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各種イノベーション・新発明・新技術など

5とはずがたり:2006/11/11(土) 17:35:48

(25)育て次代のエジソン…青森
少年少女発明クラブ数14
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/jiman/ji_ji_06101201.htm?from=os2
指導員のアドバイスを受けながら、工作に熱中する発明クラブの子供たち(八戸市児童科学館で)

 小学1年の息子(7)は工作が大好き。最近もペットボトルで潜水艇を作り、風呂場で遊んでいた。この才能(?)を伸ばしてやりたいと思っていたら、小・中学生に“モノづくり”の楽しさを教える少年少女発明クラブが各地にあることを知った。一体、どんな活動をしているのか。14ものクラブが活動しているという青森県を訪ねた。

 東北新幹線の終点、八戸駅で降りて、八戸市の児童科学館へ。作業台が並ぶ実習室で、市少年少女発明クラブ(小4〜中2の40人)のメンバーが、それぞれ作品のアイデアを発表し合っていた。

 市立旭ヶ丘小5年の夏堀紅生君(10)が考案したのは、「自動モップマシン」。モーターで尺取り虫のように動く工作キットにぞうきんを付け、床をふく優れ物だ。「仕事と家事で忙しいお母さんを助けてあげたい」のだという。何て感心な子だろう……。

 だが、他のクラブ員の指摘は鋭い。「まっすぐしか進まないから、役に立たないのでは」「床に傷を付けないための工夫は」と、次々、質問が飛ぶ。夏堀君は「Uターン機能をつけ、床と接する部品にはスポンジを巻きつける」と答え、製作に意欲を見せた。
電器店主ら基礎を指導

 東北で最初に子供向けの発明クラブが誕生したのは、青森県だった。まず、十和田市で1981年、理科教師の指導者研究会が母体となって発足。翌82年、八戸市の鉄工会社経営者の呼びかけに、市内の小学校の理科教諭だった林野栄会長(71)らが応えた。「学校では扱えない専門知識や技術を教えることができる。目を輝かして取り組む子供たちの姿がうれしい」

 活動は原則、月2回。教員やOB、電器店主らがボランティアで、工具の使い方やアイデア作りの基礎から教える。林野会長は「工業団地があるせいもあって、みんな、モノ作りへの関心が高い。子供が多かったころは、入会申し込み日に長蛇の列ができ、断るのが大変でした」と振り返る。

 県も98年12月、子供の「科学する心」を育てようと、クラブへの助成金支出や指導者派遣などを始めた。県新産業創造課の成田勝治さん(48)は「青森には、有名企業や立派な科学施設が少ない。小さいころから科学に親しむ機会を増やし、産業を担う人材を育てたい」と趣旨を説明する。その後、それまで十和田、八戸、弘前、青森の4市だけだったクラブが、毎年一つ〜三つずつ各地で増え続け、2003年には首位の北海道を抜き、今もトップを走る。
ロボコンで技術磨く

 また、青森の発明クラブを語るうえで、忘れてならないのがロボットコンテスト(ロボコン)。実は、八戸市は中学生以下(ジュニア)のロボコン発祥の地だ。チームでロボットを作り、性能や技術を競うロボコンは高専の全国大会が有名だが、これを参考に91年、市立第三中の下山大教諭(46)(現・市立東中教諭)が技術科の授業に取り入れた。今では、全国に広がり、2003年には初の国際大会が市内で開かれた。

 県内企業の主催で、毎年2月に行われる県大会は、次が8回目。市の発明クラブにとっても、ロボコン参加は欠かせない一大イベントで、出場目当てで入会する子供も少なくないという。下山教諭は「同じ目標に向かって仲間と協力する大切さも学べる」と語る。

 熱心な指導者と、子供たちが切磋琢磨(せっさたくま)できる土壌がそろった青森から、将来、“第二のエジソン”が生まれるかもしれない。(梅沢清次)


 少年少女発明クラブ 1974年6月、社団法人「発明協会」の創立70周年記念事業として、千葉市と愛知県刈谷市で発足。当時の同協会会長のソニー創業者・井深大氏(故人)が呼びかけ、企業から集めた10億円の寄付で運営基金を作った。現在、全国に192クラブあり、約9000人の小・中学生が活動している。



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(2006年10月12日 読売新聞)


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