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掛川・懸河・佐野

145とはずがたり:2015/01/03(土) 13:44:14
南 足 柄 の 散 歩 道
天狗伝説コース
http://www4.ocn.ne.jp/~spr/tengu.html

大雄山最乗寺

鐘鼓堂
 最乗寺の建設に当たっては、相当な資金が必要であった。この資金を調達するため道了さんは各地を回りご寄付のお願いをすることになった。
 遠州(今の浜松)の長尾村にやってきたとき、平尾八幡宮という神社で梵鐘の寄進を受けた。道了さんは、これを錫杖で最乗寺まで運んだことから錫杖鐘と呼ばれるようになった。
  この錫杖鐘は戦時中に供出することになったが、溶かされずに無事に寺に戻ることになった。

http://yaokami.jp/1222592/
名称
平尾八幡宮

鎮座地
〒439-0036 静岡県 菊川市 中内田4779

栗田土満
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E7%94%B0%E5%9C%9F%E6%BA%80

栗田 土満(くりた ひじまろ、元文2年(1737年) - 文化8年7月8日(1811年8月26日))は、日本の国学者、歌人。号は岡廼舎(おかのや)。

生涯[編集]
元文2年(1737年)、遠江国城飼郡平尾村(現・静岡県菊川市中内田)にて、広幡八幡宮(現平尾八幡宮)の神主の子として誕生。
明和4年(1767年)、江戸で賀茂真淵の門下となり、国学を本格的に学び始めた。真淵の死後は伊勢国を経て、本居宣長の薫陶を受けた。また、寛政2年(1790年)、故郷である平尾村に学び舎を創設し、「岡廼舎」「岡の屋」と呼称された。ここを拠点に、研究を行うとともに、国学や和歌を講じた。ここから歌人の石川依平や栗田真菅、小國神社の小国重年らを輩出した。栗田自身も、『日本書紀』を解説する書籍など、多くの著書を著した。
文化8年(1811年)、死去。


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