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掛川・懸河・佐野

181とはずがたり:2017/12/13(水) 09:43:17

 「うなぎパイだけ作っていれば、効率的で、売り上げも利益も上がっていくでしょう。けれども、元々われわれは和菓子から始まって、良い和菓子職人もたくさんいます。それを生かし切れていない、チャレンジしていないという反省が経営陣にありました」(山崎社長)

 総工費31億円をかけた商業施設「nicoe(ニコエ)」を14年に開業するタイミングに合わせて、五穀屋とパイ専門店「coneri」という2つの新ブランドをスタートさせることにした。これは会社の将来を見据えた莫大な投資で、失敗は許されなかった。

 五穀屋のコンセプトは、穀物や発酵の技術を使ったこれまでにない和菓子を作ること。「穀物や発酵技術は日本で昔から根付いている食文化であるにもかかわらず、それを菓子に取り入れることはほとんどありませんでした。そこに挑戦することに価値がありました」と山崎社長は力を込める。

 その原材料として選んだ1つが、水窪のネコアシアワだった。地元のNPO法人や農家と連携して、春華堂の社員がアワの栽培を開始。「地元の素材を使うことで商品のブランド力が高まるし、地域貢献にもつながります。われわれは6次産業化を推し進めたいと考えており、今後はいろいろな穀物を地域の人たちと作っていければ」と山崎社長は話す。

●プロジェクトは難航

 五穀屋のブランドコンセプトに着手してからnicoeでの商品発売まで3年という期間が用意されていたが、穀物や発酵技術を使った和菓子は想像以上にハードルが高かった。

 和菓子職人にとってこれらを取り入れて菓子を作ることが日常になかったため、依頼に対し「とてもできない」と突っぱねられるところから始まった。そこを何とかして説得したものの、五穀はそのまま使うと硬いので、ほどよい歯ごたえで存在感も残しながら生菓子に生かすのに苦労した。

 また、菓子である以上、おいしいことは大前提である。発酵や穀物の素材がどのように掛け合わされるのか、手探りの状態で開発に臨んだ。例えば、玉ようかん「五季(いつき)」は、しょうゆこうじや味噌、酢などの発酵素材をいかにようかんと合わせておいしく、かつ美しい発色に仕上げるか、和菓子職人は頭を悩ませたという。

 さらには、仮に納得のいくものが完成したとしても、それを工場でも同じ品質で再現しなければならなかった。「わずかな温度差や時間差で菓子は大きく変わってしまいます。アイデアが形になっても、工場で量産化するのは大変だったのです」と山崎社長は述べる。

 一方、商品企画担当者も雑穀と発酵の知識がまったくないところからスタートしたので、発酵マイスターなどの資格の取得を目指したのである。

 プロジェクト期間中は山崎社長も毎日のように試食しては駄目出しを繰り返す日々を送ったが、「(nicoe開業日という)期限は決まっていたので、何とかそれに間に合わせるように全員で取り組まないといけないという気持ちが強かったです」と振り返る。

●海外に活路

 14年7月、五穀屋のブランドが無事に立ち上がり、店頭に商品が並べられた。しかし、いきなり売れるほどビジネスは甘くない。販売を増やすためにどのような取り組みがあったのだろうか。

 1つに海外でのブランディングがあった。和菓子離れの進む日本人に対して直球で和菓子を提案しても一筋縄ではいかない。一方で、日本の消費者は海外から入ってくるものに興味を持つことが多い。和菓子の逆輸入を図ったのだ。

 千載一遇のチャンスが訪れる。静岡県が15年にイタリア・ミラノで開催される「ミラノ国際博覧会(ミラノ万博)」に出展するので、そこで五穀屋の和菓子を出品してほしいと依頼されたのだ。「いずれは海外でチャレンジしたいという思いはありましたが、もっと先の計画でした。そうした中で県からチャンスをもらったわけですが、せっかくなので行こうと決めたのです」と山崎社長は話す。

 ただし、初の海外出品ということで、その準備に悪戦苦闘した。例えば、もなかのあんにクチナシを使用していたが、これはヨーロッパに持ち込めない素材だったため、急遽同じような味で、同じような色が出る原材料を見つける必要があったのだ。


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