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筑波・TSUKUBA・菟玖波
131
:
とはずがたり
:2008/04/09(水) 23:10:07
こんな所に茨城県南部の県庁所在地が合ったことに吃驚。今は只の田舎部落である。公武合体派だった水戸が明治政府に睨まれたからかねえ?
若森城・堀田氏陣屋(つくば市若森字館山)
http://yogokun.hp.infoseek.co.jp/wakamoritk.htm
県道53号線と19号線とが交差しているところの信号から19号線を北に向かって800m進むと、道が緩やかに右カーブとなって下って行くところがあるが、そのカーブの手前の左側に「若森県庁跡」の案内板が建っている。比高10mほどの低い台地であるが、きれいに整ったままの土手が連なっている。ここが若森城の跡である。
若森城を最初に築いたのは多賀谷氏であったという。また鎌倉時代には千竈氏の領地であったので、千竈氏の居館があったとも言う。戦国時代になると小田氏攻撃の前線基地として機能していたものである。その後、佐竹対小田の抗争の中で、敵の総大将佐竹義重自身がここに陣取ったことがあるらしい。というのも年代不明だが佐竹義重書状の中に「仍十三、氏治在城、近辺号若森地在陣」とあるからである。
近世になると、ここには堀田氏の陣屋が置かれた。現在城址にはきれいに整備された土塁が残っているが、これは堀田氏時代のものではないだろうか。
さらに明治維新になって陣屋が配された後、ここには県庁が置かれることになった。筑波、真壁、西茨城、東茨城、行方、稲敷、鹿島の7郡が統一され、約28万石の若森県となった。その県庁が置かれたのがやはりこの地であったのである。県庁が建てられた際には郭内が改変されたと言われている。このように、若森城は、鎌倉、戦国、近世、近代と各時代によって改変されているので、中世城郭の状況は想像してみるしかない。
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