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【捲土重来選挙】200X次期衆院選スレ

1105とはずがたり:2007/10/22(月) 22:48:56
>>1008>>1104
国政への意欲は相当なものの様だが…。
あんま信用はならん感じやけどねぇ。
忠誠度見せたいなら一族郎党・系列市議・子分の県議etc皆引き連れて民主に入党せよ。

2005年08月18日
三重5区公認問題後遺症?師弟関係は脆くも崩壊 田村元氏・中川正美県議の仲
http://times.okushima.org/2005/08/post_136.php

 人間関係の脆さ、虚しさを感じる仲違いだと伊勢市の政財界で波紋を呼んだのが、田村元衆院議長と伊勢市選出の中川正美県議の師弟関係の破綻である。 

 感情の行き違いが生じたのは、一昨年の七月頃が起点で、5区を地盤に国会議員として君臨した藤波孝生代議士が病状を理由に引退を決意、志摩市選出の山本教和県議を次期衆院選挙での後継者に指名した。

 この藤波代議士の山本県議の推挙に異論を挟んだのは、政界を引退したとはいえ、県政界で隠然たる影響力を持つ田村元氏は、中川正美県議を推挙したことから、田村対藤波の代理戦争の勃発?と騒がれ自民党県連の扱いが注目された。

 この苦悩の選択を突く形で国土交通省の三ツ矢憲生氏が、公認申請したことから複雑さを増す中で、県議のどちらを公認しても県連は遺恨が残ることを憂慮?三ツ矢憲生氏が公認され、衆院選を勝ち自民党5区は当分安泰?と思われた矢先の田村・中川両氏の不仲説が囁かれてきた。

 怪訝(けげん)な出来事は、田村元氏と山高時代の同級生で伊勢市議の国府保幸氏が逝去、田村元氏の弔辞の代読は当然、中川県議と参列の人々は見ていた処、別人が、読み上げた事から、田村氏と中川正美県議の師弟関係の変化を読み取った参列者も多かった。

 政界を引退、悠々自適の余生を送る田村氏が代議士時代の牧野秘書が用を承り、中川正美県議を紹介したが中川正美県議は多忙を理由に会わなかった事が事の始まり?で話を伝え聞いた田村元氏は怒ったとも言う。

 中川県議の田村氏への不信感は、一昨年の5区の自民党公認に行き着くのではないか?。中川正美県議の中央政界への意欲は、しばしば取り沙汰され、チャンスが有れば、国政への意欲を持ち続け、目の上のタンコブは藤波孝生衆院議員の存在であった。

 その藤波引退は、千載一遇の好機の到来であったが、藤波氏は自らの後継に山本教和県議を推薦、チャンスを逸した?感も師匠である田村元衆院議長は、中川正美県議を強く推挙してくれた。

 ここで自民党公認を得れば、念願の赤いじゅうたんを踏む夢は脹らみ始めた?山本?中川?の両者の意欲に頭を悩ます自民党県連も、最終的には県連幹部と5区内の県議ら十一人の投票での決着も論議され、投票での決着なら中川正美県議は、山本県議を票数で、大きく上回ることも予想され三ツ矢憲生氏の公認申請が無ければ、中川正美県議の優位だが、紛糾を避けたい県連は、三ツ矢憲生氏の公認で幕を降ろした。中川正美県議としては、田村元氏が推挙してくれたのだから、自民党県連の公認問題で、もう少し強く要請してくれる期待感も三ツ矢氏の公認申請を追認するような態度に出た?と感じたのではないか?「自分を推挙したのだから、もう少し県連への攻勢は、あってしかるべし」の思いを抱き「田村氏さえ、もっと強く公認の後押ししてくれたら、自分も国政に参加できたのに?」の思いが、田村氏への不満となったのではないか?と巷のスズメのさえずりである。

 そして九月十一日の衆院選だが、中川県議の動きは?


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