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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】
1
:
とはずがたり@元林道部会長
:2007/09/30(日) 23:18:53
山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。
2
:
とはずがたり
:2007/09/30(日) 23:40:59
山手東側隧道
http://yamaiga.com/tunnel/yamatehigasi/main.html
ヨッキれん氏は04.8.16に訪問している。
我々は先日07.9.16に平田側の坑口だけ見てきたがあんな不気味な中によお入ろうとする気持ちが起きるもんだ。。
平田の埋め立て地は幾つか事業所が出来ていて,巧く行けば工場が建ち並ぶ場所になりそうであった。
北側の坑口も近く迄行けば良かったかねぇ。工場内で入れない様だがそっちのレポがないので。。
釜石市立 鉄の歴史館
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/rekishikan/
にも行ったが,社線は鉄鉱石を運ぶ陸中大橋─工場間と途中小佐野付近から北へ分岐し,薪などを搬出した小川線から成っていたようである。
鉄鉱石が暴騰を続け,陸中大橋でもう一遍良質で大量の鉱脈が見つかったりして鋼都復活といかんものかねぇ??
釜石で製鉄所を復活させるのは無理だけど平田に搬出港を整備して陸中大橋から積み出せないかねぇ?
陸中大橋には錆び付いた積み出し施設の残骸が残っていたが,駅舎は撤去されていた。
3
:
とはずがたり
:2007/10/01(月) 00:45:02
【記憶屋 廃墟】
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/index.html
田老鉱山
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/ruins/mine/tarou/tarou1.html
【鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊】
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/kouzan.html
田老鉱山
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/taro/taro.html
宮古のラサ工業所有。こちらは銅鉱山。
こちらも銅の価格が高騰してって事になりませんかねぇ〜。
なんか非鉄金属スレでやった方が良かったかも。。
4
:
とはずがたり
:2007/10/02(火) 01:44:45
これは凄い。。日本の近視眼的な道路行政批判も出来る。県道・国道スレでも行政改革スレでも相応しいが。。
いやこんな素晴らしい所を(自分はクルマで)是非通ってみたいという気持ちを禁じ得ないんだけどね。
塩那道路に係る基本方針(平成16年8月) 栃木県庁
http://www.pref.tochigi.jp/douken/enna/enna/houshin.htm
塩那道路
(県道中塩原板室那須線)
http://yamaiga.com/road/enna/main.html
5
:
とはずがたり
:2007/10/02(火) 03:32:32
これもすげぇ・・明日があるからもう帰って寝なければ。。
道路レポート 十和田湖八甲田山連絡道路 序
http://yamaiga.com/road/hakkouda/main.html
十和田湖八甲田山連絡道路
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=886bf19244bf16661091bd826cc2b21f
6
:
とはずがたり
:2007/10/02(火) 23:31:01
栃木県の道路地図と八甲田山と那須の山の地図を買ってきてしまった。
既に東北の地図はバッチリ準備済みである♪
7
:
とはずがたり
:2007/10/04(木) 22:30:46
第3回 「日本は本当に広い」──“廃道”に人生を捧げるマンネリ知らずの管理人
http://ascii.jp/elem/000/000/051/51646/
8
:
とはずがたり
:2007/10/11(木) 04:21:43
山行が覧てたらこんな時間だ(泣
道部屋
http://www10.tok2.com/home/michibeya/road.html
街道Web
http://wing2.jp/~kaido/menu.htm
9
:
とはずがたり
:2007/10/16(火) 20:06:51
【森吉山ダム】
発電も出来るし,過疎地の解体をする事が出来るし云う事無しの様にも思えるが,兎も角莫大な費用が掛かる事だけは間違いない。
森吉ダム(S28竣工)に続いて森吉山ダム(H23竣工予定)で,小俣川流域からは住民が放逐されて無人の地帯になるのだそうな。
http://yamaiga.com/rail/moriyosi/main2.html
http://yamaiga.com/road/takamori/main3.html
http://www.thr.mlit.go.jp/moriyosi/
・森吉山ダムの役割1 洪水調節
・森吉山ダムの役割2 既得用水の安定供給と水辺環境の保全
・森吉山ダムの役割3 農地にかんがい用水を供給する
・森吉山ダムの役割4 町に水道用水を供給する
・森吉山ダムの役割5 発電を行なう
http://www.thr.mlit.go.jp/moriyosi/hataraki/yakuwari_1/f_yakuwari_1.htm
10
:
とはずがたり
:2007/11/10(土) 01:29:35
ちょいと興味深い推理を含む。
http://yamaiga.com/koneta/koneta_58.html
東ノ又林道 旧道
11
:
とはずがたり
:2007/11/10(土) 13:07:45
このページのメインコンテンツは食糧倉庫。
酒田臨港開発線
http://yamaiga.com/rail/sakata/main.html
門司の田ノ浦
http://www.kitakyu-fc.com/pub/guide/location/1_souko.html
や新興
http://butsuryu.web.fc2.com/foods.html
#3-seihukeiなんかにもあるね
流石に鉄道貨物趣味的に復活してくれとは言い難いよなぁ。周辺が都市化してきてるところも多そうだし,土地売却・再開発がセオリーだろうけど・・
ただ東北からはコメ臨時列車も運転されるので,貨物駅の側に倉庫でも造ってコキに直接荷役とかしてくれるとお洒落だが,普段の利用に町中では使い勝手悪いだろうしなぁ・・。
酒田港は寂れた感じが強いのでその辺のてこ入れを含めて隅っこの方に建設できないかね?
