が「突風」に終わるのか、それとも県内基盤の第一歩になるのか。落選が決まった11日夜、山形市内の事務所で「大変有意義な選挙だった」と語った川野氏。支持者に「今日は休んで」と声をかけられると、きっぱりと答えた。「新たな戦いが始まる。今日からです」
=おわり

7734チバQ:2010/07/16(金) 23:03:12
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20100713ddlk07010147000c.html
すみ分け安泰:何が変わった? 参院選/上 民主党 /福島
 ◇選挙区で計49万得票 及第点も今後に課題
 参院選福島選挙区(改選数2)の開票作業が終わりに近付いた12日午前1時過ぎ。福島市天神町の事務所では、民主党公認で出馬した現職の増子輝彦氏(62)の選挙スタッフ十数人がテレビの開票速報に見入っていた。自民党公認の現職の岩城光英氏(60)とは小差のトップ争いをし、リードを許していた。

 最後に増子氏の地元の郡山市の票が大量に開くと逆転。スタッフは「トップ当選の目標を達成できた」と胸をなで下ろした。増子氏34万947票、岩城氏33万8265票。その差2682票だった。

 民主党県連は今回、党本部の「2人区には2人擁立」の方針に従い、新人で医師の岡部光規氏(41)も出馬させた。増子氏は主に従来型の組織戦、岡部氏は街頭演説で無党派層を取り込む“空中戦”を展開。県連は狙いの有権者を分け、相乗効果で党全体の得票増をもくろんだ。

 結局、増子氏と岡部氏の合計得票は49万6000票。増子氏が単独公認で初当選した07年4月の補選の54万1000票には届かないが、07年参院選で金子恵美氏(45)が取った50万3000票に迫った。県内では「民主が取れるのは最大50万票」とも言われ、及第点とも言える。ある県議は「今回の得票は、一定の民主支持層が福島に定着したことを表している」と満足気だ。

   ×  ×

 一方で、「もう少し差を付けて勝てたかも」との悔しさもにじむ。選挙戦中盤までは報道各社の世論調査などで岩城氏に大きくリードを保っていた。しかし終盤、菅直人党首の消費税発言が重く効いてきた。党県連の選対幹部は「最後の1週間で、岩城さんの動きが活発化し、巻き返しているのが分かった」と振り返る。

 深刻なのは、選挙区よりも比例代表の得票だ。今回も自民に11万票差で1位の33万2000票ながらも、得票率は昨年衆院選の45%から34%にダウン。この11ポイントの下落幅を、県連の安瀬全孝幹事長は「風」と評する。ただ「今回の得票が民主の基礎票。逆風であっても自民に10万票以上差を付けた」との自信ものぞかせる。

 安瀬幹事長は「消費税はきちんと説明すれば即増税でないことは理解されたはず」と振り返って言った。「野党時代は攻めるだけだったが、与党になったら守る選挙をしなければ」。選挙は今後、秋の知事選、来春の統一地方選と続く。

   ×  ×

 参院選の福島選挙区では、今回も民主と自民の現職が1議席ずつを分け合い、比例代表の得票も1位と2位だった。両党「すみ分け」の結果だが、選挙ごとに変わる有権者の波は戦略をいや応なく変化させる。各党の思惑をからめて今回の選挙を検証する。(この連載は種市房子、関雄輔、和泉清充、太田穣が担当します)

毎日新聞 2010年7月13日 地方版

7735チバQ:2010/07/16(金) 23:04:04
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20100714ddlk07010095000c.html
すみ分け安泰:何が変わった? 参院選/中 自民党 /福島
 ◇「50万目標」が33万票に 復調遠く、新たな敵も
 「候補者を1人に絞ったのにもかかわらず、大きな得票もトップ当選もできず、申し訳ございません」。参院選投票の翌12日、自民党県連が福島市で開いた役員会の冒頭、吉野正芳・県連会長が謝罪した。福島選挙区(改選数2)で県連は「50万票のトップ当選」を目標に掲げた。自民現職の岩城光英氏(60)は33万8265票を得て3選したが、民主現職の増子輝彦氏(62)に敗れて僅差(きんさ)ながら2位当選。それでも、役員会で執行部の責任を問う声は上がらず、健闘をたたえる声が大勢を占めた。

 初めて野党として迎えた参院選。これまで自民候補を支援してきた業界団体が増子氏も推薦し、組織票流出が不安視された。岩城氏の地元のいわき市長選で昨年、自民系市議が分裂したしこりを懸念する声もあった。県連は当初、候補者2人擁立も検討したが、共倒れを恐れて岩城氏1人に絞った。だが、世論調査などで増子氏に対する劣勢が伝えられ、「50万票」の声は次第に聞こえなくなった。

 11日夜、福島市の県連事務所で、テレビの開票速報を見守っていた斎藤健治・県連幹事長は、「初めから苦しい目標だと自覚していたが、そんなそぶりは見せられない。戦うポーズが必要だった」と話した。岩城氏の秘書も「当初から(目標は)35万でやっていた」と打ち明けた。今回の結果は、本音としてはほぼ目標通りだったと言える。

 県全体のトップ争いは苦戦を強いられても、絶対に負けられない地域は、地元のいわき市とその周辺。斎藤幹事長ら県連幹部が何度も訪れ、市長選で対立した党支部内の融和を図った。その結果、岩城氏は浜通りの全市町村で増子氏の得票を上回り、県南と会津の一部も含めた25市町村でリード。中通りを地盤とする増子氏とのすみ分けに成功した。

 ただ、浅川町でトップを取るなど健闘した新人の岡部光規氏(41)を合わせた民主の2人の合計と比べれば、岩城氏が上回ったのはいわき市や浪江町など8市町村のみ。党同士の戦いと見れば、互角とは言い難い。

   ×   ×

 今回、岩城氏が04年に得票した40万6793票や、07年初当選の森雅子氏の37万2857票も下回り、自民票の目減りは止まらなかった。

 選挙を終え、県連に新たな脅威として浮上したのは、政治経験ゼロながら15万5262票を獲得した岡部氏だ。ある自民党県議は「15万票を取ったということは、県民に認知されたということ。県議選や次の参院選に出馬すれば手ごわい」と警戒する。

 来春の県議選は、自民が第一会派を守れるかが焦点だ。今回、会津が地盤の小熊慎司氏(42)を比例代表で初当選させるなど、躍進したみんなの党も複数の候補者を擁立するとみられる。斎藤幹事長は「県内の自民の復調にはまだ遠いことを自覚し、戦術を練る必要がある」と危機感を強める。全国的な自民の勝利に酔ってはいられない。

7736チバQ:2010/07/16(金) 23:04:57
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20100715ddlk07010094000c.html
すみ分け安泰:何が変わった? 参院選/下 比例の第3勢力 /福島
 ◇みんな躍進、かすむ社共 「一過性」批判越えるか
 今回の参院選は、みんなの党が台風の目になった。比例代表では県内で13万7568票を獲得し、民主党の33万2420票、自民党の22万1970票に次ぐ3位。得票率にして14・1%を占めた。各党が前回07年参院選より減らした票を吸い上げた形。民主と自民のすみ分け構図に割って入った。

 比例では7議席を獲得。会津若松市が地盤の新人、小熊慎司氏(42)が党内6位の得票をし、初当選した。昨年の衆院選福島4区にも出馬し、元県議の経歴から会津地方では知る人が多いが、その他の地域の知名度は高くない。そこで選挙戦では、テレビにもよく出演している渡辺喜美代表を“代理候補”のように活用した。

 渡辺代表は小熊氏の応援のため公示後に2回県内に入り、人集めに一役買った。小熊氏だけで街頭演説した際は、陣営は渡辺代表の等身大の人形を並べた。選対幹部は「党や個人の組織はまだ弱く、喜美さんから入っていく戦い方が最善だった」と振り返る。

 政策の柱に据えたのは消費税引き上げ反対。党は「小さな政府」を掲げ、増税の前に国の官僚らが身を切って歳出削減を図るべきだと訴えた。当選後、小熊氏は有権者の反応を「政策重視の姿勢を理解してもらった」と手応えを強調した。

 さらに「来春の統一地方選に向けて人材発掘を進めている」と話し、現在の流れに乗って党勢拡大をもくろむ。それまで勢いを維持し、2大政党を揺さぶることができるかが注目だ。

   ×   ×

 消費税増税反対は共産党と社民党も主張した。「結局新しいものが目に入るということ」。社民党県連の加藤雅美幹事長は、みんな躍進の理由を一言で指摘した。

 社民は今回、福島選挙区(改選数2)に候補者を立てず、比例代表に全力を注いだ。しかし、得票は3万2487票で得票率は3・3%。07年参院選の4万8816票、5・0%より下がった。政権離脱のきっかけになって注目された米軍普天間飛行場の移設や「政治とカネ」の問題で与党を批判し、独自色を出そうとしたが、加藤幹事長は「消費税論議で社民の存在感が消えた」と嘆く。

   ×   ×

 印象が薄くなり、07年より票を減らしたのは共産党も同様だ。福島選挙区に新人で党県常任委員の岩渕友氏(33)を擁立したが、得票は6万4209票にとどまり、候補者5人の中で最下位に甘んじた。みんな新人で会社役員の菅本和雅氏(42)の9万3758票にも及ばなかった。比例でも4万9909票で得票率は5・1%。07年は5万8298票で6・0%だった。

 党県委員会の久保田仁委員長は、みんなの躍進を「露出度が高かっただけ。民主にも自民にも失望し、有権者が今度はどこに投票しようかと悩み、新たに作った一局面」と、一過性の現象であると分析。「これから先、局面がどう動くのか毎日考え続けている」と話した。民主と自民がすみ分ける県内で、第3勢力は付け入るチャンスをうかがう。(この連載は種市房子、関雄輔、和泉清充、太田穣が担当しました)

7737チバQ:2010/07/16(金) 23:07:02
公示後の記事
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=20441&mode=1&classId=&blockId=9680343&newsMode=article
ふくしま参院選 変わる団体(上) 票の流れ読みにくく 
 参院選は後半戦に突入する。福島県選挙区(改選2議席)に立候補した5人の候補は追い込み態勢に入り、「票田」となる業界団体に期待をかける。しかし、政権交代でそれぞれを取り巻く環境も変わり、票の行方は見えにくい。投票日を8日後に控えた団体の今を追う。
 福島市五月町に構えた県建設業協会(会員250社)の事務所に、自民党総裁谷垣禎一の大型ポスターが張り出された。党県連から依頼されて対応したが、職員は「民主から頼まれたら、菅直人首相のポスターも張る」と言い切った。公共事業を介して長年続いた自民との“蜜月”は影を潜めている。
 国政選挙で自民候補を支持してきた協会は今回、どの候補を支援するか示していない。道路や橋など身近な公共事業の必要性を訴える自民には共感する。しかし、政権与党として「財布」を握る民主をないがしろにできない。事務局長の鳥居和吉は「政党に偏ることはない。後はそれぞれの会社の判断だ」と明言する。
 過去の衆院選で、加盟企業によっては独自に候補を支援するケースがあった。協会が今回、「様子見」をすれば、票の流動化はさらに進み、団体の統一性がなくなってしまうと協会関係者は予想する。
 民主支援の中央方針と異なり、県歯科医師連盟(加盟900事業所)は、本県選挙区で民主、自民の両現職を推薦した。
 自民には、これまで政策要望の窓口となってくれた恩義がある。一方、在宅要介護者の歯科診療充実など当面の課題を抱え、政権与党の支援も必要になる。両にらみでバランスを取ったが、会員には二人を推薦したことだけを周知する。両陣営に配慮し、票割りなど積極的な行動は慎む。連盟理事長の海野仁は「票の流れは、ふたを開けてみないと分からない」と打ち明けた。
 県土地改良政治連盟(会員2250人)は、全国組織が比例代表の組織内候補擁立を見送ったため活動を休止した。
 自民の「牙城」だった連盟の関係者は「政治的中立などといわず、候補者を出すべきだった」と未練を口にする。口蹄(こうてい)疫など農政問題の対応で、政府に不満を募らせているからだ。今後の取り組みを決める総会を開く予定だが、活動が再開できるかどうか分からない。五里霧中のまま投票日を迎える。(会員、事業所数は概数)

(2010/07/03)

7738チバQ:2010/07/16(金) 23:07:42
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=20441&mode=1&classId=&blockId=9684736&newsMode=article
ふくしま参院選 変わる団体(下) 要望実現へ旗色鮮明 独自の狙いで「ねじれ」も 
▼死活問題  
 県南地方の運送業者はこのところ嘆きが止まらない。「毎日、やっと息をついている。運賃の価格破壊で、廃業も相次ぐ。明日はわが身だ。」
 燃料代の高止まりや、荷主からの再三にわたる料金引き下げ要請…。経営環境が厳しさを増す中、県トラック政策推進協議会(加盟870社)は本県選挙区(改選2議席)で、自民、民主両党の3人を推薦した。しかし、「両にらみ」は建前。協議会幹部は今回、民主支援を全面に打ち出し、はがきで支持を呼び掛ける。
 中小業者には実質、負担増となる高速道路の新料金制や暫定税率の取り扱いなど、業界にとって死活問題となる制度変更の国会論戦が参院選後に控えている。加盟各社の願いを国政に反映させるため、与党支持の旗色を鮮明にした。会長の星久守は「本県から大臣が誕生した。民主の政策実現に期待したい。」と打ち明けた。

▼地域重視 
 県医師連盟(会員2,700人)は、自民候補を推薦した。上部団体の日本医師連盟は比例代表で民主候補を推薦、自民候補の推薦を取り消し、支援にとどめている。「ねじれ」の背景には、地域医療の充実を目指す県連盟独自の狙いがある。
 本県は医師数が全国平均を下回り、都市部に偏っている。与党時代から自民は、こうした「不公平」の是正に取り組んできたと評価。地方重視の姿勢に期待をかけている。
 委員長の高谷雄三は「民主からのアプローチもあるが、自民との信義を貫くことが大切。」と力を込める。ただ、具体的な支援の取り組みは16の支部に委ねている。

▼歴史観
 日本遺族政治連盟県本部(会員12,000人)は民主が靖国神社に代わる国立追悼施設の建設に言及していることを批判。自民の歴史観に期待を寄せ、同党の候補を推薦した。
 県たばこ耕作者政治連盟(会員1,270人)は、政府がたばこ増税に踏み切ることから自民候補を推薦した。耕作者の優遇措置の見直しを検討していることにも反発。連盟関係者は「われわれは、いじめに遭っている。現政権にくみすることはできない。」と言い切る。

(会員、加盟社数は概数)=文中敬称略

(2010/07/04)

7739チバQ:2010/07/16(金) 23:08:31
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=20441&mode=1&classId=&blockId=9659837&newsMode=article
現地ルポ(上)【浜通り】自民、組織融和に躍起 民主、団体・労組に狙い 
 参院選本県選挙区(改選2議席)に立候補した民主党の新人岡部光規(41)、共産党の新人岩渕友(33)、みんなの党の新人菅本和雅(42)、民主党の現職増子輝彦(62)、自民党の現職岩城光英(60)の5候補は、7月11日の投票に向け、県内各地を回っている。2つの議席をめぐり、舌戦が激しさを増す各地の選挙戦をルポする。(文中敬称略)

 いわき市小島町に構えた岩城光英の事務所。公示翌日の25日、選対役員は支持者にリーフレットを配り、唯一の「地元候補」をアピールしていた。

 トップ当選が至上命令の岩城陣営にとって、いわき市は最重点地区。後援会をはじめ自民党の県議、市議の支援組織を引き締めるが、足元は盤石でないとの指摘もある。

 昨年の市長選で党総支部内が2人の候補に分裂した「しこり」が残るためだ。現市長を推した市議は「(岩城は)前市長の出陣式でだけマイクを握った。今回は支援できない」と公言する。選対は双方の市議を同じグループにして地区を担当させる融和策を取るが、うまくかみ合うか懸念する関係者もいる。

 岩城自身も必死だ。市長選後、現市長の地盤である四倉に事務所を置き、市内での街頭演説数を増やした。地区総合選対本部長代行の青木稔は「民主に追い風が吹いている。トップ当選するには地元が結束しなければならない」と力を込める。

 相双地方では、各市町村の後援会と自民県議4人の組織を固め、票の上積みを目指す。

   ◇  ◇

 増子輝彦は党の比例候補中村秀樹と同じ、いわき市郷ケ丘のビルに事務所を設けた。選対関係者は2人の事務所を行き来し、個人演説会や遊説の日程調整に追われている。

 政権与党の現職としてトップ当選は譲れない。岩城の地盤のいわき・相双地方を最重点地区に位置付け、電力会社と労組、商工団体への働き掛けを強めている。昨秋の経済産業副大臣就任後、浜通りの原発や火発を度々、視察し、顔を売り込む。増子を推薦する連合福島の幹部は「参院選への布石にもなった」と分析する。

 ただ、増子が初当選した3年前の参院補選のいわき市内の得票は約5万2000票。単純比較はできないが、6年前の岩城の得票を3万7000票下回る。岩城が人脈を築いてきた青年、女性団体を切り崩す手応えはつかみきれていないという。5区選対事務局長の佐久間均は「地元の中村への期待は高い。『選挙区は増子』をどれだけ徹底できるかだ」と気合を入れる。市長選の足並みの乱れが尾を引く自民支持者からの得票も視野に入れている。

 いわき市立総合磐城共立病院に勤務経験のある岡部光規は「第2の地元」をアピールし、当時の同僚医師や医療関係者に支持を呼び掛ける。過疎地域を抱える同市は、医師数が県内平均を下回る。地域医療への関心が高いという実感があり、医師増員策を訴える。妻が三和地区出身で、親せきや知人を通じ浸透を目指す。

 浜通り北部は、南相馬地方が増子、相馬地方が岡部と「すみ分け」して支持拡大を狙う。

   ◇  ◇

 双葉町出身の菅本和雅は同町を中心とした相双地方を重点的に回る遊説日程を組む。企業役員で商工関係者とのつながりが深く、中小企業支援策を訴える。いわき市は今春発足した党支部が人づてに支援を求める。

 岩渕友は都市部の無党派層に「消費増税反対」を訴える。25日、いわき市内2カ所で個人演説会に臨んだ。中盤は、JRいわき駅前で党書記局長市田忠義を招いた街頭演説会を開き、選挙戦に弾みを付ける。

(2010/06/26)

7740チバQ:2010/07/16(金) 23:09:10
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=20441&mode=1&classId=&blockId=9665872&newsMode=article
現地ルポ(中)【中通り】次期衆院選絡み白熱 民、自とも女性票重視 
 選挙戦に入り最初の週末となった26日、福島県郡山市西ノ内の増子輝彦の事務所には早朝から選対役員らが集まり、戦況分析に当たった。
 増子は地元候補として、市内で有権者全体の約4割に当たる10万票の得票を目指している。後援会、推薦を受けた連合福島などを支持母体に、高齢者の票の掘り起こしに力点を置き、地区単位の老人クラブから推薦を取り付ける徹底ぶりだ。女性票の取り込みも重視している。総合選対本部長の山口和之は「社会福祉や子育て、介護などに関心が高い有権者の支持を広げる」と語気を強める。
 増子は小選挙区制導入後の衆院選本県2区で4回、自民の元衆院議員根本匠に敗れた。根本は、昨年夏の衆院選で、千葉7区から国替えした民主の候補に敗退している。今回、増子は、根本が岩城光英の支援と連動させ、自身の組織を強化させることを警戒する。経済産業副大臣としてのメンツをかけてトップ当選し、復活を目指す根本の動きも封じたい考えだ。
 岡部光規は街頭演説中心の戦術で支持拡大を目指している。
 擁立に向けては、党県連代表の玄葉光一郎が後ろ盾になった。選対は「玄葉直系」をアピールし、玄葉と親族関係にある前知事の元後援会幹部らの支持獲得にも動く。選対には旧自由党支持者が幹部として加わり、支持の広がりにも期待する。
 ただ、初めての選挙で陣営は手応えをつかみ切れていない。総合選対2区事務局長の久木山貴は「現職の2人に比べ組織が弱い。固定票がなく、票が読めない」と明かす。
   ◇       ◇
 岩城光英は郡山市内での得票目標を前回より約1万7000票多い7万票に据えた。党と県議、根本の後援会組織と連携し、票の上積みを目指している。
 党県第2選挙区支部長の根本の動きが活発だ。政権与党として閣内に入ったライバル・増子が市内で支持を広げることに神経をとがらせ、後援会幹部に連日、げきを飛ばしている。視線の先には、返り咲きを期す次期衆院選がある。
 政権交代に伴い、市内に本部を置く業界団体は岩城に加え、増子を推薦するケースが目立つ。これまでの「業界団体頼み」は望めず、女性層などへの支持拡大に努めている。地元の女性県議2人が先頭に立ち、教育問題を重視する岩城の政策や人柄を売り込む。郡山地区選対本部幹事長の勅使河原正之は「党勢回復につなげるため、市内の隅々まで開拓し、個人票を積み増す」と意欲を見せている。
 福島、白河、須賀川、二本松、田村、伊達、本宮の各市では、増子、岩城両陣営ともに個人後援会や党組織を基盤に票の取り込みに動いている。岡部は地元県南地方をはじめ都市部での街頭演説に努めている。
   ◇      ◇
 菅本和雅は事務所がある郡山市を重点地域に位置付けた。若年層に照準を合わせ、街頭演説に力を入れている。商工業が盛んな同市で、企業経営者の立場から中小企業支援策の充実などを訴える。
 岩渕友は福島、郡山両市など都市部で街頭演説や個人演説会に臨み、消費増税反対などを主張している。7月6日には福島市に党委員長の志位和夫を迎え、運動を盛り上げる。=文中敬称略

【写真】福島市には4陣営が事務所を置き、連日、戦略を練っている。


(2010/06/28)

