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生駒・寧楽・北倭

86とはずがたり:2010/01/30(土) 01:42:22
実は女房が妊娠しまして六ヶ月になったんですけど,本日(正確には日付変わって昨日ですが)安産祈願の為,帯解寺に母と義母の4人で参拝して祈祷を受けてきました。
女房は高齢出産になりますので色々リスクがあるようですけど,無事産まれて来ることを,更には先行き不透明な世情ですけど,無事健やかに育つ事を祈らずには居られません。
http://www.obitokedera.or.jp/

帯解寺縁起

当山は弘法大師の師である勤繰大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松山と申しました。
そして、今から約千年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子←とは註:めいしと書いて「あきらけいこ」と訓む)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。
文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。
帯解の名称はここから始まりました。

江戸時代の帯解寺

徳川三代将軍家光公にお世継ぎがなく、御楽の方が当本尊に御祈願になって、めでたく竹千代丸様(四代将軍家綱公)を御安産されました。
その折種々の瑞祥(めでたいしるし)がありましたので家光公は瑞祥記を当寺に下賜になり、仏像仏具等も寄進されております。
寛文三年(1663年)にはその家綱公より手水鉢の寄進がありました。

最近の帯解寺

昭和34年7月美智子妃殿下御懐妊に際して安産祈願法要を厳修し奉り、同年9月30日安産岩田帯、御守、御祈祷札を献納致しました。
昭和40年8月、昭和43年10月にも御安産祈願法要を修し、岩田帯、御守を献納致しまして、時の東宮御所より御礼状を賜っております。
また平成3年5月には、秋篠宮紀子妃殿下に安産岩田帯、御守、御祈祷札を献納致しております。


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