12
:
とはずがたり
:2007/11/11(日) 01:46:45
知られざる最凶県道
232号 「太平山八田線」
http://yamaiga.com/koneta/koneta_9.html
秋田県道232号線「太平山八田線」は、平成14年度の資料によれば、秋田市太平と秋田市八田とを結ぶ、全長7514mの一般県道である。
市街地に接続し、太平山のリゾート地に市民を運ぶ、重要な路線の一つであるが、この路線の名にまつわる謎は、長く私を悩ませ続けてきた。
「太平山八田線」という名は、どうして、その終点と起点を取って、単に『太平八田線』とならなかったのか?
この分かりやすい矛盾点は、
「秋田には登山道が県道の道がある」
という、全国的に知られたる都市伝説を、生み出しさえもした。
この伝説は、いうまでも無く、その名が示すとおりに太平山の山頂に起点があるのではないか、という憶測によって生まれたのであろう。
しかし、先にあげた資料の通り、いや、それ以前にも、正式にその可能性は否定されており、やはり謎は、謎のまま。
都市伝説はやはり、伝説に過ぎなかった。
そう考えていた。
しかし、昨年。
図らずして、その謎の突破口が、秋田公文書館にて、私の前に開かれた。
現在では欠番が目立つ秋田県県道の過去を探るために開いた、ある資料には…
232 太平山八田線 指定年度:昭和34年 起点:太平 終点:八田 延長:13720m
お気づきだろうか?
なんと、昭和34年の県道指定当時、この県道の起点終点こそ今と変わらぬものの、その延長が、長い!
現在に比較して、5000m以上も、長かったのだ。
この事実は私に、あの都市伝説が、ある一時期において、紛れもない真実であったということを、連想させた。
総延長の3分の1以上が縮小するような大規模な路線の改廃は、この地域では考えにくい。
さらにいえば、その経路において、昭和30年代と今とで大きく異なる部分など、ありはしないのだ。
さらに調べてみると、昭和51年頃に現在の延長に再指定をうけたみたい。
登山路が県道?
http://blogs.yahoo.co.jp/yamakawa_oyazi/45753162.html
太平八田の車道にかかる鳥居付近から木曽石→金山滝(ここからは登山道)→前岳→中岳→奥岳のコースが県道だった!!
三吉神社奥宮までのお山がけでかつては賑わっていたのだそうだ。
(「秋田の山歩き」から)
藤原優太郎 編 「秋田の山歩き−身近な50座徹底ガイド−」 1986年11月第1刷 無明舎出版
藤原優太郎 「秋田のハイキング−低山徘徊−」 1989年12月第1刷 無明舎出版
13
:
とはずがたり
:2007/11/20(火) 01:14:38
林道部で此処走ったことあります。
かなりの悪路をこまのインテグラタイプRで。正直済まんかった。
あのネタ開陳した思いでの場所でもあります。
http://www.demio-go.net/fr/onyu/
小入谷・上根来林道
14
:
とはずがたり
:2008/03/18(火) 14:20:36
久々のage
東京大空襲を調べててカーチス・ルメイから源田実・三無事件・川南豊作を経てこの記事に辿り着く。よっきれんに探索して欲しいねぇ。造船所跡では大した穴はないのかなぁ。。
川南工業株式会社 浦野崎造船所跡
http://homepage1.nifty.com/masay/nagasaki/kawanami.htm
15
:
とはずがたり
:2008/05/01(木) 12:22:30
道路の改良
http://www.the-orj.org/cgi-bin/dokaiwiki/wiki.cgi?page=%C6%BB%CF%A9%A4%CE%B2%FE%CE%C9
「道路の改良」は「道路改良会」が発行していた戦前雑誌。大正9年11月から昭和19年6月まで発行され、道路行政や道路工事などにまつわる話を掲載していた。土木学会付属図書館デジタルアーカイブスで見ることができる。
当時の内務省の建物内に事務局があり、内務省の息が強くかかった編集体制だったようである。それでも今の私たちが想像するようなお仕着せの記事ではなく、辛辣な提言苦言や、ユーモアに満ちたエッセイ、小説まで載っていて、単に道路の情報というだけでなく、道路や土木工事を通して当時の世相を知ることができる、大変貴重な資料だと思う。(nagajis)
16
:
とはずがたり
:2008/08/19(火) 02:44:52
山いがを読んでいて気付いたが群馬県の高山村は中山と尻高の合成地名なんかな?