7741チバQ:2010/07/16(金) 23:10:00
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=20441&mode=1&classId=&blockId=9669459&newsMode=article
現地ルポ(下)【会津】民主、組織内で綱引き 自民、「縁」浸透に必死 
 ぐずついた梅雨空が広がった27日、増子輝彦の会津若松市宝町の事務所は、2日後に迫った喜多方市での個人演説会に向けた準備に追われていた。増子を推薦する連合福島の幹部と、衆院議員渡部恒三の後援会員が指揮を執る。
 増子は3年前の参院補選で初当選後、会津地方での後援会づくりに力を入れてきた。今回は自前の後援会に加え、渡部の後援会の全面支援を受ける。さらに、連動して会津地方の民主の県議4人がそれぞれの支援組織を引き締め、票を固めている。4区選対本部長の鈴木勝健は「組織力を得票に結びつけなくては意味がない」とげきを飛ばす。
 ただ、昨夏の衆院選本県4区で渡部の得票は、自民候補と、自民県議を辞職してみんなから立候補した小熊慎司の得票合計より約500票少なかった。みんなは今回、菅本和雅を擁立したが、小熊の自民系支援者が選挙区でどう動くのかに神経をとがらせる。
 岡部光規は、渡部の後援会には入っていない民主党員が支援することで、同じ党の増子と「すみ分け」した。主に党の草創期を支えてきた市町村議らが選対に名を連ねる。
 互いに線引きしたものの増子を支援する民主県議の支持層の一部を取り込みつつある。民主支持層の獲得をめぐって増子陣営との綱引きも生じている。
 初めての選挙戦の岡部は、会津地方の隅々まで行き渡るネットワークづくりを急ぐ。しかし、現職2人の支持基盤を切り崩す手応えは得られていない。
 公示後初の会津入りを28日に迎える。総合選対4区本部長の石橋史敏は「医師であることを前面に出し、地域医療の充実策を訴え、支持層を一気に拡大したい」と強調する。
   ◇  ◇
 岩城光英は会津美里町で幼少期を過ごし、会津を「第二の故郷」と呼んで票の掘り起こしに努めている。今年に入り、同町にも後援会が誕生し、有志が「地元議員」をトップ当選させようと決起した。
 陣営は、下郷町出身の知事佐藤雄平らと競った6年前の参院選と比べ、会津と縁の深い候補者であることを強調できる点は有利に働くとみている。
 会津地方の自民の県議4人が先頭に立ち、業界、団体への働き掛けも強め、幅広い支持の獲得を目指している。第4選挙区選対本部長の平出孝朗は「岩城の後援会や党、県議の組織をフル稼働させていく」と力を込める。
 だが、昨年夏の衆院選で自民候補が落選した影響が残る。次の衆院選立候補予定者が就く党県第4選挙区総支部長は空席のままとなっている。本来であれば陣頭で指揮すべき核を欠いた状態に、選対内からも票固めへの影響を心配する声が出ている。
   ◇  ◇
 菅本は会津地方に事務所を置かず、会津若松市を地元とする同じ党の比例候補で県連代表の小熊と共に戦う戦術を取る。小熊の支援組織を足掛かりに、中小企業活性化策などを訴え、支持拡大を目指す。
 岩渕友は喜多方市生まれで、会津若松市の小学校を卒業した。その友人らによる応援の輪が一部で広がりつつある。生活者視点の政策を無党派層に訴えている。父親が金山町出身で、奥会津地区の遊説にも重点を置く。=文中敬称略=



【写真】会津地方は選挙区に地元候補がいないが、事務所では支持拡大に向けた取り組みが続く=会津若松市=

(2010/06/28)

7742チバQ:2010/07/16(金) 23:12:18
上と下がないけど
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=20441&blockId=9687241&newsMode=article
ふくしま参院選 県政界の行方(中) 再生いまだ道険しく 
 自民党の議席を守った岩城光英は13日、支援を受けた浜通りの企業・団体へのあいさつ回りに追われた。「政権奪還に向け全力を挙げる」。激戦を戦い抜き、真っ赤に日焼けした顔で支持者の手を握り締めた。
 全国では自民が躍進し、与党の過半数を阻止した。その潮流に乗るかのように、岩城陣営は後半、猛烈に追い上げ、トップ当選した民主党の増子輝彦に迫った。自民県連幹事長の斎藤健治は12日の役員会で、「わずかにトップには及ばなかったが、よく戦った」とたたえた。しかし、下野した自民の命題である党再生の道は、いまだ険しい。
   ◇  ◇
 候補者を1人に絞り込んだ今回、県連は投票総数を100万票と想定し、半数に当たる50万票を得票目標に掲げた。皮肉にも、民主の候補2人の得票合計が約50万票。岩城の得票は約33万8000票だった。民意は、いまだ民主にあるという結果を突き付けられた。
 岩城の得票は6年前に比べ約6万9000票減った。3年前の公認候補と比べても約3万5000票少ない。「負け戦のようなもの。来春の県議選で最大会派の地位を失ってしまう」。党所属県議からは、うめき声さえも漏れる。
 野党として臨んだ国政選挙に、県連は強い危機感を抱いていた。無党派層の取り込みを狙い、今年1月から岩城は県議とともに毎週、福島市のJR福島駅前に立ち、政策を訴えた。県政で実現を目指す県版マニフェストを初めて作製し、有権者に配った。党の新たなイメージを売り出そうと懸命だった。
 一方、選挙事務所では「建設業者の応援が足りない。不況で社員を削っている」と嘆くだけで、支持拡大に向け動こうとしない選対関係者の姿もあった。県議の1人は「与党時代の殿様感覚が抜けない。他人を頼ろうとしている」と、にべもなく突き放した。
   ◇  ◇
 県議選に向け、県連は業界団体、企業との関係再構築に取り組むほか、県民への訴えを強化する。
 県議がこまめに要望聴取に出向き、来年度の県の予算編成に反映させていく。選挙が迫ってから動員をかけて集会を開く従来のスタイルを改め、普段から「辻立ち」を行い、政見を訴える。
 政調会長の平出孝朗は「地道な取り組みだが、今はこれしかない」と自らに言い聞かせるかのように、言葉をつないだ。(文中敬称略)

(2010/07/14)

7743チバQ:2010/07/16(金) 23:14:44
同じく公示後
http://www.minyu-net.com/osusume/saninsen2010/news/serial/rupo1.html
【 会 津 】
地域重視の政策競う

各候補、独自公約示す


 雇用不安や医師不足、過疎化の進行などの問題に直面する県内。その中で会津入りする各候補は、景気・雇用対策や医師確保策など、地域の現状を踏まえた独自の公約を示し、有権者への浸透を図ろうとしている。

 民主党の現職増子輝彦は公示日の24日に会津入り。会津若松市の神明通り商店街で会津地方での第一声を上げた。富士通の事業再編や中合会津店の閉店など厳しい雇用情勢に直面する有権者に対し経済産業副大臣の実績を強調、景気・雇用対策などを訴えた。

 同市宝町の事務所には、民主の重鎮で地元選出の衆院議員渡部恒三と増子が並ぶポスターが張られていた。増子は「恒三後援会」の全面支援を受けた選挙戦を展開している。

 事務所で陣頭指揮を執る選対関係者はポスターを見つめながら「票の上滑りが不安材料」とつぶやくが、労組関係者や郵便局関係者も頻繁に事務所に出入りするなど、組織力を生かした票固めを進める。

 自民党の現職岩城光英は26日、会津北部の中山間地域を中心に遊説した。岩城は公約で農林水産業など地場産業の支援強化を訴える。選対本部長の遠藤忠一は「(人口の半数以上が65歳以上の)限界集落などの問題を抱える山村部で、あえて公約を訴えた」と話す。沿道では農家の女性が手を振り、遊説隊を励ました。遠藤は「候補者の会津入りで気勢は上がった。有権者の反応は予想以上」と手応えをつかむ。

 岩城の陣営は県議、市町村議の後援会に支援団体を加えた“総力戦”で臨む。ある県議は「岩城の過去2回の選挙は、会津が地元でいまは知事の佐藤雄平が相手で苦戦したが、今回は違う」と民主の「牙城」の切り崩しに自信を見せる。

 新人3候補も票の掘り起こしに躍起だ。

 民主新人の岡部光規は医師の立場から、産婦人科や小児科の充実を公約に掲げた。総合選対4区本部長の石橋史敏は「医療政策を有権者に訴え、若年層を中心に無党派層を獲得したい」と話す。党県連常任幹事や同市議らが選対を支える。

 「ストップ役人・議員天国」。みんなの党新人の菅本和雅は生活重視の視点から消費増税に反対、公務員制度改革や国会議員の定数削減をアピールする。会津若松市が地盤の比例代表候補小熊慎司とのセット戦術で支持拡大を狙う。

 会津の市町村は高齢化率が高く、共産党新人の岩渕友は「年金受給者の生活危機」と消費増税反対を訴え、浸透を図る。岩渕は喜多方市出身で、党会津地区委員長の宮沢弘は「会津で育った唯一の地元候補」とアピールする。


−−− 2010年6月28日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−

7744チバQ:2010/07/16(金) 23:15:30
http://www.minyu-net.com/osusume/saninsen2010/news/serial/rupo2.html
【 中通り 】
団体推薦「両にらみ」

組織票奪い合い激化


 福島、郡山両市の大票田を抱える中通り。各陣営の事務所には、各種団体からの推薦状が壁いっぱいに並ぶ。政権が交代したことで県内の業界団体は、今回の参院選で政権与党の民主党も、長く政権に就いていた自民党も無視できず「両にらみ」で推薦するところが多い。民・自以外の勢力への期待も少なからずある。

 「次の国政選挙は分からないが、定数2の参院選は現職2人を推薦した」と話すのは郡山市の土地改良区関係者。各種団体の県組織がある福島市とともに経済県都の郡山市でも業界団体の活動は活発で、各陣営は堅い組織票を狙い、アプローチを強めている。

 民主現職の増子輝彦は中通りの主戦場を地元郡山市と定めた。2区選対事務所には首相の菅直人のポスターが張られ「政権与党」の立場を印象付ける。同市の業界団体には推薦を増子に一本化するケースもあり、選対は推薦団体の組織末端までの支持固めを狙う。選対幹事長の佐久間俊男は「一票を積み上げ、トップ当選につながる成果を」とスタッフにげきを飛ばす。

 陣営は、かつて増子が衆院選の中選挙区で立候補したつながりが残る県北地方も「準地元」と位置付け、衆院議員、県議らが企業・団体回りに日程を割く。支援組織の連合福島や農協などの団体票の積み上げを続け手応えを感じている。

 28日、福島市の建設関係団体の県組織が入居するビルに、自民現職岩城光英の陣営の県議の姿があった。県議は、序盤戦で組織の上滑りを懸念、従来から支持を得ている団体を回り、あらためて支援を要請した。

 各種団体が民主候補を推薦する動きを、岩城の2区選対幹事長を務める勅使河原正之は「業界団体は地元の現職に頼まれたら、推薦は断れない」と、冷静に見極める。岩城は小野町に地縁があるものの、増子が地元の衆院2区の郡山市での人脈は薄い。

 陣営は、前衆院議員根本匠の後援会を軸に、数で民主に勝る県議、市議の人的なつながりで団体の自民離れを防ぐ戦術を進める。

 民主新人で浅川町出身の岡部光規は、須賀川市に県南の拠点を構えた。県議や党政調会長玄葉光一郎の後援組織を足掛かりに支持拡大に取り組む。社民党の地方組織も支持する動きだ。

 みんなの党新人の菅本和雅は無党派層を照準とし、地元双葉町でなく、郡山市に拠点事務所を開設、政治改革を訴える。30日に党代表渡辺喜美が同市に入り、選挙戦に勢いをつける。

 共産党新人の岩渕友は、他党との政策の違いを鮮明に訴え毎週末は郡山、福島両市で遊説を厚くする。県北地方では「地元候補」を強調する構え。

−−− 2010年6月29日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−

7745チバQ:2010/07/16(金) 23:16:27
http://www.minyu-net.com/osusume/saninsen2010/news/serial/rupo3.html
【 浜通り 】
地の利、人脈でしのぎ

支持固めに全力投球


 県内で最も有権者数が多い大票田いわき市を抱える浜通り。地元の堅い地盤を持つ陣営や、組織的なつながりが強い候補。選挙戦は29日、中盤戦に入り、各候補の事務所では支援者が活発に出入りを続ける。各候補とも地の利と人脈をフル稼働させ、浜通り全域での支持獲得を描く。

 自民現職の岩城光英は、いわき市での第一声となった公示当日の24日の街頭演説会で、支持者が会場を埋め、地元候補としての強さを印象づけた。ただ、選対関係者は「民主は候補2人。岩城の当選は確実という油断が一番怖い」と慎重な姿勢を崩さない。

 陣営は、後援会を中心に県議や市議で選対を組む。自民系市議らが市内の企業、団体を訪ね自民支持層の支持固めに走る。自民が分裂した昨夏の市長選のしこりを懸念する声もあるが、選対幹部は「市長選を戦った市議同士が支持固めに動いている」と打ち消した。30日に県議会が閉会すれば県議も本格的に支持拡大に動く。陣営はさらに党組織を結集、浜通り全域での支持獲得に打って出る。

 一方、民主現職の増子輝彦は26日、“敵地”のJRいわき駅前で街頭演説し「圧倒的な支持で当選させてほしい」と声を強めた。

 同市での戦いは、国会議員や県議、市議を含めた民主支持者や友好団体の連合福島が中心。しかし「政権与党の経済産業副大臣として浜通りに浸透している」と、5区選対本部事務局長の佐久間均。エネルギー政策、中小企業支援の担当副大臣としての知名度を武器に、電力関係労組の強力な支援や、中小企業などの推薦を得て同市だけでない支援態勢が出来上がった。

 党県第5区総支部代表の吉田泉は「増子は現職の貫禄で横綱相撲ができる。自民票を奪い、いわきでもトップに」と攻勢を強め、自民票の切り崩しを図る。

 民主新人の岡部光規は、いわき市の勤務医時代のつながり、同市出身の妻の血縁を頼りに支持拡大を図る。同市は地域医療に関心を持つ有権者が多く、街頭演説では医師の立場から地域医療の充実の政策を訴え、知名度を上げる作戦。

 双葉町出身のみんなの党新人の菅本和雅は、浪江町の後援会事務所と、いわき市に県内唯一の党支部を置き、浜通りでの浸透を図っている。「民主、自民の批判票を取り込みたい」と選対関係者。有権者の第3極への期待票を狙う。

 共産新人の岩渕友は、市議、県議の地方議員ネットワークを生かし、いわき市内で徹底した遊説を展開、消費税増税反対の政策浸透を強調する。7月2日には党幹部を招いて街頭演説を行い、支持開拓に力を入れる。

−−− 2010年6月30日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−

7746チバQ:2010/07/16(金) 23:17:28
http://www.minyu-net.com/osusume/saninsen2010/news/serial/kensyo1.html
検証 参院選ふくしま
【 民 主 】


【 上 】

団体支持、集め切れず

強い与党へもどかしさ


 「勝利と言っていいのか敗北と見なすのか、評価が難しい」。参院選の投開票から一夜明けた12日、民主党県連幹事長の安瀬全孝は福島市の県連事務所で開票結果の分析を開始、政権与党として初めて臨んだ国政選挙で当選1、落選2の結果に複雑な心境を語った。

 県連は、改選2議席の福島選挙区に現職の増子輝彦と新人の岡部光規を立て、比例代表にも重点候補の中村秀樹を擁立、「3人必獲」を目指した。結果は、選挙区で増子がトップ当選を果たしたものの、自民の岩城光英に約2600票差まで詰め寄られた。岡部との2議席独占はならず、中村も議席に届かなかった。

 県連内に「増子と岡部の得票合計は自民を大きく上回った」との声が根強い。政権交代後の参院選で新たに推薦団体になった自民支持の団体票も加え、「県内総得票の過半数獲得」とした、もう一つの目標にはわずかに届かなかった。

 ある県議は「菅内閣発足後の支持率のV字回復が消費税の増税発言で吹っ飛んだ」と指摘するが、安瀬は「政権交代の過渡期で団体は民主、自民の双方を推薦した。団体の末端まで支持を引き寄せる力が足りなかった」と受け止める。

 民主は前党幹事長の小沢一郎の方針で、団体要望を県連が一括して受け付ける仕組みを作り、自民よりもぜい弱な組織基盤を強化する作戦を実行した。県連政調会長の吉田公男は「政権交代後の短い時間で、着実な支持に結びつける関係は作れていない」と実感する。

 県連は自民党が参院選終盤に団体票の巻き返しを図っている動きを察知したが、すぐに動ける組織がなく十分に対応できなかった。「最前線で戦う地方議員には自民が圧倒的に多い。民主系議員の後援会は『個人党』への支援で、党の存在を懸けた戦いで後れを取る」と県議の一人。

 国会議員が運営方針を決めていた県連の指示系統の課題も露呈、今回の選挙戦で県連から選挙区候補に対し比例候補との連携構築を指示できないもどかしさが県連幹部にあり、強い政権与党へ変容できない民主の現実を突きつけた。

   ◇

 福島選挙区、比例代表合わせて4人の本県関係参院議員が誕生した今回の参院選。民主、自民の二大政党の競り合いの一方、第三極の伸長という新たな動きが表れた。参院選の結果が県政界にもたらす影響を検証する。(文中敬称略)


−−− 2010年7月13日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−

7747チバQ:2010/07/16(金) 23:18:33
http://www.minyu-net.com/osusume/saninsen2010/news/serial/kensyo2.html
【 自 民 】


【 中 】

組織の弱体化を懸念

終盤挽回もトップ許す


 「よく戦ったというのが大半の役員の意見。(昨年の政権交代で)野党になり、初の国政選挙だったが善戦したと思う」。自民党県連幹事長の斎藤健治は12日、福島市で開かれた県連役員会で参院選をこう総括した。民主党候補にトップ当選を許したが、執行部の責任を追及する声は上がらなかった。昨年の衆院選で県内全小選挙区の議席を失った自民にとって、それだけ追い込まれた状況で迎えた参院選だった。

 自民は公認候補を現職の岩城光英に絞ったが、県連内部には公示前から、「トップ当選」は困難との見解が大勢を占めた。ある県連幹部は「政党支持率で民主との間に歴然とした差がある中で2人擁立は無理。団体支援も一本化できない現状ではトップ当選は厳しい」と話した。政権交代後、これまでは自民候補のみを推薦してきた商工団体や農業団体の一部が、民主候補にも推薦を出すなど、野党転落による組織の弱体化が懸念された。

 不安を抱えたまま突入した選挙戦。2人擁立の競争原理が働き、自民支持層や無党派層の激しい奪い合いを展開する民主に対し、自民は受け身の選挙戦を強いられた。県連は県議の後援会組織を軸とした票の掘り起こしを期待したが、動きが鈍い地域もあり、支持は伸び悩んだ。県内には国政選挙は「民主」、県議選は地縁関係などから「自民」を支持する有権者も多く、複雑な支持構造が県議を悩ませた。ある県議は「後援会を動かせば、県議選で票が減るかもしれないが、党人として覚悟を決めてやるしかない」と述べた。

 選挙戦終盤、争点の消費税率の引き上げをめぐり民主への“逆風”が吹く中、岩城の陣営は昨年の市長選の影響で党総支部が分裂した地元のいわき市でも組織がまとまるなど、自民、公明支持層を中心に加速度的な票固めを進めた。県連副会長で岩城総合選対本部長の遠藤忠一は「参院選の選挙結果は、来春の統一地方選の基礎票の意味合いを持つ」と評価した。

 斎藤と遠藤は14日、福島市内の建設団体など有力な友好団体を訪問し、参院選の支援に対する礼を述べ、今後の支援も確認する。斎藤は「団体の自民離れを指摘する声があるが、そのようなことはない。われわれ県議がしっかりとした関係を構築している」と話す。
 来年4月の県議選で自民の「底力」が試される。(文中敬称略)

−−− 2010年7月14日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−

7748チバQ:2010/07/16(金) 23:19:25
http://www.minyu-net.com/osusume/saninsen2010/news/serial/kensyo3.html
【 第三極 】


【 下 】

みんな、期待集め躍進

県連組織の確立が急務


 民主党が大敗し、与党の過半数割れとなった参院選の結果、「衆参のねじれ」がクローズアップされる中で、第三極としての期待票を集めたみんなの党の存在感が増した。今回の参院選で同党は、比例代表で県内から13万7568票を得て民主、自民両党に次ぐ県内「第3党」となった。

 「組織でなく、有権者の純粋な思いが1票に託された」。比例代表に立候補し、同党で本県関係初の国会議席を得た県連代表の小熊慎司は初当選から一夜明けた13日、支援者へのあいさつ回りを続けながら13万票の重みをかみしめた。

 同党は県連の事務所こそ置いたが、県内に確固とした組織がない。福島選挙区に立候補した菅本和雅は、支援を申し出たボランティアスタッフと運動を展開。選挙ポスターも遊説しながら掲示板に張るほど人手が不足した。菅本が得た9万3758票は、選挙応援で4度にわたり本県入りした党代表の渡辺喜美の後押しを受けての得票数だ。

 「組織としての活動の在り方を考えなければ」。小熊は、県連組織確立の必要性を認識する。政党や議員が最も大切にする活動が、国民の意見や声を吸い上げる政務調査。議員が会津若松市を基盤にした小熊だけの県連では、吸い上げる意見の数にも限界がある。来春は県議選などの統一地方選があり、県連は党勢拡大のチャンスととらえ、公募などで候補者を擁立、当選させることで県内基盤を確立する考えだ。

 党幹事長の荒井広幸が「反民主」を掲げて戦った新党改革は県内で4万2500票を挙げ、荒井再選の土台となった。公明党は重点候補横山信一の当選を目指し堅い組織票をまとめ、個人名で県内過去最多の5万9644票を獲得した。

 ほかの既存政党にとっては厳しい結果が突き付けられた。共産党は選挙区候補と比例代表との連携で票の上積みを狙ったが、いずれも前回よりも票を減らした。県委員長の久保田仁は「消費税の増税反対で民主党の過半数割れに追い込んだが、党への票に結びつかなかった」と振り返る。

 社民党は県内比例得票13万票余を目指したが3万2487票にとどまり、党勢後退に歯止めがきかない。県連幹事長の加藤雅美は「二大政党のはざまで厳しい選挙だった。みんなの党にも票が流れた」と述べ、明確な対立軸を示せなかったことを要因に挙げる。(文中敬称略)

−−− 2010年7月15日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−

7749チバQ:2010/07/16(金) 23:29:41
>>7627>>7638
http://www.shimotsuke.co.jp/journal/politics/election/2010sanin/news/20100715/351555
<審判 検証2010とちぎ参院選>(下)「みんなの党」 渡辺氏と党に存在感
(7月15日 05:00)
 「十分に役割を果たせた」

 12日午前零時すぎ、宇都宮市内の選挙事務所。みんなの党新人の荒木大樹氏(39)は支持者を前に、落選にも胸を張った。

 荒木氏は当選した自民党新人の上野通子氏(52)、次点の民主党現職の簗瀬進氏(60)に及ばなかった。だが、得票数22万4529票は、昨夏の衆院選でみんなの党が獲得した県内比例票を上回っていた。

 ■  ■

 県政界でほとんど知名度がなかった荒木氏。選挙期間中、その演説に立ち止まる有権者は多くなかった。ただみんなの党の「アジェンダ」(政策課題)を記したパンフレットには、老若男女を問わず手を伸ばした。

