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利水・治水スレ
1
:
とはずがたり
:2007/11/05(月) 00:45:52
ダム・堰堤・運河・暗渠etc
公共事業に占めるダムなどの費用は非常にでかいものがある。専用スレで研究・観察。
行革スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1038805069/?KEYWORD=%A5%C0%A5%E0
土建スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1105074193/?KEYWORD=%A5%C0%A5%E0
ダムサイト
http://damsite.m78.com/top.html
ダム便覧
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TopIndex.html
ダムマップ
http://www.dammaps.jp/
61
:
とはずがたり
:2009/02/01(日) 19:12:07
いやぁ,こんな計画があったんですねぇ。すげぇすげぇ。
成田を泥沼化させた佐藤は此処でも超然主義を貫いたけど規模が大きいだけに着工は出来なかったか。
沼田ダム計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/
沼田ダム計画
沼田ダム計画(ぬまたダムけいかく)とは、一級河川・利根川本流に建設省(現・国土交通省)によって計画され、地元である群馬県沼田市の猛反対によって白紙撤回された日本最大の多目的ダム計画である。高さ125.0mの重力式コンクリートダムとして計画されていた。
ダム本体も高さ100mを超える大ダムであったが、沼田ダム計画が「巨大」と呼ばれる所以は貯水池の巨大さであった。完成していれば総貯水容量800,000,000トンと徳山ダム(岐阜県・揖斐川)の約1.5倍、ダム湖の面積(湛水面積)推定2,700haは朱鞠内湖(雨竜第一ダム。北海道・雨竜川)を超え、芦ノ湖の約4倍の面積となる。この巨大ダムによって利根川の洪水調節と東京都を始めとする首都圏への水需要を一挙に賄おうとしたが、群馬県の官民一体となった反対運動によって頓挫した「幻」のダム計画である。
1947年(昭和22年)関東地方を襲った雨台風・カスリーン台風は利根川水系にかつてない大水害をもたらした。埼玉県北埼玉郡大利根町付近で堤防決壊した利根川の水は、江戸川堤防を沿う形で南下。現在の幸手市・久喜市・春日部市等を2m以上浸水させ遂には東京都へ侵入。葛飾区・江戸川区・江東区・墨田区といった下町一帯を水没させ、大きな被害を与えた。
この未曾有の被害に対し政府は、旧内務省が1941年(昭和16年)に策定した「利根川改修増補計画」の大幅修正に迫られた。建設省は利根川の系統的な河川開発を推進するべく1949年に「利根川改訂改修計画」を策定したが、その中でダムによる洪水調節を本格的に盛り込み、結果利根川水系に7ヶ所、鬼怒川流域に2ヶ所(矢木沢ダム・藤原ダム(利根川)[矢木沢ダム・藤原ダム・奈良俣ダム・須田貝ダム
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/51/12.090&el=139/04/15.500&scl=250000&bid=Mlink
]、相俣ダム(赤谷川)
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/42/29.269&el=138/53/47.999&scl=70000&bid=Mlink
、薗原ダム(片品川)
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/38/14.367&el=139/10/20.829&scl=250000&bid=Mlink
、八ッ場ダム(吾妻川)、坂原ダム(神流川。下久保ダムの前身)、五十里ダム(男鹿川)、川俣ダム(鬼怒川))が計画された。そしてその根幹施設として計画されたのが「沼田ダム」である。のダムを建設する計画を1952年(昭和27年)に発表した。
沼田ダムは1952年(昭和27年)に第3次吉田茂内閣によって閣議決定され、建設省関東地方建設局による正式な事業となった。ダム地点に選ばれたのは、利根川が狭い峡谷を形成する綾戸渓谷付近、群馬県渋川市赤城町棚下地先であり、JR上越線・棚下トンネルの西側付近
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/34/47.867&el=139/03/27.694&scl=70000&bid=Mlink
であった。計画当初は「岩本ダム」という名称であったがこれは直上流の沼田市(当時は利根郡沼田町であった)岩本地先に因んでいる。
検討の結果1959年(昭和34年)7月29日に答申された案が最終的な「沼田ダム計画」案となった。ダムの位置はほとんど変更がないものの、堤高125.0mの重力式コンクリートダムを建設し、直下流に逆調整用のダム(名称・型式・堤高不明)を建設するものであった。この「沼田ダム」は利根川の洪水調節に加え、首都圏の上水道・工業用水道の供給、大規模な発電を目的とする特定多目的ダム計画に変貌した。特に水力発電所は認可出力1,000,000kWを有し、佐久間ダム(静岡県・天竜川)の認可出力 (350,000kW) の約3倍という当時日本最大の水力発電所となる予定であった。これによって、首都圏の水需要と電力需要を一気に賄おうとしたのである。さらに付近の温泉地などとの観光拠点と連動することで、新たな観光客を呼び込むという副次的な効果も目的の一つに訴求していた。
