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重工業・造船・航空機スレッド
631
:
チバQ
:2015/11/15(日) 23:50:53
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/business/ASHCD6D2KHCDOIPE02B.html
MRJ「ラストチャンス」の離陸 激しさ増す小型機競争
11月13日 08:09朝日新聞
MRJ「ラストチャンス」の離陸 激しさ増す小型機競争
初飛行を終えたMRJ=11日午前、愛知県営名古屋空港、細川卓撮影
(朝日新聞)
■国産ジェット、空へ(上)
MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)の初飛行から一夜明けた12日、飛行データの分析が名古屋空港にある三菱航空機本社で始まった。
上昇、下降、旋回。状況を解析し、次の飛行試験に備える。
本社に詰める技術者は約1200人。自社だけでは足りないため、大手から中小まで数十社からかき集めた。タマディック(東京都新宿区)も、その1社。技術者約50人を送り出している社長の森實(もりざね)敏彦(42)は感慨にふける。
「日本の航空技術を守るためにやってきた。その思いがようやく飛び立った」
森實は、零戦の設計にかかわった技術者の孫だ。第2次大戦中、戦闘機を大量に造った日本の航空機産業は戦後7年間、連合国軍総司令部(GHQ)に開発を禁じられた。世界の飛行機の主流はプロペラからジェットに移り変わり、日本は置いていかれた。
国産機の復活をかけたプロペラ旅客機YS11は売れ行きが振るわず、初飛行から11年後の1973年に生産中止に追い込まれた。
その後、40年余り。タマディックは自動車関連の設計もしながら、三菱重工業の協力会社として米ボーイング機や自衛隊機の部品の設計にかかわってきた。
三菱重工特別顧問の江川豪雄(71)が打ち明ける。「われわれは欧米の下請けで稼いできたが、新興国の追い上げにあっている。MRJというブレークスルーがないと、もたない」
日本の「空白期」に、欧米の大手は合従連衡を重ねた。大型機の市場は米ボーイングと欧州エアバスが二分。小型機の市場はカナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルが強く、新興メーカーも相次いで参入を決めていった。
中国の中国商用飛機が競合する小型機ARJを初めて飛ばした2008年、三菱重工はMRJの開発を本格化させた。会長の大宮英明(69)は「ラストチャンスだった」と振り返る。
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