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人口問題・少子化・家族の経済学

597荷主研究者:2011/11/23(水) 16:21:56

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20111024/CK2011102402000025.html
2011年10月24日 東京新聞
誰か故郷を… 人口減 未来図探る

講義をする和田光平中央大教授=八王子市で

 「どうしてそんな平気な顔で息子を送り出せるの」。大学に進学した一九八七年の春。上京を控えて仙台市の自宅で荷造りしていたとき、祖母は泣きながら母に言った。

 中央大経済学部教授の和田光平さん(42)=八王子市=は、あのときの祖母の言葉が忘れられない。「母は私が四年で帰ると思っていた。私自身いずれ帰るつもりだったが、祖母は見抜いていたのかな」と懐かしそうに振り返る。

 宮城県庁近くの実家で、母方の祖父母と両親、兄の六人で暮らしていた。祖父が起こした精密機器商社を兄とともにもり立てるため、中央大商学部に進学。「兄貴が機械、自分は経理を身に付けるんだ」と考えていた。

 大学では家業に役立てようと公認会計士の資格取得を目指し猛勉強した。皮肉なことに、その結果として経済学の面白さに触れ、研究者になろうと決心した。

 大学院では、人口の将来予測や人口の変化が社会や経済などに及ぼす影響を探る人口学にのめり込んだ。「会計士に求められる『速く、正確に』は大切だが、僕には向いていない。金より人を数えたい」

 盆も正月も帰省せず大学の共同研究室に通い、勉強漬けの日々を送った時期もある。「大学に住んでいる感じ」だった。助手、助教授とキャリアを重ね、三十七歳の若さで教授に就任した。気付くと東京で暮らした年月の方が長くなっていた。

 順調な都会での暮らし。一方で、結婚して子どもが生まれると故郷への思いが強くなった。実家近くの大学にポストの空きはないか調べたりもしたが、母から「東京にいなさい」と言われ思いとどまった。母は、いつか来ると言われていた東北地方の大地震を気に掛けていたのだ。

 そして三月十一日、母の心配が現実に。千年に一度の大地震が故郷を襲った。祖父母は震災前に亡くなっており、両親や兄の家族は無事だった。しかし、宮城県女川町で暮らしていた母のいとこ八人のうち二人が死亡、五人は今も行方不明のまま。気仙沼市の妻の伯母も犠牲となった。

 震災後は帰郷したいというより、学者として故郷に貢献したいという気持ちが強まった。

 「二一〇〇年の日本の人口は五千万〜六千万人。地方都市は地震がなくても人口が減る」とみている。厳しい時代を迎える東北の地方都市がどんな将来図を描くべきなのか、学者として提案していきたいと思う。

 「悲しいきっかけだが、人口が減る中でどういう社会を目指すのか。人口学者の立場から故郷の復旧復興に尽くしたい」

  (加藤益丈)


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