切ヶ久保新道
http://yamaiga.com/road/kirigakubo/main.html
17
:
荷主研究者
:2008/09/22(月) 01:35:45
黒四ダムをはじめとする黒部渓谷は昔から興味があった。是非一度行ってみたいものだ。
黒部渓谷探検シリーズ 其の壱 其の弐
黒部上部軌道を行く
http://homepage.mac.com/izunton/BlueforceFiles/kurobe.html
秘境十字峡への道
http://homepage.mac.com/izunton/BlueforceFiles/horzntlpas.html
18
:
名無しさん
:2008/09/29(月) 01:48:37
レポにコメント書くとこないからここに書こうっと。
なかなか更新来なくて心配してたら秋田入りかい!
・・・と突っ込もうと思ったが・・・お彼岸か・・・。
ヨッキ、ちゃんと墓参りしたか?
廃道探索では守られてるんだろうから、ご先祖様には手ェ合わせとけ?
19
:
とはずがたり
:2008/09/29(月) 02:27:32
>>18
初めまして,山行がファンの方ですね。
各コンテンツの最後にコメント欄と点数評価はあるものの掲示板にはなってないですもんね。
山行がサイトの代わりに此処で書いていただけるのは非常に光栄ですが,ヨッキ氏の目には残念ながらとまらないでしょうなぁ。。
20
:
18
:2008/10/03(金) 08:22:30
遅レスすいません&駄ひとりごとで失礼しました。
うちのプロバイダが某2のつく掲示板にアクセス禁止食らって、つい・・・。
でも、「実家の墓に手を合わせるヨッキれん氏」の脳内妄想を誰かと共有できてちょっと嬉しかったり。
またお邪魔させて頂きますね。
21
:
とはずがたり
:2008/10/03(金) 12:29:05
いえいえ同好の趣味人の反応頂けるのは非常に嬉しいです。
彼の例の極限状況での自分撮り写真,を何枚も見て顔知ってるだけに墓参りで手ぇ合わす図も想像できておもろかったっすヽ(´ー`)/
またあれと似たことやってるとかあれば是非此処でご報告下さいな。最近俺は全然ですけど。。
22
:
とはずがたり
:2008/10/03(金) 15:02:51
あと2○○ねるの山行がスレって何処にあるんでしょーか??
限られた板しか見ないのであんま意識してなかったです。。
23
:
18
:2008/10/04(土) 08:09:11
ネットウォッチ板ですよー。
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1220459301/l50
24
:
とはずがたり
:2008/10/04(土) 12:59:25
あざーすヽ(´ー`)/
読ませて頂きますね。
25
:
とはずがたり
:2008/10/12(日) 23:09:11
大間線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/
大間線
戸井線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/
戸井線
下北交通大畑線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/
下北交通大畑線
大間線背景
大間にある海軍の要塞強化工事に伴う資材運搬用として、むつ市の下北駅から大間までを結ぶ鉄道として計画された。後に戦争による空襲で青函連絡船が被害を受けることが想定されたため、津軽海峡で最も幅の狭い大間〜戸井間を代替航路として利用することが計画され、これに接続する路線として建設されることになった。1937年(昭和12年)に工事が開始され2年後の1939年(昭和14年)に大畑線として下北〜大畑間が開通、大畑以北も工事が進められ路盤の大半が完成、終点の大間以外では駅も建設され僅かな未着工部分を残すのみとなったが、1943年(昭和18年)に戦時中の資材不足により工事は中断、その後再開されることなく放置されていた。青函隧道計画が持ち上がった際に東ルート案ではこの区間を通ることになっていたため、それまでは地図には予定線として記載され工事再開の備えがあったようだが、1968年(昭和43年)に西ルートに決定してからは予定線として記載されることもなくなった。
大間線
戸井線概要
改正鉄道敷設法別表128号に「渡島國函館ヨリ戸井ニ至ル鐵道」として規定されていた予定線であった。戦時中の1937年に、船舶輸送の短絡化(戸井町から青森県大間町への航路を利用)や、戸井町に要塞を建設するといった軍事的な目的で建設が開始された。9割方の路盤が完成していたものの、戦時中ということもあり資材不足のため1943年(昭和18年)に工事を中断。結局建設は再開されないまま中止となった。駅は終点の戸井駅を含めて9駅が予定されていた。
