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各種イノベーション・新発明・新技術など

13とはずがたり:2008/01/06(日) 11:56:14
【あれもこれも関西発!】ATM(現金自動預払機)
2008年1月5日(土)16:37
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/e20080105010.html
 ■「機械の中に人間が入っているのか!?」

 小学館の調査によると、昨年の正月に小学生がもらったお年玉の平均額は約2万5000円。使い道の約3割は「貯金」だった。そんな大切なお金をいつでも気軽に引き出したり、預けたりする現金自動預払機(ATM)を昭和44年に世界で初めて開発したのが大手電子部品メーカー「オムロン」(京都市下京区)だ。当時の人々は「まるで機械の中に人がいるみたいだ」と驚いたという。(白岩賢太)

 この年は銀行で給与の振り込みサービスが始まった年でもあった。毎月、給料日の25日から月末にかけて銀行窓口にできる長蛇の列。金融機関の窓口は長時間待たされる人であふれる光景がどこでも見られた。

 もちろん行員にとっても窓口業務は大きな負担だった。「何とか自動化できないか」。そんな発想からATMは誕生した。旧住友銀行と協力し、オムロンはこの年の12月、世界初のATMを開発、東京と大阪に計4台を設置した。

 当時のATMに預金機能はなかったが、現在と同様、利用者はキャッシュカードを機械に入れ、4けたの暗証番号を入力すると、紙幣を引き出すことができた。機械の中はすべてが千円札で、1万円を引き出す場合は、千円札10枚が封筒に入った状態で出てくる。さらに、暗証番号の入力に黒電話のアナログ式ダイヤルが使われていたのも特徴だった。

 お披露目式でその機能を目の当たりにした当時の住銀頭取は「まるで機械の中に人がいるようだ」と驚いたという。

 「草津の工場で毎晩寝泊まりしながら不眠不休で作り上げた製品。それだけに世に出たときの感動は今でも覚えている」。開発を担当した西村弘之さん(61)は振り返る。

 ただ1号機は口座のある店舗でしか使えなかったことや、1台約1000万円の高額だったこともあり、売れ行きは芳しくなかった。当時、営業マンとして駆け回った同社グループ監査室担当部長の岩崎富夫さん(58)は「営業といってもエンジニアみたいに仕様書の作成や導入前のテスト、打ち合わせなど何でも1人でやった」と話す。

 2年後には、どの店舗でも現金の引き出しが可能なオンライン機が登場し、ATMは一気に普及する。出金方法も「バラ出し」方式が採用され、利便性もアップ。47年当時、年200台だった生産台数は49年に8倍近くまで急増した。

 従来の支払機に預金機能を加えたマシンが登場したのは53年。さらに、機器の中で“寝かした”ままの現金に利息が発生する問題を解消するため、5年後には自動精算システムを導入。入金記録が早い現金から優先して支払いに回すことができるようになったことから環流式と呼ばれた。タッチパネルによる暗証番号の入力機能も追加され、業界内では「チャンピオンスペック(性能)」と高く評価されたという。

 3年前に開発した最新機種は指静脈のパターン認証が初めて採用され、「ユビキタス」時代にも対応。セキュリティーはより強化された。

 多機能化に合わせ、偽札対策も進化した。同社によると、真贋(しんがん)の見分け方の詳細は「企業秘密」だが、紙質などの素材や印刷状態、長さや厚さといった形状などから判別しているという。「技術的なものを除けば、手法は昔とあまり変わっていない」(西村さん)。

 今やコンビニ店での設置も常識になったATM。岩崎さんは「お金というものがある限り、これだけ身近になったATMの需要がなくなることはないでしょう」と話している。


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