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掛川・懸河・佐野

1とはずがたり:2007/08/19(日) 10:46:37
我が故郷

掛川
http://www.google.com/search?client=opera&rls=ja&q=%E6%8E%9B%E5%B7%9D&sourceid=opera&ie=utf-8&oe=utf-8

2とはずがたり:2007/09/27(木) 03:19:45

掛川の政治(噂の深層 Facsimile edition)
http://blog.goo.ne.jp/satou-shigenobu/m/200709

3とはずがたり:2007/09/27(木) 18:36:55

油山寺 正式には「ゆさんじ」だが皆「あぶらやま」と呼ぶ。おかんと行ってきた。幼少の頃いったかも知れぬが覚えておらぬ。なかなかよい所である
http://www2.wbs.ne.jp/~yusanji/

おおかんが小学生の頃、低学年の春の遠足で歩いていったそうだが成る程近い。隣の市と云う事で随分と遠いイメージだったが。。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&scl=25000&grp=all&nl=34/46/18.580&el=137/56/18.024&coco=34/46/18.580,137/56/18.024&icon=home,,,,,

4とはずがたり:2007/11/04(日) 23:23:57

えらい強く成っちゃって。。

高校野球秋季大会:常葉菊川が2年連続2回目V 東海地区
http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/high/news/20071104k0000e050025000c.html

 高校野球秋季大会は4日、東海地区は今春のセンバツ優勝校の常葉菊川(静岡)が中京大中京(愛知)に競り勝ち、2年連続2回目の優勝を果たした。常葉菊川は八回、酒井が勝ち越しの2点本塁打を放った。中京大中京は六回、竹内の2点適時打で1度逆転したが、及ばなかった。常葉菊川は10日開幕の明治神宮大会に出場する。

 【地区大会】
 ◇東海(静岡・草薙) 
▽決勝
中京大中京(愛知)
000102000◆3
01010102×◆5
常葉菊川(静岡)
(中)竹内、細川−田中(常)萩原、戸狩−●木▽本塁打 伊藤、酒井(常)
(常葉菊川は2年連続2回目の優勝)

 ○…常葉菊川の一発攻勢に屈し、6年ぶりの優勝を逃した中京大中京。大藤監督は「記録に残らないミスが目立ち、うちらしい緻密(ちみつ)な野球ができなかった」と振り返った。八回、細川が酒井に浴びた決勝2ランは先頭の前田を四球で歩かせた直後。「4番打者の前で四球を出してはいけない場面。自分で自分を追い込んでしまった」と細川。酒井への1球とともに、この四球を反省材料に挙げた。
毎日新聞 2007年11月4日 15時46分 (最終更新時間 11月4日 16時01分)

5とはずがたり:2007/11/05(月) 12:56:55
俺の両親はたまたま乗りに行ったら廃止前最終日だったそうな。
軌間が狭かったので国鉄と相互乗り入れできなかったのは残念。
天竜川―福田―大須賀―大浜―御前崎―相良―吉田―大井川―焼津に駿遠高速鉄道新線作って静岡―御前崎,御前崎―浜松間の系統で運転しよう♪

合併50年、駿遠線廃止40周年 袋井・笠原
2007/11/04
ttp://www.shizushin.com/local_west/20071104000000000036.htm

 旧笠原村の合併50周年、静岡鉄道駿遠線廃止40周年を記念した「笠原元気いきいき祭り」が3日、袋井市山崎の南部健康プラザで始まった。11日まで芸能発表や各種展示、ウオーキング大会など多彩なイベントを繰り広げる。
 昭和32年に旧笠原村が袋井町(現・袋井市)と合併して50年。節目の年を記念し、笠原地区で毎年行っている公民館祭りを盛大に行おうと、同地区の自治会が中心となり、4月から計画を練ってきた。
 初日は、笠原小の6年生による和太鼓の披露で幕開け。地元住民がミュージカルや大正琴などさまざまな芸能を発表した。同地区出身の演歌歌手、松原健之さんの帰郷ショーも行われ、多くの来場者が詰め掛けた。
 祭りの開幕に合わせ、静岡鉄道駿遠線廃止40周年を記念して新岡崎駅跡に建立した記念碑の除幕式も行った。静岡鉄道の前身の1つ、中遠鉄道の設立者は、笠原村初代村長の芝田庫太郎氏。同地区にかかわりの深い「軽便鉄道」を顕彰しようと、自治会、市、笠原歴史研究会が協力して建立した。原田英之市長も駆け付け、盛大に完成を祝った。
 4日は笠原小を出発点にウオーキング大会を行う。10日は老人クラブによる交流会、11日はバザーや出店など食を中心としたイベントを開催する。地元グループによる文化展示は6日から11日まで。いずれも会場は南部健康プラザと笠原公民館。

