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筑波・TSUKUBA・菟玖波

60とはずがたり:2007/11/11(日) 13:23:35
いやぁ〜ん,こんな計画があったなんて,萌え(はあと
葛城は今の研究学園駅,谷田部は萱丸(みどりの)に対応しよう。小張はみらい平付近であるな。伊奈谷和原の仮称が今一ぴんと来てなかったけどこれからは小張を採用しよう。勿論万博公園は島名で決まりである。
TXのつくば中央から筑波大学・大穂・北条・筑波山への延伸は俺の密やかな持論でもある。是非実現したい。

筑波高速度電気鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/筑波高速度電気鉄道

概要

元々、免許だけ収得しておいて他社に売却することを目的に設立された投機会社であり、1928年3月に日暮里駅を起点にして流山を経て田井村(今のつくば市)・筑波山までの免許を収得した。

同社では他に支線として、1928年9月に西新井駅手前の梅島付近で分岐し、亀有・柴又・国分を経由して松戸に至る路線と、国分から分岐して船橋に至る路線の免許、更に10月には上野駅地下への路線延伸免許も申請し、船橋延伸線については北総鉄道(初代、今の東武野田線)との競合を理由に却下されたが、1929年2月には上野延伸線、6月には松戸延伸線の免許をそれぞれ収得した。

しかし前述のような経緯で設立された会社でもあり、自社で建設するだけの資金はなかった。また、現在の常磐線やつくばエクスプレスも同様であるが、終点の近く(今の石岡市柿岡)に気象庁地磁気観測所がある関係で周辺では直流電化が認められず、技術的に建設する目処も立たなかった。

このため免許を売り込むべく、まず東武鉄道に話を持ちかけたが断られたため、今度は京成電鉄に話を持ちかけた。当時の京成電鉄は押上駅がターミナルであり、浅草乗り入れが頓挫するなど都心へのルート確保に苦悶していたため、この話を二つ返事で受け入れている。

1930年10月に、上野進出を図る京成電気軌道(現:京成電鉄)と合併して会社は消滅した。現在の京成本線千住大橋駅付近〜京成上野駅間は、もともとはこの鉄道会社が鉄道敷設を許可された(免許を所持していた)区間であり、この免許を利用し京成電気軌道が当区間を敷設し、現在の京成本線となっている(当時の京成は軌道法に準拠していたため、正確には同区間の免許と引き替えに下付された特許で敷設)。また、千住大橋駅付近〜青砥駅までの区間は先の松戸支線のルートを一部変更した上開通させたものである。

本線
上野駅 - 日暮里駅 - (荒川信号所) - 梅田駅 - 八幡駅 - 潮止駅 - 彦成駅 - 早稲田駅 - 流山駅 - 初石駅 - 田中駅 - 守谷駅 - 小張駅 - 谷田部駅 - 葛城駅 - 大穂駅 - 新北条駅 - 筑波山駅
松戸支線
梅田駅 - 亀有駅 - 柴又駅 - 国分駅 - 松戸駅
船橋支線


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