その後青函隧道計画が持ち上がった際、東ルート案では戸井線区間を通ることになっていたが、1968年(昭和43年)、西ルート(津軽線・江差線)で建設することに決定し、戸井線開通の可能性は消えた。戸井線はレールを敷設されることはなく、青函トンネルに転用されたのは美幸線のレールである。
大畑線歴史
津軽海峡に面した下北半島は日本の国防上重要な拠点で、陸奥湾側の拠点のあった大湊まで鉄道が開業したのは1921年のことであった。翌年に制定された改正鉄道敷設法においても別表第1号に「青森県田名部ヨリ大畑ヲ経テ大間ニ至ル鉄道」として規定されたが、しばらく着手されることはなかった。
この予定線が建設線に昇格するのは、大間にあった海軍の要塞の施設強化に伴うもので、1937年に第1期線として下北〜大畑間が着工され、1939年に開業した。大間までの予定線(大間線)も引き続いて建設が進められたが、太平洋戦争の戦局悪化にともなって1943年12月に工事は中止された。津軽海峡の対岸にあたる北海道の亀田半島においても要塞の施設強化のため戸井線が建設されていたが、これも未成のまま工事が中止されている。
戦後しばらくは、海産物や木材の輸送で活況を呈したが次第に減少し、1980年に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定された。協議会では一時バス転換に傾いたものの、1984年になって南部縦貫鉄道が大湊線とセットでの引受を表明。これに対し地元のバス会社「下北バス」が経営地盤の防衛から引受けを表明し、一転して鉄道として存続することとなった。特定地方交通線が純民間資本の民営鉄道に引き継がれた希な例で、他には同じ青森県の弘南鉄道に引き継がれた黒石線あったが、バス会社の鉄道引受としては唯一の例である。下北バスには、鉄道経営の経験はなかったが、バス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受け、1984年に社名を下北交通に改称。1985年7月に大畑線の営業を引き継いだ。しかし、その後も経営は苦しく、結局廃止されることとなった。当初2001年6月1日廃止予定だったが、2か月早まって2001年4月1日に廃止された。
<大畑線>
下北駅 - 海老川駅 - 田名部駅 - 樺山駅 - 陸奥関根駅 - 川代駅 - 正津川駅 - 大畑駅
<大間線>
大畑駅 - 釣屋浜駅 - 木野部(きのっぷ)駅 - 赤川駅 - 下風呂駅 - 桑畑駅 - 易国間駅 - 蛇浦駅 - 大間駅 - 奥戸(おこっぺ)駅
<戸井線>
五稜郭駅 - 東五稜郭駅 - 湯の川駅 - 銭亀沢駅 - 渡島古川駅 - 石崎駅 - 小安駅 - 汐首駅 - 弁財駅 - 戸井駅
26
:
とはずがたり
:2008/10/12(日) 23:10:02
>>25-26
廃線レポート 大間線
http://yamaiga.com/rail/ooma/main.html
第一期工事区間として大湊線から分岐する下北から大畑までの18kmを決定し、昭和12年に着工、同14年には「大畑線」としての営業を開始している。
残る大畑から大間、そして終点奥戸(おこっぺ、大間町)までの25kmだが、このうち中間地点の桑畑(風間浦村)までが第二期工事区間とされ、昭和13年に着工されている。
戦時中にもかかわらず、大間要塞への砲弾輸送を重要視していた軍部の主導で豊富な資金が投じられ、海岸線ぎりぎりまで山が接するような難所に次々と路盤が建設されていった。
そして、昭和16年10月の時点では残り5kmほどを残して竣功していたという。
この時点で、第二期区間の完成は昭和18年とアナウンスされていた。
しかし、順調に工事が進んでいたのはここまでで、昭和17年には突如予算が半減され、いよいよ本土の近くに米英の影が忍び寄り始める翌18年には工事中止が突如発表されることになる。
駅間 竣功
大畑 → 釣屋浜 昭和16年8月
釣屋浜 → 木野部きのっぷ 昭和17年8月
木野部きのっぷ → 赤川 着工するも竣工せず
赤川 → 下風呂しもふろ 着工するも竣工せず
下風呂しもふろ → 桑畑 昭和17年10月
桑畑 →→ 奥戸おこっぺ 未着工だが、一部の用地買収のみ実施
<大湊線>
野辺地─2.8─北野辺地─6.8─有戸駅─13.4─吹越─7.1─陸奥横浜─5.9─有畑─6.7─近川─5.0─金谷沢─5.5─赤川─2.3─下北─2.9─大湊
<大畑線>
下北─海老川─田名部─樺山─陸奥関根─川代─正津川─大畑
<大間線>
大畑─釣屋浜─木野部─赤川─下風呂─桑畑─易国間─蛇浦─大間─奥戸
<戸井線>
五稜郭─東五稜郭─湯の川─銭亀沢─渡島古川─石崎─小安─汐首─弁財─戸井
27
:
とはずがたり
:2008/10/19(日) 18:45:59
鵲橋すげぇ。
公開日が探索日の3日後ってのも興奮してそのまま書いたってのが伝わってきますなぁ。
同じ日のレポが5/11に成ってたりするけど。
橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋
