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利水・治水スレ
5
:
とはずがたり
:2007/11/05(月) 01:05:05
<中>来ない水
◆「待つ」農家 代償大きく
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kumamoto/kikaku/032/2.htm?from=goo
真夏の日差しが照りつける相良村の高原(たかんばる)台地。同村深水の農家渡辺和夫(60)は、茶園の手入れに汗を流していた。高原台地は川辺川利水事業の主な対象地域。事業実現が遅れたこともあり、比較的水を必要としない茶の栽培が進んだ。
「水がないと肥料が土になじまず、次の肥料を入れられない。干ばつや霜対策など、経営を安定させるために水は必要」。日焼けした顔を上げ、草取りの手を休めて言った。五木村の水没地区から移って24年。高原台地の約10ヘクタールで茶を栽培する。「待たされるだけの利水に、皆が無関心になってきたのは事実」と嘆く。
ダム計画が発表された翌年の1967年、渡辺は仕事に出ていた関西から五木村に戻った。「すぐにでもダムができるような話だった」。しかし、ダム建設は遅れ、茶を作りながら、生活再建などを訴えた水没者団体・川辺川ダム対策同盟会の運動にもかかわった。
静岡出身の祖父が茶の指導で赴き住みついた五木村だったが、茶を作るにも借地で土地も狭かった。「五木にいても夢は実現しない。ダムの話がなければ今はなかった」。旧建設省との補償交渉を終え、82年に補償金も使って相良村に家を構え、農地を得た。
2ヘクタールから始め、借金をして農地を集約し、大型機械も導入。先進地の視察や品種の試験も繰り返し、農林水産大臣賞を受賞するほどになった。
4日、村内の集会所であった村政座談会に渡辺の姿があった。村長の矢上雅義は事業に参加しない村の方針を伝え、代わりに既設水路の改修や高い水代を払う農家への補助の検討を約束したものの、高原台地の畑への水の手当ては今のところ考えていないとした。「夢も希望もない。決断が早すぎるんじゃないか」。渡辺の声が響いた。
* *
広域農道「フルーティーロード」沿いの高台にある多良木町黒肥地の八城迫(やしろざこ)団地。86年に完成した11・5ヘクタールの国営造成地で、同町の久保次良(83)は10人ほどで桃の栽培を始めた。
「川辺川ダムの水がくるというから桃を植えた。水を使わんもんは植えちゃならんということだった」。経営を任せる後継者の良国(58)と2人で耕作。盆前には収穫を終え、今は草刈りなどの時期だ。
「水が潤沢にないとうまい桃はでけん」。配管は敷設されたが水が来ないため、梅雨の雨で育つ早生(わせ)の品種を多く植えることでしのいできた。
団地は山地で傾斜がきついうえ、日当たりも強く、肥料も水も流れやすかった。「水のない時は木が弱ってね。少量の水ではとても足りない」。雨が降らないと川に出かけて水をくみ、トラックで何往復もしてまいた。薬剤散布も同様だ。
雨が期待できない収穫時期の遅い品種は、植えるのに適した場所がつかめず何度も植え直した。水分が逃げないように草で地面を覆う工夫もした。「次から次に大問題」。苦労が先立って初期投資がかさみ、一緒に始めた仲間は半数も残っていない。
農地造成は規模拡大を図る利水事業の一つで、水が来るのが前提。84年から91年にかけて34か所約240ヘクタールを整備し、337人が入植している。九州農政局は17か所で地下水などを利用し、事業実現までの暫定水源を整備したが、必要水量が確保できていないところも多い。
八城迫団地ができて20年。「水が来ればいい品物ができ、安心して栽培できる」と待ち続けた久保だが、いつになるか分からない。
水を待つ農家がいる一方で、水は要らないという農家も少なくない。ダム、利水を巡ってもつれた糸は容易にほどけそうにない。(敬称略)
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