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小沢一郎の政権構想
2074
:
名無しさん
:2016/10/09(日) 22:41:22
>>2073
朝鮮銀行に勤務していた馬場は、暴動やソ連軍の進駐などを機に日本に戻る。日本の銀行に就職するも、どうも雰囲気が合わない。さっさと辞めてしまって、何か事業を起こそうと考える。馬場は、旅行代理店という仕事に面白さを感じた。在庫をもたず、しかも前払いで現金が手に入るのが良い。経験などまるでなかったが、仲間を募って起業した。
彼らのやり方は無茶苦茶である。誰一人旅行代理店で働いたことのある者がいなかったことも大きいだろう。彼らは、業界の常識を次々と打ち破り、破天荒で破滅的な綱渡りのような経営をひた走った。創業当時の「日本ツーリスト」では、真っ当な感覚の持ち主は働けなかったことだろう。
入社の面接に来た男を、その日のうちに添乗員として「臨3311」という列車に乗せる(もちろん未経験者)。営業所がないのに営業所長を命じられ、営業所となる建物探しから始める。各営業所は独立採算制で、本社から給料が届けられるわけではないので自力で何とかする。新婚旅行中に各地の旅館をチェックしてこいと命じられた社員もいれば、妻に無給で船ガイドをさせる者も・・・。
会社として成立しているのかどうか怪しい有様で、よく成り立ってたなと思う。しかし、情熱だけは誰にも負けなかった。その情熱が伝わるからこそ、こんな会社としての体裁が整っていないような無茶苦茶な場所に、社会にうまく適応できない者たちが飛び込んできて、勢いだけで全力疾走し続けたのだ。
馬場にはビジョンがあった。金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、そんなちっぽけな欲望ではない。彼には、「会社を日本のトーマス・クック社にする」という大目標があった。日本に、「旅行」という文化を根付かせようという強い意志があった。
信用などゼロだった「日本ツーリスト」がここまで成長できたのも、馬場をはじめとした面々の情熱を面白がり、彼らに感化されるようにして支援を申し出た数多くの人々の支えがあってこそだ。情熱は人を動かすという好例を見せつけられた思いだ。
こうである、という常識よりも、こうするのだ、という強い思いこそが、新しいアイデアを生み、人を魅了し、人を動かす。その意志の強さが、読者の心をも動かす一冊だ。
長江 貴士
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