62
:
とはずがたり
:2009/02/01(日) 19:12:42
>>61-62
地図で水没予定地を見た場合北は赤谷川合流点を越えて利根郡月夜野町(現・みなかみ町)付近、群馬県道273号後閑羽場線の月夜野橋
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/40/43.348&el=138/59/56.153&scl=25000&bid=Mlink
まで水没する。また東では片品川が沼田市下久屋町付近
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/38/51.816&el=139/05/03.622&scl=25000&bid=Mlink
、薄根川が沼田市岡谷町(関越自動車道・薄根川橋付近)
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/39/31.465&el=139/04/12.910&scl=25000&bid=Mlink
まで完全に水没する。沼田市は高台の一部がちょうど「鉤」型の半島状に残り、低地は全く水没する状態となる。上越新幹線や関越自動車道が沼田市付近では高台を通過しているのは、沼田ダム建設を念頭に置いたものといえなくもない。
だが、「岩本ダム」・「沼田ダム」何れの計画にしても余りに地元への影響が多大であり、計画発表後直ちに地元の猛烈な反対を惹き起こす。
沼田市が官民一体となって繰り広げたダム反対運動は世間の注目を浴び、国会でも問題になった。だが政府・建設省は基本的に「沼田ダム」の必要性を訴求、当時第三次池田勇人内閣の建設大臣であった河野一郎や小山長規も沼田ダム建設促進の姿勢を崩していなかった。
1966年(昭和41年)2月、第一次佐藤栄作内閣の建設大臣・瀬戸山三男が「沼田ダムは首都圏のために必要な事業で、建設を推進したい」と発言した事から沼田市は更に態度を硬化させた。この間には日本社会党や日本共産党も反対運動に加わり、反対運動は更に盛り上がりを見せた。これまで状況を静観していた群馬県庁・群馬県議会も「大勢の県民が犠牲となり、群馬県全体を混乱させる沼田ダム事業は容認できない」として、事業に対し反対する姿勢を見せたことから群馬県全体が官民一体でダム事業に対し明確な反対意思を表明。ここにおいて事業は完全に膠着化する状況となった。
佐藤内閣はそれでも「沼田ダム」建設推進の姿勢を崩さなかった。だが建設省はその後の利根川水系における治水計画・「利根川水系工事実施基本計画」の中で「沼田ダム」を盛り込まず、「本庄ダム計画」(烏川)[1965年(昭和40年)に当時の群馬郡榛名町(現・高崎市榛名湖町)本庄地先に建設省による「本庄ダム(湯殿山ダム)計画」が浮上し実施計画調査が行われたが立ち消えになって中止。場所はこの辺
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/22/52.584&el=138/50/33.224&scl=70000&bid=Mlink
か?]や「跡倉ダム計画」(鏑川)[この辺
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/12/02.473&el=138/46/43.920&scl=25000&bid=Mlink
か?これも立ち消え。]、「神戸ダム計画」(渡良瀬川)[草木ダムとして実現?]を進めるようになった。また、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)も「利根川水系水資源開発基本計画」で「沼田ダム」を盛り込まなかった。さらにダム計画の目的でもあった赤城・榛名大開田計画が水源を矢木沢ダムなどに求め、沼田ダム計画を利用しない形で1964年より群馬用水
http://www.water.go.jp/kanto/gunma/sisetu/index.htm
が建設され1969年(昭和44年)に完成、ダム計画地点の直上流にある綾戸ダム湖
http://homepage2.nifty.com/tonegawa/03akagi/ayado-dam/ayadodam1.htm
/
http://dammania.net/?http://dammania.net/else/ayado.html
に取水口を設置し潅漑用水供給が開始された。
このように沼田ダム計画が次第に放置・形骸化する中で首班が佐藤から田中に交替する。田中内閣は沼田ダム計画については事業の再検討を行い,1972年(昭和47年)10月11日、第一次田中内閣の建設大臣である木村武雄は沼田市を訪問し談話を発表,ダム計画の白紙撤回を表明した。
「沼田ダム計画」はこうして封印されることとなり、その代わりとして草木ダム(渡良瀬川)や奈良俣ダム(楢俣川)が新規に計画され完成。渡良瀬遊水地と共に矢木沢・藤原・相俣・薗原・下久保の5ダムを合わせ現在の利根川水系8ダムが形成された。
八ッ場ダムは52年目にして補償交渉が妥結。現在本格的な本体工事に入ろうとしている。
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