http://yamaiga.com/bridge/kasasagi/main.html
探索日 2008. 5.10
明智隧道
http://yamaiga.com/tunnel/aketi/main.html
探索日 2008. 5.11
28
:
とはずがたり
:2008/10/19(日) 19:43:45
久しぶりに読み直した日原探索
各時代の道路が交錯し何処に向かっているのか判りにくい部分もあるけど読み応えはある。
都道204号 日原鍾乳洞線 旧道 探索日 2007.1.16
ttp://yamaiga.com/road/nippara/main.html
6期「旧都道」
昭和17年に着工し27年に完成した。初めて四輪自動車が日原まで入った。
日原古道探索計画 第1回 探索日 2007.1.16
ttp://yamaiga.com/road/nippara/main8.html
第二次 日原古道探索計画 探索日 2007.1.23
ttp://yamaiga.com/road/nippara2/main.html
4期「大正道」
大正4年に改修された道で、氷川から樽沢まで荷車の通行が可能になった。府道242号日原氷川線と呼ばれた。
第三次 日原古道探索計画 江戸道編
探索日 2007.2.21
ttp://yamaiga.com/road/nippara3/main.html
3期「江戸道」
江戸中期に日原の原島家が中心になって、とぼう岩に初めて横断する道が付けられた。
旧東京府道242号 日原氷川線 日原5期道
探索日 2007.1.23および2.21
ttp://yamaiga.com/road/nippara5/main.html
5期「昭和道」
昭和6年に、従来の「大正道」を惣岳吊橋から日原まで延伸し、遂に全線荷車の通行が可能となった。
奥多摩鉱業氷川鉱山 専用索道跡 探索日 2007.3.11
ttp://yamaiga.com/rail/nippara/main.html
29
:
とはずがたり
:2008/10/19(日) 20:32:55
こんな周囲に何もない駅など廃止しろよなぁ…どうせ殆ど利用者居ないだろうに。。
スイッチバック駅だったなんて恥ずかしながら知りませんでした。。
もっと赤字幅少ないであろうに廃止されてしまった区間もあるのに公平さが欠ける気がしてるのであるのであるけど・・。
押角駅
http://yamaiga.com/road/r340_osikado/main4.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/oshikado.htm
廃線画像有り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E8%A7%92%E9%A7%85
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mujinsta/osikado.html
http://blog.goo.ne.jp/naka_premium/e/337f5a2212fbc8f5eb406c4b9ebd7e04
30
:
とはずがたり
:2008/10/23(木) 00:03:39
此も盛り上がった森吉林鉄。再奥隧道は結局未攻略だよねぇ?
森吉森林鉄道跡(第Ⅰ次) 2003.10.8
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi/main.html
森吉森林鉄道跡 奥地編(第2次) 2003.11.3
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi2/main.html
森吉森林鉄道跡 探求編(第Ⅲ次) 2003.12.2
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi3/main.html
森吉林鉄 第Ⅳ次探索 2004.5.5
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi4/main.html
森吉林鉄 第Ⅴ次探索 2004.7.18
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi5/main.html
冒頭に森吉林鉄探索MAPあり
廃線レポート 森吉林鉄 粒様線 序文
ttp://yamaiga.com/rail/tubusama/main.html
「神の谷」2004.9.19-20
森吉林鉄粒様線 「最奥隧道計画」
31
:
とはずがたり
:2008/10/23(木) 15:23:54
すげぇっす。抜けられないのが残念。
http://rindouhunter.com/rin089-1-1.html
山行がもこの位の画像サイズ・精度だと状況がよく判って嬉しいんだけど。
32
:
荷主研究者
:2008/11/10(月) 03:18:29
ヨッキれんが興味を持つかな?