 菅直人首相の消費税増税発言を批判すると「(有権者の)反応が変わった」(荒木氏)。「増税の前にやるべきことがある」は渡辺喜美みんなの党代表が強調したフレーズだ。その渡辺氏ら党幹部も頻繁に本県入りして後押しした。

 渡辺氏のおひざ元の栃木選挙区での戦いは、荒木氏にとって渡辺氏の「代理戦争」の位置づけだった。

 立候補表明が公示3週間前と出遅れた。人手も時間も足りず、関係者は「選挙活動では1市町当たり最低3日はほしいが、1日で2市町を回らざるを得ないような状況だった」と振り返る。

 それでも無名の新人が22万票余りを獲得し、県北6市町では得票数がトップ。さらにみんなの党の県内での比例代表得票数は約29万7千票と民主、自民を上回った。荒木氏陣営の戦いは、同党と渡辺氏の存在感を示すのに十分なものだった。

 ■  ■

 みんなの党は参院選での躍進を背景に、来春の県議選で地方の強化を図り、次期衆院選につなげる考えだ。渡辺代表は県議選に関し、2けたの候補者擁立を明言している。

 同党関係者によると、既に宇都宮市や県南地区など複数の選挙区で、候補者の検討作業に着手した。この関係者は「早ければ今秋にも立候補表明の動きがある」とも明かす。

 民主党県連は当初、5月に県議選第1次公認候補を決め、9月に全候補者の選出を終える方針だったが、参院選対応で作業は遅れている。同県連幹部は「みんなの党が参戦すれば、現職も気を抜けない」と警戒する。

 一方、自民党県連幹部は「県議選は党より人物本位。地元密着度が高い人ほど有利だ」と、参院選栃木選挙区を勝ち抜いた勢いや底力を理由に、強気の姿勢を示す。

 参院選を通して「戦国時代」に突入した県政界。みんなの党は県議選で、地方での真の力を試される。

 [写真説明]みんなの党の荒木氏(左)の応援で本県入りした同党の渡辺代表(右)。荒木氏は渡辺氏の「代理戦争」とも訴えた=6月25日午後、宇都宮市内

 (この企画は参院選取材班が担当しました)

7750チバQ:2010/07/16(金) 23:30:51
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20100713ddlk09010159000c.html
激突:参院選2010 戦いを終えて/上 自民 /栃木
 ◇危機感で組織フル稼働 公明票も上野氏に流れ
 「劇的な選挙。大金星だよ」。宇都宮市内の上野通子氏(52)の選挙事務所に「当確」の一報が入った11日深夜、選対事務局長を務める自民党県連の石坂真一幹事長は興奮を抑えきれない様子で語った。時計の針は午前0時を指そうとしていた。

   ◇  ◇

 選挙序盤は「上野氏の形勢不利」が大勢だった。宇都宮市・上三川町選挙区選出の県議だったが、全県的な知名度はなく、出足も遅れた。昨年9月、民主党県連が現職の簗瀬進氏(60)の公認申請を決めたのに対し、自民県連の公募で上野氏が公認候補に決まったのは今年3月。上野氏も「公示前はこれでいけるのかという(不安な)気持ちだった」と率直に振り返る。

 毎日新聞が今月2〜4日、県内の約700人の有権者を対象に実施した世論調査では、29%が簗瀬氏に、19%が上野氏に投票すると答えた。他の報道機関の調査結果も「簗瀬氏リード」で、上野氏の不安は数字も裏付けていた。しかし、フタを開けると逆の結果に。現職の予算委員長の落選という民主の退潮傾向を象徴する選挙区となった。

 逆転した要因は何か。ある自民関係者は来春の統一地方選に向けた危機感を指摘する。昨年8月の衆院選で自民は大敗。国政と地方選挙の違いがあるとはいえ、参院選は負の連鎖を断ち切る試金石でもあった。

 そのため、上野氏が所属していた県議会最大会派の自民党議員会(28人)の所属県議や自民系の首長、市町議員の後援会がフル回転。一枚岩となって自民支持層を確実に固めていった。石坂幹事長も「今までの参院選でなかった結束ができた」と総括。今回の勝利が統一地方選に向け「大きな弾みになる」と自信を込めた。

 自民ばかりではない。県内に10万前後の固定票を持つとされる公明票の大半が上野氏に流れたことも大きい。目に見える形での選挙協力こそなかったが、県連幹部の一人は「地域レベルでは連携はあった」と打ち明けた。さらに、菅直人首相の「消費税増税発言」などの影響で、無党派層の一部がみんなの党に流れたのも簗瀬氏にとっては不利に働いた。

 複数の要素が積み重なって、次第に形成されていった“簗瀬包囲網”。それが投票日の「4892票」差に結実したともいえる。【山下俊輔】

7751チバQ:2010/07/16(金) 23:32:08
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20100714ddlk09010058000c.html
激突:参院選2010 戦いを終えて/中 民主 /栃木
 ◇政権の動きに翻弄され 組織戦は自民が上手…統一地方選に影
 「政権与党の選挙がこんなに厳しいものと思わなかった」。投開票日前日の10日夜、民主の簗瀬進氏(60)は宇都宮市内の事務所で、支持者らを前に嘆息した。

 政権の動きに応じ乱高下する「風」に翻弄(ほんろう)された。鳩山由紀夫前首相の在任中は、古くからの支持者にも「今回は応援しない」と政党ポスター張りを拒まれた。首相交代で支持率が「V字回復」した先月13日、宇都宮市で枝野幸男幹事長と行った街頭演説では、「政治家人生で初めて」と簗瀬氏も驚く大勢の人が集まった。

 しかし公示直前、菅直人首相の「消費税10%」発言で急失速。終盤は事業仕分けに的を絞って政権交代の成果をアピールしたが、一度離れた有権者の心は戻らなかった。共同通信の出口調査によると、無党派層の投票先は簗瀬氏が約37%、続いてみんなの党の荒木大樹氏が約30%、自民党の上野通子氏が約28%。昨夏の衆院選で民主に吹いていた「風」は、3氏にほぼ均等に流れた。

   ◇  ◇

 県政界は自民党系が多数派を占める「ねじれ」状態下で組織固めも難航した。民主・自民の「二また推薦」も相次いだが、農協の一部の支部など、実態は上野氏に肩入れした団体も多かった。

 「私たち自民党は洗髪設備を持たない理美容所を(県)条例で規制します」。簗瀬氏陣営で企業・団体対策を担当した斉藤孝明県議は、支持者の理髪店でそう書かれたチラシを目にした。投票日直前、組織固めを図る自民の上野氏陣営が持参したという。

 洗髪せず速さ・安さが売りの「1000円カット」を規制する内容。県条例は参院選とは直接関係がないが、自民の勢力を背景に、競争激化に悩む業界の要望に応えると約束されていた。斉藤県議は「意味のない規制。でも、相手の戦略が一枚上だった」と認める。

 民主党も先月19日に宇都宮市で53の業界団体を集めて要望を聞く「政策懇談会」を開催した。しかし、斉藤県議は「各団体が実感として、要望の成果をまだ得られていないようだ」と、政権交代後まだ間もない中で、業界団体との信頼関係を結ぶことが難しかったと明かす。

   ◇  ◇

 来春の統一地方選。県連は県議会(定数50)で現在7人の民主党系会派の倍増を目指す方針だった。しかし、ある県議は「それどころじゃなくなった。自分の選挙も心配だ」と危機感を募らせる。厳しい審判を突きつけられた民主が、統一地方選の戦略見直しを迫られるのは必至だ。【泉谷由梨子】

7752チバQ:2010/07/16(金) 23:33:17
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20100715ddlk09010174000c.html
激突:参院選2010 戦いを終えて/下 みんな /栃木
 ◇統一地方選へ大きな一歩 社民、共産は存在感示せず
 ●みんな

 12日午前0時すぎ、落選が確実となると、みんなの党新人、荒木大樹氏(39)は支援者を前に「この数字は決して無になることはない。ホップの参院選。十分に役割を果たせた」と話した。みんなの党の渡辺喜美代表は参院選をホップ、統一地方選をステップ、衆院選をジャンプと位置づけており、荒木氏は投票結果が統一地方選につながるという自負を見せた。

 荒木氏が立候補を表明したのは公示約20日前の6月3日。出遅れに加え、新人で知名度は低かった。選挙では党の「アジェンダ」(政策課題)や渡辺代表を前面に押し出し、消費税率引き上げを示す民主、自民に対し「増税の前にやることがある」と訴え対立軸を明確にした。

 結果的に、上野通子、簗瀬進両氏に及ばなかったものの、22万4529票を獲得。特に渡辺代表の地元である衆院3区の4市2町では簗瀬、上野両氏の得票を超え「渡辺人気」を見せつけた。また、民主や自民に反発する票の受け皿になったとみられる。比例でも、みんなの党は民主、自民を上回る県内最多の29万7619票を得た。

 みんなの党関係者は「大きな期待を背負っている。今回の結果は統一地方選への大きな一歩になる」と語った。渡辺代表は県議選を含む統一地方選で多数の候補者を擁立する構えだ。

 ●共産

 小池一徳氏(49)は栃木選挙区で7万票以上を目指したが、半分に満たなかった。小林年治・党県委員長は「争点だった消費税の問題を訴えたが、支持に結びつけられなかったのは私たちの力不足」と分析する。

 同じく消費税増税に異論を唱えたみんなの党は大きく躍進した。小林委員長は「今の政治を批判する人たちの受け皿になれなかった」と述べ、消費税増税に反対の有権者がみんなの党に流れたと感じている。

 今後、共産党は引き続き消費税増税の批判で存在感をアピールしていくという。「消費税増税に反対の署名運動などで、地域や有権者と向き合った取り組みを強めていきたい」

 ●社民

 社民党県連は5月末の連立政権離脱後に栃木選挙区への候補者擁立を再検討。立候補を希望する女性も現れたが、準備期間が間に合わず見送った。党員は減少傾向で、昨夏の衆院選でも候補者を出せず痛い「不戦敗」が続いている。

 離脱のゴタゴタにも県連の宇賀神文雄幹事長は「筋を通し、評価が高まった。追い風を感じる」とむしろ手応えを感じていた。6月19日には福島瑞穂党首が訪れた栃木市での会合に200人以上もの有権者が参加。しかし、比例票は07年の前回に比べて6000票以上減。「第三極」を掲げるみんなの党や他の新党ブームにかき消され存在感を示せなかった。【山下俊輔、泉谷由梨子、中村藍】

7753チバQ:2010/07/16(金) 23:34:52
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20100712ddlk09010048000c.html
参院選’10栃木:猛追で上野氏 自民「王国」再建へ(その1) /栃木
 ◇出遅れで苦戦も逆転
 消費税率の引き上げなどが焦点となった第22回参院選は11日に投開票され、栃木選挙区は前県議で自民新人の上野通子氏(52)が、3選を目指した参院予算委員長で民主現職の簗瀬進氏(60)=国民新推薦、石材会社社長でみんな新人の荒木大樹氏(39)、党県書記長で共産新人の小池一徳氏(49)を破り、初当選を果たした。一つの改選議席を巡って4人が名乗りを上げる激戦だったが、上野氏が県内全域で支持を広げ、無党派層にも浸透した。序盤リードした簗瀬氏は、猛追した上野氏に最後にかわされた。荒木氏も追い上げたが及ばず、小池氏は支持拡大が進まなかった。投票率は56・59%(当日有権者数163万549人)だった。【参院選栃木選挙区取材班】

 宇都宮市桜2の上野氏の事務所では、当選の一報が飛び込むと、大歓声が上がり、大きな拍手に包まれた。上野氏は集まった支援者と万歳三唱し喜びを分かち合った。

 「正直勝てるとは思わなかった。多くの人に支えられたのが勝因」と喜びを語り、選挙中に挙げていた国会議員定数の3割削減を実現したいと述べた。

 上野氏は県連が実施した公募を経て公認候補に選ばれた。出足の遅れや知名度不足を補おうと、県議時代に所属した県議会最大会派、自民党議員会の所属議員の全面支援を受け足元の自民票を固める一方、県内各地で街頭演説を繰り返し、無党派層の取り込みにも力を入れた。

 16年間高校教諭として教壇に立った経験から「日本人の心を取り戻す教育」の実現を訴えた他、子育て環境の充実、社会保障の再構築、雇用創出を掲げた。選挙期間中には、自民党の谷垣禎一総裁や大島理森幹事長、小泉進次郎衆院議員らが相次いで来県した。

 ◇簗瀬氏「私の不徳」
 宇都宮市平松本町の簗瀬氏の事務所に落選が伝わると、支持者らから「なぜ」と悲痛な声が漏れた。簗瀬氏は「私の不徳の致すところでこの結果になった。おわび申し上げる」と頭を下げた。

 抜群の知名度を誇る。一時は米軍普天間基地移設問題などの影響を受けたものの、首相交代後は持ち直したかにみられていた。政権交代後初の本格的な国政選挙で医師会や農協など多くの業界団体が初めて推薦。国民新党の推薦も得て、県内の特定郵便局長らによる「郵政政策研究会」も強力な組織力で支援に加わった。

 事業仕分けや子ども手当などを例に政策の理念を説明し、政治家と官僚の癒着構造の打破や社会保障で国の活力を取り戻す必要性を訴えた。宇都宮市出身の枝野幸男幹事長ら党幹部も次々と駆けつけ応援したが、無党派層を取り込み切れず、及ばなかった。

7754チバQ:2010/07/16(金) 23:35:28
◇荒木氏、支持者ら重苦しく
 宇都宮市西川田町の荒木氏の選挙事務所では、集まった支持者がテレビの開票速報を見つめ、落選が確実となると重苦しい雰囲気に覆われた。

 みんなの党の渡辺喜美代表は石材会社社長の荒木氏に白羽の矢を立て、擁立を発表したのは公示が迫った6月上旬。他候補に比べ出遅れた感は否めなかったが、県内各地で街頭演説を繰り返し、支持を広げていった。

 菅直人首相が「消費税10%」の意向を示したことに対し、「増税の前にやることがある」と声高に訴え、衆参議員の定数削減や二重行政の無駄をなくすことなどを掲げ、民主党との対立軸を明確にして選挙戦を展開した。

 渡辺代表も公示前後に栃木に戻り応援演説に力を入れた。渡辺代表の地元、大田原市を含む県北部を中心に支持を集めていったが、一歩届かなかった。

 ◇小池氏、敗戦に沈痛
 宇都宮市東浦町の小池氏の選挙事務所。開票が進んでも票が思うように伸びず、沈痛な雰囲気に包まれた。

 07年参院選、09年衆院選に続き、3度目の国政選挙への挑戦となった小池氏は「消費税増税反対」を強く主張。労働者派遣法の抜本改正、後期高齢者医療制度の廃止などを公約として訴えた。

 選挙戦では、宇都宮市を中心に県内各地で街頭演説を精力的にこなし、無党派層への浸透を図ったが、広がりを欠いた。

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 ■解説

 ◇反転攻勢へ糸口
 自民県連が初めて実施した公募で選ばれた自民新人の上野通子氏が、民主現職の簗瀬進氏、みんな新人の荒木大樹氏との三つどもえの激戦を制した。昨年8月の衆院選で一敗地にまみえた自民だが、参院予算委員長を務める実力者の3選を阻んだことで、反転攻勢の糸口をつかんだといえる。

 昨年の衆院選で自民は県内5議席のうち、3議席を失い、「保守王国」は事実上崩壊した。

 参院選は当初から簗瀬氏が他の3候補を先行する展開だったが、菅直人首相の「消費税10%」の表明などの影響で終盤失速した。

 上野氏は知名度の低さと出遅れが響き、序盤は苦戦を強いられたが、来春の統一地方選を見据える自民系首長や県議、市町議員の後援会組織がフル稼働。さらに、組織としての協力関係は構築できなかったものの、10万票前後といわれる県内公明票の多くが上野氏に流れたほか、県連幹部は「これまでの積み重ねが終盤に表れた」と分析した。

 簗瀬氏は連合栃木を支持母体に、組織型選挙を展開する一方、街頭演説を繰り返し、無党派層の取り込みを図った。しかし、無党派層はみんなの党にも流れ、浸透を欠いた。荒木氏も票を伸ばし、みんなの党の渡辺喜美代表の影響力を改めて見せつけ、統一地方選への弾みをつけた。【山下俊輔】

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 ◇期日前投票、前回より10%増 16万8192人で確定
 県選挙管理委員会は11日、先月25日から10日までの確定投票者数を発表した。16万8192人で、07年の参院選に比べ、約10%増加した。

 最も多かったのは宇都宮市の4万899人で、栃木市1万3054人、那須塩原市1万2274人、小山市1万715人、足利市1万291人と続いた。

7755チバQ:2010/07/16(金) 23:38:43
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100713ddlk10010198000c.html
民意大揺れ:底流・参院選ぐんま/上 中曽根氏大勝 /群馬
 ◇危機感が結束生む 「福中小」初の協演
 選挙戦3日目の6月26日。中曽根弘文氏(64)の「桐生地区出陣式」に、福田康夫元首相が駆け付けた。福田氏は「中曽根さんとね、福田康夫が一緒に並んで選挙をやるなんて、今まで見たことないでしょ。初公演です。本邦初公演」と応援演説を切り出した。

 集まった支持者は約400人。福田氏は「(投票用紙に「中曽根」と)今まで書いたことがない人もたくさんいらっしゃると思います。そういう方々に言っていただきたい。『福田が来たよ』『福田が一生懸命やってるよ』って」。

 父親の代に「福中戦争」が演じられた中曽根氏と福田氏。息子の代となり、危機感を強めた2人が今回の参院選で手を結んだ。自民党県連選対本部長の南波和憲県議は「こんなこと初めてだと思う」と話した。

 南波氏の序盤戦での「票読み」は投票率58〜60%で投票者数は96万〜97万人。これから共産票を引いた約90万票を中曽根氏と、民主の富岡由紀夫氏(46)の現職同士が奪い合う。中曽根氏が前回04年に獲得したのは約27万6000票。旧福田派で落選した上野公成元官房副長官は約26万8000票。当選を確実にするには旧福田派にも「中曽根」と書いてもらう必要がある。「それが、今回の選挙のつらさ、厳しさなんです」と南波氏は強調していた。

 昨夏の衆院選は県内5小選挙区のうち3小選挙区で民主に敗れた。比例代表の得票数は民主約43万1000票、自民約34万7000票。まさに「自民王国の崩壊」だった。

 参院選は今回、改選数が1減され、旧福田派と旧中曽根派の候補者は中曽根氏に一本化された。しかし、1人区は「風」に左右されやすい傾向にあり、3年前の参院選では民主が多くの1人区を制し、政権交代の足掛かりを作った。

 「風」に備える挙党一致態勢を築き上げるため、福田氏の参戦に加え、小渕優子元少子化担当相が中曽根陣営の選対本部長に就任した。

 6月12日に旧群馬町で開かれた「福田会」「中曽根会」「小渕会」の合同会合。旧群馬町では中選挙区時代、3人の父親がしのぎを削り「上州戦争」と言われてきたが、3後援会が初めて、一つの目的のために結束した。

 結果は中曽根氏がダブルスコアに近い大勝を飾った。菅直人首相が表明した消費税の増税方針が、自民にとって追い風となったことも影響した。しかし、真下誠治県連幹事長は自らを戒める。

 「県民は民主党の迷走を見て、このままでは『危ない』と思ったんじゃないか。しかし、自民党の支持率は全国的に上がっていない。大喜びするのもまずい」

    □

 11日投開票の参院選は野党が勝利し、昨夏の政権交代の熱気は過去のものになった。わずか1年足らずで大揺れした「民意」。各陣営が有権者にどう働きかけたか検証する。

7756チバQ:2010/07/16(金) 23:39:33
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100714ddlk10010170000c.html
民意大揺れ:底流・参院選ぐんま/中 富岡氏、大差で敗退 /群馬
 ◇「労組系」と「保守系」対立 風止まり力量もろに
 鳩山由紀夫前首相が視察で来県した4月24日。前橋市内で開かれた民主党県連幹部との懇談会で、前首相は県連の「分裂」に言及した。

 「数年前まで県連は難しい環境だったが、昨年の衆院選で勝利をつかみ取ったおかげで乗り切ることができた。(県連が)再統合され、何よりうれしい。一丸となって戦いに勝利を」と近づく参院選を前に激励した。しかし、実情は大きく異なっていた。

 前首相の来県は、参院選に立候補した労組系の富岡由紀夫県連会長(46)らが中心になって進めたが、一部の保守系国会議員は日程が決まる直前まで蚊帳の外に置かれていた。「おれの知らないところで話が進んだ。売られたけんかは買う」。ある保守系議員は「メンツをつぶされた」と憤った。

 この懇談会には保守系の1議員があえて欠席した。その後の富岡氏の国政報告会には前首相も参加したが、今度は保守系を中心に4議員の姿がなかった。参院選で大敗した民主党だが、群馬選挙区では保守系と労組系の深刻な対立を抱えたまま選挙戦に突入していった。保守系の一人は毎日新聞の取材に言った。「この選挙から保守系はみんな手を引く」

 対立の発端は、06年に発覚した政治資金収支報告書の記載漏れ問題。県連は衆院群馬5区総支部(当時)に04年、200万円を交付していたが、県連と同支部の収支報告書に記載がなかった。その後も次々に記載漏れが発覚。会計を担当していた労組系側に、保守系側は説明を求めたが、「満足な回答がない」と反発、亀裂が深刻になった。最終的に党本部が間に入って「和解」を促す事態になった。

 07年知事選では、労組系と保守系で支援する候補が分裂。昨夏の衆院選も群馬2区で保守系と一部の労組系が票を奪い合った。この時、県連会長だった富岡氏に対し、保守系からは分裂選挙になった責任を問う声が上がっていた。

 知名度に勝る自民の中曽根弘文氏(64)に勝つために「風」を必要としていた富岡氏。労組系と保守系の「不和説」を払しょくしようと、公示を3日後に控えた6月21日、高崎市内に国会議員が「全員集合」して記者会見を開いた。「一致団結」を強調したが、衆院群馬2区選出で保守系の石関貴史衆院議員は「選挙は軍隊ではない。『一致団結、前に進め』とか、『オイッチニー、オイッチニー』とはできないですよ」と一歩距離を置く発言をした。

 各種世論調査で劣勢が伝えられ、菅直人首相が選挙区入りすることはなかった。そして、風が吹かないまま投開票日を迎えた。

 午後8時過ぎ。NHKの開票速報は群馬選挙区を真っ先に取り上げ、中曽根氏の当確を伝えた。結果は約27万票の大差。県連会長代行で保守系の中島政希衆院議員は「風が止まり、力量がもろに出た」と敗因を分析した。一方、選対顧問で労組系の角田義一元参院副議長は「敗れるべくして敗れた。相手が相手なんだから、よほどこっちが考えて陣立てしなきゃ勝てっこねえ」と語った。

