したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

利水・治水スレ

1940とはずがたり:2023/06/13(火) 22:20:58
[廃止]上小阿仁発電所


https://minkara.carview.co.jp/userid/1644328/blog/40703186/
2017/11/03 ? 大正11年(1922年)に上小阿仁発電所が操業し、昭和41年(1966年)に発電所が廃止された事は分かっていますので、築90年程で廃止歴50年程というところで ...


上小阿仁村議会議事録
https://www.vill.kamikoani.akita.jp/div/gikai/pdf/gikai/H29-3/29-3-a.pdf
(7)小水力発電ポテンシャル調査について
萩形ダム建設以前は、大錠地区に水力発電所が建設されておりましたが、ダ
ム建設に伴い昭和 34 年に廃止されております。
水力発電所は、北海道電力により大正時代に建設が始まり、昭和の初期に発
電が開始されました。
県道杉沢上小阿仁線の八木沢集落手前の番鳥橋付近から頭首工により取水し、
ずい道と灰内導水橋、大錠導水橋を経て発電し、後に東北電力へ移管後廃止さ
れたもので、廃止時に各入口はコンクリートで封鎖されております。ダム建設
により取水が困難になるとのことから廃止されたものと思われますが、平成 26
年に萩形ダム下流に小水力発電所が建設され、一定量が小阿仁川に放流されて
おりますので、旧水力発電施設の利活用及び小水力発電事業の可能性を検討す
るため調査をするものであります。


橋梁レポート 上小阿仁村南沢の廃水路橋 第3回
https://yamaiga.com/bridge/kamikoani/main3.html
https://yamaiga.com/bridge/kamikoani/map_7.gif
なんでもこの水路、建設されたのは戦時中とのことで、目的は予想通り発電用。

小阿仁川の水を八木沢集落のすぐ下流で分水し、左岸の地下にほぼ水平の水路を掘ってこれを導水。約4.5km下流の大錠(おおじょう)地区で再び小阿仁川に水を落すが、このときの落差(推定50m)で発電所のタービンをまわして発電を行っていたというから、これは典型的な水路式発電所だったようだ。

実際、稼動していた当時、八木沢集落の人々もこの保全に携わったとのことで、秋場など大量の落葉が導水路に入り込んで水の流れが悪くなると、一時的に水門を閉めて水を止め、カンテラを持って隧道に潜っては、つまりの除去を行うような事もあったという。(あれだけ巨大な水路が落葉で詰まるというのもにわかには信じがたいが、長野県の別の発電水路では、ミズゴケの除去のために導水隧道の清掃をかつて定期的に行っていたという話しを聞いたことがある。或いはそういうこともあったかも知れない)
そしてしばらく水を止めていると、発電所の方から電話が掛かってきて、「水を流してくれ」と催促されるような事もあったと言うから、この通りならば些かのどかな風景を連想する。

しかし、少なくとも戦時中の建設当時は、苛烈な統制下の突貫工事が行われたそうで、朝鮮の人たちが大勢働いていたと仰っていた。当時の秋田県は全国有数の鉱産県であり、山をひとつ挟んだ所に阿仁銅山、また県北部には有名な尾去沢や花岡、小坂といった鉱山もあった。おそらくはこうした鉱山への電力供給を目処とした発電所だったのだろう。しかし、事業者が誰であったかは覚えていないという。

建設の当初には集落の盛衰にも多少の関わりを持ったであろう発電所であり発電水路であったが、その終焉は以外に早く訪れ、県営第一号となる萩形ダムが上流に完成した昭和41年に廃止された。これは同ダムが小阿仁川の水の大半を別の河川に導水するものであったため、流下する水量が極端に減少した事が原因だった。(現在も小阿仁川は川幅の割に水量が少なく、洪水時にのみ大河の様相を呈するが、この人工的な河川争奪の影響があるといわれる)

…こんな風に古老の証言は、件の水路橋にまつわる謎を、ほぼ全て解き明かしてくれた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板