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080918/CK2008091802000038.html
2008年9月18日 中日新聞
「玉野街道」の高札見つかる 愛知―岐阜県結ぶ明治の有料道路
岐阜県多治見市で見つかった「玉野街道」通行料金を明示した高札
明治時代に愛知県と岐阜県を結ぶ有料道路として利用された「玉野街道」(名古屋新道)の通行料金を表示する高札が岐阜県多治見市の諏訪町公民館で見つかった。春日井市の市民団体・旧国鉄トンネル群保存再生委員会が21日午前10時から同市浅山町の市総合福祉センターで開く「赤れんがシンポジウム」で概要を発表する。
高札は、縦約30センチ横約60センチの木製。岐阜県の名前で、同県池田村諏訪(現・多治見市)から愛知県玉川村玉野(現・春日井市)までの通行料金を規定。人力車5厘、乗馬8厘、馬車・牛車1銭5厘などと種別によって分かれ、末尾で「右之通道銭相払通行可致事」と命じている。日付は明治28(1895)年4月11日。
同委員会は、1966(昭和41)年の複線化工事で廃線となった国鉄(現JR)中央線約8キロ部分(春日井市−多治見市)の産業遺産化を目指して各種活動を進めている。廃線跡調査中に、県境に近い春日井市側庄内川右岸で近代的工事とは異質な玉石を使った道路跡を発見。各種記録に残る「玉野街道」と推定し、多治見市でも調査を進めていた。住民の協力で諏訪町公民館で集会室床の間にあった高札を見つけた。
多治見市史などによると、玉野街道は、1891(明治24)年に愛知、岐阜県がそれぞれ県内での新道開削に着手。岐阜県側の一部区間で県負担がなかったために地元の市之倉、諏訪住民が資金を出し合って株式会社を組織し、この区間の工事を進め有料道路とした。95年に開通したものの翌年から始まった中央線工事で道路は各地で寸断。1900年の中央線開通後はすっかりさびれてしまったと言う。
春日井郷土史研究会長の村中治彦さん(71)=春日井市中央台=は「庄内川左岸には戦後、愛岐有料道路ができたが、その先駆となる有料道路が対岸にあったことは地元以外にはあまり知られていなかった。高札はその明治の有料道路の実情を明かす発見で意味がある」と言う。
シンポジウムは、明治の赤れんがトンネルなどが残る旧中央線を産業遺産として広くPRするため初めて開催する。参加費無料。(問)同委員会事務局=電0568(87)6533
(都築修)
33
:
とはずがたり
:2008/11/10(月) 05:25:04
俺のあり得ないくらいしょぼくて恥ずかしい薮漕ぎの話しもちょいと手を入れて場所を変えたので晒して置く(;´Д`)
その2の最後らへん。
国道125号線つくばバイパス((都)寺具北条線)と国道408号線延伸
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/TSUKUBA/r125r408tsukubaBP01.html
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/TSUKUBA/r125r408tsukubaBP02.html
34
:
とはずがたり
:2008/11/11(火) 23:48:59
山いがでもお馴染み元自衛官氏のホムペはけーん。
http://www.demio-go.net/
35
:
とはずがたり
:2008/11/22(土) 12:51:36
なんと1ヶ月程前によっきさん我が地元へ来はったんやねぇ。
一声掛けてくれればつきおうたのにぃ〜。
隧道レポート 鶏足山の大沢隧道
http://yamaiga.com/tunnel/keisoku/main.html
此処ら↓Mapionにも未だ隧道の記載が残っている。。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/27/28.139&el=140/13/27.742&scl=25000&bid=Mlink
過疎代行事業と云うけど要らんやろ,こんな道。不法投棄場をカネ掛けて造ってやってるようなものだ。
この辺は日本自動車研究所や日野自動車等のテストコースが集積している場所。
県道の不可思議さをヨッキ氏も言及してたけど
片庭(r1)─r224─下赤沢─r225─七会─r112─阿波山(R123)
寺崎(R50)─r39─七会─r37─塩子─r39─金井(R123)
寺崎(R50)─県北東部広域農道─七会──県北東部広域農道(一部r122重複)─阿波山
と道路が交錯する。
広域農道が一番新しいんだろうけど,無駄な公共事業の臭いを禁じ得ない。
田舎こそ渋滞が酷いので投資すべきなのは地方都市近郊であるべきである。地方都市住民はもっと怒るべきであろう。
