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Tohazugatali Book Review
341
:
とはずがたり
:2015/12/10(木) 19:11:28
「火垂るの墓」作家の野坂昭如さん死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151210/k10010335981000.html
12月10日 11時13分
戦争体験をもとにした小説、「火垂るの墓」で直木賞を受賞し、歌手としても活躍した作家の野坂昭如さんが、9日夜10時半、東京都内の病院で、心不全のため亡くなりました。85歳でした。
野坂さんは神奈川県鎌倉市生まれで、早稲田大学在学中にCMソングの歌詞やテレビの台本などを書き始め、昭和38年に「おもちゃのチャチャチャ」で日本レコード大賞童謡賞を受賞しました。この年、作家としてもデビューし、昭和43年、「アメリカひじき」と、のちにスタジオジブリのアニメになった「火垂るの墓」の2つの短編で直木賞を受賞しました。
その後も「戦争童話集」など、空襲や飢えなどの戦争体験をもとに、多くの小説や童話を書き続け、みずから「焼跡闇市派」と名乗りました。
編集長を務めていた雑誌に掲載した小説「四畳半襖の下張」を巡る裁判では、わいせつの概念について最高裁判所まで争い、話題になりました。
昭和58年には参議院議員に当選しましたが、田中元総理大臣の政治資金の問題を巡り、金権政治を批判して辞職し、その年行われた衆議院選挙に田中元総理大臣と同じ、当時の新潟3区から立候補して落選しました。
また、歌手として「黒の舟唄」などのヒットを飛ばし、ウイスキーのコマーシャルでは「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか。みんな悩んで大きくなった」というフレーズを流行させました。さらにテレビ番組や雑誌などで辛口のコメントを積極的に発言するなど幅広い分野で活躍しました。
野坂さんは平成15年に脳梗塞で倒れてリハビリを続け、平成21年にはリハビリを兼ねて句集を出版していました。そして最近まで口述筆記でエッセーなどを書いていたということですが、9日夜、自宅のベッドで意識がない状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認されたということです。死因は心不全でした。
野末陳平さん「とても優しい人物」
野坂昭如さんと若いころから親交があった元参議院議員で放送作家としても知られる野末陳平さんは「若いときは一緒に多くの仕事をしましたが、とても優しい人物でした。亡くなったことは、けさ、知人を通じて、知りましたが、長い間、会っていなかったので会っていればよかったといまになって思います」と話しています。
元編集者「戦争中の妹の死が根本にあった」
野坂さんの自宅を訪れた中央公論社の元編集者で、最初に野坂さんを担当したという水口義朗さんは「奥さんからは『2か月ぐらい前に誤嚥性(ごえんせい)の肺炎で容体が悪化し、もうだめかと思ったが、医師が驚くほど回復した』と聞いていた。よく頑張った、よくもったなという感じで、覚悟はしていたが残念だ。戦争中に空襲に遭い、1歳4か月の妹が腕の中で餓死したことが彼の中に根本的にずっとあったと思う」と話していました。
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