7757チバQ:2010/07/16(金) 23:40:32
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100715ddlk10010074000c.html
民意大揺れ:底流・参院選ぐんま/下 比例・小寺氏敗戦 /群馬
 ◇「第三極」躍進で明暗 組織票に見放され、逆風も
 11日の参院選投開票日。比例代表に民主党から立候補した前知事、小寺弘之氏(69)の選挙事務所の一角に、前橋市の高木政夫市長が陣取った。高木市長は県議時代からの「小寺ファン」。主な集会では、小寺氏の応援演説に立ち続けた。獲得目標は15万票。高木市長はファクスで送られてくる県選管の開票速報に目をこらし続けた。市長の事前予想によると、当落線上の10万票は固く、「あと3万票上乗せできれば当選確実」だった。

 日付をまたいだ12日午前0時、県内票の3割が開いた。小寺氏の得票は約1万3400票。このペースで開票が進むと当落ラインに届かない。高木市長の顔が青ざめた。午前3時過ぎ、敗戦が確実になった。小寺氏の得票は約6万8000票で、民主の最下位当選者の約10万1000票に届かなかった。報道陣に囲まれた高木市長は「選挙期間中、手応えはあったが、票に表れなかった」と落胆した様子で語った。

 小寺氏は1968年、旧自治省から県庁に出向した。当時28歳。財政課長、秘書課長、総務部長、副知事と階段を上り、91年に自民党の推薦を受けて知事初当選。大澤正明知事に07年に敗れるまで、4期16年にわたり知事を務め、まさに県政の生き字引的存在だ。民主党の小沢一郎前幹事長らの要請を受け、今年1月、参院選比例代表への立候補を表明した。

 県選出の自民党国会議員は意表をつかれた。中曽根弘文参院議員は報道陣に「元々自民の方なので、県民もびっくりしているのでは」と話し、山本一太参院議員は「選挙区と比例の相乗効果は侮れない」と警戒感を示した。

 しかし、実態は「雲をつかむような戦い」(高木市長)だった。県内で抜群の知名度を誇る「ご当地候補」だが、比例代表は政党名、個人名のどちらを書いてもよいため、小寺氏の陣営は「投票用紙には政党名ではなく、個人名を書いてください」と連呼に追われた。選挙区では民主を支持する連合や、かつての保守系の「小寺ファン」も、比例では労組や所属する業界団体などの組織内候補を推す。国会に代表を送り込むのが最優先課題だからだ。このため、小寺氏は組織票から見放された。

 そして投開票日。小寺氏の名前は、柔道家の谷亮子さんら民主党だけで45人いる比例代表名簿に埋もれた。小寺陣営の選対委員長を務めた中島政希衆院議員は「比例で個人名を書いてもらうことの難しさを改めて感じた」と述べる一方、消費税の増税問題など「逆風の影響をもろに受けた」ことも認めた。

 一方、同じく比例代表の「ご当地候補」でみんなの党から立候補した上野宏史氏(39)は初当選を果たし、明暗を分けた。経済産業省の官僚から転身し、公示直前の6月15日に出馬を正式表明。1カ月足らずの短期決戦だったが、義父の上野公成元官房副長官の後援会を引き継ぎ基礎票を固めた。獲得したのは小寺氏より少ない約5万2000票だったが、同党の当選ラインは民主より低く、党3位で当選した。

 県内の比例代表の政党別得票率は自民29・3%(前回07年39・3%)、民主28・4%(同33・3%)、みんな17・1%。群馬選挙区で民意は民主から自民へと大揺れしたが、比例では民主、自民ともに「第三極」に票を奪われる結果に終わった。

 (この連載は鳥井真平、奥山はるな、喜屋武真之介が担当しました)

7758チバQ:2010/07/16(金) 23:42:38
http://www.raijin.com/kikaku/2010sangiin/db/database.cgi?cmd=dp&num=375&dp=
(2010/07/13 掲載)

《検証 2010参院選(上)》 布石 圧勝の舞台裏で動き

 「出る相手によって状況が変わる。小寺さんの結果で次の選挙について問われても返答は難しい。自分としては掲げた目標をしっかりまとめて審判を仰ぐという気持ちで進みたい」
 参院選の投開票から一夜明けた12日。記者会見した大沢正明知事は、参院選の結果が1年後に迫った知事選に与える影響を問われ、明言を避けた。小寺弘之氏の県内得票数(5万7585)については「団体候補の票が引き算される中、頑張ってあれだけ取られたのかなと思う」と余裕の表情で評価してみせた。
 今回の参院選を来年の県議選、知事選の前哨戦と位置付け、国政選挙で初めて県連主導の組織選挙を展開した自民県連。選挙区では全市町村で民主候補の得票を上回った結果に、南波和憲選対本部長は「県議選の基礎の部分をつくれたし、知事選にもいい影響を与える」と相好を崩す。
 昨年の衆院選惨敗から復調した印象の自民だが、衆院では2、3区の候補者不在が続く。本当の勝負はこれからで、圧勝劇の舞台裏では将来への布石を感じさせる動きも見られた。
 党本部の事前調査で劣勢と伝えられた太田市。地区選対組織の設立が遅れ、選対幹部から懸念の声も上がった。だが、前々回参院選に出馬し、衆院3区の有力候補との呼び声がかかる地元県議が後援会組織をフル回転。連合系労組の動きが活発で民主の地盤とされる地域だが、民主の富岡由紀夫氏に約1万9千票差をつける原動力となった。
 選挙戦では中曽根弘文氏の長男、康隆氏ら家族が前面に立った。約2カ月間、ブログで応援メッセージを発信。公示後は各種集会に同行し「父をよろしく」と支持者と握手して回り、中曽根氏不在の会合では本人に代わって支持を訴えた。
 自民は世代交代も大きな課題だ。「あれだけ顔を売ったのは将来を考えてのこと」。ある県議は将来を見据えた動きと分析する。
*   *
 参院選は群馬選挙区で自民党現職の中曽根弘文氏が圧勝し、比例代表ではみんなの党新人の上野宏史氏が「ご当地候補」として初当選した。一方、民主党は選挙区、比例でも敗れた。選挙を振り返り、各党の課題を検証する。

7759チバQ:2010/07/16(金) 23:43:30
http://www.raijin.com/kikaku/2010sangiin/db/database.cgi?cmd=dp&num=379&dp=
《検証 2010参院選(中)》 再出発 団結へ役員人事が鍵

 「これほど票が出ないとは…。来年の統一地方選、知事選への影響が思いやられる」
 12日未明、参院選比例代表に出馬した小寺弘之氏の事務所で開票状況を見詰めていた民主県連幹部が表情を曇らせた。7時間ほど前、県連会長の富岡由紀夫氏が群馬選挙区で落選した際には「次は万歳だ」(県連関係者)と比例への楽観論もあっただけに、小寺氏の落選に重苦しい空気が立ち込めた。
 政権の安定化を掲げて臨んだ選挙だったが、選挙区では自民候補に全市町村で敗れ、全県で2倍近い差をつけられた。中島政希会長代行は敗因として「風が止まったことで力量がもろに出た」と県内基盤の脆ぜいじゃく弱さを指摘。衆院議員6人の個人組織の強化や地方議員拡充の必要性を強調した。
 労組系、保守系の内部対立を抱える県連は、選挙戦でことあるごとに「一丸の戦い」を強調した。だが、昨年の衆院選での候補者擁立をめぐって対立が深刻化した2区では、石関貴史衆院議員が労組系を中心とする富岡選対と距離を置いて活動。選挙後、「五つある小選挙区の中で富岡氏への支援に温度差があった」(労組系県議)と暗に批判する声も上がった。
 県連の立て直しに対立解消は欠かせない。来年の県議選は、今回の敗北に伴う求心力低下で「擁立作業に黄信号がともった」(久保田務幹事長)状態だが、労組系、保守系の垣根を越えた新人擁立と現職の公認が求められる。自民に対抗できる勢力を県議会に持つことが、「風頼み」から脱却する第一歩になるからだ。
 落選した富岡会長、県連選対本部長を務めた中島会長代行ら役員の去就も焦点となる。役員人事は4年前、県連が分裂状態に陥る最後の引き金となっただけに、今回はその轍てつを踏むことなく、逆に再出発の足掛かりに出来るかが問われる。
 「政権政党として群馬でどうあるべきか。若い衆院議員6人はよく考える責任がある」。富岡氏の落選後、角田義一元参院副議長は人影のまばらになった事務所内でこうつぶやいた。

7760チバQ:2010/07/16(金) 23:44:15
http://www.raijin.com/kikaku/2010sangiin/db/database.cgi?cmd=dp&num=380&dp=
(2010/07/16 掲載)

《検証 2010参院選(下)》 波紋 「みんな」浸透に警戒感

 「6年後にはどういう風が吹いても耐えられるよう、今から盤石の体制作りに取り組みたい」
 比例代表で当選したみんなの党の上野宏史氏。陣営幹部は13日、追い風を受けて躍進した選挙戦を振り返る一方、後援会組織を強化する必要性を指摘した。各市町村ごとに立ち上げ、若者らが中心となるサポータークラブもつくるなど「選挙区選出の国会議員並みの活動」を構想。上野氏も「県内に軸足を置き、有権者の皆さんと連動して、県民の声を国政に上げたい」と抱負を語る。こうした動きに県内各党は警戒を強める。
 「ギブアンドテイクができたか非常に疑問だ」。公明党県本部の加藤修一代表は投開票から一夜明けた12日、参院選で「選挙協力」をしたはずの自民への不信感をあらわにした。
 公明は今回、比例で政党票、個人票合わせて約10万5千票を獲得。前回より約1万3千票増やした。しかし県本部幹部は「前回は自民党から本県関係候補が出馬しており、事情が違う。今回の得票数は期待していたものより、2万票も少なかった」と分析、上野氏を支援したとされる自民県議らに不快感を示す。
 上野氏が県内で根を張れば、自民との選挙協力で期待できる比例票の目減りが固定化する可能性があるためだ。加藤代表は「地域によっては統一地方選の取り組み方を再考せざるを得ない」と語気を強める。
 自民サイドは影響がどこまで広がるか見極める。上野氏を支援したとされる自民県議は「選挙と普段の政治活動は別。みんなの党の県内組織ができれば協力はできない」と話す。県連内には公明との選挙協力に配慮し、みんなの党の動きに気をもむ関係者もいる。
 選挙の行方を大きく左右する無党派層の受け皿になりうると警戒感を抱く県内各党。緊迫した空気を読み取ってか、上野氏の支援者は「(党としての)県組織の立ち上げはまったくの白紙。党本部と相談しながら決める」と慎重な姿勢だ。選挙戦の“台風の目”となった新たな第三極。今後の動向に注目が集まっている。

7761チバQ:2010/07/16(金) 23:44:55
http://www.raijin.com/kikaku/2010sangiin/db/database.cgi?cmd=dp&num=381&dp=
(2010/07/16 掲載)

当面“富岡体制”を継続 民主県連が緊急役員会

 民主党県連は15日、東京・永田町の議員会館で緊急役員会を開き、参院選の結果分析や今後の活動などについて協議した。群馬選挙区で富岡由紀夫氏、比例代表で小寺弘之氏がともに落選。厳しい結果となったが、富岡氏の会長職の去就をはじめ焦点の役員人事は議論の俎上(そじょう)に載らず、当面は“富岡体制”が継続することになった。
 役員会で県連は参院選の結果について、両氏は落選したものの政党名、個人名を合わせた県内の比例代表得票総数が民主党は26万1千票余りだったのに対し、自民党は26万8千票余りでほぼ互角だったと総括。「党の基盤は強化されている。悲観すべき状況でない」(中島政希会長代行)とし、大敗の責任論に関する言及はなかった。
 県連は8月上旬にも再び役員会を開き、運営方針などについて協議する。自らの去就について富岡氏は「時間はいっぱいあるので、いろいろ考えたい」、小寺氏は「県民のため、国民のため頑張りましょうと話しただけ」と述べた。

7762チバQ:2010/07/16(金) 23:47:47
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20100713ddlk11010217000c.html
民主失速:参院選の余波/上 「みんな」の衝撃 /埼玉
 ◇都市の支持層流れる 票割りは成功、結果は「1」
 「現職の議席を守れず、心からおわび申し上げます。厳しい区割りの中でも皆さんに引っ張っていただき、感謝しています」

 参院選埼玉選挙区で最後の3議席目が確実になった12日午前0時45分。さいたま市高砂2の選挙事務所に現れた民主現職の島田智哉子氏(47)は涙をこらえ、支持者らに頭を下げた。

 民主県連は、参院選で改選期を迎えた現職・島田氏に加え、新人・大野元裕氏(46)を擁立。県連は、支援候補を地域ごとで二つに割り振る「地区割り」によって、3議席中、2議席の獲得を狙った。

 結果は、大野氏が当選し、島田氏が落選。両者の差は1万3000票。均等に票を割ることは成功したが、2人の得票は計110万票。目標の「2人とも60万票」に及ばず、07年参院選から約30万票下げた。60万票にわずかに満たない公明を振り切っての2議席獲得には、絶対的な票数が不足していた。

 民主が落とした「30万票」はどこへ行ったのか−−。

 民主県連の高山智司幹事長は「第三極に流れた」と振り返った。「第三極」とはみんなの党を指す。同党候補は県内で約41万票を獲得。議席には届かなかったものの昨年夏の衆院選比例と比べても20万票近く伸ばした。

 参院選“敗北”を受け、民主の関心は早くも来年の統一地方選に向く。同党は「地方議員の倍増計画」を掲げ、県議選では、「定数4」以上の選挙区からは複数の候補を擁立する方針。しかし擁立決定の多くは参院選後に先送りされている。

 来年選挙を控えるある市議は「無理して候補を擁立しても、結果的に議員数が少なくなるリスクを伴う」と共倒れを懸念する。

 「申し訳ありません」。選挙の大勢が判明した12日未明、県連の山根隆治代表代行と高山幹事長は連合埼玉を訪ね、幹部に謝罪した。

 民主最大の支援組織、連合埼玉。今回島田氏を全面的に支援したが、現職を落選させる最悪の結末に幹部はショックを隠せない。

 幹部は山根氏らに「みんなは、都市部で票が出る。昔の民主党だ。今回はノーマーク、ノーガードだった。責任はともかく、選挙結果はきちんと総括してほしい」と求めた。「分かりました」。山根氏らは言葉少なだった。

 民主県連は12日夜、緊急の常任幹事会を開催。山根氏ら執行部の当面続投と共に、「民主に寄せられていた支持層がみんなに流れた」などの選挙総括を示した。しかし、支持回復の方策は明らかにされなかった。【佐藤丈一、鷲頭彰子】

7763チバQ:2010/07/16(金) 23:48:45
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20100714ddlk11010202000c.html
民主失速:参院選の余波/下 「自民・公明」組織の底力 /埼玉
 ◇危機感で運動量増やし 連立解消も水面下で協力
 現職がそれぞれ1議席を死守した自民と公明。みんな新人の小林司氏(39)が従来の民主支持層などに食い込み約41万票を獲得。当選ラインが下がったことが、組織選挙を得意としてきた両党を結果的に利した形だ。

 12日午後、自民現職、関口昌一氏(57)のトップ当選から一夜明けて会見した新藤義孝県連会長は、自信を深めた様子で語った。

 「古い選挙のやり方を変え、運動量を増やしたことが勝因だ」

 選挙期間中、従来は毎晩のように支持者を動員した集会を減らした。代わりに、関口氏と地元議員を並べ、議員と多少なりとも面識のある人が通りかかると関口氏に会わせた。無党派層への浸透を意識した動きだった。

 昨年夏の衆院選は、15小選挙区で全敗(2人は比例復活)。支援団体離れなどで組織の弱体化は進む。しかし公示前は、まだ圧倒的に多数の県議や市議ら地方議員の持つ組織で当選圏内には届くとの楽観論もあった。

 ところが、新聞各紙の調査では、1位から4位争いまでさまざまに報じられた。選挙戦中盤では、陣営全体が危機意識を共有した。ある県議は「支持者の家を300軒回った日もあった」と話す。

 ただ、「3人区で1議席取るのは本来当たり前」と自民県議。民主は04年参院選から3回連続で候補を2人立て、来年の統一地方選で党勢拡大を狙うなど攻めの姿勢を貫く。空白の8小選挙区の支部長を含め、どう党勢を回復するか。多くの課題は残したままだ。

   ■ ■

 「史上最高の運動量だった」。選挙戦最終日、公明現職、西田実仁氏(47)の選対本部長、福永信之県議は、地方議員や支援者、党本部が総力戦であたった選挙戦を満足そうに振り返った。

 陣営にはかつてない危機感があった。公明は07年参院選で選挙区過去最高の約62万票を獲得しながら議席を失った。「ここで負けたら後がない」。背水の陣で臨んだ陣営は「ドブ板選挙」に徹した。

 4月以降、西田氏はほとんど街頭演説をしていない。企業の朝礼に出席し、農家、建設業者を一つ一つ回るなど潜在的な支持層を固めるのに多くの時間を費やしたからだ。

 連立を解消した自民との協力も、各議員単位で水面下で進めた。来年の統一地方選で支援が必要な自民議員の一部は、支援者の名簿を西田氏側に提出した。紹介を受けた陣営は、自民議員の名前を添えてハガキを出すなど支持拡大を図った。

 しかし、投票率は前回とほぼ同じながら、獲得票数は約59万票で前回より約3万票減らした。得意としてきた「組織選挙」にも限界が見えつつある。【稲田佳代、西田真季子】

毎日新聞 2010年7月14日 地方版

7764チバQ:2010/07/16(金) 23:50:40
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20100713/CK2010071302000099.html
漂流する民意’10参院選<上> 民主 “振り子”の票で当落
2010年7月13日

埼玉選挙区の大勢判明後、民主党県連の山根隆治代表代行(左)は、まず落選した島田智哉子氏の事務所を訪れ、労をねぎらった=さいたま市で


 投票を翌日に控えた十日午後十一時半。さいたま市のJR浦和駅西口で、たすき姿の女性が笑顔を振りまいていた。民主党現職の島田智哉子(47)。改札を出る人たちに、「よろしくお願いします」。日付が変わる寸前まで頭を下げた。

 島田と並んだ陣営スタッフには、不安があった。埼玉選挙区で民主が目指すのは、島田と新人大野元裕(46)の二人当選。党本部や県連は最終盤で「島田より大野が危ない」と判断、十日に安住淳選対委員長ら党幹部二人を大野支援に投入していた。島田陣営の関係者がこう漏らした。

 「熱心な民主支持者は二人とも当選させたい。島田から大野へ振り子のように票が流れるのが心配だ」

 十二日未明、嫌な予感は的中した。大野は約五十五万七千票で三議席目に滑り込み、島田は約一万三千票差の次点で涙をのんだ。

    ■  ■

 県連が二議席獲得のために採用した「区割り」戦術で、大野と島田の活動地域にラインを引いた。二人で票を分け合うためだが、互いの足を引っ張るような光景も。さいたま市などで七月に入り、大野の選挙ポスターが次々と張り替えられた。氏名に向けて「↑最重点候補」のシールも。すると島田も「民主2議席のために『島田』へ」とポスターを張り替えた。

 民主県連幹部は「どちらが優位かまったく分からない接戦。あの手この手で、民主支持者の気を引こうとしたのだろうが…」。

 “一触即発”を招きかねない事態も。六日夜、さいたま市の「埼玉会館」で開かれた島田の緊急集会。会場に向かう島田支持者たちに向け、大野陣営のスタッフらが突然、「大野!大野!」と気勢を上げた。

 大野の選挙事務所は埼玉会館の向かい。大野陣営幹部は「目の前で集会をやるなんて、宣戦布告をされたのと同じだ」。居合わせた県連幹部は「同じ民主同士で、何をやってるのか」と嘆いた。

    ■  ■

 島田と大野の得票率の差は0・41ポイント。県連代表代行の山根隆治は「区割りはうまくいった。だが、党本部で消費税などの発言があり、トータルで票が増えなかった」と敗因を語った。

 菅直人首相の「消費税率10%」発言。ある民主市議は選挙戦中の一日、街頭でビラを配布中の体験をブログにつづった。「サラリーマンと思われる数人から、反対意見を聞かされた」「スーツを来た若い男性に中指を立てられた」−。

 来年の統一地方選、そして次期衆院選。島田の選対本部長だった衆院議員の五十嵐文彦は「県内の隅々に民主支持者のネットワークがなく、地方議員も足りない」と、組織力不足も敗因だとした。

 民主は統一地方選での勝利を目指し、県議会とさいたま市議会で「第一会派結成」の目標を掲げる。ただ、衆参の「ねじれ国会」や九月の党代表選などで混乱すれば「地方選でも民主候補に逆風が吹く」(県連幹部)との心配が出始めた。

 ある市議選に民主で出馬予定の新人が、険しい表情を浮かべた。「民主の選挙はいまだ風頼みで、今回は消費税に翻弄(ほんろう)された。もっと地域に溶け込み、常に勝てるだけの支持者を増やさなくては」

     ◇

 大激戦だった参院選が終わり、県内でも民主には厳しい審判が下った。政権交代を後押しした一票が、漂流し始めたようにみえる。戦いの現場を振り返った。 =敬称略

  (参院選取材班)

7765チバQ:2010/07/16(金) 23:51:30
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20100714/CK2010071402000091.html
漂流する民意’10参院選<中> 自民 『自公協力』に微妙な影
2010年7月14日

谷垣禎一総裁の応援を受ける関口氏。選挙戦最終日のツーショットはこの場面だけだった=10日、越谷市で


 その場に「主役」の姿はなかった。

 選挙戦フィナーレの十日午後六時すぎ、JR三郷駅前。「公示日にまず埼玉に入り、最終日にまた埼玉にうかがいました」。自民党総裁谷垣禎一が声を張り上げていたその時、同党現職の関口昌一(57)はJR浦和駅前でマイクを握っていた。

 谷垣はこの日、川越、三郷、越谷の各市の順で遊説し、党首の「最後のお願い」を埼玉で締めくくった。関口と合流したのは、打ち上げとなる越谷市だけだった。

 谷垣の来県は急きょ決まったことだが、党首に候補が随行しないのは異例。自民県連幹部は「関口の予定はほぼ変えなかった。一カ所でも多く回り、一票でも上積みしたかった」と説明する。