6とはずがたり:2007/11/08(木) 19:09:41
掛川市の元助役のブログ

掛川奮闘記
http://www.enpitu.ne.jp/usr9/97940/

7とはずがたり:2008/02/28(木) 23:13:20
掛川市長選に松井県議出馬へ
2008/02/27
http://www.shizushin.com/local_politics/20080227000000000011.htm

 県議会議員の松井三郎氏(61)が、来年4月23日に任期満了の掛川市長選に強い意欲を持ち、出馬に向けて最終調整していることが26日、明らかになった。同日は現職の戸塚進也市長(68)が再選出馬の意思を明らかにし、来春の掛川市長選は選挙戦となる公算が大きくなった。
 松井氏は静岡新聞社の取材に対し、「支援者と最終調整し、将来の掛川市のためにしっかりとした政策、ビジョンを構築した後、正式に出馬を表明したい」とする一方、自身の出馬意思については「気持ちは固まっている」と述べた。
 松井氏は掛川市出身。県職員、旧大須賀町(現掛川市)助役を経て現在、県議2期目。

戸塚掛川市長が再選出馬を表明
2008/02/26
http://www.shizushin.com/local_politics/20080226000000000052.htm

 掛川市の戸塚進也市長(68)は26日午前に開会した市議会2月定例会の施政方針演説の中で、来年4月23日の任期満了に伴う市長選に、再選を目指して出馬する考えを明らかにした。
 戸塚市長は同日、「病院統合問題の継続協議や財政再建など重要な課題がある。大きな病気で長期に休むような事態がない限り、市民に信任していただければ、向こう4年間市政を担当させていただく決意であることを申し上げたい」と述べた。
 現職の立候補表明は議員の一般質問を受けて考えを表明するケースが多い。戸塚市長は同日、静岡新聞社の取材に対し、「昨年末の一般質問で(意思を)聞かれたので今回話すことにした」と語った。来春の市長選で立候補の意思表明したのは戸塚氏が初めて。

8とはずがたり:2008/03/26(水) 04:33:22
掛川市の幼稚園園長でもある音楽家の小沢辰幸(昭28卒)→教育委員長
文芸賞受賞の小沢虎義(昭25卒)→ペンネームは冬雄
両者は兄弟とのこと
http://www3.shizushin.com/anniversary/kakenisi100/kakenisi41.html

9とはずがたり:2008/03/26(水) 04:45:49
昔は名門だったんだなぁ
袋井は勿論,森・菊川・金谷・小笠と軒並み周辺首長をおさえてたとは。

市町村長
http://www3.shizushin.com/anniversary/kakenisi100/kakenisi35.html

 掛西には掛川市近隣の市町村から多くの生徒が集まる。卒業後の行き先はさまざまだが、出身市町村の首長になり、郷土の発展に尽くす卒業生も多い。

現職は掛川市長榛村純一(昭28卒)を含め五人。袋井市長を三期務める豊田舜次(昭19卒)は、昭和六十三年に市長に初当選。静岡理工科大学を誘致したほか、小笠山総合運動公園静岡スタジアムの誘致と周辺整備などに取り組んできた。学生時代は戦時中で「厳しい生活を通じて、自らを捨てて物事に取り組む姿勢を培った」と振り返る。

 小笠町長の黒田淳之助(昭31卒)も現在三期目。町収入役を経て、平成元年に町長に就任。小中学校へのエレベーター設置やデイサービス事業のいち早い導入など、主に福祉政策に力を注いできた。「高校時代の掛川市内の下宿には、友人が大勢遊びに来た。当時の友人は今でも宝物」と語る。

生まれ故郷の発展に尽力

 「野球一色の三年間だった」と話すのは金谷町長の大石好昭(昭37卒)。昭和三十六年の春のセンバツで初の全国大会出場を決め、あこがれの甲子園に足を踏み入れた。町議を四期務め平成十二年に町長に就任。「困難に耐え、物事にじっくり取り組む精神を学んだ」とスポーツで鍛えた体力と精神力で町政に取り組む。

 菊川町長の太田順一(昭44卒)も野球部出身。菊川の水質向上、ごみ減量化、公共下水道整備など、地域の環境保全に意欲を見せる。平成十年の町長就任前まで旅行会社に勤務していた経験を生かし「企業的センスを行政に反映させていきたい」と抱負を語る。

 町長経験者としては前森町長の太田三作(昭14卒)や前春野町長の森下茂(昭34卒)らが挙げられる。太田は、昭和五十九年から四期にわたって町長を務めたほか、平成七年から二年間、県町村会長としても活躍した。山間地医療の充実を目指し公立病院を設置したほか、体験型レジャー施設アクティ森などを建設した。

 森下も昭和六十三年から三期十二年にわたり町長を務め、山間地教育の充実、生活基盤の整備、河川、森林の保全などに取り組んだ。「石川知事を中心に、同期生の団結は今でも非常に強い。掛西には家族的情味、綿のような温かさがあった」と学生時代をしのんだ。


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