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利水・治水スレ

80とはずがたり:2009/03/21(土) 22:45:30

黒部ダム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/黒部ダム

黒部ダムは、富山県中新川郡立山町、黒部川水系黒部川に建設されたダムである。ダムに貯えられた水を利用している発電所が黒部川第四発電所(黒四)である。

概要
黒部ダムは、富山県東部の黒部川上流に建設されたアーチ式コンクリートダム。発電に利用する水を確保することを主目的として関西電力によって建設された。ダムの高さ(堤高)は186mで日本一を誇り、現在でも破られていない。総貯水容量は約2億tで北陸地方で屈指の黒部湖を形成する。日本を代表するダムのひとつである。総工費は建設当時の費用で513億円。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1,000万人を超え、工事期間中の転落やトラック・トロッコなどによる交通事故等による殉職者は171人で、いかにダム建設工事が苦難を極めたのかがうかがえる。

沿革
黒部ダムが建設された地点は黒部川の水量も多く、水力発電所設置に適した場所であることは大正時代から知られていた。ただ、第二次世界大戦などもあり、黒部川の開発は下流の仙人谷ダムおよび黒部第三発電所にとどまっていた。戦後、高度経済成長期を迎えると電力需給が逼迫し、関西電力の代表取締役(当時)太田垣士郎は1956年、戦前に調査(一割強程度)・計画・設計は実施したものの、開戦以降お蔵入りとなっていた黒部ダム建設事業を急遽たちあげた。それは、同社の社運をかけた一世一代の大規模プロジェクトであり、近畿(関西)地方への電力供給ひいては経済活動の命運がかかっていた。黒部ダム建設にあたって工区を5つに分割し、それぞれに異なる建設会社が請け負った。

黒部ダム建設工事現場はあまりにも奥地であり、初期の工事は建設材料を徒歩や馬やヘリコプターで輸送するというもので、作業ははかどらず困難を極めた。このため、ダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることを決める。しかし、破砕帯から大量の冷水が噴出し、死者が多数出る大変な難工事となった。別に水抜きトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固めながら(グラウチング)掘り進めるという、当時では最新鋭の技術が導入され、トンネルは貫通し、工期が短縮された。2006年時点での土砂堆積率は14%であり、ダム本体の耐久性とあわせて考えると、これからも約250年はダムとして機能するとみこまれている。

関電トンネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/関電トンネル

関電トンネルは長野県大町市と富山県中新川郡立山町を結ぶ道路トンネル。トンネルを通る、トロリーバスが運行される。元々は「黒部ダム」建設のために掘削されたトンネルであり、建設当時の名称は大町トンネル。建設工事中、いくつもの破砕帯が発見され、頻繁な出水のためこの区間を貫通突破する為に大変な難工事となった。この難工事の模様は1968年に熊井啓監督の手により映画化され「黒部の太陽」という名作を生み出す事となる。

トンネルは1958年全通。トンネルは関西電力が保有している。国立公園内に掘られたトンネルであり、「一般公衆の利用に供すること」が建設許可の条件となったため、関西電力はダム工事完成後、トンネルを通る公共交通機関を運行することによって条件を満たすことにしたのである。基本的に黒部ダム・黒四発電所の資材運搬用のトンネルであることから、現在まで一般車両の通行は認められておらず、一般来訪者は公共交通機関として営業運転されている関電トンネルトロリーバス利用でのみ通行可能。トンネルは一車線分の幅しか無く、中間に交換地点が設けられている。そのため、トロリーバスはもちろんのこと、発電所の資材運搬用の自動車も、予め決められたダイヤにしたがってトンネルを通過する。


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