 「総裁を一人で立たせるなんて、与党時代の自民では考えられなかった。今はわれわれも必死なんだ」

    ■  ■

 昨夏の衆院選で惨敗し、選挙運動の“司令塔”となる小選挙区支部長の八人が不在。「支部長がいれば、党からカネがふんだんに出て、秘書軍団も動く」と不在区の若手県議。「では自分が積極的に動くかというと、二の足を踏む。何をするにもカネがかかるからね」

 だが、野党転落の悲哀に加え「不安が尽きない選挙戦」(県連関係者)も、危機感による運動量の増加もあって結果はトップ当選。万歳を何度も繰り返した歓喜の席で、県連会長の新藤義孝は「『埼玉自民党』は勇気と元気をもらった。今後のすべての選挙に向け、私は大きな責任を果たした」と胸を張った。

 一方で、新藤は「自分たちだけで議席を得たのではなく、民主党がだらしないゆえの自民への期待が半分ある」とも分析する。

 ある自民県議は、こうつぶやいた。

 「衆院選の自民の得票をみても、そもそも関口さんの落選はありえなかった。埼玉自民の正念場は来年の県議選だ」

    ■  ■

 「明らかな公明党つぶし。県議選で自民との協力関係をどうするか、考え直す」

 公明関係者の怒りは今も収まらない。代表の山口那津男が十日に川越市で演説することが決まっていたが、自民の谷垣が同じ日の同じ時間帯に川越で演説をしたからだ。

 川越も越谷も県議会の議席を持ち、公明支持層が厚い。自民県連関係者は「今回は公明が自民支持者に激しい攻勢をかけてきた。谷垣総裁の件はお互いさま」と、反論した。

 来年の県議選で、第一会派を目指す民主党との全面対決が予想される自民。公明候補が出ない一人区や二人区の公明票の行方が焦点となる。

 ある自民県議は、今回、自分の千人分の支援者名簿を公明側に提供したという。一方で「公明の市議から『自民の票を回してくれ』と頼まれたが、自分の名簿は渡さなかった」と打ち明ける県議もいる。

 自民県議団の幹部は「参院選で自公が当選してよかった。公明とは今後も協力できる」と話した。だがそれは、しこりを残した自公協力の行方への不安の裏返しでもある。自公当選を導いた民意は、来春はどう流れるのか。 =敬称略

 (参院選取材班)

7766チバQ:2010/07/16(金) 23:52:04
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20100715/CK2010071502000088.html
漂流する民意’10参院選<下> みんな 統一選で地盤固めへ
2010年7月15日

当選が決まり、喜ぶ公明党の西田実仁氏=いずれもさいたま市で


 「組織も何もない中で、大きな支援の輪をつくっていただいた」

 十二日未明、さいたま市大宮区。落選が決まったみんなの党新人の小林司(39)が事務所で、そろいの緑色のTシャツを着たスタッフに感謝を述べた。

 街頭でのビラ配りなど、運動のほどんどは小林の高校や大学、勤め先の楽天の知人らが支えた。その中に、来春の統一地方選でみんなからの出馬を目指す男性の姿があった。

 「みんなの党と心中するつもりで、小林さんを応援した」と話すのは、元自民党衆院議員秘書で、今も自民党員の男性(44)。大宮区の自宅近くにみんなの党の宣伝カーを置き、小林とは別行動で県内中を走り回った。

 男性は三年前のさいたま市議選に自民推薦で出馬したが、落選した。当時は、自民の安倍晋三内閣の閣僚の事務所費問題などがあり、「民主党への追い風が吹き荒れた」。

 どの党を名乗って選挙に出るかの「看板の怖さを感じた」という男性はこう話す。「今、一番伸びがあるのはみんな。その風を統一選で、さいたま市に吹かせたい」

 消費税問題などで、民主への批判が高まる中、小林は同市など都市部を中心に約四十二万票を獲得。みんなの比例票は県内で公明党を抜き、民主、自民に次ぐ四十九万に達した。ただ、みんなの県内議員は四月の久喜市議選でトップ当選した鈴木精一のみ。

 小林の陣営幹部は埼玉選挙区での敗因に、地方議員の不足を挙げ「街頭演説にあまり人が集まらず、効率が悪かった」。別の関係者は「次の国政選挙で勝つには、県内で地方議員を増やすしかない」。統一選当選のため、みんなの“看板”を求める候補者と、県内での基盤強化を図る同党の利害は一致する。

 「統一選は、みんなの公認候補が増えるのでは」。埼玉選挙区での二議席獲得の失敗は「無党派票が『第三極』に流れたため」と、受け止める民主議員はこう警戒を強める。

    ■  ■

 「老舗の第三極」を掲げる公明は小林らを退け、現職西田実仁(47)の議席を守った。埼玉は全国の「最重点選挙区」。二〇〇七年の前回参院選では、党の現職が敗れていた。

 支持母体の創価学会が全国規模で動いた。公示前後の二度、県外から西田票の掘り起こしに来た男性学会員は「埼玉に知人がいる首都圏の学会員は、埼玉に集中して入った」。学会員らの“電話作戦”も「北海道や沖縄からも行った」(県本部幹部)という。

 西田は「景気回復なき消費増税に反対」と訴え、一日二十カ所を目標に中小企業で職場集会を開いた。県本部幹事長の福永信之は「増税への怒りを、非常に感じた」。

 四十万余りとされる基礎票に、今回は二十万票近くを上乗せした。「三年前の参院選で民主に流れた無党派票をかなり取り込めた」と福永。その三年前に失った議席の復活も視野に置き始めた。

    ■  ■

 新旧「第三極」の攻防は比例でみんな、選挙区で公明に軍配が上がった。衆参両院の「ねじれ国会」で民主の政権運営の難航が確実視される中、有権者の「民意」は、次はどこに向かうのか−。

  =敬称略

  (参院選取材班)

7767チバQ:2010/07/16(金) 23:54:10
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/100713/stm1007130943001-n1.htm
【検証・2010参院選】(上)現職落選の衝撃 民主埼玉県連2トップ交代へ (1/2ページ)
2010.7.13 09:41

声を詰まらせながら敗戦の弁を述べる民主現職の島田智哉子氏=12日午前0時41分、さいたま市浦和区の選挙事務所 「ほほをつねったが、夢じゃなかった。現実だった」−。12日未明、落選が確定的となり、選挙事務所で涙ながらに敗戦の弁を語った民主現職の島田智哉子(47)は、まだ落選という現実を受け入れられないようだった。

 「2人当選」をもくろんでいた民主県連にとっても、現職の島田が議席を失った事実は大きな衝撃だった。県連は同日夕、緊急常任幹事会を開催。県連代表代行の山根隆治と幹事長の高山智司は、それぞれ県連の役職を来年3月の任期限りで退くことを表明した。

 「与党としての選挙に慣れていなかった」−。山根は緊急幹事会後の会見で、選挙戦略上の未熟さを認めた。

 民主県連が2議席確保のために当初からこだわったのは、県内15の衆院小選挙区ごとに重点支援する候補者を割り当てる「区割り」だ。

 だが、この戦略に島田陣営側には不満の声がうずまいていた。新人の大野元裕(46)の重点支援地域となった県南部、県央部の有権者は約390万人。これに対し、県北を中心とする重点区域を割り当てられた島田は、約190万人。ほぼ半分しかない。

 島田の選対本部長を務める衆院議員の五十嵐文彦は、「面積は倍で人口は半分。4倍努力をしないといけない」とこぼした。島田本人も「全県が選挙区で、重点区の外に入ってはいけないことは厳しい状況だった」と振り返った。

 大野と島田の得票差は約1万3千票。島田としては、厳しい条件下で健闘したともいえる。

 県連にとって誤算だったのは、民主2候補の得票が、目標の120万票を約10万票も下回ったことだ。

 これはひとえに、民主をとりまく「風」に翻弄されたからだ。鳩山由紀夫政権下での支持率低下、菅直人首相誕生のV字回復、そして、菅首相の消費税発言での迷走…。

 高山は「9カ月の実績を伝えることができなかった。第3極に票が流れた」と敗因を語った。確かに、県内に組織を持たないみんな新人の小林司(39)が約41万票を獲得したことは、民主への批判と受け取ることができる。

 党幹事長の枝野幸男のおひざ元としては、極めて厳しい選挙結果となった民主県連。ただ、比例代表の県内での得票率では、民主は31・28%と断然トップだ。

 県連関係者は、単に選挙戦略上の総括をするだけでなく、有権者の期待を今後いかに具現化するかを、与党の一員として真剣に考えるべきだろう。(敬称略)

7768チバQ:2010/07/16(金) 23:55:15
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/100713/stm1007132245008-n1.htm
【検証・2010参院選】(中)組織戦奏功の自公、みんなの風の行方は… (1/2ページ)
2010.7.13 22:42

来援した公明党・山口那津男代表とともに、ときの声を上げる西田実仁氏(左から2人目)=10日午後、川越市の川越駅東口 「史上最大の作戦、運動量だった。こんなこと、2度とできないよ」。

 選挙戦最終日の10日、公明現職、西田実仁(47)の陣営幹部は逆転勝利を確信し、相好を崩した。

 平成19年参院選埼玉県選挙区で62万票を獲得しながら、次点に終わった公明。党再建の証として「最重点区」に位置づけられた「最後の戦い」(陣営)では、これまでにない徹底したドブ板選挙が繰り広げられた。

 陣営が活路を求めたのは、中小零細を中心とした「企業回り」だ。新規開拓した企業の朝礼や集会に参加、従業員に支援を求めるはがきを配布する−。西田自身の考えもあり、大規模な街頭演説の回数を減らして“潜行活動”した。

 動員されたのは、前代表の太田昭宏ら党幹部や、県本部所属の地方議員約200人。「公示後だけで数千社は回った」と選対本部長の福永信之。選挙戦終盤には「票を踏み固める」(陣営)ため、再度のあいさつ回りを求める檄文メールを全地方議員に送信するなど、組織戦に終始した。

 その結果、目標の60万票にはわずかに及ばなかったものの、約59万4千票を獲得して2位で当選。西田本人も今回の戦いには「従来の支援者以外に支持を拡大できた」と手応えを感じている。

 一方、自民は、現職の関口昌一(57)は約65万5千票を獲得してトップ当選。昨夏の衆院選では惨敗したが、党勢回復に向け明るい兆しが見える結果だ。

 県連会長の新藤義孝は一夜明けた12日の会見で「3人区で民主の2議席獲得を阻止できたことは、党本部への貢献という意味で大きな成果だった」と語り、安堵の表情を浮かべた。

 県内の選挙区支部長の多くが空席のままで、選挙戦序盤は組織の一体感の欠如と出遅れ感が際立ったが、地方議員が持つネットワークを生かし、支持層を固めた。また、関口自身が有権者に直接訴える機会を増やしたことで、民主に批判的な無党派層の取り込みにも成功した。

 ただ、それは消費税をめぐる首相の菅直人の発言をはじめ、民主党の数々の迷走という“敵失”に助けられた部分も大きい。自民が本当に復活できるかどうかは、党支部や支援団体などの組織をいかに立て直せるかにかかっている。

 みんなは民間企業出身の新人、小林司(39)を擁立、当選は果たせなかったものの約41万6千票を獲得した。組織も知名度もない小林の健闘は、民主、自民でもない第三極への県民の期待度を示している。(敬称略)

7769チバQ:2010/07/16(金) 23:56:05
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/100714/stm1007142252007-n1.htm
【検証・2010参院選】(下)1票の思いさまざま 有権者の声
2010.7.14 22:48

参院選応援で来県した菅直人首相(中央)。有権者の思いに答えられるか=3日、所沢市 参院選埼玉県選挙区は、民主、自民、公明の3党で議席を分け合う結果になった。県内の有権者は、どんな思いで投票したのだろうか。投票日の11日、県内各地の投票所などで約100人の有権者に聞いてみた。

 民主は、当選した新人の大野元裕(46)と落選した現職の島田智哉子(47)の2人で計約110万票を獲得した。この2人に投票したと答えた有権者の多くは、昨年の衆院選でも民主候補者に投票していた。「政権交代」に期待を寄せた層だ。

 大野に投票したという春日部市のパート女性(66)は「自民に戻しても一緒。民主党は事業仕分けなど良いことをした」とその理由を語った。

 一方で、「様子見」という消極的支持の声も多かった。島田に投票した川口市の無職男性(65)は「多少悪くても首相は1期4年務めてほしい」と説明。同じく島田に投票したさいたま市大宮区の会社員男性(30)は「衆参のねじれはイヤ」と語った。

 自民は現職の関口昌一(57)が約65万5千票を獲得し、トップ当選。関口に投票したと答えた有権者の多くは、「実績」を理由に挙げた。

 本庄市の会社員男性(45)は「自民は人気がないが、他党より信頼できる。長年の信頼は厚い」。衆院選では民主候補者に投票し、今回は関口に投票したという大宮区の公務員男性(26)は「民主に期待したが、一つもマニフェスト通りに実行できていない。民主に対抗できるのは自民しかない」と話した。

 公明党は現職西田実仁(47)が約59万票を獲得し議席を死守。投票者は古くからの熱心な支持者が多かったが、中には支持者からの「お願い」に動かされたという人もいた。

 川口市の会社員男性(30)は「仕事の大事なお客さんから頼まれた。初めてのこと」と説明。春日部市の主婦(40)は「友人から何件もお願いがあった。群馬から会いに来た人もいた」と語った。

 みんなは小林司(39)が約41万票と躍進。衆院選では民主候補者に投票したが、政権運営への失望感から今回は小林に投票したという声も目立った。春日部市の会社員男性(35)は「民主は公約を実行せず裏目裏目」と批判。川口市の主婦(54)は「若い人に期待。民主はマニフェストを守れず、党内ももめている」と語った。

 1票に込められた思いはさまざま。当選した3人は、県民の期待を裏切らぬよう、選挙戦で掲げた主張の着実な実行が望まれる。(敬称略)

7770チバQ:2010/07/16(金) 23:56:50
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000001007130001
順風逆風@埼玉 <上>民主
2010年07月13日


島田氏(右)の選対本部長・五十嵐文彦衆院議員(中)が敗戦の弁を述べる中、県選出の民主党国会議員らもうなだれていた=12日午前1時、さいたま市浦和区


接戦を制し、事務所で抱き合って喜ぶ大野氏=12日午前0時半、さいたま市浦和区

◇票2分の「明暗」/党勢下降、「区割り」の皮肉



 同じ党の勝者と敗者。紙一重の差で、明暗が分かれた。



 「当選だ!」「大野!」



 12日午前0時過ぎ、さいたま市浦和区にある民主新顔の大野元裕氏(46)の事務所が、歓声で沸き返った。



 改選数3の参院選埼玉選挙区。自民と公明の現職候補が次々に当選確実となり、残る議席は「1」となっていた。相手は民主現職の島田智哉子氏(47)。一時は約3万票差を付けられていたが、開票が進むにつれて縮まり、とうとう逆転した。



 「新人で、何も分からないまま、目の前のことで頑張った」。接戦を制した大野氏はほっとした表情を見せた。



 同じころ、島田氏は近くの事務所で頭を下げていた。涙声で「しっかり、この現実を受け止めます」と、気丈に振る舞った。



     ■



 民主にとっては、昨夏の衆院選でつかんだ政権の座を盤石にするための選挙だった。枝野幸男幹事長(衆院埼玉5区)の地元・埼玉選挙区で、前回(2007年)に続く2議席獲得を狙った。今回も、票をいかに均等に分けるかが課題となった。



 県連は活動の重点地域を区割りした。現職の島田氏に比べて知名度で劣るとみて、大野氏には人口の多い県南東部を割り当てた。県北西部をあてがわれた島田陣営は「現職が強いという『神話』には、何の根拠もない」と反発。大野陣営も「業界とのつながりなど、島田氏側には6年間の蓄積がある」と牽制(けんせい)した。



 この1カ月余り、党勢は増減を繰り返した。支持率が低下した鳩山内閣が退陣し、菅内閣が誕生すると、急激に回復。ところが、消費税率の引き上げ問題で、再び下降線をたどった。



    ■



 公示後、党の厳しい情勢が伝わると、両陣営の争いは激化した。



 「大接戦! 民主2議席のために『島田』へ」
 投開票日の数日前、こんな表現のポスターが掲示場に張り出された。「大野氏優位」を伝えられた島田陣営が、新たに用意した。



 「やり過ぎだ」と大野陣営の反感を買ったが、双方とも区割りにこだわってはいられなくなった。県連は島田陣営に運動地域拡大を認めたが、「島田氏優位」との情報もあり、終盤は互いの地域に踏み込む激しい選挙戦となった。



 終わってみれば、2人の得票はほぼ均等だった。それなのに、2議席を確保できないという皮肉な結果を突きつけられた。



 2人分の民主票は約110万。同様に2候補を擁立した07年の約140万票、04年の約120万票を獲得できていれば、2議席確保が可能だった。県連の山根隆治代表代行は12日、「区割りは県連の狙い通り」としつつ、「党全体の評価をもろにかぶって、票数が伸びなかった」と疲れ切っていた。



 来春は統一地方選がある。「政権与党の選挙の難しさを知った。風任せではなく、地道に有権者の信頼を得なければならない」。山根代表代行の表情は厳しかった。



    ◇



 逆風から順風になったと思ったら、また逆風――。首相交代や消費増税問題で、各党の勢いが目まぐるしく変わった選挙戦が終わった。統一地方選や次期衆院選に向け、埼玉の勢力図はどうなるのか。各党の事情を探った。

7771チバQ:2010/07/16(金) 23:57:29
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000501007140001
【順風逆風@埼玉】


<中>自公
2010年07月14日


選挙戦最終日の10日、関口氏(右)の応援に駆けつけた谷垣総裁(左)=越谷市


公示日に西田氏(左)の応援に駆けつけた山口代表(右)=6月24日、さいたま市大宮区

◇「敵失」で2党浮上/党首応援、弾みに 前回得票に及ばず上位


 1位と2位で勝ち抜けたのは、党首が遊説の打ち上げを兼ねて応援に駆けつけた自民と公明の現職だった。


 「昨夏の総選挙でおしかりを受けた。埼玉県から参院議員を送って頂けなければ、自民党は再起の目がない」。選挙戦最終日の10日夜、南越谷駅前では、自民・関口昌一氏の隣で、谷垣禎一総裁が大声を張り上げた。


 所沢駅前でも、公明・西田実仁氏と一緒に山口那津男代表が街頭演説。「政治とカネの問題をきっちりやらせてほしい」と支援を呼びかけた。


 両党首は、公示日も応援に入った。そして、注目を浴びる「最後の訴え」も埼玉で。野党に転落した両党にとって、重点選挙区であることを象徴していた。


 「大変厳しい選挙だったが、埼玉自民党は元気をもらった」(関口氏)


 「埼玉にとって最後の(とりでの)党国会議員なので、勝ちたかった」(西田氏)


 投開票日の深夜、2人は当選の喜びで声を弾ませた。


    ■


 補選を除き、自民の候補が埼玉選挙区でトップ当選したのは、2001年以来、9年ぶり。自民は、昨夏の衆院選では、県内15小選挙区で全敗する歴史的大敗を喫し、今回は再起をかけた戦いだった。


 これまで蜜月関係にあった業界団体が、民主にも推薦を出すようになった。自民党県連は、組織票の積み上げという従来の手法だけでは勝てないとみて、「地方議員や党員が駅頭や街中に出て、運動量を増やす作戦」(新藤義孝会長)に出た。


 選挙期間中、関口氏は15小選挙区を順番に回った。地盤の秩父地域以外の都市部では知名度が低いとして、比例区で立候補した片山さつき氏や堀内恒夫氏ら知名度の高い候補者と一緒に街頭演説する戦術も取った。


 あるベテラン県議は、駅頭での活動で、自民への追い風を感じた。「若い人が選挙公約のパンフレットを次々に受け取っていった。昨年の衆院選では無視されたり、突き返されたりしたのに」


    ■


 公明は前回、2議席を獲得した民主の躍進のあおりで、前職が落選した。今回は、県内唯一となった党の国会の議席を死守しようと、支持母体の創価学会を中心とした組織戦に加え、無党派層に近い有権者をとらえようとした。


 ポスターに「景気回復なき消費税増税に反対です!」と記したシールを追加。街頭演説には有名タレントや歌手が多数応援に駆けつけた。


 候補者を立てた選挙区は、東京と大阪、埼玉だけ。唯一の現職がいる埼玉が「最重点区」と位置づけられた。西田氏の事務所には日本地図を描いた紙が張られ、全国から集まった支援者の寄せ書きで埋まった。


 ある選対幹部は「全国の支援者が、自宅から活発に県内の友人、知人に電話をかけてくれた」と打ち明ける。連立与党時代の関係を生かし、来春の統一地方選などでの助力を条件に、自民系の地方議員や首長から一定の協力も取り付けたという。


    ■


 自公は「背水の陣」で踏みとどまり、「民主2議席」を阻止するという共通目標も達成。ただし、前回の公認候補の得票数には及ばなかった。菅内閣が消費増税問題で失速せず、高支持率のまま投票日を迎えていたら、どうなっていたか。「敵失」に助けられた面は否めない。


 新藤会長は「党勢回復は道半ば。業界団体の推薦や運動量もかつての半分程度に減った。組織票と浮動票を両方取るため、運動方法を変えていかなければ」と話す。公明の福永信之・県本部幹事長は「3年後の参院選で新たな議席を確保するための出発点」と反転攻勢を目指す。

7772チバQ:2010/07/16(金) 23:58:16
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000501007150001
【順風逆風@埼玉】


<下>みんな・共・社・改革
2010年07月15日


落選が決まり、支援者らに頭を下げる小林氏=12日午前0時半ごろ、さいたま市大宮区の事務所

◇組織なく 党勢乗れず/不振の党は立て直しへ


 比例区では3位なのに、選挙区では3議席の枠に食い込めなかった。新顔の小林司氏を擁立したみんなの党は、県内で一定の達成感と挫折感を味わう形となった。


 「2カ月でよく頑張った」「次、頑張れ」


 5位で落選した小林氏は14日、県内や東京都内で支援者をあいさつ回りし、そう励まされた。


 「3位が見えてきた」。選挙戦最終日の10日夜、地元・川口市での街頭演説で、そう訴えた。手応えがあったからだ。しかし、及ばなかった。「やはり、組織がなかったのが一番大きい」。党県第1支部選対本部の坂本広明事務長は悔しがる。


 立候補表明は、大型連休直前の4月末。学生時代の友人や、勤務先の楽天の同僚らに活動を手伝ってもらった。党の渡辺喜美代表や、同社の三木谷浩史会長兼社長の来援を受け、知名度向上を図りながら追い上げた。だが、党所属の国会議員がいる神奈川や、知名度の高い候補者が立候補した東京、千葉とは異なり、落選の憂き目に遭った。


