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利水・治水スレ
86
:
とはずがたり
:2009/03/31(火) 17:06:21
関電が黒部川の水利権を持っていたのは東洋アルミナム→日本電力の流れだった様である。
宇奈月温泉街史
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1075222919/69
黒部峡谷の本格的な電源開発をはじめたのは東洋アルミナム株式会社である。
同社は、アルミニュウム地金を生産しようとし、それに要する大量の電力を黒部川に求めた。この企業家はタカ・ジアスターゼの発明で知られる、高岡出身の高峰譲吉博士で、製薬メーカの三共株式会社の塩原又策社長等も出資者であった。同社は、その開発調査を、通信省電気局にいた土木技師、山田胖をスカウトして、大正6年からこれに当たらせた。東洋アルミナム社は「桃源開」と呼ばれる無住の台地を電源開発の基地とした。危険な峡谷部での電源開発にとって、厚生施設をもつのはその意欲の増進に連なるものであった。
大正11年(1922)東洋アルミナム社の塩原又策、山田胖は富山県人の中田六郎平、谷欽太郎、赤間得寿、木津太郎などともに資本金百万円の黒部温泉株式会社を設立した。東洋アルミナム社は黒部温泉社設立に当たり,先に開湯した愛本温泉関係者と折衝し、同社の所有していた施設と権利を6万円で買収した。さらに、黒薙と二見の両温泉の財産と権利を2万円で買収した。
黒部温泉(株)は坪一円で温泉地の用地買収をはじめた。土地はすべて内山村の住人の所有で、買収に当たったのは人見長太郎であった。はじめは5万坪の買収を予定していたが、東洋アルミナム(株)は第一次世界大戦の経済不況でアルミ製造事業は見込みがなくなり,発電事業から撤退したので、土地の買収は2万5千坪で打ち切られた。東洋アルニ社の発電事業は当時中部山岳地帯の電源開発を行っていた日本電力株式会社に受け継がれ、温泉開発事業もそのまま継承となった。宇奈月温泉の開発は、先に買収した2万5千坪の範囲内で行われるようになった。
日本電力(株)は、大坂に本社を持ち,日本の5大電力(とは註:東京電灯(東京)、東邦電力(事業エリア:九州北部、近畿、中部・社長:松永安左エ門)、大同電力(エリア:中部・関西・社長:福澤諭吉の養子である福澤桃介)、 日本電力(大阪)、宇治川電気(傘下に近江鉄道・山陽電鉄))の一つに数えられていた。同社は、以後、黒部川の電源開発と宇奈月温泉の開発などを全面的に担った。
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