まぁこのスレで野暮な不満はなしかw
関係ないけど茨城県道1号(及び栃木県道1号)はなんと宇都宮笠間線と云う地味な路線に割り振られて居るんですねぇ。
せめてr64宇都宮茂木線とr51水戸茂木線をくっつけてr1宇都宮水戸線とかにすれば良いのに。
宇都宮水戸線の位置づけはR123なんかな。
r51宇都宮茂木水戸線でも良いけど。
茨城県道1号は宇都宮栃木線とか宇都宮栃木足利線とかにした方が気分が出るw
36
:
とはずがたり
:2008/11/23(日) 05:37:06
「廃虚」から「廃道」萌え 退廃の歴史探るロマン 出版相次ぐ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/196585/
11/17 23:40更新
役目を終え、荒れるがままに放置された「廃道」の魅力を紹介する本が相次いで刊行された。ネット上には「オブローダー」(廃道探索者)なる新語もちらほら。退廃の美へのあこがれや郷愁に加え、人や地域をつなぐ道の“物語性”が現代人の心を引きつけているようだ。
10月末に刊行された『廃道をゆく』(イカロス出版)は、全国に点在する廃道のうち44本を、景観・歴史・荒廃度といったテーマ別に紹介するムック本だ。写真や図版を豊富に使い、探索の心得や観察のコツも説く。同社では、通行困難な国道を特集した『酷道(こくどう)をゆく』が2巻で10万部のヒットを記録。近年の廃虚ブームの流れで「道路への関心も高まっている」(同社)と出版を企画したという。
実業之日本社も今月、ブルーガイド・ムック『廃道本』を刊行した。歴史的価値が高い廃トンネルの建築美や、廃道に至るまでの経年変化の法則を考察する。マニア向けの内容だが、発売前からネット予約が殺到したという。担当編集者の磯部祥行さんは「工場、団地、ジャンクション…と、近年土木構造物に対するオタク的な興味も広がっている。熟年層がハイキングで行く『旧道歩き』とは楽しみ方が違う」と話す。
ネット上でも、数年前から廃道情報サイトが目立ち始めている。じつは廃道関連本2冊の執筆者は同じで、その一人が1日約1万人が閲覧する人気サイト「山さ行がねが」を運営する平沼義之さん(31)。現地調査や文献調査で仕入れた情報をサイトで随時公開している。
「ホテルや病院といった廃虚が『点』なら、廃道は地域や人を結ぶ『線』。どんな人が通り、代わりにどんな道ができたのか…政治的な背景や地域事情など、開通から廃止に至るまでの悲喜こもごものストーリーが多様で、いろいろと想像が膨らみます」
そう話す平沼さんが、とくに印象に残った廃道が、明治18年に開通した群馬県みなかみ町−新潟県南魚沼市間の「清水国道」だという。東京と新潟を最短で結ぶ国家事業だったが、開通翌月に大雨で崩落し、復旧を待たずに雪崩にも見舞われた。馬車から鉄道への移行期にも重なり、10年もたたずに廃道同然に。「無念さを語り継ぎたい」とか。
両書の共著者、永冨謙さん(33)も3年前からウェブ同人誌「日本の廃道」を発行。「陰で活躍した仕事人の姿や思いを、風化する前に集積し記述するのが使命」と話す。
新しい道が開通すれば、元からある道は旧道になる。廃道も生まれる。誰も通らなくなった遺構を、危険も覚悟でたどるのは、利便性一辺倒の価値観を問い直す冒険なのかもしれない。(海老沢類)
37
:
とはずがたり
:2008/11/29(土) 12:18:01
此で終わりは酷いんじゃないっすかね!?(;´Д`)
http://yamaiga.com/rail/kasuge/main5.html
危険領域 其之一
38
:
とはずがたり
:2008/11/29(土) 13:22:02
国道291号 清水峠 新潟側 <導入>
http://yamaiga.com/road/shimizu/main.html
国道291号清水峠 (新潟側) 第1回
http://yamaiga.com/road/shimizu/main1.html
国道17号旧道 二居峡谷
http://yamaiga.com/road/r17_futai/main.html
切ヶ久保新道 <導入>
http://yamaiga.com/road/kirigakubo/main.html
清水の踏破まだぁ〜!?チンチン(AA略
39
:
とはずがたり
:2008/11/29(土) 18:52:42
ヨッキさん,岐阜も侮れないっすよ
森林鉄道:半世紀ぶり復元を 調査研究委、埋まったレール7キロにわたり確認 /岐阜
11月22日13時1分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081122-00000111-mailo-l21