 県内で党が獲得した比例票は約49万4千票。選挙区で議席を得た公明を上回り、3位だった。これに対し、小林氏の得票は約41万7千票。比例区並みの得票数だったとしても勝てたわけではないが、党勢には追いつけなかった。


 それでも、来春の統一地方選や次期衆院選に向け、他党からは警戒され始めている。第三極として、さらに地歩を固められるか。小林氏は今後について、「票を上乗せするため、組織のあり方が課題。県内で党員獲得に力を入れたい」と言う。


    ■


 これに対し、同じ新党の改革や、共産、社民などの新顔候補は振るわなかった。


 小林氏に次いで6位だった共産の伊藤岳氏。「大企業減税とセットでの消費税増税は許さないという主張は伝わった」と、終盤は手応えも口にしていた。しかし、結果は約20万8千票。前回(2007年)の候補者の約27万7千票から大幅に減った。


 小松崎久仁夫・党県委員長は「『増税の前にやるべきことがある』と、一見わかりやすいみんなの党のフレーズが、国民をうまくとらえた。我々は有権者に接近する努力が不足していた。政策をきちんと、国民に届け続ける」と出直しを図る。


    ■


 7位以下の改革の中川幸司氏や社民の日森文尋氏は、法定得票にも届かなかった。


 とりわけ社民は、昨夏の衆院選まで衆院議員として党国会対策委員長を務めた日森氏でも大敗し、痛手は大きい。沖縄・米軍普天間飛行場移設問題で「筋を通す」として連立政権を離脱し、一時は「微風」(党県連合幹部)も感じていただけに、なおさらだ。


 組織を立て直そうと、すでに統一地方選に向けて、若い立候補予定者を探し、準備を進めている。


 中川氏は「既成政党(社民)を上回る得票は、今後の広がりへのきっかけになる」と総括。次なる国政選挙への挑戦に意欲を見せている。

7773チバQ:2010/07/17(土) 00:02:49
http://mainichi.jp/area/chiba/archive/news/2010/07/13/20100713ddlk12010179000c.html
風がやんで:参院選’10千葉/上 みんな /千葉
 昨年夏の衆院選で政権交代をもたらした強風は、今回の参院選ですっかりやんでしまった印象だ。県選挙区の3議席を分け合った民主、自民、みんなの各党や各候補は互いにどう競り合い、有権者とどう向き合ったのか。その軌跡を振り返る。

 ◇ワンフレーズで票積み上げ 増税より「小さな政府」
 「本当に大変な戦いになっちゃったな」

 当選が決まった直後の水野賢一氏(43)をみんなの党の渡辺喜美代表が電話でねぎらったのは、12日午前0時半すぎ。水野氏はその1時間ほど前に事務所に現れ、誰とも目を合わせずテレビ画面を見つめ続けた。当選が決まると、支持者らと握手しながら「12時を回るとは。遅くまですみません」。目にうっすら涙が浮かんでいた。

   ◇  ◇

 選挙期間中の千葉マリンスタジアム前。千葉ロッテのユニホームを着て、マイクで政策を訴える水野氏の姿があった。野球観戦を終えて帰る客に自ら公約集を配る。「自民党時代は鉢巻きをするのも拒んだ男が、ここまでやるのか」。そばにいた支持者の一人は驚いたという。

 水野氏は、自民党の大物だった養父水野清氏の地盤を継いだ。千葉9区(千葉市若葉区、佐倉・八街・四街道市)で99年、繰り上げ当選。自民党の議席を保ってきたが、昨年、政権交代の強風に吹き飛ばされた。

 今回は「金も組織も人脈もない。ポスターも張れない。泡沫(ほうまつ)そのもの」(陣営幹部)。街頭に立ち、ひたすらマイクで叫び続けた。それでも、街頭で足を止める有権者はめったにいなかった。

 民主党への支持率が下がれば、みんなの党は浮き上がる。逆なら沈む。両党はシーソーのような関係だ。陣営幹部は言う。「菅さん(直人首相)就任当初の有権者の反応は、鳩山さんの最後のころに比べ良くなかった」

 7月に入り、風が変わった。消費税増税を巡る菅首相の発言がクローズアップされ、水野氏は「増税の前にやるべきことがある」と決めぜりふに力を込めた。事務所に何本も激励の電話が掛かってくるようになった。

 ただし、水野氏の得票は、自民にも民主にも納得しない無党派層の票だけではない。

   ◇  ◇

 6月30日夕、銚子市役所前にみんなの党の選挙カーがとまった。車から降りた白いワイシャツ姿は、元衆院議員の水野清氏。85歳がマイクを握った。「みなさん、水野清です。水野賢一の義父でございます。銚子の方々には昔からお世話になっていて、ごあいさつに参りました」。銚子は中選挙区時代の清氏の地盤。「清さんが来た」。情報は地元に広がった。

 清氏の元後援会幹部は投票前、こう言っていた。「清さんのファンもまだいるから3000くらいかな」。賢一氏の銚子市での得票は3207票だった。

 今回落選した自民党現職の椎名一保氏は、かつて清氏の秘書を務めた。賢一氏は自民、特に椎名氏の票を食う立場だった。養父清氏の応援について、水野氏は「ありがたかった」とし、自分からは頼まず、養父が自ら動いたものだと説明した。

   ◇  ◇

 水野氏は当選翌日に会見し、「ほとんど足を踏み入れていない市町村からも、票をもらった。『水野賢一』より『みんなの党』への期待があった」と、戦いを総括した。

 マニフェストではなく「アジェンダ」と呼ぶ公約集1万冊を投票日までに配り、民主に対しバラマキ批判を展開。国会議員削減や行政改革による「小さな政府」のワンフレーズを繰り返した。「民主、自民に飽き足りない人を政策で引きつけることができた」。古い票に新たな票を積み、辛くも民主、自民の一角を崩した。

7774チバQ:2010/07/17(土) 00:03:40
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20100714ddlk12010155000c.html
風がやんで:参院選’10千葉/中 民主 /千葉
 ◇「消費税増税」が重荷に
 今回の参院選で、民主党候補たちは「消費税増税」という重荷を背負わされた。終盤必死に浮かび上がろうとする道あゆみ氏(44)には、とりわけ重かったようだ。

 「この千葉で、何としても二つの議席を頂きたい」。選挙戦フィナーレの10日午後7時すぎ、浦安市のJR新浦安駅前。重荷を背負わせた菅直人首相はその道氏を横に従え、こう付け加えた。「3番目で結構ですっ」

 17日間の選挙期間を締めくくる首相遊説に数千人の有権者が集まった。支援組織の呼びかけで集まった参加者も含めフィナーレは今までにない盛り上がりを見せた。それでも、必要な票には届かなかった。

 東京の民主党関係者によると、党は公示当初、千葉など必勝を期す11選挙区を重点区としていた。だが、終盤で1人区の苦戦が伝わる中、3人区で2人を立てる千葉は終盤で最重点区に「昇格」したようだ。

 もう一人の党公認小西洋之氏(38)は、幅広く浸透している。無党派の割合が高い地域で動く道氏は、支持が広がらない。「当落線上の道氏クラスを押し上げないと50議席はおぼつかない」という党本部の判断もあり、9日午後に続き、首相は異例の2日連続で道氏応援に入った。

   ◇  ◇

 道氏は3月、党公認を得て小西氏とともに会見した。その際、テレビコメンテーターや弁護士などの肩書、さらには「女性候補」として有望視された。小西氏との「地域割り」に基づき、道氏は柏市を拠点に県北西部(小選挙区6選挙区分)で活動。連合千葉の支援も得た。

 だが、選挙戦前半、主要5候補の中で1人出遅れていた。配ったマニフェストは小西氏陣営の10万冊に対し、半分以下の4万冊だった。「陣営に危機感がなかった」「選挙スタッフが足りなかった」「松戸市長選など地方選の影響で動けなかった」。敗れた背景についてさまざまな指摘が飛び交っている。

 しかし、敗因の一つが「消費税」であることを否定する関係者は見当たらない。

   ◇  ◇

 選挙ポスターやビラを作り直そう−−。陣営は公示から1週間後、出遅れを取り返そうと異例の試みに出る。顔写真や政見で道氏自身を強調するものから、党を前面に押し出すデザインに変えることを決め、印刷を発注。7月に入ってポスターを張り替え始めた。

 ちょうどこの時期、菅首相の「消費税発言のぶれ」で党への逆風が強まった。陣営内で「民主党を強調するのはどうか。元の方がいい」との異論も出て、張り替えを途中でストップ。方針は揺れ続けた。

   ◇  ◇

 新浦安駅でのフィナーレで、菅首相は言った。「消費税を言ったことで、選挙戦に重い負担をかけてしまったことは、私自身も自覚を致しております」

 その言葉通り、道氏は当選ラインまであと一歩で力尽きた。敗戦後、疲れた表情で「言いたいことはたくさんありますが、私なりに全力で戦い抜いた充実感はある」と振り返った。

7775チバQ:2010/07/17(土) 00:04:23
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20100715ddlk12010119000c.html
風がやんで:参院選’10千葉/下 自民 /千葉
 ◇“さびていた”頼みの組織 統一選へ立て直し急務
 「厳しい」「このまま(5番目)だな」。投票日の11日午後11時すぎ、千葉市中央区の選挙事務所で、テレビの開票速報を見つめる自民党の県議たちはそんな感想をもらした。自民現職の椎名一保氏(58)が現れたのは、日付が変わり、みんなの党の水野賢一氏(43)に最後の3議席目の当確が出た後だった。

 「いろんな事情があったことは事実です……」。疲れ切った表情。うっすら涙が浮かぶようにも見える。「……が、ひとえ私の力が及ばなかった」

    ◇   ◇

 椎名氏は各地域に根を張る県議や市議の協力を得て、それぞれの後援会と連動しながら支持を訴えた。各種団体の支援も得る「組織選挙」だ。

 公示前の5月下旬、地元の銚子・海匝地域で開いた決起集会では、発起人の林幹雄衆院議員が「まず(椎名氏で)1議席を固めたい。椎名は浮動票では勝負しない。確実な票でいきたい」とあいさつ。「椎名を頼む、地元を良くするために椎名を頼むと、支援者の一人一人が知人や親類に声をかけてほしい」と、会場を埋める支援者たちに求めた。

 椎名氏は公示後、房総方面を中心に、県議らと街頭演説やミニ集会を重ねた。どこまでも組織頼みの戦いだった。

    ◇   ◇

 前回6年前の参院選では、民主党、共産党の候補各1人と自分の計3人で改選2議席を争った。自民公認は1人。県内各地で決起集会を開き、組織を引き締める。それだけで万全の体制だった。

 しかし「候補者が2人の今回は、そういうわけにはいかない」(椎名氏)。自民は猪口邦子氏(58)も擁立。党と組織を二分する選挙戦となった。

 印旛地域の自民党員の男性は「彼は6年前にあいさつに来たが、それ以降まったく接触がない。選挙直前に来て『今回もよろしく』と言われても……」と困惑した表情だった。

 頼りにする各種団体も力が弱まる。保育園を経営する椎名氏を同業としてこれまで応援してきた千葉市の保育園経営者は、「公示後も法定ハガキ一枚すら届かない」と選挙運動を不安視していた。

 昨年の総選挙のような民主への強い追い風はやんだ。組織選挙が強みを発揮してよいはずだが、支援した県議の1人は「肝心の組織がさびついてしまっていた」と振り返る。

    ◇   ◇

 知名度で都市部の無党派層に浸透し、自民支持層の半分を固めた猪口氏に、一部の農林業団体の支援まで奪われた。かつて秘書として仕えた水野清元衆院議員の養子、賢一氏も立候補し、票を食われた。6年前とは異なる「いろんな事情」が現職を追い詰めた。

 田久保尚俊県連幹事長は言う。「県議出身の参院議員を失ったことは残念だ。1年前の総選挙のダメージは残っている。来春の統一選に備え、きちんと支援組織を立て直さないと」。すでに来春の統一地方選が気に掛かるようだ。

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 この企画は森有正、斎藤有香、西浦久雄、荻野公一、武田良敬、山縣章子、斎川瞳、黒川晋史が担当しました。

7776チバQ:2010/07/17(土) 00:05:08
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000821007130001
「混迷の先は」上・消費税論議「重い負担」
2010年07月13日


菅首相は小西洋之氏(左)と道あゆみ氏(右)の応援のため公示前後で計4回県内入りした=6月19日、JR千葉駅前

 民主、自民、みんなで議席を分け合った参院選千葉選挙区。民主、自民に痛み分けの結果は、政権交代後も迷走が続く政治や、既存政党への有権者の「ノー」という思いの反映といえそうだ。消費税引き上げなどの問題が急浮上し、各党の選挙戦術にも波乱が続いた。躍進したみんなを含め、混戦を終えた各党は、組織づくりや党への評価への打開策など、それぞれに迷いを抱きながら、手探りを始めた。


 「なぜ増税が必要なのか、政治家としての理解の求め方に少し問題があったのでは」


 初当選した民主新顔の小西洋之氏は11日夜、菅直人首相が公示直前に争点として挙げた消費税増税論議について報道陣に聞かれ、こう語った。


 持論はあった。ブログや公示前の討論会などでは「将来あるべき社会保障の計画をしっかり立て、実現するためにいくらかかるのかを計算した上で、どうしても増税が必要だとなった時に国民に説明すべきだ」と主張。菅首相の「10%」発言は数字ありきの議論だと疑問視した。


 だが、選挙戦では総務省と経済産業省での産業政策に取り組んできた経験と、父を家族で介護した経験を基に、取り組んできた医療政策の市民活動を政治にいかす。小西氏は訴えをほぼこの点に絞り、「暮らしを守る即戦力」というフレーズで有権者に切り込んだが、財源となる消費税にはほとんど触れなかった。


 朝日新聞が投開票日、県内の有権者を対象に行った出口調査では、消費税引き上げが必要とした人で、民主候補に投票したのが47%だったのに対し、そうは思わないとした人は同30%。消費税を争点としたことで支持離れを起こした可能性がある。


 小西氏の陣営からも「選挙戦直前に言うべき問題ではない」という不満が漏れた。ただ小西氏は自身の勝因を「強い経済、強い社会保障の実現に取り組むという思いをお届けできたから」と分析。選対に入った県議の1人も話した。「小西さんは自らの訴えで、増税論議を薄めた」


   □   □


 民主のもう一人の新顔道あゆみ氏は、次点で落選が確定した後、柏市の事務所で消費税論議の影響について言葉少なに語った。「激戦で1万、2万票差だったので、影響したかは正直分からない」


 選挙戦最終日、道氏は菅首相と並んでJR新浦安駅前で最終演説に臨んだ。菅首相は「私が消費税を言ったことで、いろいろ選挙戦に重い負担をかけてしまったことは自覚している」と、聴衆に持論が生んだ波紋をわびた。


 菅首相の県内入りは公示前を含めて4回に及んだ。終盤の9、10日は小西氏は加わらず、道氏に絞った応援で2議席確保を目指した。


 当初はより有利とみられていた。3月には柏市内に事務所を構え、連合千葉の支援も取りつけた。「政治とカネ」「普天間」と逆風が続くなか、あまり党を前面に出さず、弁護士や母親の立場から「命と暮らしが守られる政治を」と主張した。


 だが、菅内閣発足による支持率回復の波に乗るように運動量を増やした小西氏に対し、道氏の動きには大きな広がりが見られなかった。松戸市長選などの地方選が重なり、「選挙疲れ」で動きが鈍ったとの声も聞かれた。公示後、選対が回り出した時には消費税が争点となり、子育て支援などの訴えはかすんだ。連合千葉の動きが活発化して急追したが、1万2千票余り及ばなかった。


   □   □


 県連選対委員長の岡島一正衆院議員は、消費税増税論議が「党全体としての得票が減った要因」と認める。「消費税増税10%という発言の真意を、我々自身が納得した上で県民に説明するには時間が足りなかった」と分析した。連合千葉の黒河悟会長も「消費税を含めて政権批判が集中し、結果的にみんなの党に票が流れた。次の参院選をどう戦うかは、党も考えるだろうし、うちも話をする」。


 今後も必ず争点となる消費税。国政選挙や政治活動を通じていかに訴えていくか。その反省が求められる結果となった。(永井啓子、小沢邦男)

7777チバQ:2010/07/17(土) 00:06:10
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000821007140001
「混迷の先は」中・自民 保守票争奪
2010年07月14日


落選が決まり重苦しい雰囲気に包まれた事務所で、支持者に頭を下げる椎名一保氏(左から2人目)=12日、千葉市中央区

 「やはりちょっと(自民に)2人はきつかったということでしょうね」
 3選を果たせなかった自民現職の椎名一保氏は12日未明、千葉市内の選挙事務所で、目を真っ赤にしながら声を絞り出した。


 椎名氏にとっては誤算続きだった。昨年の総選挙で野党に転落、公明との選挙協力はなくなった。党本部は県連の意向に反し、千葉選挙区に2人目の公認候補として、知名度の高い猪口邦子氏を擁立。票を奪い合うことになった。


 最も響いたのは足下の亀裂だ。秘書として仕えた水野清・元総務庁長官の養子である前衆院議員の水野賢一氏が4月、みんな公認で立候補を表明。佐倉市などでは2人が写った政党ポスターが今なお残る。「本当に三重苦」。ぼやきがたびたび聞かれた。


 椎名氏が頼ったのは40人を超える自民県連所属の県議や市議たち。全員が自身の後援会をまとめれば、当選ラインは悠々と超える。


 だが、実際には大選対は空回りが目立った。各地の得票を予測し、戦略を立てる核となる存在は最後までいなかった。「本気で椎名さんで動いた県議は十数人」と猪口陣営の幹部は話す。


 党自体、資金繰りにも苦労する。ある広告会社の経営者は「党幹部の街頭演説を知らせる看板の注文は民主の10分の1」と打ち明ける。公民館などに支援者を集め、地域票をまとめる「ハコモノ選挙」は激減。衆院中選挙区時代のように党内の候補者同士が切磋琢磨(せっ・さ・たく・ま)して全体の票数を増やすような体力はない。


 従来型の組織選挙が通用しなくなったことに、椎名氏選対の責任者の1人、田久保尚俊・党県連幹事長は複雑な表情だ。「我々だけでこの広い選挙区を戦うという覚悟が甘かったのかもしれない。だが、みんなの党は自民党予備軍。民主の2議席を防いだと言う意味ではよかった」


   □   □ 


 片や、大臣経験者といえど選挙は素人だった猪口氏。一人で街頭遊説をしつつ、指南役と実動部隊として頼ったのが、元県議の石井準一参院議員を中心とする県議15人余と市町村議らだった。


 県内の自民勢を二分した昨年の知事選で敗北、その後遺症は残る。「来年は統一地方選だから自分の所でポイントを出さないと。危機感が違うよ」(選対本部長の川名寛章県議)。議員らは房総、東総地域などに猪口氏を連れ歩き、地区ごとに対椎名氏で割り出した得票を目指した。


 九十九里町で5日にあった集会には、地元県議らが700人を集めた。「何としても勝ちたい。一緒に走ってください」。猪口氏が涙を浮かべると、会場から「よし」と声が飛んだ。


 開票結果をみると、都市部以外に木更津、君津、南房総市などで得票がトップ。投開票日の本社出口調査によると、猪口氏が自民支持層のうち43%を固め、椎名氏の同35%を上回った。逆風、資金不足の条件は同じだが、自らの議席獲得をかけた少数派議員がフル稼働、知名度も重なり、保守票で明暗を分けた。


 「各地で長年築いた草の根の信頼関係こそが自民党。そこに入らせてもらえたことが大きな勝因」。当選が決まった後、猪口氏は語った。さらに、政権奪回に向けて「細胞分裂している場合じゃない」と、関係修復を呼びかける。


 だが、肝心の猪口陣営幹部は、椎名氏側の議員について「自分の足場固めもできないのに人の選挙をやれるわけない」「猪口さんを当選させて自分の使命は果たした」。椎名派の県連幹部も「統一地方選で猪口さんの応援を受ける? まあ、そういう人もあるんじゃないですか」。互いに歩み寄る気配はない。(重政紀元、小沢香)

7778チバQ:2010/07/17(土) 00:07:22
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000821007150001
「混迷の先は」下 みんな 無党派層つかむ
2010年07月15日


当選直後、「綱渡りのようだった」と水野氏は選挙戦を振り返った=佐倉市王子台

 「消費税を10%に上げて景気がよくなる、そんな馬鹿なことがあるわけないじゃないですか!」


 7日、JR船橋駅前。みんなの党の渡辺喜美代表が威勢良く話すのを、約200人が聞いていた。演説を終えた渡辺代表に握手を求めて一斉に群がる。公示後、県内に4回入り、6カ所で演説した。


 対照的に、みんな公認の水野賢一氏単独だと、足を止めて最後まで聞く人は、終始まばらだった。


 「ほとんど足も踏み入れていない市町村でも票をもらえたのは、水野賢一より『みんなの党』への期待」。当選翌日の記者会見で水野氏は、率直に認めた。


 朝日新聞が投開票日に県内の有権者に行った出口調査では無党派層の26%が水野氏に投票。千葉選挙区の9候補で最も多く、2004年、07年の参院選と比べて無党派層の受け皿が民主候補から水野氏に移ったことがうかがえる。民主と自民の支持層からも各約1割の支持を得ていた。


   □   □


 10カ月前の衆院選。水野氏は千葉9区で民主候補に3万5千票差で敗北。比例復活もかなわなかった。この時、県内3選挙区でみんなの公認新顔が立候補し、一定の得票があった。


 鳩山政権が支持率を落としていた4月末、水野氏は自民を離れた。「みんな」の浮上に期待をかけた。


 公示前から演説場所に、渡辺代表の顔写真が張られた等身大の看板を持参。支援者の間で「パフォーマンス嫌い」として知られるが、無党派への浸透を目指し、野球観戦を終えて帰る客に千葉ロッテのユニホームを着てチラシを配った。最終盤には、成田山新勝寺の祇園祭で旗をたてて練り歩いた。


   □    □


 次点の民主新顔道あゆみ氏を1万2千票余りの差で制した要因は、ほかにもある。


 「やせてズボンがブカブカになるくらい回った」。水野氏の養父・水野清氏時代からの支援者で佐倉市の土地改良区幹部(60)は、実動部隊としてフル回転した。


 水野氏が地盤の千葉9区域(佐倉市、四街道市、千葉市若葉区など)に入ったのは公示後は2日だけだったが、そのあいさつ回りを先導した。6月末には、水野氏と別行動で浸透を図った清氏を連れて、かつて同氏が地盤とした成田市や銚子市などを「行脚」した。


 千葉9区では3市1区すべてで他候補より多く得票。銚子と成田でも約1万3千票を得た。当選翌日、水野氏は「地元の人には感謝している」と述べた。


 街頭活動中心の「みんな」の選挙と、自民時代に培った古い組織選挙が混在したのが、水野陣営だった。


    □   □


 参院選で水野氏の街頭活動を支えたスタッフには、「みんな」公認で来春の統一地方選に立候補の意欲を見せる人も多い。街頭でのビラ配りなどを手伝った松戸市の会社員男性(51)は、党の趣旨に賛同し、市議選を目指す。


 水野氏は県内組織について「志を同じにする人たちのネットワークによる緩やかな連合体もありえる」という。国会での仕事に意欲を燃やす水野氏だが、支援者の活動をいかに支えていくかも、今後の試金石となりそうだ。


 みんなの躍進について、千葉大法経学部の新藤宗幸教授(行政学)は「大都市の住民にうずまいている反公務員の思いを取り込んだ一種のポピュリズム、大衆迎合的な流れ。統一選では一定の議席を取るだろうが、長続きするかは分からない」と指摘。街頭運動やメディアへの露出に重きが置かれた現在の選挙活動では、政治が「その時々の争点、雰囲気に流され、空虚なものになりかねない」と警鐘を鳴らす。(高橋友佳理)=
おわり

7779チバQ:2010/07/17(土) 00:08:08
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20100714/CK2010071402000087.html
検証2010参院選(上) 2大政党痛み分け 組織の支援だけでは限界
2010年7月14日

 公示直後、報道機関が行った世論調査の結果を見て、民主県連の幹部はがくぜんとした。優勢とみていた新人の道あゆみ(44)が大差で五位に沈み、一時は「泡沫(ほうまつ)候補」とまでささやかれた新人の小西洋之(38)がトップを独走。春先に民主党が行った世論調査とは正反対の結果だった。

 道は三月末に選対会議を開くなど、早くから始動。テレビ出演で多少の知名度があり、四月上旬には連合千葉の支援も決まった。一方の小西は選挙事務所がなかなか決まらず、四月下旬の連合千葉メーデーでは推薦候補でありながら、道中心の支援を決めた連合千葉に、会場入りを拒まれる“屈辱”も味わった。

 だが、いざ選挙戦が始まると、てこ入れが必要と思われていた小西が大躍進。危機感をバネに、地道な街頭活動や支援団体の確保を続けた成果が如実に表れ、トップ当選を果たした。

 これに対し、順調な船出で陣営に自然と“楽勝ムード”が漂った道は、活動の出遅れが最後まで響いた。最終盤には菅直人首相の応援演説を二日続けて受け、破格の支援態勢が取られたが、約一万二千票差で次点に終わった。

 目標の二人当選をわずかの差で逃し、「いまひとつ努力すれば届いたのかな」と悔やむ田中信行県連幹事長(県議)。道を支援した衆院議員の一人は「支援する団体、議員らの割り振りに大きな課題が残った」と戦略の失敗を指摘する。

   ◇     ◇

 「(二人当選の)殻を破りたかった」−。二議席獲得を旗印にした自民県連会長の森英介(衆院議員)は無念の表情でこう述べ、敗戦が決まった現職椎名一保(58)の選挙事務所を後にした。

 一月下旬に新人の猪口邦子(58)が出馬を表明。公認候補二人で参院選に臨むことになった。選挙戦中盤、県連幹部は「一人だと緩みが出る危険性もあった。良い戦いができている」と期待感を示した。初当選した猪口は、国会議員や県議らが組織を固める一方、都市部を中心に無党派層の掘り起こしにも成功した。

 一方、椎名は協力関係にあった元自民衆院議員(千葉9区)の水野賢一(43)が、みんなの党から出馬したのが響いた。水野は椎名の地盤の東総でも一定の力を持つ。椎名陣営の幹部は「みんなの候補が別人なら結果は違った」と悔しさをにじませた。

 県連幹事長の田久保尚俊(県議)は「組織の支援だけでは限界がある。街頭で有権者に働き掛けるなどプラス要素が必要だ」と振り返った。

 支援団体などの組織固めを図った椎名陣営だが、政権交代による求心力の低下は少なからずあったという。猪口は「ガラス張りの選挙カーには必ず自分が乗っている。これが大事だ」と積極的に街に出て、高い知名度を背景に「プラス要素」を実践してみせた。 (小川直人、小林孝一郎)

   ◆     ◆

 十一日に投開票された参院選千葉選挙区(改選数三)は、二議席確保を狙った民主、自民の二大政党が痛み分けに終わり、その間隙(かんげき)を縫い、みんなが県内初の議席を確保した。三党の選挙戦を振り返って勝因と敗因を検証し、今後の県内勢力図を占う。 =敬称略

7780チバQ:2010/07/17(土) 00:09:29
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20100715/CK2010071502000096.html
検証2010参院選(下) みんなの党躍進 勢力図 塗り変える可能性
2010年7月15日

 「国会議員と地方議員を多く抱える自民、民主に、国会議員も地方議員もいないみんなの党が対抗できた」。参院選千葉選挙区(改選数三)で初当選した水野賢一(43)は、晴れやかな笑顔で手応えを語った。

 元衆院議員の水野は四月に自民を離党して、みんなからの出馬を表明。支持組織を固める選挙戦が中心だった自民時代と異なり、集票手段は街頭演説にほぼ限定された。

 党代表の渡辺喜美の知名度と人気を背景に、民主、自民への批判票の確保に全力を注いだ。演説の端々に「組織なし、金なし」「徒手空拳の選挙戦」「みんなの党の挑戦」などの言葉をちりばめ、大政党に小政党が挑む構図をうまく演出した。

 「民主、自民の一角を崩せた」と充実感を漂わせる一方で、水野は大政党の組織力をあらためて痛感させられた。「もっと民主、自民への批判は強いと思っていた。二大政党の壁はなかなか厚いな」。トップ当選した民主新人の小西洋之(38)に大きく水をあけられ、次点だった民主新人の道あゆみ(44)と僅差(きんさ)での三着は想定外だった。

 来春の統一選や次の衆院選に向け、党組織の確立が急務だが、ことは容易ではない。水野の支援者には市民運動系や自民系が混在。渡辺は「ネットワーク型組織」を掲げるが、緩い連合体を志向せざるを得ないのが内情だ。今後の組織運営と党勢拡大は、みんなで県内初の議員となった水野の手腕に託される。

   ◇  ◇

 今回の参院選で躍進したみんなに対し、二大政党は警戒感を強めている。自民県連幹事長の田久保尚俊(県議)は来春の統一地方選について、「『自民の現職がいるから出馬できない』という自民系の人が、みんなから出る可能性は大いにある」と指摘する。

 民主県連幹事長の田中信行(同)も「参院選でも民主の批判票がみんなに流れた。自民ほどではないかもしれないが、影響は予想される」と同調。「国政で政党(主体の)選挙が続き、地方選挙でも政党の影響力が強まるはず。みんなが台風の目になる可能性もあるかもしれない」と予想する。

 自民県連は、前回二〇〇七年と今回の参院選、昨年の知事選で分裂選挙を続けた末、水野の当選を許した。民主県連は昨年の総選挙で衆院議員が大量に増えたが、結束を固めるはずだった今回の参院選で、目標とした二人当選を果たせなかった。

 ともに組織は盤石とは言い切れない。県内初の国会議員という足掛かりを得たみんなの躍進は、どこまで続くのか。来春の統一地方選の結果は、県内の勢力図を変える可能性も秘める。 (小林孝一郎、小川直人)

  =敬称略

7781チバQ:2010/07/17(土) 00:12:40
http://mainichi.jp/area/kanagawa/archive/news/2010/07/13/20100713ddlk14010237000c.html
ねじれ再び:’10参院選神奈川/上 民主、無党派層奪われ /神奈川
 11日投開票された参院選神奈川選挙区は、みんなの党新人が与党2議席の一角を突き崩し、改選3議席を自民、みんな、民主3党で分け合った。民主は現職閣僚が議席を失う痛打を浴びた。衆参の「ねじれ」が再現される与党敗北の象徴的な選挙区となった神奈川の激戦に迫った。

 選挙戦も終盤を迎えた8日夕。菅直人首相は、JR川崎駅西口でマイクを握った。「次の総選挙までは消費税は上げない。しかし、議論だけはしっかりする。それを与野党でやろう」。首相は支持率の「V字回復」から一転して急落を招いた消費税論議について釈明を重ねた。傍らで、民主現職の金子洋一氏(48)が手を振り、有権者に顔を売り込む。

 この日で、首相就任後3回目の来県。異例のテコ入れは神奈川の2議席の死守を図る党の姿勢を示す意味が込められていた。しかし、法相として5選を目指した千葉景子氏(62)の姿はなかった。

 伏線があった。民主県連は5日、所属議員に金子氏への重点的な支援を改めて呼びかけるファクスを送っていた。党の調査による情勢分析で、金子氏は、自民党現職の小泉昭男氏(64)、みんなの党新人の中西健治氏(46)、そして千葉氏に水をあけられていたことを踏まえた判断だった。

 「千葉のチの字もないじゃないか」。千葉氏の陣営幹部は憤った。県内全18小選挙区の衆院議員の割り振りは金子氏12人、千葉氏6人とされたうえ、閣僚や党幹部の応援も金子氏に集中。支援態勢の偏りを見過ごせなくなった千葉氏の陣営は、5日の文書をきっかけに、県連などに抗議するようになった。

 最終盤の9日になって、県連は所属議員にあてた檄文(げきぶん)に「千葉・金子両候補は、みんなの党の追い上げにより、大変厳しい情勢」と記し、2議席の維持へ向けて発破をかけた。だが、みんなの党の躍進は想定を上回り、結果的に千葉氏が落選の憂き目を見た。

 ただし、実際の得票をみると、金子氏と千葉氏の票を足して2で割っても、中西氏の票には及ばず、「均等割り」が成功したとしても、与党の一角が崩される結果は変わらないことになる。

 共同通信の出口調査によると、中西氏が無党派層のほぼ3割から支持を得たのに対し、金子、千葉両氏はそれぞれ1割強にとどまった。「外に支持が広がらなかった」。データは、連合神奈川幹部の実感と重なる。従来の民主は、連合を中心とした組織票に無党派層を上乗せすることで党勢を拡大してきたが、「上乗せ」分は今回、「第三極」に奪われていた。

   ◇  ◇

 昨年8月の衆院選で政権交代の原動力となったマニフェストも、今回は「現実路線」への転換を余儀なくされ、県連幹部は「有権者が、以前ほど受け取ってくれなかった」とこぼした。松沢成文知事は12日、「マニフェストを選挙に勝つための道具にしか見ていない」と記者団に語り、民主を批判した。

 「言ったことはやる姿勢を示していくのが、政権与党としての道筋」。同日会見した県連の水戸将史幹事長は強調した。だが、その道は、ねじれ国会を前に、更に険しくなっている。

7782チバQ:2010/07/17(土) 00:13:35
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20100714ddlk14010158000c.html
ねじれ再び:’10参院選神奈川/中 みんな、風頼みに懸念も /神奈川
 「みなさんの力で、民主党、自民党の従来のしがらみ体制を変えて、変えて、変えてください」。選挙戦最終日の10日午後、横浜市西区の横浜駅西口前。みんなの党の渡辺喜美代表が声を張り上げた。公示後、党新人の中西健治氏(46)の支援のため、4度目の来県。「党の顔」に道行く人は足を止め、人だかりができた。この日は夜にも再び横浜駅前に立ち、最後の街頭演説を締めくくった。

 江田憲司幹事長と浅尾慶一郎政調会長という県内を地盤とする衆院議員がいるものの、全県的な組織を持たないみんなの党にとっては、いかに無党派層を取り込むかがカギ。注目度の高い渡辺代表によるテコ入れを受けつつ、陣営は「1人でも多くの人に会う」というシンプルな方針を立て、中西氏は昨年12月5日から7月10日まで1日も欠かさず、県内を巡る駅立ちを続けた。浮動票が多い横浜、川崎両市を重点地域と位置付けた。

 開票結果をみると、昨年8月に市長選に挑んだ横浜市での中西氏の得票数は候補者中最多で37万票に迫り、トップ当選した自民党現職の小泉昭男氏(64)を149票上回った。

 ただし、来春に統一地方選を控え、「風」に頼った選挙戦術には危機意識もにじむ。参院選と同日に投開票された横浜市議泉区補選(改選数1)では、先月の同区補選に挑んだ同党新人が再び立候補したものの、労組出身の民主党新人に競り負けた。「今回(の参院選)は風が来たが、無風の時でも戦えるように、組織があった方がいい」。12日の記者会見で、浅尾政調会長は「足腰」の弱さを認めざるを得なかった。

   ◇  ◇

 「一時的なブームだろう。今までいろんな政党が出ては消えていった。地域に一番密着しているのは自民党」。12日に記者会見した同党県連の菅義偉会長は、みんなの党躍進に反論してみせた。今回、公認候補を小泉氏1人に絞り、98万票を得て、中西氏に20万票近い差をつけた。

 だが、121万票を得て初当選した04年選挙に比べると2割近く票を減らしている。共同通信の11日の出口調査では、無党派層からの得票は当選者中最低の約15%。昨年まで連立政権を組んでいた公明党の支持層の約40%が小泉氏に投票した一方で、中西氏に約20%、民主現職2人への投票も約20%で、ほぼ同数が民主、みんな両党に回っている。

 「自民に半分は欲しかった」。県連幹部はうなった。政権奪還に向け、広がりが見えない支持層。手放しで喜べない「勝利」だった。

7783チバQ:2010/07/17(土) 00:14:27
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20100715ddlk14010224000c.html
ねじれ再び:’10参院選神奈川/下 敗戦各党、立て直しへ /神奈川
 「負担をすべて国民に押し付け、黒字の大企業には大減税。暮らしも経済も破壊する間違った政治はストップさせようではありませんか」。選挙戦中盤の3日、JR川崎駅東口。共産党元職の畑野君枝氏(53)が力を込めた。隣で志位和夫委員長もこれまでの消費税収額と法人減税額を比べたパネルを掲げ、増税の問題点をアピールした。

 今回は新党からの立候補が相次いだことを受け、共産は当選ラインが下がるとにらみ、畑野氏が議席を獲得した98年の再現に期待を込めた。菅直人首相が消費税引き上げに言及すると、反対の訴えを強化し、無党派層の取り込みを図った。

 しかし、畑野氏の得票は前回07年に比べ約8万票減の約30万票にとどまった。共同通信の出口調査によると、畑野氏に投票した無党派層は1割弱だけで、約3割を得たみんなの党にさらわれた。

 社民党も、国政選挙での退潮傾向に歯止めをかけることができなかった。政権離脱後に擁立した新人の木村栄子氏(62)の得票は約11万票にとどまり、同党の候補は前回に続いて供託金没収となった。「訴えが届かなかったということに尽きる。統一地方選で地方議員を増やすように頑張っていきたい」。社民県連の高橋八一幹事長は無念そうに語った。

   ◇  ◇

 「第三極」を目指し、相次いで結成された新党。神奈川選挙区に挑んだものの、みんなの党の「独り勝ち」を許す結果に終わり、埋没した感は否めなかった。

 新党改革新人の甲斐敬浩氏(46)は、舛添要一代表を前面に立てた選挙戦を繰り広げ、木村氏と肩を並べる約11万票を獲得した。ただ、県内に党の拠点はなく、今後の活動は不透明だ。

 たちあがれ日本新人の松田学氏(52)は、独自候補の擁立を見送った日本創新党から推薦を受けたものの、得票は約9万票。松田氏は「協力効果がどこまであったのか分からない」と振り返った。

 中田宏前横浜市長が代表幹事を務める日本創新党の県内での比例代表の得票は約6万票にとどまり、松沢成文知事も同党の応援首長連合に名を連ねたものの、存在感を示すことができなかった。中田氏は12日の記者会見で「時間が足りなかった」と悔やんだ。

 2大政党に不満を持つ有権者をいかに取り込むか。来春の統一選を控え、各党は戦略の立て直しを求められている。

   ×  ×

 この連載は木村健二、杉埜水脈が担当しました。

7784チバQ:2010/07/17(土) 00:16:04
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20100712ddlk14010080000c.html
参院選’10神奈川:民主・千葉氏落選 みんな・中西氏初当選(その1) /神奈川
 ◇与党への風当たり受け
 第22回参院選は11日、投票が行われ、即日開票された。10人が立候補した神奈川選挙区(改選数3)は、民主党が2議席を維持できるかが焦点だったが、みんなの党が与党の一角を崩し1議席を獲得。民主党は04年、07年と続けて2議席を押さえたが、法相として5選を目指した民主党現職の千葉景子氏(62)が次点に泣き、現職閣僚が議席を失った。トップは自民党現職の小泉昭男氏(64)で、手堅い組織固めで再選。みんなの党新人の中西健治氏(46)が続き、「第三極」の躍進を印象付けた。民主党現職の金子洋一氏(48)は3議席目で再選を果たした。

 「私のこれまでの活動、選挙戦での活動を見て、『もういいんじゃないか』と判断を下されたわけだと思う。神奈川で2議席を取ることは政権与党としての責任。それができなかった責任は感じている」。横浜市中区の事務所で千葉氏は終始にこやかな笑みで淡々と語り、最後に深々と頭を下げた。

 千葉氏は旧社会党時代に初当選した86年以来の議席を守り抜けなかった。過去4回はいずれも最下位当選。法相として臨んだ今回も、政権与党への風当たりをまともに受ける格好となり、厳しい戦いを強いられた。政権交代に伴い昨年9月に発足した鳩山内閣で法相に就任。菅内閣でも再任され「新しい政治を逆戻りさせるわけにはいかない」と強調した。

 ◇小泉氏、手堅く再選 公明支持層にも浸透し
 小泉氏は午後8時20分ごろ、支援者の大きな拍手の中、横浜市中区の選挙事務所に姿を見せ、笑顔を振りまいた。万歳の後には「日本の将来に向け、景気をしっかり底上げすることが大事。同僚議員と一歩一歩詰めていきたい。頑張ります」と抱負を語った。

 自民は、公認候補を1人に絞る手堅い戦略で党支持層を着実にまとめ、昨年の政権交代前まで連立を組んでいた公明支持層にも浸透。「唯一の与党候補」だった04年に得た120万票は大きく下回ったものの、安定した戦いを見せた。現職とはいえ、地元の川崎市以外での知名度不足は否めず、元首相次男の小泉進次郎衆院議員とともに街頭活動を展開。「小泉」をアピールし、支持を訴えた。

 ◇中西氏、現職の壁破る 政権への批判票取り込み
 「みなさんからのご厚意にしっかり応えていきたい。本当にありがとうございました」。みんなの党の中西氏が、現政権への批判票を取り込み、現職3人に割って入った。12日未明、支持者を前に、横浜市中区の事務所で満面の笑みで万歳をした。昨年8月の横浜市長選は、無所属で挑み87万票を獲得しながら惜敗。2度目の政界挑戦で、外資系証券マンからの転身を果たした。

 組織票を期待できないとあって、無党派層を取り込もうと、公認決定後の12月上旬から7カ月間にわたり、毎日、県内各地の駅前で街頭活動を展開。駅立ちは連続200日を超えた。消費税引き上げが争点化すると「増税の前にやるべきことがある」と批判を強めた。

 ◇金子氏、議席守り抜く 消費税論議、沈静化努め
 昨年10月の補選で初当選したばかりの金子氏は、わずか8カ月後の再度の審判で議席を守り抜いた。菅直人首相をはじめ、閣僚や比例代表のタレント候補の大量投入を受け、後続候補の追い上げをかわした。

 ただ、千葉氏が落選したことを踏まえ、金子氏は当選が確実となったものの、「千葉法務大臣が落選したことは大変残念。貴重な議席で、全力で働かせていただきたい」と神妙だった。

 金子氏は旧経済企画庁など国内外の経済機関で活動した経験から、金融緩和政策(リフレ政策)による景気回復を主張。首相が消費税の増税に言及すると、「無駄遣いをなくしてはじめて負担をお願いできる」と沈静化に努めた。

 ◇畑野氏、奪還ならず 増税批判、支持広がらず
 「残念な結果になりましたけど、みなさんのご支持に感謝申し上げます」。共産元職の畑野氏は午後10時ごろ、横浜市中区の事務所で敗戦の弁を述べた。

 首相が消費税増税に言及し、自民も「当面10%に引き上げ」を掲げる中、選挙戦では「3議席を消費税増税の候補に独占させない」と強調していた。「『増税ストップ』という世論は日に日に大きくなっていった。もう少し時間があれば、という思いも致します」と悔しさをにじませた。

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7785チバQ:2010/07/17(土) 00:17:30
■解説

 ◇みんな、民意引き寄せ
 参院選神奈川選挙区は、民主党が2議席を守りきれず、自民、みんな両党と議席を分け合う結果となった。昨年8月の衆院選で県内から複数の議員を誕生させたみんなの党が、徹底した「改革」を説く姿勢で支持を集め、参院選でも躍進。県内全18小選挙区に衆院議員を擁し、連合神奈川の支援を受ける民主党の組織力に風穴を開けた。

 民主党が昨年の衆院選で唱えた最大のスローガンは、「政権交代」だった。今回の参院選では、直前に誕生した菅直人首相の下、「政権交代の成果」とともに、消費税の引き上げの是非を有権者に問う格好となった。

 だが、消費税については、民主党内でも見解が統一されていなかったことが論戦を分かりにくくした。神奈川でも、千葉氏は消費税についてほとんど触れず、金子氏は「すぐに増税すると言っているわけではない」と釈明に追われた。県連幹部は「菅さんの発言で『守りの選挙』になった」と嘆き、選挙戦では「防戦」に回ることを余儀なくされた。

 一方、みんなの党は、与党と最大野党の自民党が増税に言及したことを踏まえ、景気低迷にあえぐ有権者を前に「増税の前に公務員制度改革と経済成長」と強調。無党派層を中心に民意を巧みに引き寄せた。

 国政では連立組み替えが避けられないとの見方が広がる中、来春の統一地方選を控え、神奈川でも既に民主党からみんなの党に移る地方議員が出ており、当面は「第三極」を巻き込んだ各党の駆け引きが予想される。【木村健二】

http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20100712ddlk14010093000c.html
参院選’10神奈川:民主・千葉氏落選 みんな・中西氏初当選(その2止) /神奈川
 ◇投票率55.57%、0.75ポイント減 期日前は定着
 11日に投開票された第22回参院選の神奈川選挙区の投票率は55・57%で、07年の前回選挙(56・32%)を0・75ポイント下回った。当日有権者数は729万4561人だった。