◇下呂・小坂の御嶽山ろくで
下呂市小坂町の御嶽山ろくで、約半世紀前に廃線になった森林鉄道を復元しようとする構想が持ち上がっている。地元観光協会などで作る小坂森林鉄道調査研究委員会(熊崎武久委員長)が、土砂に埋まったりしたレールを約7キロにわたって確認した。
小坂森林鉄道は旧名古屋営林局小坂営林署(現岐阜森林管理署)が、旧益田郡小坂町(現下呂市)の小坂川沿いなどに走らせていた約50キロの5路線。旧国鉄高山線が飛騨小坂駅まで敷設されたことに合わせて1933年から木材を運んでいたが、トラック輸送の発達などによって61年に廃線された。
森林鉄道の復元構想は、「小坂の滝めぐり」が「岐阜の宝もの1号」に認定されたのをきっかけに盛り上がった。小坂森林鉄道調査研究委員会のメンバー6人は、小坂町落合の御嶽登山口のある濁河温泉近くの山中で行われ、崩落した橋げたや土砂に埋もれたレール、ポイントなどを見つけた。
同委員会は、御嶽登山口の「一の鳥居」から、川岸に切り立った大岸壁で有名な「がんだて公園」の間で、森林鉄道を復元することを目指している。熊崎委員長は「歴史的遺産を残すため、調査研究を着実に進めたい」と話している。【奈良正臣】
11月22日朝刊
最終更新:11月22日13時1分
40
:
とはずがたり
:2008/12/16(火) 15:15:29
旧口野隧道はなかなか読み応え有り。やっぱ穴に入ってこその山行がですなw
沼津市口野の “隧道の辻”
http://yamaiga.com/tunnel/kutino/main.html
沼津の謎の白鳥居
http://yamaiga.the-orj.org/koneta/koneta_127.html
旧口野隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kutino2/main.html
41
:
とはずがたり
:2008/12/17(水) 16:40:11
松の木程では無いだろうがなかなかひどす。
もう一回有料道路にして工事費用取ったらどうか?
御在所岳周辺登山道の状況 (20.9.7現在)
http://blogs.yahoo.co.jp/suzukakodo/16167050.html
42
:
荷主研究者
:2008/12/31(水) 22:57:45
釜トンネル
http://yamaiga.com/tunnel/kama/main.html
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20081228/CK2008122802000005.html
2008年12月28日 中日新聞
油断は禁物、真冬の上高地
消灯した釜トンネルの前に設置された冬期閉鎖中の看板=松本市安曇で
◆釜トンネルを消灯
北アルプス・上高地に通じる松本市安曇の県道釜トンネル内の照明が、車両通行止めとなる冬期閉鎖(11月16日−来年4月15日)の間、非常灯と待避所2カ所の照明を除いてすべて消灯されている。軽装で上高地へ入る観光客を抑制しようという初めての試みで、県松本建設事務所などが、注意を促す看板をトンネル入り口に設置した。
環境省上高地自然保護官事務所によると、釜トンネルはかつて、路面の凍結がひどく、入山するのは冬山装備の登山者や許可を得た工事車両に限られていた。しかし2005年に付け替えられて以来、冬期閉鎖中でも上高地に気軽に歩いて入る観光客が増え、今冬も来年3月上旬までほとんどの休日に、上高地散策ツアーが組まれているという。
冬期の県道沿いは雪崩の危険があるが、トンネルが閉鎖中でもあり、対策をほとんどしていないのが実情。「上高地は冬山と同じ」と両事務所は、トンネル内の照明を消すことで、軽装で上高地に入る人を減らそうと、今月5日から消灯した。 (福岡範行)
◆登山相談所を開設
冬山登山の遭難事故を防ごうと、松本署と北アルプス南部地区山岳遭難防止対策協会は27日、松本市安曇の国道158号側の釜トンネル入り口に登山相談所を開設した。県警山岳遭難救助隊員や遭対協の相談員らが31日まで常駐し、登山者の計画や装備をチェックする。
上高地などの入山口にあたる同所にプレハブ小屋を仮設した。年末は越年登山の入山者が多くなるため、登山計画書の正確な記入と提出、無理のない日程での登山を指導。登山者の装備の確認や積雪情報も提供する。
初日は、正午から午後4時までに27組73人が登山計画書を提出。登山仲間13人と入山した川崎市の渡辺一夫さん(72)は「入念に準備をして来ました。気軽な気持ちで入山する登山者には相談所は有効だと思う」と話していた。
(宿谷紀子)
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