 投票時間が現行の午後8時に延長された98年以降、これまでの過去4回の投票率は55%前後で推移。今回、消費税の引き上げがクローズアップされ、有権者にとって身近な争点となっただけに、投票率を押し上げるとみる陣営もあったが、結果としては大幅な上昇はなく、同水準にとどまった。

 また、期日前投票は77万1086人で、前回比0・3%増で、ほぼ同レベル。参院選に初めて導入された前々回(04年)の46万9090人からは大幅に増加しており、制度自体は定着していると言えそうだ。

 県選管によると、神奈川選挙区の投票率は、過去、いずれも全国平均を下回っており、都道府県別で過去最高だったのが01年の37番目(神奈川55・45%、全国56・44%)。77年は最下位(神奈川60・74%、全国68・49%)となっている。

 ◇新党、存在感示せず
 みんなの党が神奈川選挙区でも存在感を示した一方で、今回初めて国政選挙に臨んだ新党の新人は、いずれも厳しい戦いを強いられた。みんなの党が、県内に幹事長の江田憲司衆院議員(神奈川8区)と政調会長の浅尾慶一郎衆院議員(比例南関東)という国会議員を擁するのに対し、他の新党が県内に「足場」を持たないことが大きな要因となっている。

 たちあがれ日本は5月に松田学氏(52)の擁立を決定。6月には、地方自治体の首長らが結成して中田宏・前横浜市長が代表幹事を務める日本創新党との選挙協力も発表し、創新党が松田氏を推薦することになった。だが、実際には、既成政党を批判する新党勢が「同士討ちを避ける」(創新党幹部)といった程度の協力関係にとどまり、表立っての支援は最後まで見られなかった。

 新党改革は、5月に元団体職員の女性の擁立を発表しながら、家庭の事情を理由に女性が辞退したとして、6月に入って甲斐敬浩氏(46)の公認を決定。準備不足を露呈した。

 一方、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡って連立政権を離脱した社民党も、独自色を打ち出そうと6月に入って木村栄子氏(62)の擁立を発表。だが、最後まで出遅れをばん回できず、存在感を示すことはできなかった。

毎日新聞 2010年7月12日 地方版

7786チバQ:2010/07/17(土) 00:24:03
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20100713ddlk19010125000c.html
辛勝・輿石東の軌跡:参院選/上 知名度で議席守る /山梨
 参院選は民主党参院議員会長の輿石東氏(74)が自民新人の宮川典子氏(31)の猛追を辛くもかわした。出身母体である山梨県教職員組合(山教組)を中心とした厚い組織に支えられ、中央で「政権の要」と呼ばれるまでに上り詰めた輿石氏が、なぜ苦戦したのか。衆院初当選から20年を経た政治家「輿石東」の軌跡を追った。(文中敬称略)【曹美河】

 ◇つきまとった「負のイメージ」
 「五分の勝負だそうです」−−投票日の11日昼、甲府市の選挙事務所で情報収集を続けていたスタッフが緊張した声を上げた。各報道機関の出口調査結果が漏れ伝わってきたのだ。

 中盤の「優勢」から一転した情勢に、焦った陣営スタッフは県内各地区の事務所に散り、投票が締め切られる間際まで、個票(後援会員カード)を頼りに念押しの電話をかけ続けた。

 ただ、そこには、かつて輿石の選挙で高い集票力を発揮した現職教員の姿はほとんどなかった。

 「山教組の動きは6年前と全く違う。選挙に拒否感がある若い先生も多いし、もう組合で縛ることはできないんじゃないか」。陣営スタッフはため息まじりに言った。

 6年前の選挙では、山教組幹部が政治資金規正法違反に問われた。昨年の衆院選では北海道教職員組合による同法違反事件も起きた。山教組が前面に出ることはできなかった。その穴を教員OB、衆院議員の後援会員などが埋める形で今回の選挙運動は行われた。

 当選が確実となったのは午後11時前。当初陣営が予想していた午後10時から大きくずれ込んだ。差はわずかに3745票。「政権の要」にしては、あまりにも苦しい勝利だった。

 選挙戦を通じ、輿石には「負のイメージ」がつきまとった。「74歳という年齢、小沢一郎(前幹事長)との距離の近さ、山教組に対する世間の厳しい視線……。マイナス要因を挙げればきりがない」。陣営幹部は苦々しい表情で振り返る。菅直人首相の消費税増税発言が追い打ちをかけた。「消費税の影響が終盤になってじわじわと表れた」。別の幹部はそう分析した。

 12日に甲府市内で記者会見した輿石は「(接戦は)期待が大きければ失望も大きいという結果だと思う。責任の重さを痛感して国民の期待に応えることが、民主党が信頼回復する道だ」と、淡々とした口調で総括した。

 それでも、輿石が議席を守ったのは、知名度で相手を上回った結果でもある。

 陣営幹部らは選挙戦終盤、金丸信元自民党副総裁を引き合いに出し「金丸先生以来の実力者。輿石東なくして山梨の未来はない」としきりに訴えた。

 「今後国会で私が何をするのか。そのことで必ずご恩返しができると思う」。11日深夜、当選を喜ぶ支持者の前で語った輿石の言葉には「政界の実力者」としての自負がのぞいた。

   ◇  ◇

 輿石は1936(昭和11)年、韮崎市龍岡町で農家の次男として生まれた。都留市立都留短大に進み、58年に神奈川県で小学校教諭となる。

 その後山梨に戻り、上野原町立小などを経て80年4月、専従の山教組北都留支部書記長となった。「対立する双方を納得させる抜群の調整力と実行力があった」。北都留支部時代の同僚は輿石をこう評する。政治家・輿石の出発点はここにあった。

7787チバQ:2010/07/17(土) 00:24:52
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20100714ddlk19010055000c.html
辛勝・輿石東の軌跡:参院選/中 保守分裂で頭角 /山梨
 ◇山教組時代から「頑固」で「柔軟」
 山梨県教職員組合(山教組)の北都留支部書記長だった輿石東(74)は84年、47歳で山教組執行委員長に推され、6年間務めた。

 「この交渉には緊張感がない。私は大勢の組合員を背負っている。きょうの交渉はこれで打ち切ります」

 委員長時代、教職員と県職員を代表しての賃上げ交渉の席で、輿石はそう言い捨て、席を立ってしまった。同席していた当時の山教組書記長、倉田由和(68)は面食らった。

 「相手の県の総務部長が冗談ばかり言ってね。場を和ませようとしたんだろうけど、輿石さんはそれが許せなかった。当時からそういう頑としたところがありました」

 後日再開された交渉で、組合はベースアップを勝ち取った。

 旧自治省から出向していたその総務部長は現在の茨城県知事、橋本昌(64)。倉田は2人の関係悪化を懸念したが、輿石と橋本は今もしばしば酒を酌み交わすという。「どんなに立場が違う人でも、結局なぜか仲良くなっちゃう。それが輿石さんなんです」

 「頑固」と「柔軟」。周囲の輿石評には、相反する言葉が同居している。

   ◇  ◇

 90年の衆院選。山梨選挙区で旧社会党の元職が出馬を辞退し、同党の意向で山教組委員長の輿石に白羽の矢が立った。

 「こういう立場だから、組織の決定には従わざるを得ない……」。そうつぶやく輿石の姿を、当時副委員長だった坂本誠二郎(62)は記憶している。出馬をためらう輿石や家族を説得したのが、旧中道町出身で83〜88年に日教組委員長を務めた田中一郎(05年に79歳で死去)だった。

 「日教組委員長時代、父は輿石先生をよく家に連れて来ました。弁護士資格を取ったばかりの私に『何かあったら輿石君に相談しろよ』と。それだけ信頼していたんだと思います」。長男で弁護士の正志(52)=甲府市=はこう振り返る。

 田中は中央政界で、同郷の金丸信元自民党副総裁や同党の文教族議員と親交が深かった。田中家の墓石の文字は、海部俊樹元首相の筆によるものだ。

 「日教組といっても父は現実路線。イデオロギーに縛られることなく『使命を実現するためには』と保守系ともパイプを保った。輿石先生も父に似たところがあると思いますね」と正志は言う。

   ◇  ◇

 そんな輿石をある自民系元県議は「節操なく権力に取り入っている」と非難する。だが、こうした輿石の姿勢は、保守と革新が長らく協力関係にあった山梨の政治風土に由来する部分が大きい。

 山梨ではかつて、知事選や首長選のたびに保守系が分裂して争い、革新系の票をいかに取り込むかが勝敗を分けた。そのため革新勢力も大きな力を持ち、輿石もこうした風土の中で頭角を現した。その象徴が79年の知事選だ。

 金丸系の保守勢力と旧社会党県連が共闘、副知事だった望月幸明を擁立して田辺国男の4選を阻止した。当時金丸の秘書だった北杜市長の白倉政司によると輿石はその時、山教組の一員として選挙に没頭していた。「輿石先生がいなければ負けていたかもしれない。すごい集票力でした」

 輿石の山教組委員長時代は望月県政(79〜91年)と重なる。輿石は県政を舞台に、教職員の看護休暇や海外研修制度の導入など組合の要求を次々と実現させた。(文中敬称略)【曹美河、小林悠太】

7788チバQ:2010/07/17(土) 00:25:35
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20100715ddlk19010099000c.html
辛勝・輿石東の軌跡:参院選/下 求められる説明能力 /山梨
 ◇ねじれ国会、運営は多難
 山梨県教職員組合(山教組)時代に培われた輿石東(74)の柔軟性と調整能力は、中央政界でもいかんなく発揮された。

 輿石は96年に結党した民主党に参加。03年に小沢一郎率いる自由党と合流した時は、参院国対委員長として調整役を務めた。

 「『小沢アレルギー』があって反対する議員も多かった。でも輿石さんは『天下のためにのみましょう』と議員たちを説得して回ったんです」。当時の参院議員会長、角田義一(73)は振り返る。角田によると、輿石は参院幹事長となった04年ごろから、小沢と頻繁に接触するようになる。

 「小沢さんの頭には、参院でねじれを作って政権交代に持っていくという絵が前からできていた。そこで、参院を束ねるキーマンとして輿石(参院議員)会長との関係を重視したんだと思います」と話すのは、民主党参院議員の米長晴信(44)。米長は07年参院選初出馬の際、小沢から輿石を紹介されたという。

 輿石は小沢との関係を保ちながら、参院議員会長、幹事長代行と、地位の階段を一歩ずつ上っていった。

   ◇  ◇

 「金丸信(元自民党副総裁)以来の政治家」。ある県幹部は輿石をそう評する。

 政権交代で県は中部横断自動車道整備の遅れを懸念したが、5月の参院国土交通委員会で前原誠司国土交通相は「17年度の供用予定に間に合うよう進めたい」と答弁した。質問したのは米長だった。米長はこの質問について「前日、輿石会長に『しっかれやれよ』と言われた。前原大臣にとっても、輿石会長の出身県の話だという意識は大きかったと思いますね」と語る。

 また、輿石を支持した元自民党県議のある市長はこんな証言をする。「輿石先生に陳情に行ったら、目の前で担当省庁に電話してくれた。今どき、こんなことができる政治家は少ない」

   ◇  ◇

 しかし、こうした輿石の政治姿勢は、一般有権者にどう映っただろうか。

 対抗馬の宮川典子(31)は輿石を「古い政治の象徴」と批判、「クリーンな政治」「世代交代」を訴えて3745票差に詰め寄った。民主党県連幹部は「(輿石は)自ら政策を語りたがらない。小沢さんや労組との結びつきが暗いイメージばかり誘い、無党派層に嫌われた」とみる。「大事にしているのは政策ではなく政局だ」(宮川陣営幹部)との批判も聞こえる。

 「私も小沢さんも口べたで。皆さんにいろいろ誤解されることもありますが…」。公示前、甲府市での記者会見を終えた輿石は、席を立ちながら、そうつぶやいた。それは「不器用で口べたな東北かたぎ」(07年11月8日の記者会見)と自らを評した小沢の言葉と相似形だ。

 輿石は参院選を「私の政治の集大成」と位置づけ、任期限りの引退を示唆しているが、衆参の「ねじれ」で国会運営は前途多難だ。「政界の要」として輿石は今後、どう野党や国民を説得するのか。その説明能力を県民は注視している。(文中敬称略)【曹美河、小林悠太】

7789チバQ:2010/07/17(土) 00:26:58
http://www.sannichi.co.jp/tokushu/news/saninsen2010/2010/07/13/17.html
2010年7月13日(火)

【連載】 審判の夏
第3部 「決」  =1 = 独り歩きした「消費税上げ」
説明不足で支持層揺らぐ  政権政党の自覚乏しく


支持者と握手を交わす輿石東氏。選挙期間中、消費税増税に触れることはほとんどなかった=甲府市内(6月24日)


 参院選の選挙期間最終日の10日、甲府市北部で演説を終え、選挙カーに乗り込もうとした民主党の輿石東氏に中年女性が声を掛けた。「もう期日前(投票)で輿石さんに入れたけど、消費税は上げないで」。遊説に帯同した民主県連の樋口雄一幹事長は女性の言葉に、公示日以降、有権者に広がった民主への期待の「揺らぎ」を感じ取った。

発言を封印
 参院選直前、菅直人首相が消費税率「10%」に言及したことで支持率が続落した民主党。「唐突な感じで国民に伝わった」(菅首相)ことにより、山梨選挙区の風向きも変化。組織力で圧倒的優位に立つ輿石氏が、自民党の新人候補に3745票差にまで詰め寄られる結果を招いた。
 選挙戦のさなか、輿石氏は消費税率引き上げに関する発言を封印。街頭演説や個人演説会では、応援に入った党幹部が「明日、明後日に消費税を上げるなんて話は一言もしていない」(安住淳選対委員長)と釈明した程度。民主参院トップとして首相を支える輿石氏から、首相の意図が伝えられることはなかった。

無駄の削減
 「突然増税を持ち出し、批判されたら低所得者には払い戻すと言い出す首相の発言はあまりにいい加減。増税分を何に使おうとするのか」。昨夏の衆院選で政権交代を訴え、無駄の削減を目指す姿勢に共感し、民主党に一票を投じた甲府市内の自営業男性は今回、自民候補に投票した。菅首相発言後の輿石氏の対応が「説明責任を果たしていない」と映ったからだ。
 当選から一夜明けた12日、穏やかな表情で記者会見に臨んだ輿石氏は、大接戦となった要因について、菅首相の消費税増税発言が影響したとの見方を示しつつ、「街頭で消費税に触れると、菅首相が言ったことを弁解しないとならない。党内でも議論していないので、私は(訴える)必要はないと思った」と説明した。
 1月の立候補表明後、県内市町村で視察を繰り返し、地元首長らに政権与党の重鎮として国政への影響力をアピールすることで支持を固めてきた輿石氏。一方で無党派層を意識し、「権力者」イメージを和らげようと、子育て中の母親や落語家と対談する機会を設けるなど、支持拡大に向け「労組や後援会の組織力を生かした仕掛け」(労組幹部)を講じてきた。
 ただ、その仕掛けの積み重ねで築いたアドバンテージは、終盤の「風」によってほとんどなくなった。「消費税で瀕死ひんしの自民党をよみがえらせてしまった。これまでの選挙は攻めるだけだったが、政権政党として臨む選挙は、国民にきちんと説明する姿勢が求められている」。樋口幹事長は、自らに言い聞かせるように語った。




 11日投開票された参院選山梨選挙区は民主党の輿石氏が、自民党の宮川典子氏を小差で振り切り、3選を果たした。民主党陣営が苦戦を強いられた要因、議席奪還を果たせなかった自民党の行方などを探る。
〈参院選取材班〉

7790チバQ:2010/07/17(土) 00:27:37
http://www.sannichi.co.jp/tokushu/news/saninsen2010/2010/07/14/17.html
2010年7月14日(水)

【連載】 審判の夏
第3部 「決」  =2 = 「敵失」生かせず自民連敗
主軸の県議足並みに乱れ  国会議員ゼロ続く


厳しい表情で選対幹部らと打ち合わせる宮川典子氏(左から2人目)。最後まで県連内の足並みはそろわなかった


 参院選投開票から一夜明けた12日、自民党の宮川典子氏が活動拠点とした甲府市内の選対事務所。がらんとした室内で、県連の皆川巌幹事長の携帯電話が鳴った。「あと少しだった。今後も宮川さんをしっかり育ててほしい」。電話の相手は党本部の河村建夫選対局長。健闘をねぎらいつつ、県選出国会議員不在で組織的な戦いができなかった県連を気遣った。
 山梨選挙区での議席奪還を目指して臨んだ参院選。国会議員がゼロになったことによる組織の先細りや政権交代による業界団体の「自民離れ」といったマイナス要素を抱えながらも、民主の「参院のドン」輿石東氏を追い詰めた。

山教組に恩
 だが、県議会最大勢力となる県議21人の足並みは最後までそろわず、参院選山梨選挙区は3連敗。「次は(対抗馬に)若くてイキのいいのを立てますよ」。来春の県議選をにらみ、中堅県議の一人には民主関係者からの「けん制」も飛んできた。過去の県議選で輿石氏の出身母体・県教職員組合(山教組)の支援を受けた県議も少なくなく、宮川氏の猛追が伝えられた最終盤も県議の動きは迫力を欠いた。
 「あと何人か、しっかり活動してくれれば逆転できた。温度差がありすぎる」。宮川氏の落選が決まった11日深夜、県連幹部の一人は選対事務所の外で吐き捨てた。視線の先には一部県議のため書き。統一された書式のため書きを見ながら、「まとめて作って、まとめて持ってきた。心がこもっていないため書きが、この選挙戦を象徴している」とつぶやいた。
 参院選の終了を受け、県連の堀内光雄会長は辞任する意向を示した。新体制とともに、昨年の衆院選以降、不在が続く衆院3選挙区の支部長選びも課題だ。県連は参院選同様に、公募を視野に選考する方針を示しているが、具体化していない。

憤りあらわ
 参院選終盤の8日、長崎幸太郎前衆院議員は忍野村内で街頭演説し、宮川氏への支持を求めた。衆院選山梨2区の公認調整を不服とし、離党しながら、「保守の大同団結」を旗印に自民公認候補を支持した長崎氏。選挙戦では自民党の街宣車に乗り、マイクを握る一幕もあった。「なぜ乗せた。堀内氏支持者が騒いで選挙どころじゃなくなる」。堀内氏と2度にわたって争った長崎氏の「遊説」に県連幹部は憤りをあらわにした。
 その2区は衆院3選挙区で唯一、宮川氏の得票が輿石氏を上回る結果となり、長崎氏周辺からは「長崎氏の貢献は明らか」との声も上がる。ただ、選挙戦で堀内、長崎両氏が連携することはなかった。長崎氏支持者の一人は「堀内氏が会長を辞任した後、党本部主導で長崎氏の復党を促す動きが出る可能性は十分にある」との見方を示すが、「接近」の糸口は見えない。
 参院選で改選第1党の座を確保した自民党。谷垣禎一総裁からは早期の衆院解散、総選挙を迫る発言も飛び出す。「今、解散されても困る」。自民県議の一人は、テレビに映し出された党幹部の姿を見ながら、そうつぶやいた。

7791チバQ:2010/07/17(土) 00:28:16
http://www.sannichi.co.jp/tokushu/news/saninsen2010/2010/07/15/17.html
2010年7月15日(木)

【連載】 審判の夏
第3部 「決」  =3= 「第3党」へ躍進みんなの党
受け皿機能無党派つかむ  統一選で足場固め狙う


初当選を決め、支持者と握手を交わす、みんなの党の小野次郎氏。参院選での躍進を受け、来春の統一地方選で候補擁立を目指している=甲斐市内


 12日午前5時ごろ、みんなの党から参院選比例代表に立候補した小野次郎氏の選挙事務所。眠気や疲労の色が漂う支援者は、テレビから流れる「小野氏当選確実」の報に喜びを爆発させた。「今の日本には堅実な政治が求められている。思い切り活躍したい」。小野氏は満面の笑みで抱負を口にした。
 昨年8月の衆院選山梨3区で落選後、自民党県連の対応を不服として、みんなの党入りした小野氏。比例代表候補として全国で集票を目指した参院選の戦術は、3区県議らと連携して組織戦を展開した自民党時代と一変した。

ネット戦術
 「のぼり持ってくれませんか」。前哨戦で威力を発揮したのはインターネットの短文交流サイト「ツイッター」だ。街頭活動の予定を書き込み、遊説をサポートしてくれるボランティアを募集。公示前に東京・JR国立駅前で行ったつじ立ちには、ツイッターで活動予定を知った初対面の大学院生らが訪れ、雨の中、チラシ配りを手伝った。
 県議や業界団体などのネットワークを失ったことで、ネットを通じた政策や自らの考えの発信は重要性を増した。「幅広く訴える。そこが無党派層の支持を引きつける一つの要素でもある」。小野氏は、こう言い切る。
 民主、自民両党に不満を持つ層の受け皿として、みんなの党は県内でも支持を拡大。菅直人首相への交代で、支持率に陰りが見えたものの、首相の消費税発言で盛り返し、県内の比例代表で5万5245票を獲得。公明、共産、社民党を抜いて「第3党」となり、甲斐市にある政党支部の支部長を務める小野氏は、民主党以外では県内に拠点を置く唯一の国会議員となった。
 参院選での躍進を受け、小野氏は来春の統一地方選での県議、市町村議の擁立を目指す。「みんなの党で政界を目指したいという人は、参院選を通じ、県内でも10人ぐらい出てきている」。地方の足腰強化に向け、候補擁立の準備を具体化させる構えだ。
 ただ、かつて小野氏を支えた自民党3区県議は「躍進したとはいえ、結局は『風』頼み。地方の選挙でどこまで通用するのか」と冷ややか。組織強化の鍵を握る地方議員を確保できるかは未知数だ。

他党は警戒
 みんなの党の躍進に、他党は警戒を強める。「公明党には身近に議員がいる。地域の声を届けられるのは、みんなの党との大きな違いだ」。公明党県本部の秋山雅司代表は県内で地方議員32人を擁する「強み」を強調する。
 一方、首相の消費税増税方針に対する批判票の取り込みを目指した共産党。前回参院選(2007年)から15・2%も減らす結果に、党県委員会の千葉信男委員長は「みんなの党が消費税反対を訴えたことで違いが出せなかった」と振り返る。社民党県連の山田厚代表も「みんなの党を中心とした保守回帰への流れがあった」と影響を認める。
 参院選の結果に対し各党幹部は反省こそ口にするものの、今後の県政界での地位低下を危惧きぐする声は少ない。「地域に基盤がない政党が長続きするとは思えない」。ある党幹部は、こう指摘した。


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